冒険者ギルドの騒がしい扉
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
冒険者ギルドの扉も年貢の納め時のようです。
299冒険者ギルドの騒がしい扉
メテオールは家具大工クルトに憑いた北方コボルトの大工職人である。鼻筋に白い毛筋があるので、彗星と言う意味のメテオールと言う名前である。
クルトの家には、クルトと妻のアンネマリー、娘のエッダと息子のデニスの他に、エッダに憑いた鯖白ケットシーのグラッフェンが暮らしている。
グラッフェンはルリユール〈Langue de chat〉の鯖虎ケットシー、エンデュミオンの実弟であり、まだ子供である。
毎朝皆でご飯を食べたら、クルトとメテオールは家の隣の工房に行く。暫くしたらクルトの師匠だったネーポムクもやって来る。グラッフェンは見習い大工だが、エッダと一緒にパン屋〈麦と剣〉に行く事もあるので、工房にはいたりいなかったりする。
仕事としては、妖精からの仕事は物が小さいのでメテオールが引き受けている。街の人からの依頼は、クルトとネーポムク、メテオールで手分けをしてしている。
一仕事した後は、午前中に一度お茶を飲んで一休みする。おやつは昨日グラッフェンが〈Langue de chat〉に行って貰ってきた、キャラメルポップコーンだ。
甘くてサクサクするポップコーンを摘まみながらミルクティーを飲んでいると、工房の入口から「ぱぷー」と気の抜ける角笛が聞こえた。こんな気の抜けた音を鳴らすのは、リグハーヴスでも一人だけである。
クルトが立って工房の扉を開けた。
「ホーン、とエッカルト? じゃあ、この火蜥蜴はエルマーか」
扉の前には頭に火蜥蜴を乗せたホーンと、道具箱を持った鍛冶屋のエッカルトが立っていた。二人ともしっかり外套を着込んでいる。
「どういう組み合わせだ?」
クルトの問いにエッカルトが笑って顎を掻いた。
「いや、ホーンが俺を呼びに来たんだ。冒険者ギルドの扉が壊れるってな」
「〈先見〉をしたのか? ホーン」
「わう!」
ホーンは先見師だ。予防出来そうな事柄なら、先回りして忠告してくれる。
「近い内に冒険者ギルドの扉外れちゃうよ!」
「そういや、ギイギイ鳴ってたっけ」
職人なので、クルトはたまにしか冒険者ギルドに行かないが、あそこの扉はいつも動かすと音が鳴っていた。なにしろ、冒険者達は力が強い。力加減なしに何年も開閉していれば、傷みもするだろう。
「ネーポムク、俺は冒険者ギルドに行ってきます」
「メテオールも行く」
「ああ、行っておいで。儂はこっちの細工の続きをしているから」
ネーポムクが膝の上にいてポップコーンを頬張っているグラッフェンを撫でながら言ってくれたので、クルトとメテオールは外套を着て道具箱を持った。
「アンネマリー、冒険者ギルドに行ってくるよ」
母屋のアンネマリーに一声掛けてから出掛ける。
年明けのリグハーヴスは当然寒いが、今年は今のところ雪が少なめだ。
白い息を吐きながら、クルトはメテオールを、エッカルトはエルマーを頭に乗せたホーンを片腕に抱いて通りを歩く。
冬は地下迷宮の入口が閉鎖される為、リグハーヴスに逗留する冒険者は多い。だから寒さにか関わらず、街の宿屋や酒場がある通りは人が沢山出ていた。酒を飲まない者は、市場広場の屋台に集まっている。
こちらには香辛料を入れて温め酒精を殆ど飛ばしたグリューヴァインや、柑橘や林檎のジュースに香辛料を入れて温めたキンダープンシュがある。
腹が空けば、皮をぱりぱりに焼いた腸詰肉をパンに挟んだ物を、肉屋のアロイスとパン屋のカールが出している屋台もある。街の宿屋からも、熱いシチューを売る屋台を出していた。
