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死体と死に体のぼく  作者: 秋花
エピローグ

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エピローグ

 金貞(かねさだ)浅葱(あさぎ)は一度受話器を置くと、ベットに腰をかけてから頭を抱えた。

 警察からの電話だ。妹である美代の死、殺害者であり自殺未遂者である幸慈。多くのことが突然に起こり、浅葱の頭は今にも破裂(パンク)しそうだった。


『一度、事情聴取を――』


 警察の言葉が蘇る。事件があった日、浅葱はまだ日本にいたからだ。数少なくも木崎家夫妻と深い関わりのある浅葱は、事情を聞くにも最適なのだろう。

 浅葱はぐしゃりと己の髪を巻き込んで拳を握った。

 なぜ――なぜだ。

 こんなところまで逃げてきたのに、なぜ追ってくる。幸慈に――いいや、善郎にどんな心境の変化があったというのか。

 幼い頃から幸慈は自己の意識が混濁していた少女だった。しかしそれは善郎の死によってなったものだ。兄の死を受け入れられなかった幸慈が、自己防衛に兄を演じたのだ。また、それを強要した美代にも原因の一環はある。

 だから、木崎家には二人の子どもがいる。それは木崎幸慈という浅葱の姪の中にいる。


 だが、これは一つの喜びなのかもしれない。今まで悪夢を見せ続けていた美代の存在は既にいない。晴れて、浅葱は自由の身なのだ。

 そう考えると、今では多くのことが目の前に立ちふさがっているがそんなものは軽いものに思えた。足が軽い。浅葱は現地に到着してからの疲労が、ようやくどっと肩にのしかかってきたのに気が付いた。

 浅葱はホテルに備え付きのビールを開け、口に含む。喉元を通り過ぎる酒は、浅葱の熱くなっていた胃を冷やす。

 何を恐れることがある。恐れるものなど既に、どこにもいないのに。

 浅葱は電気を消した。入ったばかりの布団は浅葱の体を冷やす。目蓋を閉じる。美代はそこにいない。いないのだ。浅葱に悪夢を見せる人物は。


 ――その夜、夢を見た。美代が――責める夢だった。







 浅葱は憔悴していた。背後にいる亡霊が浅葱の耳元で囁く。吐息はないはずなのに、しっとりと濡れた息が浅葱の耳で揺れたような錯覚を覚えた。


『ねえ、兄さん。どうしたの?』

「やめろ……」


 浅葱が何度振り払おうと、美代は浅葱の背にしなだれかかることをやめない。浅葱は立ち上がって洗面所まで歩き、顔を洗った。冷たい水が飛沫を作り浅葱の顔の皮膚を冷やしていく。

 鏡を見ると、美代が浅葱の後ろに立っていた。違う。妄想だ。これは、まやかしだ。

 あれから日々美代の夢を見た。浅葱の上で踊る美代が、ずっと浅葱に愛を囁くのだ。挙句の果てには幸慈が浅葱を責めるのだ。


『どうして逃げるの兄さん。ずっと一緒にいたじゃない、私たち』

「やめろ、やめてくれ。お前は死んだんだ」

『ええ、でも、兄さんが私の前からいなくならなければ死ななかったわ』

「ちがう! 俺は、俺は悪くない! 勝手に死んだのはお前だ! 勝手に殺されたのはお前なんだ!」


 くすくすと美代が笑う。穏やかに、毒のような美しい笑みで美代は笑い続ける。そういえば、幸慈もいつの日だったか同じ笑みをするようになった。


『でも、叔父さんが瞳さんを見たから、瞳さんは子どもを失ったんだよ』


 気付けば隣の部屋の居間の椅子に幸慈がいた。隣には同じ顔をした善郎がいる。そうだ。二人いる。一人なのに、ここには二人いる。妄想だ。すべて嘘だ。これは浅葱を貶めるための悪夢なのだ。


「お、おれは……」


 視界の端に白いものが見えた。それを幸慈が抱え、浅葱に見せてくる。布をめくり、中身を見せつけてくる。

 そこにいたのは顔のない赤ん坊だった。ふらふらと手だけを彷徨わせ、親を探している。部屋の端には愛したはずの泉瞳が立っていた。


『ほら、見なきゃ。ここにいる子を』


 幸慈が笑う。善郎も笑っている。なぜだ。なぜ笑う。――なぜ、俺をそんな目で見る。

 彼らから逃げるように後ずさりをすると、手に何かが当たった。固く、冷たい銀色の物が、手の中に収まった。


「やめろ」


 浅葱はそれを握りこむ。

 これは悪夢だ。紛れもない、浅葱を追い詰め、磨り潰そうとする悪夢。なればこそ、夢から覚めなければならない。今――そう、今、まさに、浅葱は受け入れてきた自分をやめ、自由のために動かなければ――。


『ねえどうして逃げたの。どうして逃げるの。――どうして、私を見てくれないの、兄さん』

「もう、いないんだ」

『いるよ。兄さんの中に、ずっと』

「いなくならなきゃいけないんだ」

『兄さんは、私を見なきゃ』


 浅葱は叫び声を挙げながら美代の幻覚に飛びかかった。美代を床に押し倒し、その喉元に銀の切っ先を突き刺す。肉を割く感触が包丁から直接手に伝わる。美代の赤い唇から血が湧きだす。溶けた口紅が口から垂れるように、それは口先から頬に伝い、耳の中に入る。耳の先から血の滴が床に落ちる。

 浅葱は美代の動きがなくなっても、依然とそれを刺し続けた。早く夢から覚めろと強く願いながら、美代の死体を刺し続けるのだ。


 気付けば、息も荒れ、浅葱の腕は疲労か、恐怖心か、震えで動きを止めていた。手の中にあった凶器が床に落ちる。


「や、やった……」


 終わったのだ。これで悪夢は、覚め――。

 浅葱の表情が固まった。ありえない光景が、浅葱の前に広がっていた。

 浅葱は、美代だったものの頬を撫でる。美代ではありえない小麦色の髪をかき上げ、そこにいる誰かの顔をしかと見る。


「そんな、なんで……」


 そこにいたのは、愛しい今の妻の顔だった。両目を大きく開き、苦悶の形相で浅葱を見ている妻の最後の顔だった。

 浅葱は立ち上がる。血の色に染まった手を洗う。顔を洗う。もう一度、美代だったはずのものを見る。何も変わらない。変わることはない。そこには、美代ではないものがいる。

 するりと、後ろから白い腕が胸に垂れてきた。


『ああ、よかった。これで、ずっと一緒にいられるわね。兄さん』


 恍惚に、美代が悪夢が続くことを告げる声が聞こえた。

 皆さま、ここまでお付き合いありがとうございました!

 この回をもって、「死体と死に体のぼく」は完結とさせていただきます。十万文字に達成した作品が初めてだったこともあり、行き当たりばったりだった部分も多くあったと思います。ですが、その中でもずっと更新を追って読んでくださった読者様には本当に感謝しかありません。


 また後に、本編には記載しなかった泉瞳の死因について番外編で書かせていただきますので、その際にまた覗いてみてくださると嬉しいです。


 評価、感想等の意見を頂ければ幸いです。辛辣な意見、簡単な感想でも歓迎いたします。


 それではまたいつか別のお話でお会いしましょう。


 秋花

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