俺が彼女の許しを乞うまで 2 (side 風峰)
本日2話投稿してます。
そうして騎士道の元にフェアプレイを続けたが、俺は最後にちょっとだけズルをしてしまった。思わず抜けがけの告白をしてしまい、彼女に受け入れてもらったのだ。
俺から見ても王子は内面も容姿も立場さえも魅力的で気のイイ奴だから、タイミングが良かったとしか思えない。
奇跡が起きたと思った。
だがそれは嬉しいばかりの事ではなく、人の支えを必要とするほど彼女が深く傷つき憔悴し、無理を通しているという事の現れだった。
旅が進むにつれ町や村の被害や荒廃は進み「助けて」という人々の願いは強くなる。そして「どうして、もっと早く来てくれなかったんだ!」と非難と怨嗟の声さえも上がる。
境木さんはそれでも、いや、だからこそ人々を癒す『神子』であろうと心を砕き、希望を齎す『神子』であろうと凛々しく勇気づける。少女としての怖れや不安を飲み込み自分の役目に専念する姿は「さすが神子さまだ」と助けた人々に敬われながらも、本来の彼女を知っている俺たちには痛々しくも見えた。
拗ねた時に尖る可愛い唇、悪戯に輝き惹きつけられる瞳、時にはむっと眉間による皺に俺がふざけて指を伸ばすことも無くなった。一つ一つ失われていく俺の大切なもの。
「俺が君を守るから。君のぶんも戦って、俺が魔王を倒すから。だから……」
自分を偽らないで。責めないで。声を押し殺して泣かないで。犠牲にならないで。
どうかまた、あの頃のように無邪気に笑って欲しい。
そう願った。
「私だけ、逃げるわけにはいかないでしょ?」
守らせもくれない君が憎い。
「人の理想通りで居ようとするのって、思った以上に辛くってしんどいのね。よく、こんなこと続けていられたわね。完璧優等生くん」
久々に見たからかう様な笑み。
それが切なくって、嬉しくって、いつまでも見ていたくて、俺は確かめるように彼女の頬を両手で包みこんだ。
「君を失いたくないんだ」
自分の身は自分で守れるほど強いつもりだし、皆も守ってくれるから大丈夫だと答える彼女。
違うんだ。そうじゃなくって、例え身体が無事でも、俺は境木美琴というありのままの君を失いたくない。
俺は君と出会って、旅の仲間たちと出会って、少しずつ自分を取り戻した。人の目ばかりを伺うのではなく、自分の思いで行動するようになった。気持ちが、溢れる。
「君が好きだよ。だからどうか、そんなに無理ばっかりしないで俺に守らせて?」
呆気にとられ目を瞬いた彼女は『神子』ではなく俺を理解してくれた、俺が好きになった一人の少女。
「美琴。そのままの君が、好きなんだ」
声もなく彼女の目尻からつつっと涙が伝う。
うん、と頷く彼女の目元に俺は口付け、こぼれ落ちる涙を指先で拭う。そして、ふわっと抱きついてきた彼女を壊さないように怖々と、だけど伝わる温もりに胸が熱くなって、ぎゅっと抱きしめた。
その後、俺の気持ちを受け入れてくれた境木さんに俺は前にも増して接近を試み、彼女は赤くなって俺を突き放すが、時々人目のない時なら大人しく、可愛く許してくれた。
しばらくして魔術師の俺に対する態度が更に厳しくなり、王子は普通に接しようとしてくれるがぎこちなく、ふと意識が遠くに行ったり深く落ち込んだりしていた。聖騎士は「これからがまた色々とツラいだろうけど、ま、頑張れ。暫くは我慢だ」と言って口角を上げた。
確かに色々と、イロイロと辛い。勇者である前に俺は健全な男子高校生だ。
俺の献身的な愛のおかげとは言わないが、調子を取り戻してきた境木さんに相変わらず魔術師は甲斐甲斐しいが今では目を光らせて付き従い、王子は良き友であり続けようとしていた。そんな彼らに公平に笑顔をむける境木さん。不服だが、まぁ、俺にしか見せてくれない表情があるんだから良しとしよう。
だがあくまでこの旅路は魔王討伐の為のものだ。
久しく訪れた平穏は長くは続かず、魔族に侵略された土地まであと僅かという村でそれは起こった。
昔から、その人間の村には時々魔族が現れたという。悪さをする魔族もいれば、興味深そうに人間の生活を観察する魔族も居たそうだ。だが不思議と、人間が命を落とすような害をなす者は居なかったという。というのもその昔、村には人間と魔族が愛し合い、その間の子が暮らしていたからだという伝承がある。その魔族が、子孫の為に加護を施してくれたのだと。