焼き栗と焼き芋を売る屋台からは、甘くて香ばしい匂いが風に乗って来た。
つつつ、とメテオールとホーンの視線が屋台に向く。コボルトは鼻が利くので気になるのだろう。
「帰りにな」
「わう」
先ずは用事を先に済ませる。
冒険者ギルドは市場広場に面して建っている。石畳の地面から数段ある階段を上がり、扉を開ける。
ギギッと聞き慣れた軋みが耳につく。
「これか」
「壊れる」
ホーンが扉を指差す。メテオールが扉を両前肢で掴んで揺すると、ガタガタと鳴った。確かにこれだと早晩壊れそうだ。というか、既に壊れかけている。
「どうなさったんです?」
カウンターから、ギルド職員で平原族の青年ハーゲンが身を乗り出していた。
エッカルトが片腕に抱いたホーンを示す。
「ホーンがここの扉が壊れるって、俺とクルトを呼びに来たんだ。誰か怪我する前に直していくよ」
「待って下さい、ギルド長に言ってちゃんと依頼にしてもらいますから」
ハーゲンがカウンターから立ち上がり、奥の部屋へと小走りで向かい、あっという間に依頼書を持って戻ってきた。ノアベルトからもぎ取って来たらしい。人狼の職員トルデリーゼに鍛えられているのか、ハーゲンも逞しくなっている。
「じゃあ直すな。扉を暫く外すから寒くなるし、音を立てるぞ」
「多少の寒さや音で文句を言う程、柔な冒険者はいませんよ」
明るくハーゲンが笑って言った。まるで冒険者ギルドのロビーにいる冒険者達に聞こえるように。
「よし、やるか」
クルトとエッカルトは、二人で扉を外して下ろした。頑丈な分厚い扉だが、採掘族のエッカルトは力があるので、身長のあるクルトが支え役に回る。
「んー、扉の下の方が結構削れてるなあ。これだと隙間風入ってたな。メテオール、土台と板出してくれるか」
「うん」
「これ蝶番も歪んでるぞ。エルマー、金床出すから蝶番温めてくれ」
「はーい」
手際よくクルトとエッカルトが、扉と蝶番を修理する。ホーンは危ないので、ハーゲンと一緒にカウンターにいてもらう。
鋸と鐫、金槌の音が冒険者ギルドに響く。
「状態保存の紋入れとく」
最後にメテオールが扉の目立たない所に状態保存の紋を刻み込んで、扉を元通りに取り付け直した。
クルトが扉を何度か開閉して確かめ、頷く。滑らかに扉が動き、どこにも引っ掛からない。
「これで良いだろう」
道具を片付け、カウンターにホーンを迎えに行く。
「ハーゲン、直したぞ」
「有難うございます。手間賃は口座に振り込んでおきますね」
「ホーンの〈先見〉って、どうなるんだ?」
「〈先見〉も手間賃の規定があるんですよ。ギルドはリグハーヴスにないんで、所属するなら魔法使いギルドになるんですけどね。大抵魔法使いと兼務なんで」
「へえ」
確かにホーンも先見師と魔法使いを兼務している。
よじよじとエルマーがホーンの頭に登っていく。毛並みが気に入ったのだろうか。ホーンも温かいのか、エルマーの好きにさせている。
「じゃーねー」
「直す所あったら言ってねー」
ホーンとメテオールがハーゲンに手を振り、冒険者ギルドを出る。背後で冒険者ギルドに戻ってきた冒険者達が「あれ!?」「軋まねえ!」と言う声を聞きつつ、市場広場に下りる。
「クルト」
「クルト」
コボルト二人の顔がクルトに向く。メテオールはクルトに憑いているし、ホーンはクルトの母親エーリカに憑いているので、おねだりするならクルトになる。
「はいはい、どの屋台に行きたいんだ?」
「焼き栗!」
「お芋!」
焼き栗も焼き芋も同じ屋台である。エッカルトがエルマーをちょんと突く。
「うちもお土産に買うか? エルマー」
「はい!」
ホーンの頭の上で、エルマーが尻尾を振る。
クルトとエッカルトは、家へのお土産に焼き栗と焼き芋を一袋ずつ買った。熱々な袋はコボルトの〈時空鞄〉にしまってもらう。エッカルトは自分の〈魔法鞄〉に入れた。
