4 変わる世界
(なんてことをしてしまったんだ、僕は)
がむしゃらに暗い森を駆けた少年は、息を切らしながら激しい自己嫌悪に苛まれていた。
王の命に背き、感情に任せて喚き散らし、挙句に逃げ出してしまった。
(きっと、軽蔑された)
瞳を抉り出そうとした瞬間に向けられた、驚いたような、怒ったような顔が頭から離れない。
自分の行いが愚かであったことは痛いほどに理解している。
(だけど……)
――視たくないと言うのならば、その眼を閉ざせばよかろう?
そう言われて、はい判りましたと実行出来るほど簡単なことではない。
過去にも何度も眼を閉ざそうと試みた。けれど、どうしても出来なかった。
――出来ないのではない、お前がそうしようとしないだけだ。
(眼を、閉ざす……)
実際に瞼を閉じてみる。遠くなってしまった陣地の灯りは少年の居場所まで届かない。暗い森の中で目を瞑ると、そこにはただ闇だけが見えた。
周りに人が居なければ、元からある程度は先世視の力を制御することは出来る。瞼を閉じたからと言って先世視の眼を閉ざすことができた訳ではなかったが、少年に冷静さを取り戻させる手伝いにはなった。
(……戻ろう)
子供のような我侭で命令を無視し、王の手を煩わせる訳にはいかない。戻って謝罪し、命を受け入れる決心をした。
目を開けると灯りが見えた。
「?」
陣のある方角とは逆の方角だ。小さな灯りがふらふらと揺れながら近付いてくる。それがランプの灯りだと認識する前に、声が掛かった。
「何故、こんな所に子供が……?」
灯りを翳され目が眩む。目を細めてランプを持った相手の姿を見た。男が一人。自軍の兵士の鎧は身に着けていない。軽装ではあるが、腰には一振りの剣が携えられている。
少年は素早く相手の魔力の流れを読んだ。生物の種によってその体内に流れる魔力の質は異なる。元は同じ種の人間であった短命種と長命種も、交わりを絶って久しく魔力に差異が現れるようになった。
男の魔力は短命種のもの――つまり、敵国の人間だった。
「近くの村の子か? どうしたんだ、こんな所で。迷子か?」
魔力の判別には得手不得手がある。幸い相手は少年が敵国の人間であることには気付いていない様子だ。気付かれては都合が悪い、少年は男の言葉に調子を合わせることにした。
「薬草を摘みに来たんです……母さんが、病気で。慣れた森だから大丈夫だと思ったのですが、迷ってしまって……」
「だからって、灯りも持たないで歩き回るのは危険だ。近くまで敵国の奴らが攻め込んで来ているのは知っているだろう? ほら、向こうに見える灯りは敵国のものだ。村の灯りと間違えて近付く前に見付けられて良かったよ」
それを承知してこの距離まで近付いているということは、この男は敵国の斥候に間違いないだろう。
「一緒においで。村まで送ってあげよう」
少年からすると元来た場所から離れることになってしまうが、不自然にならないよう一旦従うことにした。
男はランプを翳すと、円を描くようにくるりと回した。するとそれに呼応し、森の奥から同じような合図が返ってきた。
しばらくして、合図のあった方角から男が一人茂みを掻き分けて歩いてきた。
「どうした?」
「迷子を保護しました。一度戻ろうと思うのですが」
そう言われ、年かさの男は不安げに佇む少年の姿に目をやった。ランプの灯りに照らされ赤み掛かって見えるが、その本来の色が判別出来ない程ではなかった。
「そんな……馬鹿な」
「どうしました?」
少年の髪と瞳、その空色を見た男は目を見開き、驚きを露にしていた。
「俺は……その少年を見たことがある」
「近くの村の子だそうですから、見たことがあってもそう不思議では……」
「そうではない、俺がそいつを見たのは敵の陣地でだ! 十年も前の話だ!」
「な……ッ?!」
少年の傍に立っていた若い男は思わず一歩距離を取った。
「い、いくらなんでも何かの間違いでは……?」
「いや……その空色の髪と目、その顔、見間違えるはずもない。よく覚えている、その時は戦場に何故子供がいるのかと思ったものだが……年を取らぬ化け物め!」
(まずい……)
困惑と警戒ですぐさま斬りかかってくる様子はないが、一触即発の事態だ。
逃げなければならない。駐屯地まで逃げることが出来ればそこまで追ってくることはないだろう。陣の方角を確認すべく動かした眼に、一瞬先の未来が映った。
「……っ!」
火花が目に入ったようにばちりと絵が焼き付き、痛みを伴う立ち眩みを覚える。
ふらつきを堪え危機を知らせようと勢いよく振り返ったが、既に遅かった。
「何処だ、そこにいるのか?!」
女性の声が近付いてきたかと思うと、藪を割ってアルトゥナが姿を現した。
「む? 何だ、そやつらは」
ランプの灯りを目指して歩いてきたのであろうが、その持ち主の姿を見て不思議そうな顔をした。
「な、なんだこの女は? まさか、そいつの仲間――」
(いけない!)
