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遠見に誘われたのはクラス一部を集めて泉先生を探しの――彼らから見れば教師思いの正義感溢れた――活動だった。別の視点から見れば、好奇心の塊による理性の欠片もない突発的な衝動で動いた未成年集団でしかないだろう。
発端はある少年の証言だった。
暗い時間、泉教諭が人が足を踏み入れることも憚るような廃墟に入っていったのを見た、というものだ。
見間違いなのではないかという声もあったが、唯一の手がかりにクラスメイトたちは奮起せざるをえなかった。自分たちが慕う先生を助けたい、その思いは未だ幼い彼らには抗いがたい憧れだ。
少年少女たちの無謀とも言える勇敢な行動は危険が伴う。それはぼくにとっても同義だ。
無論、その話に乗ったぼくは急遽石動と連絡を取り、今に至ったというわけだ。
懐中電灯から伸びる光が、建物の中を明るく見せる。
ぼくからしてみれば見慣れた光景だったが、少年少女たちにとっては未知の世界に違いない。少女たちは肩を震わせて、少年たちは後ろを気にしている。しかし、彼らの足は止まる事はなかった。彼らの持つ懐中電灯が、ぼくが頼りにしていた携帯の明かりよりもずっと心強い道を作っているからだろう。
「……ほんとうにこんなところに先生いるの?」
静けさに耐え切れなかった一人が呟いた。
「い、いるでしょ。だって見たんだもん、ね?」
「吉田は嘘吐くやつじゃねえよ」
「う、うん」
吉田と名指しされた少年がおずおずと頷く。一見気弱そうな少年だ。日頃言葉を口に出すのすら厳しそうな彼が、公の場で周囲を盛り上げるような発言をするとは考えにくい。暗闇でよくは見えないが、視線があちらこちらと定まっていないよう感じる。
視線が合った――ような気がしたが、瞬時に逸らされた。
「……どうしました」
小さな声で石動が囁きかける。ぼくの目が一点に向いていたからだろう。
「石動はどう思う」
「……あのひと、ですか?」
「うん」
「……視線を感じます」
「疑われてるのか。知り合いか?」
「…………たぶん、知らないひとです」
「たぶん?」
「ひ、ひとの顔覚えないし……」
ぼくから顔を逸らして、石動は言葉を濁した。
「なら……一旦別れて行動しよう。ぼくが彼を含めた数人を連れてく。お前は光居を連れて行ってくれればいい。これ以上彼と接触しても疑われるだけだ」
「えっ、と……ごめんなさい、誰でしょうか」
「さっきぼくに啖呵を切った男だよ」
「わかりました。あの、私は連れて何をすればいいですか?」
「見たところ、彼は一人で突っ走る傾向にある。お前が足を引っ張ってくれ」
それ以外にも少しの言葉を言い含ませると、石動は困惑しながらも頷いた。それでいい。腹の立つ発言は多いが、動いてくれるときには動いてくれる少女だ。
渡せるものか。
ようやく手に入れたぼくの愛だ。――ああ、そうとも。
こんなやつらに、彼女を渡せるものか。
この廃墟は元は大きなホールだったのだろう。入り口は広く、奥の通りは狭い。それでいて小部屋であったであろう場所はあちらこちらとある。彼女はその小部屋の一つにぶら下がっていたのを思い出す。
個々の明かりがホール内をふらついている。ぼくたちの持つ明かりだ。入念に椅子の下まで見て回っている。
「広いねえ……。暗いし、探すのも大変。時間かかりそうだね」
遠見の言葉に、ぼくはそうだねと応えた。そう、何を思ったのかこの女は幼馴染だという光居ではなく、ぼくと同じグループにいる。
ぼくが二つのグループに別ける案については皆賛成だった。外から見てもこの廃墟は広い。別れて行動でもしなければ、数刻とこの暗がりの中を彷徨うことになるだろう。それも探し物があるのだからなおのことだ。光居も従った。
だが、遠見が一つだけ面倒になることを言った。
『わたし、木崎くんと行くよ』
いいよね、と小首を傾げた遠見は無邪気だった。声を荒げる者ももちろんいた。光居だ。
だが、遠見は頑として己の要望を変えようとはしなかった。ぼくが自由にしていいと言ったせいだろう。正直この選択は誤ったと思っている。それならばと光居も同じグループに入ろうとしたのだ。幸い、石動の助けで事なきを得たものの、この女の目的がまったく読めない。
「遠見さんは、どうしてぼくと行動しようと?」
「それは……心配だからだよ。木崎くん、クラスでもいつも孤立してるし、話す人あまりいないでしょう? だから」
「ぼくは気にしないよ。それより光居と一緒のほうが動きやすかっただろうに」
「――木崎くんは、わたしが和樹と一緒のほうがよかった?」
この女は周囲を見る目が鋭い、その点においては石動の手に余るだろう。勢いに乗りやすい光居を制する能力を持っている。それではあまりに動きにくい。
「いや、そんなことはないよ。一緒でよかったと思ってる」
不審な動きをしている人間がいないかを見渡す。特に吉田といった男、彼には細心の注意が必要だ。
明かりはぽつぽつと、その姿は大きな蛍光虫のように古びたホールを移動している。小さな光はこのホールに長年住まう影に一瞬で飲み込まれてしまいそうな錯覚を覚える。
――気のせいか?
