第10話:『有明けの月曜日』、やっぱり定時で帰りたい
全大陸を巻き込んだ「世界平和記念・大有給消化キャンペーン」から一週間。
誰もいない静寂のなか、ゆっくりと昼まで寝て、美味しい酒を飲み、積読を消化し尽くした最高のバカンスが終わりを迎えた。
そして――月曜日の朝。
「ふあぁ……よく寝た」
王宮地下四階、『第十三倉庫』のデスクに腰を下ろした私――アルトは、大きく伸びをしながらコーヒーの香りを愉しんでいた。
一週間の完全休暇のせいで、机の上には少しばかりの埃が積もっているが、それもご愛嬌だ。誰も仕事をしていなかったのだから、面倒なトラブルが持ち込まれることもないだろう。
「あ、アルト様……! お、おはようございます……っ!」
ガチャリと扉を開けて入ってきたのは、一週間の連休ですっかり肌ツヤが良くなり、見違えるほど元気になった聖女セレスティアだった。両手には、温かい特製のスープと焼きたてのパンが乗ったお盆を持っている。
「お、セレスティア。いい顔色だな。実家でゆっくりできたか?」
「はいっ! 両親も『管理官様のおかげで命拾いした』って大泣きして喜んでました! おかげさまで最高の休暇でした!」
彼女は嬉しそうに微笑むと、私のデスクの脇に朝食をセッティングしてくれた。
うん、素晴らしい。これぞホワイト職場の醍醐味である。このまま平和な日常が戻ってくれれば、私の社畜ライフは完璧だ。
……しかし。
私の甘い期待は、あまりにもあっさりと裏切られることになった。
コン、コン、コン。
落ち着いた、しかしどこか切羽詰まったようなノックの音が響く。
セレスティアがビクッと肩を揺らし、恐る恐る扉を開けた。そこに立っていたのは、数日前まで「ハワイでバカンスだぜ!」と浮かれていたはずの、魔王軍財務部長ガストだった。
「……おや、ガスト。バカンスはもう終わったのか? まだ火曜日……いや、月曜日か」
「アルト様……っ! 休日明け早々に申し訳ありません! じ、実は大変なことが起きまして……っ!」
ガストの背後から、ガタガタと震えながら入ってきたのは――なんと、一週間の有給ですっかり腑抜けていたはずの、魔王軍の『魔王様』本人だった。
「ま、魔王様!?」
「き、聞いてくれ、管理者殿……っ!」
魔王はかつての恐ろしい威厳をどこへやら、高級なローブの裾を掴みながら、ガバッと私のデスクの前に土下座した。
「一週間の完全休暇を楽しんだのはいいんだが……いざ仕事に戻ろうとしたら、有給期間中に溜まった『全魔界からの決裁書類』の山が、エベレスト級になって私の城を押し潰そうとしているのだ……っ! このまでは書類の重死で私が死んでしまう……っ! 助けてくれぇ……っ!」
「は?」
私は思わず持っていたコーヒーカップを落としそうになった。
「ちょっと待て。一週間休んだんだから、その分の仕事が溜まるのは当たり前だろ。なんで私に泣きつくんだ」
「だって! アルト様なら、この魔界全体の書類の山を一瞬で効率化し、華麗に裁いてくださると思ったのです……っ! 何でもしますから、この『決裁書類の雪崩』をどうにかしてください……っ!」
魔王がガチ泣きしていると、今度は背後から、天界の主席監査官が青い顔をして飛び込んできた。
「も、申し訳ありませんアルト様! 神界でも、最高神が『一週間サボったツケが回ってきた! どの書類から手を付けていいか分からない!』とパニックを起こして天界の雲が全部雨雲に変わってしまいましたぁ……っ!」
「さらに王宮の第一王子殿下まで、『英雄パーティから、長期休暇の楽しかった思い出を延々と聞かされて仕事が進まない! 管理官様、喝を入れてください!』と外で待機していらっしゃいます……っ!」
セレスティアが半泣きで次々と報告を持ってくる。
倉庫の入口を振り返ると、そこには魔王、神の使い、王子、そして英雄たちまでが、見事に全員「月曜日の憂鬱と仕事の山」に絶望して列をなしていた。
「…………」
私は深く、深ーく、息を吐き出した。
静かで平和な窓際部署。誰も来ないはずの最果ての倉庫。
いつの間にか私は、この世界のすべてを裏で支える「絶対不可避の最終管理官」になってしまっていたらしい。
だが――。
「ふん。仕事が溜まったからって、私に泣きつく暇があるなら、一台のペンを持ってさっさと自分のデスクで書き殴れ」
私は立ち上がり、引き出しから一番太い赤のマーカーペンを取り出した。
「いいか、お前ら! 休日明けの絶望なんてな、的確な優先順位付けと、容赦ない『不要業務の切り捨て』で一刀両断するんだよ!」
「ひっ……! ぎ、厳しすぎる……っ!」
「だが、正しい……っ!」
「セレスティア! 新しい稟議用紙を百枚用意しろ! 魔王の書類の山は私が全部『効率化フォーマット』に書き換えてやる! 神界の未処理分は、今日の15時までに全部『却下』のハンコを押して送り返す!」
「は、はいっ! アルト様!」
私の号令に、魔王も神官もガバッと立ち上がり、一斉に背筋を伸ばした。
世界がどう転ぼうとも、神や魔王がどれだけ泣きついてこようとも、私のやることは一つしかない。
――目の前の書類を完全に片付け、今日も今日とて、絶対に定時で帰る。
「さて、仕事の始まりだ。お前ら、覚悟してかかれよ!」
窓際事務員アルトの戦場のような、しかしどこか誇らしげな(そして定時死守の)月曜日が、こうして元気に幕を開けたのだった。




