カシュとエンデュミオンの温室
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
カシュとバーニーが温室に遊びに来ます。
300カシュとエンデュミオンの温室
カシュはリグハーヴス公爵の領主館に住む、庭師コボルトだ。
現在黒森之國は冬なので、領主館にある畑は雪の下である。早起きする必要がないので、冬場の朝、カシュは起こされるまで布団に潜り込んでいる。
「朝だよー」
冬の薄い太陽が射し込む部屋に、ノーディカの声が皆を起こす。
冬になり、コボルト達の部屋は温室から移動し屋内に作られていた。使用人宿舎の一階の空き部屋に、コボルト用のベッドを入れてくれたのだ。
ただし、タンタンは冬場は育てている鷹獅子のティティと、騎士隊詰所に住んでいる。タンタンは騎士隊詰所の賄いさんなのである。
「たうう」
「アルス、起きて」
昨夜、執事のクラウスに送られてきたアルスは、まだ眠そうだ。ノーディカに掛け布団を捲られて、隣のバーニーのベッドに頭から潜り込んでいる。
「バーニー、アルス起こして」
「アルス、起きてご飯」
「たうたう」
「夜更かしするからだよ」
「たうう」
仕方がないので、ノーディカとカシュ、バーニーが身支度を済ませる迄寝かせてやる。それから布団をひっぺがし、ノーディカがアルスの顔をお湯で絞った布で拭いて、着替えさせる。
「たうー」
眠くてへにょりと尻尾を垂らしたアルスを連れて、ノーディカとカシュとバーニーは食堂へ行く。
「お早う、まだアルスはお眠か?」
騎士隊員のハノが、半分目を閉じているアルスを抱き上げた。ぽて、とハノに凭れてアルスが目を閉じる。
「たう……」
「アルス寝るな、ご飯食べろご飯」
今朝のご飯は馬鈴薯のポタージュとこんがり焼いた腸詰肉とチーズ、とろりとした炒り卵だ。
ハノと一緒にいた騎士隊員のキーランドが、大きな盆に皆の皿を乗せてテーブルに運んでくれた。
妖精用の椅子は肘掛け付きなので、落ちにくいので安心だ。
ハノはアルスを妖精用の椅子に座らせてやった。
「アルス、紅茶にミルクは?」
「わうー」
眠くてぐらぐらしながらも、ノーディカの質問には答えるアルスだ。
「食ったら目ぇ覚めるんじゃないか?」
「じゃあ、ポタージュ食べさせてみる」
キーランドの発案に、カシュが吹いて冷ましたポタージュを、スプーンでアルスの口に入れてみる。
「……」
ぱちりとアルスの目が開いた。
「起きた?」
「たう」
「はい、スプーン」
「たーう」
カシュからスプーンを受け取り、アルスはきちんと食前の祈りを唱え、薄く切った黒パンに齧りついた。
「アルス、夜更かし禁止」
「ううう」
キリッとノーディカに睨まれて、アルスが唸った。恐らく今日から就寝時間になったら、ノーディカがアルスを図書室に呼びに行くに違いない。紅一点のノーディカには誰も敵わない。
朝食を食べ終わったら、アルスは図書室に、ノーディカは厨房に仕事に行く。カシュとバーニーは冬場に仕事が殆どないので、中庭の温室の手入れをしたり、図書室で本を読んだりして過ごす。
しかし領主館の温室は、昨日までにすっかり手入れをしてしまった。何しろ、領主館にはきちんと庭師がいるので、カシュは手伝い程度しか手を出せないからだ。
「カシュ、暇だ」
「バーニーも暇だ」
庭師と養蜂師は冬には仕事がない。
温室のこぽこぽと音を立てる泉の前に、カシュとバーニーは並んで転がった。
「何してるの?」
「寝てるの?」
そこにやって来たのは、クヌートとクーデルカだった。南方コボルトの魔法使いの双子だ。ちなみにカシュとバーニーも南方コボルトだ。
「やることないの」
「蜂いない」
クヌートとクーデルカは、揃って同じ方向に首を傾げた。
「エンデュミオンの温室行く?」
「あそこならお庭手入れ出来るよ?」
カシュとバーニーはむくりと起き上がった。声を揃えて言う。
「行く」
こうしてカシュとバーニーは、クヌートとクーデルカにエンデュミオンの温室に〈転移〉してもらった。
「クヌートとクーデルカは、魔法使いギルドのお手伝いしてから戻ってくるね」
「うん、気を付けてね」
魔法使いギルドの繁忙時間に合わせてお手伝いに行く双子に、前肢を振り見送る。
雪の積もらない赤い煉瓦道を歩いて温室に入る。温室に入る権利をエンデュミオンに貰っている者は、自由に出入り出来るのだ。
二枚ドアの奥のドアを開ければ、ふわりと暖かい空気に包まれる。
エンデュミオンの温室はいつも常春である。手前にある薬草園を抜けて、奥の広場に行く。薬草園は、幸運妖精のシュネーバルが管理しているからだ。
