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予言の聖女は囚われる  作者: ナルハシ
外伝 紅玉の王
41/45

3 役割

「今回の戦は楽に終わりそうだな」

「ああ、アルトゥナ様の指揮は見事なものだ。戦場に立たれても、女性とは思えぬほどに勇猛果敢。そして何よりお美しい」

「戦上手に美しさは関係ないだろう。まぁ、戦場が華やぐのは俺たちにとってそう悪いことではないがな」

 兵士達が酒を酌み交わしながら談笑している。

 

 国の歴史が始まってから、もう何度目になるかも判らない遠征。

 此度の戦は、国王アルトゥナ自らが軍を率いていた。

 国境付近、前線に最も近い陣で夜を明かす兵士達。何十日も臨戦態勢が続いているにも拘らず、兵士達の疲労の色は薄い。むしろ余裕すら感じられる。


「それに、今回は先世視殿も同行されている。もはや勝ったも同然だろう」

「そうだな。あの方がいれば我らが敵に不覚を取ることはまずない。まったく、未来が視えるというのは便利なものだな。……お、噂をすれば」

 開け放ったテントの幕の向こう、夜の闇に昼間の空の色が横切るのが見えた。

「先世視殿、一緒にいかがですか?」

「おい」

 テントから顔を覗かせた酔いの回った兵士を、別の兵士が窘める。

 先世視の少年はその声に振り返り、足を止めた。

「いえ……結構です」

 鎧に身を固めた兵士達とは違い、少年は軽装だ。格好もその幼さも、とても戦場には似つかわしくない。

 見た目こそ華奢な少年だが、軍隊の階級では測れない特別な地位を持った存在だ。一介の兵士が酔って絡んで許されるような相手ではない。

「失礼を致しました、先世視殿。どこかへ行かれるのですか?」

 少年が無礼な態度に腹を立てたようには見えなかったが、表情を変えることがなかったので実際のところは判らない。兵士の一人が非礼を詫びて、行き先を尋ねた。

「少し、風に当たってきます」

「ここは敵国との国境です。森には斥候が潜んでいるやもしれません、どうか自分を護衛にお連れ下さい」

「陣の灯りが届かない所へは行きません。それに、自分の身を守るくらいのことは出来ます。少し……一人になりたいのです」

 剣を手に取りテントから出てきた兵士の申し出を断り、少年は森の中へと姿を消した。

「……お気を付けて」

 先世視自身が身を守れると宣言した手前、兵士はそれ以上の言葉を紡げず少年の姿を見送った。

「先世視殿は、何故前線に立たれないのだろうか」

 テントの中から、そんな言葉が聴こえた。

「あの方が戦場に出れば、未来を視ずとも簡単に戦況はひっくり返る。それを解っていながら、王は何故先世身殿を戦力として投入しようとはなないのだろうか」

 先程少年が言った言葉は、強がりでも方便でもなかった。事実、少年はそこらの人間とは比較にならない膨大な魔力を有し、それを殺戮に用いる術も心得ている。彼が早くに戦場に出ていれば、何百年にも渡って戦争を続けることもなかったかもしれない、そう考えられるほどの実力を秘めているのだ。

「馬鹿を言うな!」

 外にいた兵士が、声を荒げてテントをくぐった。

「あの方は我々よりも遥かに永い時を生きている。だがしかし、まだ子供であることには違いないのだ。本来はこの場所ですら立たせていいものではない。お前はそれが自分の子供であったとしても同じことを言えるのか!?」

