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幽霊が呉れた赤ん坊  作者: ウチダ勝晃


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6/6

六、梅の花咲く春の午後

「早いもんやなぁ。もうそろそろ、梅の季節なんかぁ」

 夕刊へ顔をうずめていた若旦那が、ヒョイとこちらへ目を向ける。カウンターを挟んでカップを拭いていた僕は、不意を突かれて返事に詰まってしまった。年が明けて、一月の半ばからしばらく大雪になったものの、過ぎてみれば平穏な、小春日和がここ数日続いている。二月も折り返しに来て、そろそろ北野の神宮あたりで開花の便りもありそうなものだ。

「因果なもんやねえ。移ってみれば、今度もまた、ちょくちょく店を開けるご主人とは……」

 こないなエエ店留守にしたら罰当たるで、と若旦那は洒落た内装をみやって苦笑いする。北大路と今出川の中間、烏丸通を斜めに横切る紫明通りというところの小さな喫茶店でバイトを初めてもうひと月になる。「平和」を辞めて移ったこの店は、こじんまりとしていて日当たりも良いという絵に描いたような理想の喫茶店なのだが、コーヒーの腕がたつのを店主に知られてこの方、ほとんど僕が店の番をする羽目になっていた。

 店主は根っからの麻雀狂という、大変な悪癖の持ち主だったのである。

「そこへ加えて、店の名前は『大三元』……」

「その名前で純喫茶なの、ちょっとした詐欺やもんなァ」

 カウンター席の丸椅子でくるりと一回りすると、若旦那は新聞を畳み、香り高いブラジルコーヒーへ意識を集中させた。午後の日差しが柔らかく入る店内は、僕と若旦那だけの貸し切り状態となっている。誰に気兼ねすることもなく、僕たちはいろいろと近況を交わしあうことができた。

「そういや、慎太郎くんのほうはどうなの?」

 拭き終えたカップを背後の棚へ戻しながら尋ねると、若旦那はコーヒーから口を離し、

「その質問がヘーちゃんのほうから出るのはおかしいんとちがうか? 他ならぬ里親の片方が大家さんなんやから……」

「そりゃあそうだけどさあ。一緒になってからあの二人、揃って引っ越しちゃったじゃないか。いくら店子の僕でも知りようがないよ」

 僕の言い分に、そりゃごもっとも、と若旦那は肩をすくめる。一連の騒動がきっかけで知り合った大家さんと店長は、伴侶に先立たれた独り者同士ということで意気投合し、なんと再婚を宣言。そして養子として、乳児院に移っていた慎太郎くんを引き取ることに決めたのである。

 これを機にすっぱりと夜遊びをやめた店長は、奥さんともども麻雀荘の経営へ集中することになり、手すきになったのを見届けた僕は暮れでバイトを円満退職、という具合になった。

「あの二人、この年で子供を授かったってえらい喜んでるわ。もっとも、あの坊やのためだ、ってのもあって店内が全面禁煙になったのは痛手やったけど……」

「ええっ、そんなことになってたの」

 麻雀荘と言えば煙草の煙がつきものと思っていたが、こればかりは時代の流れ、としか言いようがない。

「そこへ行くとここはありがたいわぁ、のんびり座って煙草も吸えるし、コーヒーは旨いし……コーヒーチケット、さっそく一冊頼んでええ?」

「おっ、まいどあり」

 さっそく真新しいコーヒーチケットを出すと、僕はそこへ若旦那の名前を書き足し、ほかのお客のものと一緒にコルクボードへ留めておいた。

「そういや『幽霊』から久々に手紙が来よってな」

「――え?」

 チケットの代金を受け取った時、若旦那がそんなことを口走った。一瞬なんのことかと思ったが、慎太郎くんの本当の母親・荒本由衣のことだと気づき、僕は少し身構えた。

「で、いったいなんて……?」

「なぁに、そない緊張することあらへんがな。なんでも風の便りで、『幽霊のくれた赤ん坊』なんて顛末を耳にしたそうでな。それで改めて、お礼の手紙を送ってくれたんよ。おかげであの子の命も救われた、この事は一生忘れない、とさ……」

「――結局、事実はみんな闇に葬っちゃったわけか。若旦那も、案外罪深いとこあるねえ」

 ちょっと口悪く返した僕へ、若旦那は表情一つ変えず、これでよかったんよ、と応じる。

「明かさないほうが幸せな事実も、たまにはあるってこっちゃ。幽霊に足があっちゃ、あの三人家族ものうなってまうしな。こういう役回りなら、損をしてもかまへんよ――」

 若旦那の満足げな表情を前にしては、これ以上何かを言うのは野暮だと思った。後はすべて、時間が解決してくれるのだろう。ことの良し悪しはもう、流れるままに任せるのがよさそうだった。

「そこまで言うなら、これで良かったんだろうねえ」

「そういうこと。これにてこの話はほんとにおしまい……ってワケ。そんなことより、ブラジルもう一杯もらえる?」

 空のカップをソーサーごと持ち、若旦那が人懐こい顔でこちらへ頼む。それを受け取ると、僕は真新しいチケットをもぎり、二杯目の支度へと取り掛かりだした。

 新しい季節がゆっくりと京都の街へ近づく、穏やかな二月の昼下がりのことである。



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