32.緊急電話(side 朔弥)
「継宮くん……! 助けてくれ……!」
電話口から響く、森崎の悲痛な叫び声に朔弥は目を見開いた。
いつもの森崎からは想像できない、尋常ではない様子だ。
「……どうしたんですか? 何があったんですか?」
「娘の、希美が……、死にそうなんだ。昨日から、帝都病院に入院している……」
朔弥は以前、凜が病院に朔弥の忘れ物の書類を届けに来たときに、病院で会った森崎の娘の姿を思い出した。森崎と一緒に、検診で病院を訪れていた、大きなお腹を抱えていた女性。確か、出産は今月だと言っていたはずだ。
「――何があったんですか?」
受話器の向こうで、森崎が呻いた。
「今日の、夕食までは、全く普通だったんだそうだ。それが――突然、胸を押さえて、倒れて、搬送された。先生方は――母体の状態が不安定で、このままでは持たないかもしれない、と……子どもを取り出すしかないと言われている……」
嗚咽とともに、森崎が叫んだ。
「君の力を使ってくれ! 私の寿命を、使えるだけ使ってくれていいから! 娘を……、助けてくれ……」
朔弥は頭を抱えた。
状況は、理解できたが、しかし。
「僕の力は、よくわかっているでしょう? 寿命を『使えるだけ使う』なんて、器用な使い方はできないんです。あなたの寿命を僕が使うなら、あなたは即死ですよ。――僕が、力を恣意的に使えば、処分対象になると、そう言ったのはあなたですよ、森崎さん。あなたが死んでしまったら、僕はそのまま処分対象になるんですよね」
「局の人間に、話はつける! 何とかする! それは、何とかするから、だから!」
叫ぶ森崎の電話口に、別の声が入り込んだ。
「お義父さん! 何をしてるんですか! 急がないと、子どもまで――」
悲壮感に包まれた、叫ぶような声。
(この声は、希美さんの旦那さんか?)
「両方! 助かるんだ! ――継宮くんを――!」
ばたばたという足音が聞こえた。森崎の受話器を、誰かが取った。
「――継宮くんか?」
「藤巻先生!」
落ち着いた医局長の声に、朔弥は息を吐いた。
「一刻を争うんだ。母体の容態が安定せず、このままでは母子ともに危うい。子どもを取り上げれば救える可能性はあるが、母体が耐えられるかは分からない。――けれど森崎さんが、君を呼ぶまで待ってくれと、旦那さんが書いた同意書を破り捨てる状態で……」
「お子さんは、胎児は、無事なんですか?」
「ああ」と藤巻医師は頷いた。
「けれど、いつ何が起きるか、わからない。早く取り出さないと」
「待ってくれえ! 継宮くんが来てくれれば……!」
森崎が叫び声と共に、藤巻医師から受話器を取り返した。
「お義父さん! 僕だって、嫌ですよ! けれど、このままじゃ、二人とも……」
「継宮くん、頼む!」
受話器の向こうで、叫び声が飛び交っている。
朔弥は大きな声を出した。
「とにかく、僕は今から病院に向かいます! 藤巻先生――それまで、できる限り、手術を待っていただけませんか?」
「……どれくらい、かかる?」
「2時間以内に行きます」
電話の向こうで、一呼吸の沈黙の後、藤巻が頷いた。
「わかった――けれど、胎児の容態に異変があれば、すぐに手術をするぞ」
「はい。お願いします」
朔弥は受話器を置いて、旅館の仲居に一礼すると、部屋に走った。
「朔弥さん? 大丈夫ですか?」
心配そうな凜の肩に手を置くと、朔弥は頷いた。
「森崎さんの娘さんが、急に倒れられて、帝都病院に運ばれたようなんだ。――僕は、今から、病院に戻ります」
言いながら、浴衣を脱いで服に着替える。
「大事な話の途中で、すいません」
「いえ、緊急事態ですもの。――気をつけて、行って来てくださいね」
心配そうな凜の姿を見つめて、朔弥は頷くと、部屋を駆けだし、駐車場へ向かった。
車を発進させ、ハンドルを握る。
(なんだって、こんな時に――今は、とにかく、病院へ向かうんだ――!)
