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苛々した様子の光居がぼくを睨みつける。その後ろでは石動ですらもぼくを呆れた目で見ている。ぼくの背後では怯えた吉田がいる。どうも、彼は慣れた人の前でないとああいった様子は見せないらしい。ぼくは微笑みを絶やさずに彼の顔を見る。
「聖子はどうした」
「生憎と、はぐれてしまったから先に上に上った。妹が心配だったしね」
「てめえ、どの口がそんなことを……」
「ひ、光居くん! きっ木崎は嘘言ってないよ!」
吉田が上ずった声で口に出すと、光居は舌打ちしてぼくの横を通り過ぎる。どうやら幼馴染の彼女がずいぶんと気にかかっているらしい。彼はそのまま下の階へと降りようとした。
「光居、下は遠見さんたちに任せたんだ。問題ないよ。ぼくらはこのまま探索しよう」
「下の人数が減ったんだ。帳尻が必要だろうが」
「だとしても、残りに上の階がある。ぼくらがこのまま上に行けば問題ない」
「お前に指図される謂れは――」
「あの」と石動が口を挟んだ。
「……私、あなたのこと、その、と……とみ」
石動が言葉を濁している。ぼくは「遠見」と小声で呟く。
「……遠見さんに頼まれてます。遠見さんが心配でも、自分の役割を放り出してしまったらあなたは兄さんと同じですよ」
色々言いたいことはあるが素晴らしい援護だ石動。
ぼくの言葉には反抗的だった光居も、ぼくの妹と思われている石動の言葉に諦めて踵の向きを直した。
光居が奥に進むのを見届けると、ぼくは小さく石動に「助かった」と言ってから吉田に向き直る。
「ありがとう吉田。助かったよ」
「木崎、なにしたんだよ……光居くんがあんなに敵意をむき出しにするところなんて見たことないぞ……」
ぼくは肩をすくめる。
「なぜか嫌われててね」
「理由とか思いつかないのか」
「まったく。心当たりも掠りもしない」
吉田が首を傾げるのを傍目に、石動がぼくの袖を引いた。
「大丈夫なんですか、その人。仲良くして」
「ぼくは仲良くしているつもりはない。幸慈が知り合いらしい。ぼくと幸慈は似てるから、そのぶん緊張が緩んでるんだろう」
「幸慈さんと……?」
その言葉にぼくは思わず眉を上げた。
「お前も幸慈を知っているのか」
「あ、いえ……知っているというほどではないです」
「まさかぼくのことだけでは飽き足らず、家族のことまで近所に訊きまわったんじゃないだろうな……」
石動はそっとぼくから視線を外した。図星らしい。
「人と話すのは苦手だろうに、どうしてこういう行動力はあるんだお前は」
「苦手なんかじゃありません。気が乗らないんです」
人はそれを苦手と評するのである。たまにだが、この少女は暗く張り詰めた雰囲気の下に幼い部分が覗ける。もしかしたら外見から見た年齢よりもずっと幼いのかもしれない。
「そうだ。これ貸してあげる」
ぼくは上着の中に入れていたマフラーを少し叩いて、フードの上から石動の首に巻く。為すがままの石動はやおら眉を顰める。
「……埃臭いんですけど」
「似合うよ」
「…………ありがとうございます……」
やはり、石動には赤がよく似合う。だからきっと彼女にも似合うだろう。石動と彼女は少し似ている。まるで、ぼくが彼女と子を作ったと言われてしまえば頷くような容姿をしている。彼女とぼくの子、考えれば考えるほどありえない想像だ。作るにしても、ぼくは子どもが嫌いなのである。
「お前に少し頼みたいことがあるんだけど――」
ぼくの言葉に石動は頷くと、小走りに下の階へと降りていった。
「あれ、維織ちゃんは?」
石動がいなくなったのに気づいたのか、考えこんでいた吉田が顔を上げた。
「トイレだそうだ」
「こんな暗い中大丈夫なのか?」
「問題ない」
暗闇は彼女の領分だ。恐れも何もないはずである。
「さ、ぼくらは続けて探そう。光居が怒る」
「そうだな。……しっかし、見つからないな、先生」
吉田の呟きが廃墟の中にそっと沈んでいった。それは、コンクリートを叩くぼくたちの足音に踏まれてく。小さく、細く、沈んでいったそれに気づくものはいないだろう。
ぼくらは二階の探索を終了し、三階へと足を運んでいた。
三階では彼女のかおりが微かに漂っている。以前よりもその範囲は広い。時間が経って、彼女の肉も溶けてきていたからだ。その先を考えるとぞっとするので、頭を振って考えないことにする。今、彼女はいるのだ。それだけがあればいい。それ以外は考えなくともいい。
「うえっ……きっついなここ……生ゴミみたいな臭いがする」
クラスメイトの一人が言った。他の人間もそれに同意する。
「誰か住んでんのか?」
「もしかしたら瞳ちゃんかも……」
「でもなんでこんな場所に」
「とりあえず探してみよう。話はそれからだ」
光居の言葉にみなが賛成した。感情的になりやすいのは彼だが、みなを先導できる能力を持つのも彼のようだ。クラスメイトたちは自分たちが慕っている女教諭がいる可能性が高まったこともあってか、やる気が上がっているようだった。
「みんなが固まっていこう。もしかしたら浮浪者かもしれない。そうなったら危ない」
ぼくはそう言うと、素直に頷いた光居が先頭に立った。ぼくは最後尾に並んでいる。隣には、何を思ったか吉田がいた。一瞥をするとへらへらとした愛想笑いを向けてくる。周囲に溶け込めないせいか、まだ安定して話せるぼくの隣が落ち着くようだ。ぼくは舌打ちをしたくなった。