「落ち着け。こいつだってちょっと言ってみただけだ、なぁ?」

 掴み掛からんばかりの勢いに、慌てて仲裁が入る。幸い殴り合いの喧嘩に発展することはなかったが、テントの中に剣呑な空気が流れた。

「蒼穹はおらぬか?」

 そんな空気が流れているとは露知らず――知っていたとしても、きっとものともせず――男しかいないはずのテントの中に女性の声が割り込んできた。

「こちらの方に来たと思うたのだが、姿が見えぬ。何処へ行ったか知らぬか?」

「陛下?!」

「アルトゥナ様?!」

 突然の王の来訪に、兵士達は慌てて姿勢を正した。それを見てアルトゥナはひらひらと手を振る。

「ああ、よいよい、楽にせよ。そなたらの酒の席を邪魔する気はない。ただ、先世視の居場所を知っておれば我に教えよ」

 兵士達は顔を見合わせ逡巡した後、一斉に森の方角を指差した。




 少年は一人森に入り、辺りを見回し人の気配がないのを確認すると一本の木の元へと駆け寄った。

「う、ぇ……っ」

 幹に手を付き、根元に胃の中のものを吐き戻す。

 遠征に同行した時はいつもこの調子だった。

 戦場に近い場所では、敵味方関係なく多くの人間の未来が視える。視えるのは命の終わりばかり。何千、何万の人間の死が一度に襲い掛かる。

 無残であろうと勇敢であろうと、死に変わりはない。何度も同じような光景を視てきたというのに、一向に慣れることがない。

 明日の勝利を信じて談笑している兵士の姿に、未来の姿が重なる。

 先程テントの前で話し掛けてきた兵士の顔を思い出して、空色の瞳に涙が滲んだ。


「蒼穹」

「!」


 背後から声が聴こえ、少年は素早く顔を上げた。

「陛――……っう!」

 振り返ろうとした瞬間にまた吐き気を催し、身体を折り曲げた。

「調子が悪そうだな……どれ」

 背後の気配が近付いてくる。


 ――近付いたら汚れてしまいます。


 そう言いたかったが、喉の奥から押し寄せてくるものの所為で言葉にすることは出来なかった。

「構わぬ。全て吐き出してしまった方が楽になる」

 伝えられなかった意図を汲み取ったかのようにそう言って、アルトゥナは少年の背をさすった。

 温かな手の平の感触に、徐々に気分が良くなる。不快感が治まると、申し訳なさ、次いで気恥ずかしさが湧いてきた。

「申し訳ありません……」

「気にするな。ずっと堪えておったのだろう? 無理をするでない」

 気遣われ、益々恥ずかしくなった。顔を背け、袖で口元を拭う。

「陛下……何故、このような場所に?」

「うむ、お前を捜しておったのだ。話がある」

「話、ですか……?」

 少年はアルトゥナの方に向き直ったが、顔を直視されるのが嫌なのか微妙に体が斜めを向いている。

 アルトゥナはそれ以上の前置きはせず、本題に入った。


「お前を本国に戻すことにした」


 その言葉に少年は息を飲み、しかし表情を変えることなく王の姿を見上げた。

「まだ戦は終わっていません」

「全ての兵を退かせる訳ではない。重症の兵と補給部隊、それと護衛に我の兵を一部回すくらいだ」

「僕は負傷兵ではありません」

 表情こそ変わらないが、声は苛立ちを含んでいる。

「お前はこの場に向いておらぬ。故に下がらせる」

「僕はこの場での役割をまだ終えていません。下がるわけにはいきません」


 戦場の未来を視ること、それが先世視である少年に与えられたこの場での役割だった。

 彼には戦場に立つ者全ての未来が視える。だが視えるからといってその全ての動きを追える訳ではない。個々の動きを把握し味方の損害をゼロに抑えるなどということはさすがに不可能だが、全体の流れを視て戦闘を優位に運ぶことは出来る。自軍を勝利に導く、そのために未来を視ることが先世視の役割。


 否、それは表向きの役割だ。


 実際のところは都合の良い未来だけを伝え、士気を向上させるのが目的だ。

 未来が視えたところで、導くことなど少年にはできはしない。視えてしまった時点で、その未来は決定されてしまっているのだ。都合の良い未来も、悪い未来も。

 足掻こうと未来を変えることは出来ない。前もって知れたところで、ただ繰り返すだけなのだ。


 ――なんて、無意味なのだろう。


「僕は……この場に不要ということでしょうか」

「不要とは言うておらぬ。向いていないと言っておるのだ。戦場で未来を視ることが辛いと思っているのだろう?」

「そんな、ことは……」

「では、あの様はなんだ?」

 木の根元を指され、紅潮した。言い返せず、ぎゅう、と服の裾を握る。

「お前は我を見くびっておるのか? 先世視の力なくしてこの戦を勝利に導くことは出来ぬと? そんなにも我を信用出来ぬのか」

「そんなことはありません! ……ですが……」

 少年は顔を上げ力強く否定したが、すぐに力なく下を向いてしまった。

「先世視として未来を視ることが、僕が天に与えられた役割なのです。感傷に浸り、役割を放棄することは許されないのです。未来を視続けなければ、僕は……」


 ――無意味なもの、そのものになってしまう。


「面倒な奴だな」

 思い悩む少年を見下ろし、アルトゥナは呆れたようにため息を吐いた。

「誰に与えられたものであろうと、お前のその力はお前のものだ。行使する権限はお前自身にある。視たくないと言うのならば、その眼を閉ざせばよかろう?」

 少年は顔を上げようとしない。服の裾を握り締めた手が白くなっている。

「出来ません……そんなこと」

「出来ないのではない、お前がそうしようとしないだけだ。……風が冷えてきた。戻るぞ、蒼穹」

 アルトゥナは白くなった手を取り、少年はそれを振り払った。


「簡単に言わないでください!」


 滅多に聴くことのない荒々しい声に、目を瞬いた。ようやくまともに正面を向いた顔は涙に濡れていた。

「何もかも、あなたの言う通りだ! 僕は未来を視るのが辛い、未来など視たくはない! だけど……だけど、眼の閉じ方なんて……眼を閉ざした生き方なんて、僕には判らない! それでもあなたは僕に眼を閉ざせと言うのですか?!」

 大声で喚き散らしたかと思うと、今度は急激に声のトーンを落とした。

「あなたは……僕のこの瞳の色を気に入っていると言ってくれましたね」

 少年は足元に落ちていた木の枝を拾い上げる。


「それなら僕のこの眼、あなたに差し上げます」


 尖った先端が空色の瞳に向けられ、アルトゥナは慌てて手を翳した。途端に少年の身体と枝の間に反発力が生じ、木の枝が手から弾け跳んだ。

「なっ、何をしておるのだ、この大馬鹿者!」

「閉ざせば不要となるもの。それならばせめて、あなたに捧げることで最後に役立たせようとしたまでです」

「我に瓶詰めの目玉を愛でる趣味なぞない!」

「やはり僕は、あなたにとって不要なものなのですね……」

 即座に否定だか罵りだか判らない言葉が返ってきたが、少年の耳には届いていないらしい。魔力に弾かれ痺れる手の平を見つめ、肩を落とした。

「僕には、あなた方が花と同じように視えるのです」

「何を言って……」

 言葉の意味を尋ねようとしたが、それを拒否するように背を向けられてしまった。


「お願いです、陛下。僕自身に権限があると言うのなら……僕から意味を奪わないでください」


「蒼穹!」

 静止の声を振り切り、少年は森の奥へと走り去って行った。

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