だがそれも数年前までのこと。
魔王が復活し魔族が人間の土地へと侵略を始めてからはその関係は代わり、今では他の土地と同じように互いに憎みあい殺し合う間柄となっていた。
そんな村に、悲劇が起こる。
伝承と同じように、人間の娘と魔族の若者が恋仲であったことが発覚したのだ。俺達がその村にたどり着いたのは、ちょうどその娘が子どもを宿していることが村中に知れ渡り騒ぎになっている時だった。
境木さんの『神子』の声により、腹に居るうちに殺してしまえと罵る声は抑えられたが、数日後、事故に見せかけるようにして村人は娘に乱暴を働き、まだ産まれる前の子どもの命を奪ったのだ。
彼女の嘆きは幸か不幸か相手の魔族に届いた。
異端の魔族として仲間に監視されていた彼は、やっとの思いで逃げ出し愛しい娘を迎えに行ったのだが、そこには我が子を失くし衰弱した娘の姿。
彼は怒り狂った。こんな村滅んでしまえと。
炎に飲み込まれ魔獣が放たれた村に、何とか娘の願いに沿った解決を試みようとしていた俺たちは彼を討つしかなくなる。結果、村人の前で俺の剣が魔族の男の胸を貫き、それを守ろうとした娘も一緒に剣を受け、二人は抱き合うようにして互いの手を取り崩れ落ちた。
静かな怒りと悲しみを称える境木さんに気づきもせず、村人たちは俺たち勇者と神子の一行に感謝し浮かれ、あの哀しい二人を晒そうとした為、流石に魔術師が否と冷たい眼差しをくれ、神子が埋葬することになる。
その事件以来、境木さんの様子が優れない。
人間と魔族が想いあい、守るべき人間が同じか弱き人間に危害を加え、討つべき魔族がそれに怒り嘆き、殺されようとした魔族を人間が庇ったのだ。
彼女が積み重ねてきた事実にひびが入り、衝撃を隠し得ないのだろう。
己の手をじっと見て考え込み、魔王の居城がある方向を見て息をつく。
「私たちは、本当に戦わなければいけないのかしら?」
以前なら魔族は悪! と言い切っていた王子も、あの恋人たちの事が頭を掠めたのだろう開きかけた口を閉じる。
「それが俺らの役目だ」
聖騎士が境木さんの肩をぽんと叩き、魔術師は目を伏せたまま呟いた。
「必要悪ですね」
憎むべきだと、一方的に彼らが悪いのだと必要とされた悪。異世界から来た俺たちには知らない背景があるのかもしれない。
戦闘で境木さんは攻撃魔法を使わなくなり、援護と治療回復に努めるようになる。そして、浄化の祈りを熱心に捧げる。聖剣の場合は命そのものを消滅させてしまうが、神子の浄化は一度世界の一部として還り転生の輪に加わる命の救済だ。
そのうち彼女は夢が見られないと焦燥の面差しで零すようになり、不安げに魔王城の方向を見る。
俺にだけ弱った心を打ち明けてくれる彼女に、俺は寄り添うようにして抱きしめ、こめかみに口付ける。
「神殿に、留まったらどうかな?」
彼女を心配した仲間の皆で考え提案してみる。
神殿でも神子の仕事はたくさんあるだろう。勇者が魔王討伐に赴いているのだから、神子は民の安寧のために神殿で祈り、被害のあった土地に浄化を施し、治療回復に力を注ぐという形で二手に別れても良いのではないかと。そもそも前例なく勇者と神子の二人が同時に召喚されたのは、その為だったのではないかと。
本音を言うと、俺は嫌だった。境木さんと離れたいはずがない。しかし彼女の事を思い決断したのだ。
だが彼女は首を横に振る。
それを見て、俺の唇は歪に緩んだ。
健気にも元気に振るまい時に危うい様子を見せる彼女に、王子や魔術師はおろか、聖騎士までもが俺を差し置いて彼女の側に有り、彼女のために尽くそうとする。それは旅の仲間を思うごく普通の光景だったのかもしれない。だが初めて自ら望み手に入れた幸せに俺は余裕を持てなかった。
凛とした清々しい彼女の、憔悴し艶めいた儚さ。
誰かに奪われてしまうかもしれない不安、俺だけのものにならない焦りと独占欲に勝てず、彼女の項や鎖骨の下、見え隠れする場所に俺を誇示するための証を刻みつける。
いっそどこかに閉じ込めてしまおうか。
悲しみの見えない場所で、怨念の聞こえない場所で、俺のこと以外何も考えず、誰の目にも触れさせないように。
縋り付いてくる腕に、俺はほの暗い喜びを覚えた。
もう頑張らなくて良いよ。君は十分に神子の役目を果たした。後は俺に任せて?
甘い毒を彼女に吹き込む。
いっそこの手で殺してしまえば、自分だけの物にできるんじゃないだろうか?