慎重に先に進むと、列の動きが止まった。何か見つけたようだ。
「うわ……なんだこれ」
光居がライトで指したそれに、誰もが注目していた。
それは入り口だった。入り口は閉じられていた。正確には木板を幾重も重ねて槌で叩いたであろう開かずの間であった。しかし、床近くには細い隙間があり、腹ばいになって入れば進入できるだろうと考えられた。
だが、誰も進んで入ろうと言うものはいない。臭気の元はそこから漂っており、生きるものであれば決して近づきたくはないであろうモノが、この塞がれた門の奥にあることが想定できた。
「ねえ、本当に先生いるの……?」
その声は今すぐにでも帰ろうと訴えかけていた。事実、そうなのだろう。少女の声は震えていた。
「俺入ってみるよ」
光居の言葉にみなが騒然とする。
「お、おい、和樹、正気か? 絶対やばいもんあるって。やめようぜ」
「っそうだよ。もし、中に……」
「何があるかを探しに来たんだろ。大丈夫だって。危なくなったらすぐに呼ぶ」
光居は小さな隙間に光を差し込んで中を覗き見る。
「木崎?」皆が一点に集中してる中、吉田がぼくを見た。ぼくは壁に深い傷を作っている皹を見つめていた。
ぼくは壁に向けていた目を彼らに戻す。
「ぼくも行くよ」
突然口を切ったぼくに、光居は動きを止めた。
「は?」
「二人なら問題ない」
「嫌だね。問題ないって話じゃねえ。てめえに背中を守らせる? っは、死んだってごめんだ。お前はここに残って、他の奴と同じように待てばいいだろうが」
「使えるものは使うべきだ。ここで君に何かしらの危害を加えたとして、ぼくに利点でもあるのか?」
「――気に食わねえ。お前の言葉も、行動も、何もかもが俺は気に食わねえ。今じゃそれだけで十分だ」
「……周囲を考えない言葉だ」
「構わねえよ。俺が嫌なんだ」
わかってはいたが、なんて使いにくい男だ。
ぼくは隣にいた人間の袖を掴んで前に押し出した。
「じゃあ、吉田はどうだろう」
「え、ちょ、木崎……っ?」
「確かに頼りないかもしれないが、吉田はよく動いてくれる。それとも、ぼくが言ったから嫌だと?」
「……いいぜ」
吉田の「俺に選択権はないんですか」といった小さな抵抗の言葉は場の空気によってかき消された。
光居と吉田が中に入るのを見届けると、二人がその場に残って他数名が探索に移る運びとなった。元々、ぼくと吉田は他のグループから合流したイレギュラーだったのだ。二人が別行動したからとて問題はない。
「木崎さん。妹さんが見えないみたいだけど……」
クラスメイトの一人がぼくに言葉をかける。光居の目がなくなったから声をかけてきたのだろう。
「ああ、今トイレに行ってるみたいでね。確か奥のほうに行ったから、今から迎えに行こうと思ってたんだ。心配してくれてありがとう」
ぼくがにこやかに返すと、彼はほんのりと頬を赤らめた。
「な、ならよかった。じゃあ僕らここらへんにいるから、見つけたらよろしく」
彼らが別室に入るのを見届けると、ぼくは壁の隙間に手を突っ込んだ。大きな皹だ。間からは赤い布が小さく飛び出している。ぼくはそれを二つ指で掴み、引っ張り出した。それは、ぼくが先ほど別れ際に石動に渡したマフラーに違いなかった。
さあ、彼女にプレゼントを渡しに行こう。
暗澹の世界に足を踏み入れた。手に持つ明かりがなければ、自分の手元すらまともに見えない粘ついた闇だ。部屋の外と比べてみれば、浅瀬から深海へ潜ったかのような心臓を締め付ける悪臭の濃さだった。
辛うじて口を手で覆っている光居の背後で吉田がせき込んでいる。
背中でも擦ってやりたいところだが、光居もそれどころではない。
(人の住むところじゃねえな)
しかし部屋の中をライトで照らすと、あちらこちらにゴミの跡がある。パッケージを見るに、そう古くはない。それどころか最近かもしれない。部屋の奥を見れば、ばらばらに机が並べられている。倒れているのもあれば立っているのもある。探すのは億劫だが、入り口の様子を見るに何かしらがあるのは間違いない。
しばらくして、この悪臭に慣れてきた光居は吉田に声をかけた。
「吉田、辛いなら先に戻れ。そんなに広くもないし、俺だけで大丈夫だ」
しかし、吉田は息を忘れているのか口も塞がずに周囲を見回しているようで光居の声は届いていない。
「吉田?」
「……ブランコみたいな音聞こえない……?」
「ブランコ?」
聞こえるはずもない。密封されているのだ。窓は入り口と同じように厚い戸板が貼り付けられており、風の入る隙間もない。それに、あったとしても揺れるものなどない。
「きいきい聞こえる。でも、ブランコとは少し違う。なんか、重いものがぶら下がってるような、ロープが軋むような、そんな感じ……」
「……あるわけないだろ。吉田、やっぱ戻れ。お前疲れてんだよ」
「気のせい、じゃないと思う。だって、さっきから耳元で煩いんだよ……」
呆れた。この男は恐怖のあまり幻聴まで聞こえ始めたのだ。
吉田はふらふらと手の中の光源を空中に彷徨わせて、ある時になってその手を止めた。吉田が一点を見つめたまま、呆然と立ちすくんでいる。その光はだんだんと上へ上っている。しかし、光居には何も見えない。訝しんだ光居が吉田に懐中電灯を向けると、彼の肩には白い手があった。
小柄な吉田の耳元に、女の唇が近づいた。
『だぁれだ』
爆音が鳴り、光居は耳を抑えた。それは吉田の悲鳴だった。