「キンダープンシュも飲むか?」
「わう!」
「わう!」
「はい!」
揃って尻尾が振られる。
温めた柑橘と林檎のジュースにシナモン等の香辛料を使った湯気の立つキンダープンシュを、ベンチに並んで座ったホーンとメテオールが嬉しそうに舐める。エルマーはエッカルトのグリューヴァインを分けてもらっている。
普段はエッカルトの鍛冶場の炉にいるエルマーは、こうして外に出てくるのは稀だ。大きさから見ても、パン屋のカールの窯にいるルビンよりは若そうだ。孝宏のオーブンにいるミヒェルと同じ位だろうか。
昼近くになった市場広場には、屋台の軽食を求めて人が増えて来ていた。
「あ、カールとアロイスの屋台でプファンクーヘンも売ってるんだ」
パン生地にジャムやクリームを入れて揚げたもので、解りやすく中身によってアイシングの色を変えてある。
大晦日に食べるものだが、カールは年明けやお祭りにも作って屋台で出している。
「プファンクーヘン食べるかい?」
「あれ、随分食べてない。昔師匠に買ってもらった」
「ホーン、食べた事ない」
何だか悲しい事を言ったので、クルトは屋台に行って全種類買ってきた。エッカルトも家族へのお土産に買う。
屋台に飲み終わったカップを返し、家へと戻りながら、クルトは「そう言えば母さんは?」とホーンに訊ねた。
「エーリカ、後でクルトの家に行くって言ってた」
「そうなのか」
ならばこのままホーンはクルトの家に連れて帰っていいようだ。
クルトの家の前で、エッカルトと別れる。ちょっぴり名残惜しそうに、エルマーがホーンの頭の上からエッカルトの肩に移っていった。
エッカルトが角を曲がるまで見送り、クルトは工房に顔を出した。
「ただいま帰りました」
「お帰り」
「おかえりー」
木を削っていたネーポムクが手を止めて顔を上げた。グラッフェンもお手本を見て木を削っていたが、すっかり木屑だらけになっていた。
「屋台でおやつ買ってきたよ」
「おやつ!」
「グラウ、まず木屑払おうか。家の中まで木屑を運んで行ってしまうよ」
クルトはグラッフェンの服から木屑を払い落としてやった。
「おやつはお昼のあとかな。プファンクーヘンはお昼で良いけど」
グラッフェンはネーポムクが抱き上げ、メテオールとホーンはクルトが抱いて母屋に移動する。
母屋の居間にはエーリカが来ていた。昼食用のカトラリーをテーブルに並べながら、ホーンと同じ薄い灰色の瞳を笑みで細める。
「クルト、冒険者ギルドの扉は直ったのかい?」
「うん、直してきたよ」
外套を脱ぎ、一度バスルームに行って手を洗い居間に戻る。
「エーリカ、お膝に乗って良い?」
「ええ、おいで」
ホーンはエーリカの膝の上に乗せてもらい、ぱぷーと角笛を吹いた。
居間のテーブルの子供用の椅子にデニスがいて、エッダがあやしていた。デニスも歩き始めたので、目を離しておけないのだ。
「えっだ」
デニスの隣の子供用の椅子に、グラッフェンがよじ登る。
「グラウ、木屑付いてるよ?」
「とってー」
クルトが取り逃した木屑を、グラッフェンがエッダに取ってもらっている。
ネーポムクもゆったりと、窓側のベンチに座った。昼食はネーポムクも一緒に摂っているのだ。
クルトはアンネマリーがいる台所に入った。
「お帰りなさい」
「ただいま。プファンクーヘンと焼き栗と焼き芋買ってきたよ」
「メテオールとホーンが食べたがったんでしょう?」
アンネマリーが微笑みながら、湯気の立つスープの鍋に蓋をした。
「メテオールは久し振りで、ホーンは食べた事がないって言ったから」
普通の家具大工であるクルトは裕福ではないが、プファンクーヘンの一つ位買ってあげられる。
