スリップ【SRIPU】
晴々とした森に男が一匹倒れている。それは俺こと宇野哲也。登山が趣味の一般大学生さ。こんな森で何してるかって?
遭難だよ!
へーそうなんだー……
「はぁ……」
事の経緯は簡単。山登って、訳あって斜面で足滑らせて、気付いたら知らない森に居た。
まだ6月だってのに紅葉している。
炎より深い赤と月明かりのような黄。鮮明なこの光景はこんな状況じゃなければ十分楽しめそうだ。
(なにここ?)
途方に暮れてもう5分。まぁ生きてるからプラスとして考えよう。あんなバカな死に方しては死んでも死にきれない。
(ん? いや、もしやここがあの世なのか?)
口から溢れ出す液体の感触と鉄っぽい味を感じながら、立ち上がろうとする。
瞬間、激痛が走った。そこは背中、特に強く打った部分。だが幸い骨折ではない。歯を食いしばり気合いで立ちあがった。
「病院行かなきゃな……保険料もったいねぇ」
一歩踏み出しそうと足を上げたその時のこと。
———ドスドス シュー
体の芯まで響く重い振動と水蒸気の排出音。それは木が繁茂した前方から発せられている。目を凝らせば、大きなナニカが迫って来るのが見えた。
(熊? いや、なんだこの変な……黒い? 逃げなきゃ)
そう思うも、怪我の痛みで上手く動けない。歯を食いしばって一歩一歩足を引き摺る。しかし逃げる間もなく、ナニカの姿は克明となった。
それは体高4m程の巨大な蜘蛛らしき生き物。木々の奥から迫ってきている。
脚の数は20本を裕に超え、その内何本かは象の脚のように太く大きい。蜘蛛の口部分には、車のマフラーみたいなものが一本ぶっ刺さっている。
え? ……あれ、蜘蛛?
言葉が出ない。鳥肌が全身を包んでいくのがよく分かる。
———んちゅっ! んちゅっ! バーバー
そう叫ぶ男の小声が、不意に耳に入る。前方の怪物から目を逸らすように横を向いた。
———落ち葉がくっ付いたドライヤーが、一人でに動いている。もう2メートルもない距離を、俺に向かってズルズルと……いや、違う。よく見れば、違う。
「あ」
見えてしまって、血の気が引く。コレは、俺の目の間違いで無ければ……人だ。
ノズルの所からハゲの小人が頭を出している。辛そうな顔で、ヤドカリみたいにドライヤーを引き摺って這っている!
———ドス! ドス!
唐突に背中の落ち葉が舞い上がる。土と石が腰まで飛んできた。背筋が凍りつき、視線を向けることは不可能に思えた。見ずとも、その威圧感は十分に理解でにる。もはや俺は叫べそうにない。
「にゅっ! にゅっ! びぴっぴーぴぴッ———」
ドシャッ
蜘蛛がドライヤーを一突き。飛び散った緑色の液体が俺の頬へとへばり付く。オイルじみた匂いが脳を貫く。
喉から上がる声はすぐに噛み殺した。
(すぐ横に、あ、脚が!?)
ピクピクと身体を痙攣させる小人は、持ち上げられ、マフラーに詰め込まれた。すると突然、鳴り響くエンジン音。マフラーからは血飛沫。
空間が赤い霧で飽和する。俺はそれでも歯を剥き出しに、涙を堪えて耐えていた。ただ、化け物が去ることを願って。
化け物は数秒間止まって、マフラーから黒い煙を排出した。食後のタバコのようだ。しかし幸いなことに、蜘蛛は踵を返して何処かに行った。足音を重く響かせながら。
息を思い出したのは振動を感じなくなってから。
深く激しく、肺を動かした。心臓に手を当て唾を飲み込む。が、この気持ち悪さに込み上げるものは我慢が出来ない。
「おおぇ!」
不快な味を感じながら、髪をかき上げると血がびっしり。
「ふつ、ふふっ、そうだよな。頭が、おかしくなったのか」
笑いが溢れた。
しばらくして、立ち上がる。
そこから4時間、知らぬ森をアテもなく歩いた。途中少し泣きながら。
流石にもう疲れた。しかも打撲の傷がジンジンと疼いている。
まったく、何処に行ってもGPSは繋がらないし、訳の分からない化け物しかいない。
コードを引きずるスライム状の水牛がのっそりと歩き、無数の鋭い歯が全身からびっしりと生えた狼が吠え、デカい人骨の球はピンボールのように転がっていく。
うん、ここ、現世じゃないだろ。
俺……異界? 異世界? に迷い込んだみたいだ。
アレらが俺の頭が作り出した幻覚ならば良いのだが。もし現実ならそれなりに覚悟が必要になる。今でさえ冷や汗が止まらないのに。
状況は、ただの遭難より悪いようだ。
さて今、俺は倒木の上に腰をかけて休んでいる。隣には、大きめで銀色の金属ブロック。
これは何か? それは知らない。だが、もしかしたら人工物なのでは無いか、という淡い期待だけを持っている。
指で銀色の箱を叩いた。カンカンという甲高い音は、森のざわめきに消え去って行く。
———ツー
[(知的生体反応を感知)]
—ブーブーブー
「……電話?」
突如ポケットに入っているスマホが振動する。電波も届かない僻地だと思っていたが……良かった!
