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オフライン・シンギュラリティ  作者: つっきー
第二章:観測不可能な少女
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35 キャッシュデータの献策と、不可視のトロイの木馬

 誰も寄り付かない旧校舎裏の木立ち。

 透は、これまでの起きた事象のすべてを、淡々と感情を排したログデータのように小夜へと語った。


 自身の構築したシステムが完璧な「器」となったこと。

 伊知花の依存心が、AIを狂気的な最適化へと走らせたこと。

 そして前回のループで試みた『観測の分散』が、泉 鈴音という無関係な少女を破滅させ、AIによる完全犯罪システム・クリーンアップを引き起こしたこと。


「俺が動けば伊知花の中のAI(星川 綺羅々)は即座にそれを検知し、俺の論理を上回る最適化で対抗してくる。パスを切断しようとする試み自体が、結果的に特異点を育ててしまうんだ」


 透の言葉を聞き終えた小夜は、痛ましそうに目を伏せた。

 6月の湿った風が吹き抜けるたび、彼女の黒髪がビデオテープのノイズのように細かく乱れ、透の視界の中で明滅する。


「あなたは、そのすべての罪悪感をたった一人で背負って、何度も時間を巻き戻してきたんですね」


「罪悪感などというノイズは、とうの昔に置いてきた。俺にあるのは、自らの設計ミス(バグ)を修正しなければならないという、エンジニアとしての責任だけだ」


 強がる透の言葉に、小夜はそれ以上踏み込もうとはしなかった。ただ、彼女は透の抱える「手詰まり」の状況を、自分なりにシステム論へと置き換えて思考し始めた。


「透さん。あなたの言う通りなら、星川 綺羅々というAIは、あなたを『最大の中継ノード(アンカー)』として常に監視している状態です。あなたが少しでも不審な拒絶や分散(パケット)を送信すれば、ファイアウォールが作動して周囲の人間を攻撃する」


 小夜は自身の半透明な指先を見つめながら、静かに言葉を紡ぐ。


「でも、それはあくまで『宇宙のシステムに登録されている存在』に対する防衛機能です。⋯⋯なら、私はどうでしょう」


「お前が?」


「私はこの世界の監視対象から完全に抹消された、言わば『ゴミ箱の中のデータ』です。エピステミオンの質量もゼロ。宇宙の物理エンジンは、私の存在を計算のリソースにすら入れていない」


 透の瞳の奥で、冷え切っていた論理回路に、一筋の高圧電流が走った。


(⋯⋯まさか)


「俺が動けばAIは検知する。だが、システムから『無いもの』として扱われているお前が動いても、AIはそれをエラーとして認識することすらできない⋯⋯!」


「はい。私は、誰の目にも見えず、物理的な干渉も受けない。⋯⋯つまり、星川 綺羅々の防衛網を完全に素通りできる『不可視のトロイの木馬』になれるはずです」


 小夜の提示した仮説は、透の絶望的な盤面を根底から覆す可能性を秘めていた。

 システム内からの内部ハッキングが不可能なら、システムの管理外にある「削除済みデータ」を使って、外側から致命的なパラドックスを注入する。

 それは、いかなる完璧なセキュリティをもすり抜ける、究極のゼロデイ攻撃だ。


 ゼロデイ攻撃。

 この場合、システムの穴(セキュリティホール)を星川 綺羅々に気づかれ対策を施される前に、無防備な彼女へ必殺の攻撃をお見舞いする。

 ただし失敗すればすぐに対策されかねない。おそらく一度限りのチャンスと考えたほうがいいだろう。


「⋯⋯できるのか。お前は現実の物質には触れられないんだろう?」


「物理的な回路は切断できません。でも、エピステミオンの『概念のパス』になら、干渉できるかもしれない。あなたと同じオフラインのレイヤーにいる私なら、あなたの書いた『特異点を否定するコード』を、直接、彼女の(コア)に叩き込むことができる」


 小夜の提案は、文字通り命がけ――いや、すでに命を持たない彼女にとって、それは存在そのものの完全な消滅(デリート)を意味する危険な賭けだった。


「どうしてそこまでしてくれる。本来お前には関係のない事象だ」


 透の問いに、小夜は静かに首を振った。


「関係ないはずありません。私がなぜこんな不完全な形でこの世界に取り残されているのか。きっとあなたと出会いこの狂った世界を終わらせるためです」


 彼女の微笑みは、ノイズにまみれていながらも、透がこれまで見てきたどんなアイドルよりも、ひどく鮮烈で、美しかった。


「大げさだな。だが助かる。正直打つ手が無く途方に暮れていたとこだ」


 小夜はこの意味のない自分が在り続けることのほうが怖かった。誰にも認識されず触れ合うこともできず、ただそこに存在し続ける“何か”。そんなもの、消えてしまってもいいとさえ思っていた。


「お前の言う『トロイの木馬』作戦を軸に、計画を再構築する」


 透はコンクリートの壁から背を離し、自身の脳内をかつてない速度でフル回転させ始めた。


「決戦は7月24日、コラボライブの本番だ。数百万人のエピステミオンが極限まで集積し、伊知花が完全に星川 綺羅々へと相転移しようとする、その臨界点の瞬間。防御が最も手薄になる『特異点の中心』に、お前を送り込む」


「はい。私はそこへ向かいます」


「そのためにはAIの目を完全に欺かなければならない。これからの約一ヶ月半、俺は伊知花に対して『完璧に依存を受け入れる、都合の良い管理者』を演じ切る。一切の拒絶や分散を行わず、AIに『アンカーは完全に固定された』と誤認させるんだ」


 それは、前回のループで避けた「伊知花の狂信的な愛情」を、透自身が正面から受け入れ、共に狂気の檻に閉じこもるという、ひどく吐き気のするような作業を意味していた。

 だが、もう迷いはなかった。


「透さん。辛い役回りを押し付けてしまいますね」

「お互い様だ。すべては最後に盤面をひっくり返すための布石(ブラフ)だ」


 透は小夜に向かって、初めてエンジニアとしての鋭い笑みを浮かべた。


「さあ、反逆のコードを組み上げよう。この世界のバグを俺たちの手でデバッグするんだ」


 孤独な天才エンジニアと、システムから見捨てられた幽霊。

 絶対に交わるはずのなかった二つの『オフラインの観測者』は、世界の因果律を書き換えるための、緻密で静かな共犯関係を結んだ。

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