第1話 空から落ちてきた姫
神殿と魔道機関の合同会議が行われる日だった。
その朝の空気は、いつもよりわずかに重かった。
会場へ続く石畳の小道を、二人の青年が並んで歩いている。
一人は、魔道機関の水の守護者――レヴィン。
緑の髪と瞳を持つ青年で、整いすぎた顔立ちに甘さはなく、
感情の薄い横顔は石畳の先だけを静かに見ていた。
もう一人は、ハイランディア神殿所属の神官サイラス。
整えられた金の髪が肩先で揺れ、歩調に合わせて柔らかく流れる。
「……また長引きそうですね」
半ば諦めたようにサイラスが呟く。
レヴィンは応じず、前を見たまま歩いていた。
そのとき、ふと視界に影が差す。
上から落ちてくる影だった。
二人は同時に視線を上げる。
上空に淡い光が浮かび、揺れもなくゆっくりと降りてくる。
偶発的な現象ではない。
サイラスがわずかに目を細めた。
「……転移ではありませんね」
「降りてきている」
レヴィンの返答は短い。
球体の内部には影が二つ。
人影と、その傍で小さく揺れるもの。
揺れが大きくなった瞬間、内部で何かが跳ねた。
遅れて、光の膜にかすかな歪みが走る。
「……?」
サイラスが眉を寄せる。
その違和感を言葉にするより早く、
球体の中で銀色の何かが暴れた。
“ぴし”
空気を裂くような音。
次の瞬間、光の表面に亀裂が走る。
レヴィンの視線は、すでに亀裂へ向いていた。
「ハイランディアでは、いつから人が降ってくるようになった?」
その言葉が落ちた直後、光が割れる。
砕け散る光の中から、銀青の髪を翻した少女と、
銀の毛並みを持つ猫が現れた。
少女の顔の上半分は仮面で覆われている。
白を基調とした繊細な仮面。
中央の青い宝石が淡く光を返し、その奥で青い瞳が見開かれた。
「……サイラスよけて! そこのあなたも!」
焦りを含んだ声。
だが落下は止まらない。
少女の体勢が崩れる。
そのときにはもう、レヴィンは動いていた。
半歩踏み込むだけで位置が合う。
落下点へ入り、片手を上げる。
空気の層に、水が薄く重なっていく。
水は受け止めない。
ただ、落ちる速度だけを静かに削いでいく。
砕けた光を透かしながら、少女の落下が緩む。
レヴィンは腕を伸ばし、少女を受け止めた。
ほとんど衝撃はない。
その瞬間、やわらかな香りが掠める。
遅れて、銀色の猫が軽やかに地面へ着地した。
少女はレヴィンの腕の中で一度だけ瞬く。
「……ありがとう」
軽い声だった。
身を起こしかけて、わずかに動きを止める。
指先が、わずかに触れた。
『……水?』
だが、それ以上は追わない。
「シルヴィーン様、何をしているんです? 姫君ともあろう方が」
サイラスの声が低く落ちる。
「なぜ落ちてくるんです。……なぜ、制御を失うんです」
責める調子ではない。
だが、逃がさない。
シルヴィーンは短く考え、視線を落とした。
銀色の猫が見上げている。
毛並みは光を受けているのではなく、内側から淡く輝いていた。
「……この子」
そう言って猫を抱き上げる。
猫は抵抗せず、満足げに喉を鳴らした。
シルヴィーンは猫をサイラスへ差し出す。
「文句はこの子に言って」
「は?」
「落ちた原因よ」
サイラスは無言で猫を見る。
猫はすました顔で見返していた。
「順を追ってお願いします」
「抱いていたら、急に暴れて、最上階から飛び出したの」
「はい」
「一緒に降りるつもりだったけど、また暴れて……球体が保てなくて」
そこまで言って、首を傾げる。
「……どうしてかしら?」
サイラスは猫へ視線を落とす。
猫は自分のしたことが正しいとでも言うように、目を細めた。
サイラスはしばらく黙り、やがて息を吐く。
「……それは、本来あなたの側にあるべきものではありません」
短く言い切る。
「そう。じゃあ、返しておいて」
それだけ言って、シルヴィーンは建物の方へ歩き出す。
振り返らず、足も止めない。
何事もなかったかのように去っていく。
残されたのは、猫を抱えたサイラスと、
静かに一連を見ていたレヴィンだった。
猫が一声、鳴く。
妙に落ち着いた、主張のある声だった。
サイラスは息をひとつ吐き、ようやく口を開く。
「……この子、普通の猫ではありませんね」
「見れば分かる」
「……聖獣でしょうか」
「そう見える」
サイラスは猫を見下ろし、眉を寄せる。
「光の気配があります。けれど、従っているというより……」
言葉が途切れる。
猫は肯定も否定もせず、尻尾をゆっくり揺らした。
「懐いているようにしか見えませんね」
「そのようだな」
レヴィンは短く応じる。
レヴィンの視線は、去っていく少女の背を追っていた。