奥の広場の〈精霊の泉〉には水竜キルシュネライトがいるし、その脇にある祠にはキルシュネライトと月の女神シルヴァーナの像が祭られている。
カシュとバーニーはまずは祠にお参りした。
「キルシュネライト、芝の手入れして良い?」
─良いわよ。
キルシュネライトからの許可も出たので、カシュは芝から明らかに飛び出た草を、芝用の鋏を取り出し刈っていく。ここには専属の庭師はいないらしく、手入れし放題だ。カシュの庭師としての血が騒ぐ。
あちこちに咲いている小花は残し、チョキチョキと芝を刈る。
「キャウ?」
木の陰からマンドラゴラのレイクが出てきた。レイクはシュネーバルの愛玩植物で、温室に棲みついている。
「レイク、刈らないでほしい植物ある?」
「キャン!」
レイクが前肢のような短い根を祠に向かって指す。
祠近くにまとめて咲く青い花は、そのままにしておいてほしいらしい。どう見ても妖精鈴花だが、何故ここに咲いているのかは謎である。この前はなかった気がする。
「キャウ」
レイクもカシュの隣に並び、シュパシュパと飛び出た芝を根で刈っていく。
「バーニーは隠者の庵に手伝える事ないか聞いてくる」
「うん、いってらっしゃい」
バーニーは大きめのコボルトなので、力仕事もそれなりに出来る。
とすとすと芝を踏んで、バーニーが広場にある小道に入っていった。
「ん、んー」
鼻歌を歌いながら、カシュは芝を刈る。今日はまだ誰も中庭に来ていないのか、それとも隠者の庵にいるのか、こちらにはカシュ達しかいない。
時々〈精霊水〉や広場に生えている木の実で喉を潤しつつ、カシュとレイクは広場の芝刈りを終えた。
「んー、隠者の庵に行ってみる?」
「キャン」
カシュとレイクは隠者の庵に行って見る事にした。わしゃわしゃとレイクの肢代わりの木の根が動く。レイクはカシュと同じ位の速さで移動出来たりする。
「おー」
カシュは温室から隠者の庵に行けるようになってすぐに一度来たのだが、その時よりも庵の回りに手が加えられていた。相変わらず、庵の隣にある畑にはケットシー達がいて雑草抜きをしている。バーニーの姿は見えないので、他のケットシーと共に蜂の巣箱でも見に行ったのかもしれない。
「レイク、敷石の間の草刈ろうか。踏んで滑りそうだし」
「キャン」
庵まで続く敷石にしゃがみ、カシュとレイクは手入れを始めた。夢中で敷石を進んで行くと、上から声が掛けられた。
「ご精が出ますね」
「わう?」
顔を上げたカシュの前に、髪に白いものが沢山混じった温厚そうな初老の修道士がしゃがんでいた。
「私は隠者マヌエルと申します。先日からこちらに住まわせてもらっております」
「カシュは庭師」
「庭師さんですか。先程、養蜂師のバーニーもいらっしゃいましたよ」
「うん。カシュ、バーニーと来た」
「お仕事をしたら暑いでしょう。冷たいお茶がありますよ」
マヌエルが立ち上がる。
「シュトラール」
家の奥にマヌエルが声を掛けた。
「はーい」
奥から修道女のベールを被った南方コボルトのシュトラールが出てきた。カシュに気付いて、にぱっと笑う。
「カシュとレイクも来たの? 一休みする?」
「うん。あっちから少し果物貰ってきたのあるよ。要る?」
「はい」
カシュが季節感がおかしいエンデュミオンの温室から貰ってきた、グミやベリー類を〈時空鞄〉から取り出して、シュトラールが差し出してきた陶器のボウルに出す。毎日なるし、取り尽くさなければ自由に食べて良いと言われているのだ。
「有難う」
シュトラールはベリーを持っていった台所から、冷やしたミントティーと、ブルーベリーを使ったタルトを運んできてくれた。レイクにはボウルに入った〈精霊水〉だ。
シュトラールは元々料理が出来るので、孝宏にも料理やお菓子作りを習っているらしい。
レイクは床に置いてもらったボウルに根を浸してご機嫌だが、カシュはちゃんと椅子に座ってタルトを頂く事にする。
水の精霊魔法で前肢を洗ってから、「今日の恵みに!」と食前の祈りを唱える。
ブルーベリーがどっさり入ったタルトを、フォークでさくりと切り分け口に入れる。
「うまー」
こんなに美味しいタルトは、随分食べていなかった。ミントティーもミントが主張しすぎていなくて良い。
「バーニーどこ行ったの?」
「妖精鈴花の花畑に置いてある巣箱見に行ったよ」
妖精鈴花は花そのものにも薬効があるが、その花の蜂蜜にも薬効がある。エンデュミオンがバーニーに頼んで蜂蜜を作ってもらっているのだ。
エンデュミオンはそうして作った蜂蜜を、幼馴染みの薬草師のラルスに渡す分以外は備蓄している。必要な分は頼めば快く譲ってくれるが、いざという時の為に備蓄しておくのだと言う。
