第十八話 待ち伏せ
夜の帳が王都を包む。
北東区画にある廃倉庫。
人気の絶えた建物の周囲には、調査局の調査官たちが静かに身を潜めていた。
灯りは消され、息を潜める音だけが闇に溶け込む。
アスターは物陰から倉庫を見つめていた。
風は北から吹いている。
足元の砂は乱れていない。
敵は、まだ来ていない。
アルベリウスが小声で尋ねる。
「確認する。」
「配置はこれでいいな。」
アスターは地図を見ながら頷いた。
「正面は見せます。」
「ですが、裏口は閉じません。」
近くにいた調査官が眉をひそめる。
「逃がすのか。」
「いいえ。」
アスターは静かに首を振った。
「逃げ道がないと、人は最後まで抵抗します。」
「逃げられると思えば、必ず走ります。」
「その先に、私たちがいます。」
調査官たちは互いに顔を見合わせた。
アルベリウスだけが短く答える。
「その配置でいく。」
命令はすぐに伝わった。
正面には少人数。
裏口の先には伏兵。
屋根には弓を持つ調査官。
倉庫全体が静かな包囲網となる。
やがて、遠くから車輪の軋む音が聞こえた。
荷馬車が一台。
灯りを落としたまま近づいてくる。
御者は周囲を何度も見回し、倉庫の前で馬を止めた。
続いて、黒い外套をまとった男たちが姿を現す。
「急げ。」
「時間がない。」
男たちは荷台から木箱を運び始めた。
アスターはその様子を見つめる。
「まだです。」
調査官が剣に手を掛ける。
「今なら捕らえられる。」
「待ってください。」
男たちは倉庫へ入り、木箱を並べ始める。
一人が床板を外した。
地下へ続く階段が姿を現す。
アスターの目が細くなる。
「……ありました。」
敵は倉庫を終点として使っていたのではない。
さらに地下へ荷を運び込んでいた。
アルベリウスも静かに頷く。
「全容を確認した。」
アスターは深く息を吸う。
「局長。」
「今です。」
アルベリウスは剣を抜いた。
「調査局!」
「突入!」
静寂は、一瞬で破られた。
正面の扉が勢いよく開く。
「動くな!」
調査官たちが一斉に倉庫へ雪崩れ込む。
敵も即座に反応した。
「伏せろ!」
「見つかった!」
剣が抜かれ、怒号が響く。
その混乱の中、一人の黒い外套の男だけが地下へ駆け出す。
アスターはその背中を見つめ、静かに告げた。
「局長。」
「一番逃がしてはいけないのは、あの男です。」
アルベリウスは一瞬だけ振り返り、鋭く命じた。
「私が追う。」
倉庫の地下へ続く階段に、二つの足音が響き渡った。
地下へ続く石階段を、アルベリウスは一気に駆け下りた。
その背後を数名の調査官が追う。
地上では剣戟の音が響き渡り、倉庫は激しい攻防の場となっていた。
アスターは地上に残る。
耳を澄ませる。
剣の音。
怒号。
そして、地下から響く足音。
「エレナさん。」
「はい。」
「地下へ運ばれた木箱を確認してください。」
「私は地上を見ます。」
エレナは短く頷き、調査官とともに地下へ向かった。
アスターは倉庫全体を見渡す。
敵は正面で応戦している。
だが、その動きには違和感があった。
「……時間を稼いでいる。」
剣を交えることが目的ではない。
誰かを逃がすための戦い。
そのとき、倉庫の奥で一人の敵が松明を掲げた。
「火を放て!」
炎が木箱へ投げ込まれる。
乾いた木材が一気に燃え上がった。
「消火!」
調査官が叫ぶ。
数人が敵を追おうとする。
「待ってください!」
アスターの声が倉庫に響く。
全員の動きが止まった。
「敵を追わない。」
「火を消してください。」
「証拠を守ります。」
一瞬の静寂。
次の瞬間、アルベリウスの声が地下から響く。
「アスターの指示に従え!」
調査官たちは一斉に火へ向かう。
桶の水が運ばれ、燃え広がる炎を押さえ込んでいく。
敵はその隙に数名が裏口へ走った。
だが、裏口では伏兵が待ち構えていた。
「そこまでだ。」
逃走を図った敵は次々と取り押さえられる。
しかし、一人だけ。
地下へ逃げた黒い外套の男だけは姿を消していた。
やがて、アルベリウスが地下から戻ってくる。
剣には血が付いていたが、表情は険しい。
「逃げられた。」
短い一言だった。
アスターは静かに頷く。
「ですが、計画は止めました。」
エレナが地下から木箱を運び出してくる。
「こちらを見てください!」
木箱の蓋が開かれる。
中には金銀財宝ではなかった。
王都各地の詳細な地図。
物流経路。
門の警備交代時刻。
軍の補給路。
そして、王都の重要施設へ無数の印が書き込まれていた。
調査官たちは息をのむ。
「これは……。」
アスターは一枚の地図を手に取る。
「敵の狙いは荷ではありません。」
「王都そのものを支配するための準備です。」
アルベリウスは地図を見つめ、静かに命じた。
「証拠をすべて押収。」
「捕らえた者は生かして連行しろ。」
「一人残らず口を割らせる。」
夜明けが近づく。
炎は消え、倉庫には静けさが戻っていた。
敵の幹部は逃した。
だが、敵の計画は止めた。
そして調査局は初めて、王都を揺るがす陰謀の全貌へ手を掛けた。
アスターは焼け焦げた倉庫を振り返る。
これは終わりではない。
王都を巡る戦いは、ようやく序章を終えたにすぎなかった。