馬鹿な事を夢想する。
穢して壊して、俺だけのものにしたい。
だけど彼女の生き生きとした輝きは失われることなく、眩しいくらいに俺を導き、尊い光に胸が熱くなる。
決して想いを告げない魔術師の気持ちが、分かった気がした。
慰める振りをして諦めを促す甘言を囁き腕の中に優しく甘く捕らえても、俺の胸に頭を摺り寄せてくれるのに「有難う」と言って自ら立ち上がる彼女に、俺は結局道を踏み外すことは無かった。
ただただ、魔王を倒し彼女の笑顔を曇らせるもとを絶つことに意欲を燃やす。
本当に魔族と戦わなければいけないのかという彼女の葛藤の解決にはならないが、根源が失われれば俺たちは元の世界に戻れる。
早く、彼女をこの世界から解放したかった。俺たちがただの高校生だった、あの世界へ。
高位の魔族たちはどれも揃って容姿が整っていて、それは屈強な男だったり、あどけない少女だったり、知的な青年だったりした。
そして魔王の姿は、圧倒的な魔力を纏った少年の形をしていた。
聖剣を閃かせる。仲間からの援護を受けて何とか間合いに入り、境木さんを人質に取られるもようやく隙をみつけて俺は魔王へ渾身の力で剣を薙ぎおろす。
そして、そして……そして…………。
目の前で起こった事が、信じられなかった。
嘘だ。
そんなはずがない。
「みこ、と?」
おれの呟きに彼女が微笑む。
おれの大好きな、こちらまで笑顔にしてしまう満面の笑顔。
だけど、笑えるはずがない。
崩れ落ちるのを抱きかかえた俺の腕の中で、彼女は咳き込み、紅い花が散る。
「美琴っ!?」
少し困ったように、彼女が微笑んだ。
そしてすっと目が細められたまま、動かなくなる。
「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!!」
俺の喉から、腹の底から、重たく熱い空気が迸った。
全身を焼き切るような消失感、混乱、後悔、憤り、呵責。様々な思いが爆発しそうに荒くれ、俺は……。
そこからは、記憶が途切れとぎれだ。
覚えていることも、テレビ越しの映像を見ているように自分の事ではないかのようだ。
俺はもう、どうでも良かった。
魔王を倒した勇者として凱旋パレードを行い、境木さんは尊い命を犠牲にしてこの世界を救った神子と崇められた。「救世主さま万歳」という歓喜の声がやけに苛立たしく耳につく。
何が救世主だ。
俺は一番守りたかったものを守れなかった。
さっさと義務を果たし終え、召還の陣を整えさせる。様々な理由を付けられて召還を引き伸ばし、パーティへの出席を促されたが、俺は全て一蹴した。それでもなお俺を煩わせる者がいて、魔術師が帰還の準備を急がせ、王子が王族らへ説得し、聖騎士が私欲にまみれた貴族らが俺に近づけないように対応してくれた。
いよいよ元の世界に帰る日、俺は境木さんが城に置いていた巫女服の一式の中から、彼女が髪につけていた赤いリボンを手に取り胸に忍ばせる。せめて、これだけでも彼女が居た証に持って帰ろうと。
帰還の陣が魔力を帯びて輝きだし、その薄い光のカーテンの向こうから仲間たちの顔が見えた。悲しみに暮れているのは俺ばかりではない。彼らもまた失ったのだ。
今更ながらに俺は自分ひとりが嘆いているように感じていたことを恥じ、仲間達の名を一人一人呼んだ。
「俺たちは、どこにいてもいつまでも友人だ」と唇を噛み締める王子に俺もそう思っていることを返し、「好きになれないが認めてはいる」と視線を逸らして言った魔術師にお前のこと嫌いじゃなかったよと告げ、「達者でな」と複雑な心境がその顔に現れている聖騎士にあぁと答え、彼がよくそうしていたようにニヤっと笑ってやった。
光の渦に飲み込まれ、目を開けていられないその白い光に俺は目を閉じる。
様々な事が思い出された。
楽しいことも嬉しいこともあったが、彼女を失ってしまった悲しみと自分に対する怒りの前では色褪せてしまう。胸を焦がす思いに、ふぅと息を大きくついた。
瞼の向こうで弱まった光に、目を開ける。
そこに飛び込んできたのは、思いがけない姿。
夢なのか、幻なのか。
それは間違いなく俺が焦がれて止まない彼女だった。
喜びで目が霞む。こんな幸福な事があって良いのだろうか。
手繰り寄せた温もりは確かに愛しい彼女のもので、その唇に触れようとする。
だが、拒絶されてしまった。
君は生きていたというのに。やっと会えたというのに。その仕草に身が引き裂かれそうに痛む。
しかし彼女の言動から俺のことや異世界のことを覚えていないことが伺え、もしかしたら彼女はまだ異世界に召喚される前なのかもしれないと思い当たった。
それならば、今度こそ俺が守ろう。
彼女が召喚されそうになったら、身を呈してでも阻もう。
彼女が異世界へ行かなければ俺と一緒に旅した彼女の記憶は食い違ってしまうが、そんなことは知らない。あの旅が無かった事になってしまっても、彼女を守れるのならそれで良い。
彼女が召喚されるのを防ぐことで、今ある俺の記憶がなくなったとしても、俺はきっと彼女に恋するだろう。もう一度、彼女に恋をする。
出来るならば全てのことを話して、君に口付け、許しを乞いたい。