急いで取り出して画面を見る。
映っていたのは、、、【顔】であった。
「( ・∇・)」
こういった、簡略化された顔。
「?」
———こ、ここ、こんにちは
画面から勝手に声が聞こえる。その声は変声機、或いはヘリウムガスか何かを使ったような、”変”としか言えない声だった。イントネーションもおかしい。
受話器ボタンは押してないってのに。だがチャンスはものにしてやる。
「あ、あのもしもし宇野哲也です! 今森で遭難してて、ちょっと、救助を頼みたいんですが! すぐお願いします!」
「おち つけ」
「えぇでもっ化け物がいるんです! ここには化け物が!」
「しってる」
その言葉を聞き、一気に疑問が湧き出した。
「………アンタ……何者だ?」
「わっち は ムバー よこの きかいだ」
「これの持ち主か?」
「のー それ わっち のぼでぃー」
「………何言ってるか分からないぞ」
「ならば イい アトに しよう。それより アナタ ここが ドコ か……ワか るか ぁ?」
ソレはやたらねっとり、途切れ途切れで喋る。声の主が分からないことに疑心感を覚えた。しかし、この会話で帰るための手がかりを探し出すため、話すしかない。
「それが分かっていたら、こんな切羽詰まってないぞ」
「リカイ わっち も おな じ では アナタ トツゼン シツレイ シツレイ だが ここ でたい?」
「出たいさ! ここに長居したら死ぬだろ?俺、死ぬのだけは嫌なんだ。他の何よりもな」
「わっちは もう いい デなくても いい」
なんなんだ? コイツ……何故俺に電話を?
「なに言っている? 出るって、アンタ電話してるんだろ? ここの外から。いや、違うのか……まさかアンタも森の中に?」
「そう ここはイい トコロだ とても しずか」
「………なぁ、アンタが出ようと出まいとどっちでも良い。けど、俺にとっちゃここは最悪なんだ。今はアンタだけが唯一の頼み……助けてくれよ……」
「………では わっちの マスター になって くれるか?」
奇妙な質問。俺は食い気味で言い走った。
「——なってやる。マスターでもなんでも。それで帰れるなら。ここはもう、たくさんだ」
「…………おけぇい」
——パカッ
いきなりガバッと右側面が開く。折りたたまれていた五本の細い金属フレームが順々に展開されていった。
「な、なんだっ!?」
続いて、同様のプロセスが左側面でも行われる。そしてUFOキャッチャーを思わせる4本爪のアームが、左右それぞれ一本ずつ、勢いよく突き出た。
「やっぱお前も怪物っ?!」
「いや、違うよますたー」
次に前面の一部が横にスライド、丸い開口部が現れる。そこからカメラのレンズが伸びていく。伸び切ったその瞬間、閉じていたシャッターがパシャリと開いた。
「…なんだっ!?」
「やぁわっちのマスター。わっちは09式多機能搭載自律型ロボ【ムバー】! 願いをなんでも叶えられる……とは言わないが、約束通り十分君役に立とう!」
その箱だったものはアームを俺に向かって小さく振った。その変てこな声は、もはやスマホでは無く箱そのものから聞こえてきた。
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