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滑落

————登山


その行為は世界中類を見ない程素晴らしい行為。気道に入る澄んだ空気と適度な運動は身体に活力を与えてくれる。そうしてまた明日への勇気が湧いてくるのだ。


 少なくとも自分、宇野哲也うのてつやは登山を上記のように捉えている。故に息抜きとして最高の手段として用いるのだ。


 さて現在俺は大学生。大学生であるのだから当然レポートの課題が出されている。


 あの大学がかなりたくさんの枚数のレポートを要求するのは分かっているが、2年経ってもキツいものはキツいままだ。


 そしてどうにも一向にやる気が出ないまま提出期限が迫ってきている。


 こんなんだから2浪して、しかも留年ギリギリになるんじゃないか?と己を責めるばかりの日々。


 バカと煙は高い所が好き。俺が登山好きなのもそういう事なのかもしれない。


 そんなこんなで、これはまずい、と今回は某県某山にやって来たのだ。今日来た山は山道がなかなかに険しく、良い運動になる。更に平日であり人が少ない。より楽しめるわけだ。


「ふむ...あつぅい」


 今日の気温は22℃、長時間登れば暑くなるくらいの気温だ。当然喉も渇く。

 そこでリュックサック側面のポケットから水筒を取り出した。それは大きめでフタがカップになるタイプのモノ。

 

 中に入っているのは自家製麦茶。

トクトクとカップに注いで、続く道と大自然を眺めながら飲めば、頭には笑福亭のあの人の顔がこちらに微笑みかけている様子が思い浮かぶ。


 しかし、そののどかなひと時の中で水筒を握る手に違和感が走った。手の甲に何かついている、そんな触感がする。


「?」チラリ


 と横目でチェック。何がひっついているかな?



【よく分からない蜂】<コンニチハ!


「(焦り)」



 いかん、いかん、あかん、蜂はだめだ洒落にならない。怒涛の勢いで拍動する心臓と絶対零度に及ばんばかりの背筋を感じるのだ、今。


「んんん!!」バシャッ


 そういう訳で、驚きの余り水筒をぶん投げながら、蜂を手でできる限り早く払った。


 すると蜂はまるで最初から俺のことに興味がなかったように、さも俺はキープで本命が他にいるように森の深くに行ってしまった。


「チっ...刺されたか?...いや、大丈夫そうだな」


 なんとか最悪の事態は避けられたようだ。ならばさっき投げた水筒を拾おう、そう思い周辺を見た。


 実のところどこに飛んだのかは分からなかった。しかしまぁ銀色、どうせすぐ見つかるだろう。



……そうして幾分か過ぎた



見つかった。かなり傾斜があり、とても手の届かない場所に。


……まぁあのくらい何とかなるはずだ。


「昨日、雨が降ったからちと滑りやすいだろうな」


———ザッザッ


 右足、左足、慎重に斜面を踏む。近くの木や枝に捕まってゆっくりと降りて行く。

 


だがその時は突然だ。



———ツルッ



「っ!」


体重を乗せた足が湿った石の上で滑る。

支えを失った体は豪快に斜面に叩きつけられる。


ゴン、という音が鳴った。


「!」


背中が痛い。打った。


だがその痛みよりも不味い事に、身体が重力に引かれ転がり落ち始めた。


「うっ!」


 地面にしがみつくも無駄。加速し始めた。斜面には木がまばらに生えている。速度がついた状態で接触したらひとたまりも無いだろう。


「はっ、はっ、はっ」


 人間、限界になったら悲鳴なんて出ない。馬鹿みたいに転がりながらそう思った。


肌が擦れる。

泥が目に入る。

小石が体を切る。

土と血の匂いが鼻を通り抜ける。


 自分が死ぬ事を直観すると土に塗れた目に涙が浮かぶ。俺は瞼を閉じた。



「ゔぁっ!」ズサッ!


 突如、強烈な衝撃が腹を貫通し背中まで身体を打ちのめす。が、身体の回転は止まった。


 もしかして平面に降りられたのか。1分ほど苦しんだ後にやっと蒼白な顔を上げ見回す。


あぁ、平面だ。生きて帰って来れた………

安堵と喜びにこれまた涙が出る。

人間は不思議な生き物だ。


「……いってぇ、元の道は……ん?」


ここで違和感に気づく。


あぁそうか。


どう見てもない。


今さっき滑り落ちてきたはずの斜面が。

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