夜の道は空いていて、行きよりも早く病院へ到着できそうだった。
◇
病院の駐車場にたどりついた朔弥は、車に鍵をかけるのも忘れて、夜間の救急外来の入り口から病院内に駆け込んだ。
「継宮先生!」
朔弥の到着に気付いた受付の職員が、慌てた様子で朔弥を手招きした。
ばたばたと足音がして、藤巻も駆けつける。
「藤巻先生、手術はまだ……」
「まだしていない。とにかく、森崎さんに会ってくれ」
連れて行かれた病室には、ベッドに寝かされ、呼吸器や胎児の様子をモニタリングする装置をつけられた森崎の娘の希美と、森崎、そして希美の夫と思われる若い男性がいた。
朔弥は目を凝らした。
希美の体と、大きい腹部と、2つの命の光が見えた。
腹部から透けて見える、子どもの光は強く輝いていたが、希美の体を包む光は弱々しく、今にも揺らぎが消えてしまいそうだった。
(これは、まずいな)
眉間に皺を寄せた朔弥に、森崎が気づいて駆け寄った。
「継宮くん! 継宮くん!!」
森崎が泣きはらしたような赤い瞳で、朔弥に駆け寄って、肩を強く揺さぶった。
「来てくれると信じていた……間に合って良かった、すぐにでも……」
「森崎さん、ちょっと、落ち着いてください」
朔弥は森崎を押し返した。
そこに、若い男性が割って入った。
「お義父さん! 『間に合った』というのはどういうことですか!? この先生が来たから、何だと言うんですか!!!」
「――継宮くん、彼は、希美の夫の、直也くんだ。直也くん、継宮くんが来てくれれば、大丈夫だ――」
森崎は瞳をぬぐいながら、意識のない娘を見つめた。
「希美――良かった。直也くんと、仲良く――」
(本当に、この場で死ぬ気だ、この人は)
朔弥は血の気が引いていくのを感じた。森崎を包む光を見つめる。
20年分の光がそこにあった。渡せば娘は助かるかもしれない。けれど森崎はその場で命を落とし、自分も処分対象になる――。頭の中で重たい天秤が揺れ続けた。
(どうする? 力を使うしかない? とにかく、早く判断しなければ、希美さんとお子さんが――。けれど、森崎さんは、この場で死んで、僕は、どうなる? 森崎さんは、他の政府の人と話をつけてくれているのか?)
その時、希美の手がぴくりと動いた。
「希美ちゃん!」「希美!」
夫の直也と、森崎が希美に駆け寄る。
朔弥は目を凝らした。意識はないはずなのに、希美の生命の光が一瞬だけ色濃く瞬いた。
(生きようと、している……)
朔弥は自分の手を見つめた。
今までは、家族や親しい者の呼びかけに反応して、命の光の強弱が変わる現象を見ても、どこか実感が湧かなかったが。今は一瞬強くなる、その光の意味を体感として、理解できていることを、この瞬間、実感した。
(凜さん……)
自分を待っている人のことを想うと、朔弥の手を包む光も、強くなった。
(希美さんも、旦那さんと、森崎さんのところに、戻ろうと、頑張っている――?)
朔弥は、凜の言葉を思い出した。
『本当に、できないんでしょうか?』
自分の手を握る、凜の手のひらの温かさを思い出して、朔弥の脳裏に閃きが走った。
(僕には、できるんじゃ? 森崎さんの寿命を使わなくても――)
「継宮先生! 森崎さんは何を言ってるんだ!」
状況を見かねた藤巻が朔弥の肩を揺さぶった。
「藤巻先生、子どもを取り出す手術をしてください」
朔弥は顔を上げると、藤巻に言った。
「――継宮くん! それじゃ、希美が――!」
森崎が朔弥に縋りついた。
朔弥はその肩に手を当てて、森崎の目を見つめた。
「森崎さん。あなたの寿命は使わずに、対応します」
それから、状況を見守る藤巻を見つめた。
「産科の手術中は、僕に希美さんの手を握らせていてください。――希美さんを、一時的に、仮死状態にします」
花を枯らし、再び咲かせた――あの感覚を人にも応用できるのではないか。命を『奪う』のではなく『一時的に預かる』。凜の言葉が、その意味を背中から押した。
「手術時のショックから、身体を保護し、その後、希美さんの手術を行います」
「そんなことが、できるのか?」
「僕にしか、できません」
朔弥の言い切った言葉に、藤巻は息を呑んでから頷いた。




