第3話 地獄の?マナー教育
午前中のマナー教育。
エルネスタは、珍しく真面目に取り組んでいた。
「背筋を伸ばしてください」
「はい……!」
ぴん。
「肘を開かない」
「はい……!」
ぴし。
「視線が泳いでおります」
「はいぃ……!」
びしっ。
マーヤの声が飛ぶたびに、エルネスタの身体もびくびく跳ねる。
広間には、奇妙な緊張感が漂っていた。なぜなら今日のエルネスタは、異様に従順だったからだ。
いつもなら三十分もすれば、
『いやですわ〜〜!』
『ドミトリ〜〜!』
『もう無理ですわ!』
と床に転がり出す。
だが今日は違った。
エルネスタは、小さな拳を握りしめながら耐えていた。
(森……)
その言葉だけを胸に。
「では次は。紅茶を」
エルネスタは、目の前のカップを持ち上げる。
ぷるぷるぷる。
震えている。
「エル様。カップが揺れております」
「ち、違いますわ。これは武者震いですの」
「紅茶に挑む覚悟みたいに言わないでください」
マーヤは無慈悲だった。
エルネスタはむすっとしながら紅茶を啜る。
熱かった。
「ふぇっ」
びちゃっと、紅茶が少し跳ねる。
それと同時に――。
がちゃん。
ティーポットが二センチ浮いた。
広間にいたメイドたちが、すっと視線を逸らす。
誰も触れない。それがエルネスタ家の日常だった。
「エル様」
マーヤが静かに告げる。
「集中を切らさない」
「……はい」
エルネスタは唇を尖らせながら、再び背筋を伸ばした。
マーヤは厳しい。
けれどエルネスタは知っている。
自分が食器を浮かせても、気味悪がって部屋を出ていったメイドは、この屋敷には一人も居ないことを。
「いつも通り飲めばいいのです。エル様はお紅茶が好きでしょう」
「けど、ぐびぐび飲んだら、マーヤははしたないって言うでしょ」
エルネスタはむうと唇をつきだした。
マーヤは、ふうと息を吐いた。
「では紅茶は一旦終えましょう。次はダンスです」
「えっ」
エルネスタの顔が青ざめる。
ダンスは特に苦手だ。
先日の練習では、マーヤの足や自分のドレスの裾を踏んでばかりだった。
「本日は特別に、男性役をギルベルト様へお願いしております」
「……え?」
エルネスタは藍色の瞳をぱちくりさせる。先ほどの青白い顔から一転、頬が少しだけ薄桃色に染まった。
しんと、一瞬広間が静まり返った。
メイドたちが、そっと視線を逸らす。
その沈黙を破るように、低い声が響いた。
「断りました」
いつの間にか窓際に立っていたギルベルトが、無表情のまま答える。
「なぜですの!?」
エルネスタが叫ぶ。
「狙撃手にダンスは不要です」
「必要ですわ! わたくしが踊りたいんですの!」
「危険です」
「ダンスですわよ!?」
「……エル様と自分では身長差がありすぎます」
「関係ありませんわ!」
マーヤは茫然とした顔で、頭を抱えた。
「エル様。お静かに」
「だってギルが!」
「お断りします」
「いやですわ〜〜!!」
その瞬間――。
ぼんっ。
部屋の隅に置かれていたクッションが、勢いよく宙へ飛んだ。
「きゃっ」
メイドたちの悲鳴が響く。
クッションが窓際の方へ、ふわふわと飛んでいく。
ギルベルトは無言でそれを空中キャッチした。
しばしの沈黙が降りる。
エルネスタは涙目でギルベルトを睨む。
「……冷たい」
「……」
「きらいですわ」
ギルベルトはしばらく無言でエルネスタを見ていた。エルネスタもギルベルトを無言で睨みつけたままだ。
メイドたちは不安げな面持ちで、二人を交互に見た。
ややあって、ギルベルトが静かに口を開く。
「十分後、森へ向かいます」
エルネスタの涙が、ぴたりと止まった。
「……本当ですの?」
「はい」
エルネスタは、ころりと笑顔になった。
「マーヤ! わたくし頑張れますわ!」
「現金ですね」
マーヤはため息をつきながら、目を細めた。
再び地獄のマナー教育が始まった。