暗闇で視界が定まらないせいかもしれない。ぼくは一つ、二つとこの場に散っている光の数を数える。一人一つ明かりは持っていた。その数は確か、八人だったはずだ。
「えっ……あ、うん。なら、いいんだけど……木崎くん、正直だね」
「なにが?」
六、七。ぼくは数えていた心の声を止めた。
「な、なんでもないっ」
「遠見ー! こっちはあらかた探索したぞー!」
「あ、じゃあみんな入り口に集まって! 次に行こう!」
クラスメイトたちがわらわらと入り口に集まっている中、ぼくは一人明かりを消してホールを降りていく。
「あれ、木崎くん?」
「遠見なにしてんだよ! みんな集まってんぞー!」
「う、うん」
ホールから出たのだろう、声は次第に遠くのものになる。一帯はしっとりと静けさを帯びている。暗闇のおかげか、ぼくが欠けていることにすら気づかない。それもそうだ。ぼくは元々集団に交わらない。気づかないのも当然だった。
カチリと懐中電灯の明かりをつける。周囲は一転、場を飲んでいた真っ黒な菌が散った。
幸い〝彼女〟は最上階である三階にいる。二階の探索班である光居たちには石動がついていることだし、問題はないだろう。
しばらく懐中電灯の明かりを壁に舞わせていると――やはりあった。
ホールの隅にある扉に近づくと、扉の裏から叩くような物音が聞こえる。ぼくが戸を叩いて声をかけると、中から驚きの声が挙がった。話によると、立て付けの悪い扉のせいで閉じ込められていたようだった。
「いやー、助かったよ。ありがとう木崎」
中から出てきたのは件の吉田だった。二つの明かりのおかげか、先ほどよりも幾分明るく見える。
「いや、いい。どうしてこんなところに? 誰も気づかなかったの?」
「この小部屋けっこう広くてさ。奥のほうまで見てたらいつのまにか誰か閉めちゃったみたいなんだ。それで誰も気づかなかったみたいで」
「へえ、それは災難だったね」
「ちょっと本当に死ぬかと思った」
はははと気楽そうに吉田は笑った。本当に誰も気づかなかったのか、それとも意図的だったのか、そこはぼくが考えることではないだろう。
「早くみんなを追おう。このままじゃ置いていかれる」
「そうだね」
言うが早いか、彼はぼくの前を率先して先へ進んだ。クラスメイトたちは人数を割いて探索しているのか、その足音はバラバラの方向にうっすらと聞こえる。吉田と話し合った結果、ぼくら二人で探索を続行することになった。
「木崎って親切だったんだな。俺誤解してたよ」
「そう」
「もっと冷たいと思ってた」
「はは、吉田と話すのこれで初めてだし、しかたないさ。これからもっと話すようになればいい」
「うん。……やっぱ幸慈さんの言うとおりだったんだなあ。ほんと誤解してた。噂って信じられないな」
「そうな……――幸慈?」
ぼくは探索の手を止めた。それは間違いようもなく、あんなフードで身を隠す石動ではなく、ぼくの本当の妹の名であった。
「そういえば木崎知らないっけ。俺、けっこう前から幸慈さんと知り合いなんだよ」
「……ぼくの、妹の幸慈だよね?」
「え、ああそうそう。木崎と顔がそっくりの幸慈さん」
「へえ。いつの間に」
しかし、改めて考えてみるとありえることだった。ぼくは幸慈の生活の多くには干渉していない。彼女が偶然ぼくの同級生と出会い、友情を育むことだってあるだろう。
しかし、これは想定外だ。
「でも驚いたよ。木崎の妹は一人だけだって聞いてたからさ」
「――ああ、ちょっと複雑な家庭事情でね」
幸い、石動のことは幸慈とは騙っていない。ぼくか石動がボロを出すことさえしなければ、まず気づかれることはないだろう。
ぼくは足元に転がっているマネキンに気づいた。捨て置かれてから時間は経っているのか、埃が被っているものの、肌の色彩は落ちていない。無表情の顔の下にはぐるりと巻かれた赤いマフラーがある。ぼくは吉田の目がこちらを見ていないのを確認してから赤いそれを上着で隠した。
周囲を見渡してみると、ここは美術道具が置いてあった場所らしいことに気づく。吉田が気味の悪そうな目で半壊したそれらにライトを照らしている。
「探してみる?」
「やめとく……」
「そうだね。もう探した跡がある。一階は遠見さんたちに任せて、ぼくたちは上へ行こうか」
「うん。……突き放した言い方してたけど、やっぱり木崎も妹さんが心配なんだな」
「まあね」
彼女が心配だ。石動とて、どこまで足止めができるかわからない。
「聞いてなかったけど、妹さん名前なんていうんだ?」
「名前? なぜ?」
「あ、いや別に変な意味はないんだけどさ」
「……維織」
「いおり? なんて書くんだ?」
「維がりを織ると書いて、維織」
「いい名前だな」
ぼくは心底から言ったであろう吉田に対し、目を細めた。
「――……ぼくも、そう思うよ」