「あれ、カシュもこっち来た?」
噂をしていたらバーニーが庵の開け放したドアから顔を覗かせた。
「うん、おやつ貰ってた。巣箱どうだった?」
「この間一度蜂蜜取ったから、まだ溜まってるのは少しだけ」
「そっかー」
妖精鈴花の花畑は、慣れていないコボルトやケットシーが巣箱に不用意に近付くと危ないので、バーニーかエンデュミオンと一緒でないと行かない場所だ。
バーニーのおやつもシュトラールが出してきてくれる。バーニーは摘んできた妖精鈴花をシュトラールに渡した。普通に飾っても、花の部分をお茶に入れてもいい。
「タルト美味い」
「お茶も美味しいよ」
「キャン!」
〈精霊水〉も美味しいらしい。
マヌエルはにこにことカシュ達のやり取りを眺めている。
「マヌエルどこから来たの?」
「マヌエルは王都で司教様だったんだよ」
カシュの質問に、シュトラールが答えた。
「司教様」
「司教様」
カシュとバーニーは目をぱちくりさせてしまった。
コボルトにとっても司教は尊い地位だ。
「エンデュミオンは私の友人なので、その伝手でこちらに寄せて頂きました」
「エンデュミオン」
「昔はエンデュミオンも王都に居たんですよ」
「へえー」
若いコボルトはエンデュミオンが元は森林族だったとは知らない。なので、カシュもバーニーもシュトラールも、ケットシーのエンデュミオンが王都にいたのかと想像した。エンデュミオンならば王都にいても、人族と闘えそうだ。何しろエンデュミオンは、木竜グリューネヴァルトの主だ。
「こんにちはー」
「カシュ達いるー?」
庵の外からクヌートとクーデルカの声がして、よく似た顔が二つ戸口から現れる。違いはクーデルカの耳の先がちょっぴり白い位だ。
「おかえり、二人とも」
「ただいま」
「今日はあんまり荷物なかった」
クヌートとクーデルカは、魔法使いギルドの転移陣の運行の手伝いをしているのだ。荷物が多く送られてくる時間帯に助っ人に行っている。
「カシュは〈転移〉出来るほど魔力ないしなー」
「バーニーも」
庭師や養蜂師として使う分の魔力は足りるが、〈転移〉までは出来ない。魔力があれば、魔法使いギルドに手伝いに行けたのだが。
「暇なら今度マクシミリアンのとこ遊びに行く?」
「お菓子持って、時々行くの」
「マクシミリアン?」
初めて聞く名前に、バーニーが聞き咎める。クーデルカがふふふと笑う。
「マクシミリアンは、この國の王様だよ」
「王様のお邪魔じゃないなら行ってもいいよ」
「大丈夫だと思うよ。月に一回位だから」
一応クヌート達もその辺りはわきまえている。
ふと、カシュは思い付いた。
「王様のところにお庭あるかな。見せてもらえるのかな」
「クヌート達見た事ない」
お庭あるのかなあ、と頭を付き合わせて考え始めたコボルト達に、マヌエルはつい教えてしまった。
「お城にお庭はありますよ。天気の良い日なら見せてもらえるでしょう」
「あるの? 今度見せてもらう!」
ぱあっとコボルト達の顔が輝く。
「キャウ!」
「レイクはエンデュミオンに聞いてからですね」
「キャゥー」
マヌエルの言葉に、レイクの頭の葉がへにょりと垂れ下がる。知能が高い個体は、感情表現も豊かだ。とはいえマンドラゴラは魔物扱いもされたりする植物だ。王宮に入れるかどうかは解らない。
「エンデュミオンにお願いしてみましょうね」
「キャン」
レイクが尻尾のような根をふりふりして返事をする。
「マヌエル、これからここのお庭の手入れ、カシュとレイクがやっていい?」
「ええ。私とシュトラールだけでは手におえなさそうですからね」
マヌエルとシュトラールは庭師ではないので、剪定するにしても頃合いが解らない物も多々ある。
ケットシー達は畑仕事は出来るが、庭木等の手入れは専門外らしかった。
「やったー」
「キャウー」
カシュとレイクがぴょんと跳ねる。
「バーニーも手伝う」
「うん、助かる」
暖かい場所で好きなだけ庭仕事が出来るので、エンデュミオンの温室と隠者の庵はコボルトの庭師にとっては良い遊び場になる。
隠者の庵の主となったマヌエルも、善人なので安心だった。
領主館組のコボルトが帰宅した後でマヌエルの所にやって来たエンデュミオンは、レイクに王宮行きをねだられ、頭を抱えるのだった。
300話なのですが、特別な事は起きずにいつもの日常です。
冬にはちょっぴり暇を持て余す、カシュとバーニー。時々、温室に通う事になりました。
レイクは伝説のマンドラゴラの子株で知能が高い個体です。自分で考えて行動します。