矛先がアルトゥナに向いたのを感じ、少年は右手に冷気を纏わせ飛び出した。
「動くな!」
声を上げた少年以外のこの場にいる全員が、驚きをその顔に張り付かせた。
少年は出現させた氷の刃の切っ先を、アルトゥナの喉元に突き付けていた。
「何を――」
「喋るな! 口を開けば喉を貫く!」
アルトゥナの言葉を遮り、三人纏めて制止をかけた。
「や、やめろ! その女を放すんだ」
もちろん少年には彼女を傷付ける気はない。しかし少年のこの行動によって、斥候の二人はアルトゥナが自分達と同族であると思い込んだようだ。
少年は刃を突き付けたまま、じりじりと後退する。ある程度距離を取ったところで、氷を消し去り一気に駆け出した。
「待て!」
その動きにつられ、男たちは少年の後を追った。呆然と立ち尽くす女性を一人残して。
(これでいい)
アルトゥナから注意を逸らし、遠ざけることが出来た。それだけで充分だった。
少年は駐屯地から離れるように走った。
森はどんどん暗さを増していく。足元を見通せず、隆起した木の根に足を取られる。転ぶまでには至らなかったが、眼前の木を避け切れず幹にぶつかった。
木を背にして振り返ると、すぐ傍までランプの灯りが迫っていた。
「くそっ、手間取らせやがって!」
毒づき、男達が少年を追い詰める。
「やはり、見た目は幼くとも悪魔の種族だ。こいつらは一人残らず殲滅せねばならん」
息を切らし、熱に浮かされたようにそう言って年かさの男が剣を抜いた。
対して、少年は息を切らしてはいるものの落ち着いていた。少年の実力を以ってすれば蹴散らすのは容易い。何より、ここで自らの命を落とすような未来は視えていなかった。
少年は右手に魔力を集中させ――すぐに拡散させた。
(もし、ここで何もしなければどうなるのだろう)
アルトゥナの顔を思い出して、暗い考えが頭をよぎった。
今まで定められた未来に抗おうとしてこなかった。
無駄であると、未来は変わらないと知っていたから。
だけどそれは、出来ないのではない。やろうとしなかっただけではないのか――
(僕の命を以ってすれば、まだ視ぬ未来を視ることが出来るのではないだろうか……)
少年は両手をだらりと下ろし、目を瞑った。
「諦めたか、意外と往生際がいいな。ならば望み通り、一思いに殺してやろう」
もう一人の男が困惑したように「子供だぞ」とか「いくらなんでも」とか言っている。情けを掛け、見逃して貰おうとしているのだろうか。しかしその訴えを聞き入れ、剣を収めるような気配は感じられなかった。
「死ねぇ!」
ぶん、と風を切る音。
想像していたような痛みは襲ってこなかった。
何の変化も感じられないことを不思議に思い、少年はそろりと目を開けた。
「ふむ。痛いな」
少年の視界は黒いものに遮られていた。黒く長い髪。
視界の端で、ランプの灯りに照らされぬらりと光る何かが落ちるのが見えた。血だ。
少年と男の間に割り入ったアルトゥナが、素手で剣を受け止めていた。
「な……何をしているのですか、あなたは!?」
「あ、貴女は先程の……!?」
「やはり化け物の仲間だったのか!?」
「うむ、少し焦り過ぎた。防壁が不完全であった」
狼狽する一同を余所に、アルトゥナはのんびりと少年の問いに答えた。魔術で防ぎ切ることの出来なかった刃が、皮膚をざっくりと切り裂いていた。血の色と同じ色の瞳が少年の方を向く。
「うむ、ではありません! 何故逃げなかったのですか!? しかも、僕なんかを庇ってこんな怪我までして!」
怒鳴られ、アルトゥナの端整な眉が不機嫌に歪んだ。少年の頬を乱暴に摘み上げる。
「ひゃっ、なにふぉ……っ」
「やはり、お前は我を見くびっておるな」
ぐいぐいと引っ張り、やがて摘んだ指が少年の抵抗ですっぽ抜けた。痛む頬を押さえながら、少年はアルトゥナを睨み付ける。
「見くびるなどと、そういう問題ではありません! あなたは王なのですよ? たかが僕一人のために、何を自ら危険に飛び込んでいるのですか!?」
「……王?」
呆然と二人のやりとりを見つめていた男たちは、その言葉でようやく我に返った。
「王、王だと!? まさか、紅玉王……悪魔共の親玉だと言うのか!?」
年かさの男が剣を構え直したが、そんなことはお構いなしに二人は言い合いを続ける。
「それを見くびっておると言うのだ。血を流したのは確かに不覚であったが、お前に守られ、お前一人を守り切れぬ程に我は軟弱ではないわ」
「だから強さの問題ではなく、僕一人のためにあなたが血を流す必要はないと言っているのです!」
「く……っ、まさかこんな所で悪魔の王に出くわすとは……こうなれば、ここで討ち取ってくれる!」
「お前一人であろうと、民を守るのが我の役割だ。お前は黙って我に守られればよいのだ!」
「勝手過ぎます!」
「勝手なのはどちらだ!」
「魔物共め、ここで纏めて成敗してくれる――!」
「やァッッかましい!!」
怒鳴り声と共に、アルトゥナの掌から火球が放たれた。火の球が足元に着弾し、男たちは悲鳴を上げて下手なダンスを踊る。
「我は今、蒼穹と話をしておるのだ! 外野ががちゃがちゃと騒ぐでない!」
「が、外野……」
目の前で刃を向けているにも拘らず外野呼ばわりされ、口をぱくぱくとさせる。少年も呆気に取られてぽかんとしている。
「先程から悪魔だの魔物だのと喧しいことこの上ない! そんなにも我らにそうあれと望むのであれば、望み通りにしてやろう! 今この時より、我らは魔族を名乗る!」
アルトゥナは右手を高く掲げた。その先端に魔力が光となって集結し、目が眩む程に森を明るく照らす。
「そして我は魔族を統べる王――魔王だ!」
紅玉王は高らかに宣言し、集まった光の塊を地面に叩き付けるように手を振り下ろした。




