35.そして(エピローグ)
洋館のリビングのソファに座ってお茶を飲みながら、凜と朔弥はアルバムをめくっていた。
1冊目のアルバムの初めには、新婚旅行先の海辺で、土産物屋に撮影してもらった、朔弥とツーショットのポロライドカメラの写真が収められている。やや色褪せたその写真を見て、凜は微笑んだ。
「朔弥さんの笑顔が、まだ硬いですね」
「そうかな? この写真を見て、僕は自分が笑っててびっくりしたんだけど」
「並べると、わかりやすいですよ。これ、去年、同じ場所で撮ったじゃないですか?」
凜は新しいアルバムの写真を見せた。
新婚旅行で行った温泉旅館に、去年また泊りに行ったのだ。
同じ場所にまだ土産物屋があった。ポロライドカメラの写真撮影はもうやっていなかったが、そこで同じように写真を撮ってもらったのだ。
新婚旅行の時の、どこかはにかむような笑い方の朔弥はそこにはなく、凜と並んで満面の笑顔で写る、目じりに笑い皺を浮かべた壮年の男が映っていた。
凛が石心病の摘出手術を受けてから、20年が経とうとしていた。
花江は5年前に亡くなり、今はこの洋館に、朔弥と凛の二人で暮らしている。
「写真ていうのは、いいものだね。見ると、昨日のことみたいにいろいろと思い出せるから」
感慨深げにつぶやいた朔弥を見て、凜はくすくすと笑い声を漏らした。
「――写真は苦手って言っていたのに、今じゃカメラが趣味ですもんね」
「なかなかの腕前だと思うな。克也くんの結婚式の写真も、この前の朔真くんの成人式の写真だって、僕が撮ったんだから」
朔弥は得意げに言うと、一番新しいアルバムをめくった。
そこには、森崎と娘の希美と夫の直也――そして、森崎の孫にあたる朔真が映っていた。
朔真は、朔弥が希美の手術をしたあの日に生まれた子どもだ。
朔弥にあやかって名付けをしたいと希美が言ったので、「朔」の字をとって「朔真」と名付けられた。
「朔真くん、医学部に合格して、良かったですね。朔弥さん、お勉強教えた甲斐がりましたね」
「二浪はしんどそうだったからなあ。今年受かって良かったよ」
「来年は、難しいですもんねえ」
凜はお茶を一口飲んで、呟いた。
朔弥は凜の手に自分の手を重ねると、微笑んだ。
2人の手のひらを包む寿命の光は、仄かに淡く揺らめいて、消えそうだった。
凛と『半分こ』した――命の期限が来ようとしていた。
「周りの同級生より年上だって気にしてたけどね」
「医学部は現役でない生徒さんも多いでしょうし、気にする必要なんてないでしょうけどね。私なんか、同級生よりかなり年上で、しかも既婚者だったんですよ。朔弥さんが車でよく学校まで、お迎えにくるから目立ってましたよ」
凛は手術後、しばらくして入学した大学の写真をめくりながら笑った。
体調が落ち着いてから美術専攻のある教育学部の大学に進学し、教員免許をとったのだ。
「……今だから言うとね、凜さんが大学生活をエンジョイし過ぎたらどうしようかと、僕は気が気じゃなかったんだよ」
「……そうだったんですか?」
凜は微笑むと、朔弥の頬を撫でた。
朔弥は照れたように話題を変えた。
「でも、朔真くんは、最初の受験に失敗してもめげずに前向きに勉強して――きっと、いい医者になると思うよ」
朔弥は凜と右手を重ねたまま、もう片方の手でアルバムをめくった。
「楽しい時間っていうのは、あっという間に過ぎるものだよね」
朔弥は凜と右手を重ねたまま、もう片方の手でアルバムをめくった。
病院の入り口で、手術後、退院のときに撮った写真には、青空の下で不安と安堵が入り混じる凜の表情が残っていた。
結婚式の写真では、互いに照れながらも心からの笑顔を見せていた。
体調が落ち着いてから入学した、凜の大学の入学写真では、笑顔の凛と、緊張した面持ちの朔弥が並んでいる。
教員免許を取得し、就職先の病院の院内学級で迎えた初日の記念写真には、緊張した面持ちの凜が映っている。
凜の弟の克也の結婚式では、緊張した面持ちでスピーチマイクの前に立つ朔弥の姿があった。
エミリー人形の故郷の外国の街を訪れた写真では、飛行機に青い顔をする朔弥を見つめる呆れ顔の花江と、笑顔の凛の姿。
たくさんの写真は、共に歩んできた20年の記録だった。
「――僕と、生きてくれて、ありがとう、凜さん」
朔弥は凜を抱き寄せて、呟いた。
「君と夫婦になれて、本当に幸せだったよ」
「それは、私もですよ」
凛の返事に朔弥は目を細めた。重ねた手の平を包む光が静かに揺らぎ、二人は同じ時に目を閉じた。
《完》
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