第二十話 新たな任務
朝の光が、王都調査局の窓から静かに差し込んでいた。
執務室には、これまで積み上げられていた事件資料が整然と片付けられている。
王都を騒がせた物流事件は終息した。
市場には荷が戻り、街にはいつもの活気が戻っている。
その日常を窓越しに眺めながら、アスターは一冊の報告書を閉じた。
「終わったか。」
背後から声がした。
振り返ると、アルベリウスが立っている。
「はい。」
アスターは短く答えた。
「事件は。」
アルベリウスは首を横に振る。
「事件は、だ。」
その一言に、アスターは視線を上げた。
アルベリウスは机の上へ一通の封書を置く。
封蝋には王国軍の紋章が刻まれていた。
「王都調査局宛てですか。」
「違う。」
アルベリウスは封書をアスターの前へ滑らせる。
「君宛だ。」
アスターはわずかに眉を動かした。
封を開く。
中には一枚の命令書が入っていた。
⸻
王都調査局調査員 アスター。
地方都市へ出向を命ずる。
現地守備隊と協力し、治安悪化の原因を調査せよ。
⸻
紙を閉じる。
「出向……。」
「正式な異動ではない。」
アルベリウスは静かに言った。
「王都の外を見てこい。」
「君の読みが、地方でも通用するか。」
執務室にいた調査官たちが小さくざわめく。
「ベルグラードか。」
「あそこは最近、物騒だと聞く。」
「盗賊が増えているらしい。」
エレナは書棚から一冊の地誌を取り出した。
「交易都市です。」
「北方街道と東部街道が交わる要所ですね。」
ページを開き、地図を机へ広げる。
「物流の要衝……。」
アスターは静かに呟いた。
その言葉に、アルベリウスはわずかに口元を緩めた。
「そこへ気付くか。」
王都で追ってきた事件。
物流。
補給。
街道。
その知識が、地方の地図とも一本の線で結ばれていく。
アルベリウスは窓の外へ目を向けた。
「王都は王国の中心だ。」
「だが、王国は王都だけではない。」
「街道が止まれば町が止まる。」
「町が止まれば国が揺らぐ。」
アスターは地図を見つめたまま、小さく頷いた。
王都で学んだことは、一つの事件を解くためではなかった。
国全体を見るための第一歩だった。
静かな執務室に、新たな旅の始まりを告げる鐘の音が響いた。
翌朝。
王都の東門には、一台の馬車が停められていた。
荷は少ない。
数日分の食料と衣類、それに調査局から貸与された記録帳だけだった。
エレナは荷を確認しながら言う。
「忘れ物はありません。」
アスターは小さく頷く。
「ありがとうございます。」
短いやり取りだった。
それでも、王都へ来た日のぎこちなさは、もうなかった。
見送りに来た調査官たちが口々に声を掛ける。
「地方でも読み負けるなよ。」
「困ったら王都へ知らせろ。」
「今度は土産話を期待している。」
以前なら交わることのなかった言葉だった。
アスターは一人ひとりに静かに頭を下げる。
アルベリウスが歩み寄る。
「一つだけ覚えておけ。」
アスターは顔を上げた。
「事件は、目の前だけで起きるものではない。」
「人。」
「物。」
「情報。」
「すべて流れている。」
「流れを見失うな。」
アスターはその言葉を胸の中で繰り返す。
王都で学んだこと。
それは事件の解き方ではない。
流れを見ることだった。
「行ってきます。」
アルベリウスは小さく頷いた。
「行ってこい。」
馬車がゆっくりと動き出す。
石畳を抜け、東門をくぐる。
王都の城壁が少しずつ遠ざかっていく。
アスターは振り返らなかった。
前だけを見ている。
街道は王都を離れ、緩やかな丘陵へ続いていた。
荷馬車が行き交い、旅人が歩き、商人が道を急ぐ。
王都で見続けた”流れ”は、この国のどこへでも続いている。
ふと、道端に止まった荷馬車が目に入った。
御者が困った顔で車輪を見つめている。
アスターは御者の足元へ視線を落とした。
深くえぐれた轍。
傾いた荷台。
割れかけた車軸。
「積み荷を右へ。」
馬車を降り、短く告げる。
御者は戸惑いながらも従った。
荷を移すと、傾いていた車輪が静かに元の位置へ戻る。
「これなら近くの町までは持ちます。」
御者は何度も頭を下げた。
「助かりました!」
アスターは軽く会釈すると、自分の馬車へ戻る。
エレナが小さく笑う。
「王都で学んだことが、もう役に立ちましたね。」
アスターは首を横に振る。
「まだです。」
「これは始まりです。」
馬車は再び街道を進み始める。
遠くには、次の任地となる山並みが霞んで見えていた。
星のない少年は、王都を旅立つ。
その視線は、事件ではなく、この国そのものへ向けられていた。
――王都動乱編 完。