「そうなの……」
ホーンが生まれた頃は、もうハイエルンのコボルトは人狼以外の人族から隠れて暮らしていた。お祭り等も自粛されていたのだろう。
アンネマリーは、細長く刻まれた馬鈴薯を刻んだ玉葱と卵、小麦粉を繋ぎにして焼くパンケーキを作っていた。これはチーズを入れて焼いても美味しい。
浅鍋の中でまとめて三つ焼かれたパンケーキを、頃合いを見てアンネマリーが引っくり返す。焼き色の付いた馬鈴薯が美味しそうだ。
このパンケーキは皆が好きなので、アンネマリーはよく作る。馬鈴薯と林檎は黒森之國には欠かせない物なので、庶民でも手に入りやすい低価格だ。
大皿に盛られた馬鈴薯のパンケーキと、根野菜のスープをテーブルに運び、メテオールに〈時空鞄〉からプファンクーヘンを出して貰う。
「焼き栗と焼き芋は冷めちゃうから、あとでね」
「わっう」
ホーンがエーリカの膝の上で尻尾を盛んに振った。
クルトの家では冬に身体が冷えていると仕事中の怪我の元なので、食事には温かい物を食べる。熱鉱石は魔力が無くなるまでは熱を放出するので、薪ほど頻繁に買う必要もないのは有難い。魔力が切れた熱鉱石は手間賃を払って交換するのだが、雪の降るリグハーヴスでは領主命令で交換屋が勝手に値上げが出来ないので安心だ。命に関わる事に関しては、リグハーヴス公爵はとても厳しく取り締まっている。
食前の祈りの後、まだ熱い馬鈴薯のパンケーキをエーリカに皿に取って貰っているホーンに、アンネマリーが話し掛けた。
「ホーン、プファンクーヘンはアイシングの色で中身が違うから、切ってあげましょうか?」
「わうう、違うの?」
「違うのよ、ほらこれはプラムのジャムね」
アンネマリーがナイフでプファンクーヘンを四つに割って行く。
「これはチョコクリームで、こっちはカスタードかしら。これは苺のジャムね。食べてみたいのを選ぶと良いわ」
「えとね、プラムとカスタード!」
「はい、どうぞ」
「有難う!」
皿に乗せて貰ったプファンクーヘンを掴み、ホーンが齧り付いた。
「美味しいー」
くるりと丸くなったホーンの薄い灰色の瞳がきらきらする。
「エーリカ、これ美味しい」
「良かったねえ、ホーン」
「メテオールはチョコクリームを貰おう」
メテオールはチョコクリームのプファンクーヘンを齧った後、馬鈴薯のパンケーキをナイフとフォークをきちんと使って口に入れた。
「甘いのとしょっぱいので、飽きない。食べ過ぎそうで危険だ」
もぐもぐと口を動かしながら、メテオールがそんな事を呟いている。
「グラウ、お口に苺ジャム付いてるよ」
「あい」
「待って待って前肢で拭こうとしないで、拭いてあげるから」
被害を増やしそうなグラッフェンの口元を、エッダが急いで端切れ布で拭いている。
まったくもって、賑やかになったものである。
昨夜食べた骨付き燻製肉の骨で出汁が取られたらしい、根菜のスープをデニスに飲ませながら、クルトはネーポムクと顔を合わせて微笑んだ。
〈時空鞄〉に入っていたので熱々の焼き栗は、午後のお茶の時間に、手の皮膚が厚い大工三人が皮を剥く係となったのは言うまでもない。
いつの間にか修理された冒険者ギルドの扉は、訪れる冒険者達を驚かせた。
余りにも「音が鳴らない」と冒険者達が騒ぐので、最終的にトルデリーゼが何処からか手に入れた、頑丈なトレント製のドアベルを付けるのだった。
読者の皆さんがずっと「直せよ!」と思ってそうな、冒険者ギルドの扉がついに修理されました。
しかしドアの軋みに慣れた冒険者達には、静かすぎたようでトルデリーゼがドアベルを付けました。
トレントなので、誰から来たのかお分かりかと……。
焼き栗はクルト・ネーポムク・メテオールで剥いて皆で食べました。
メテオールが焼き栗を剥いて、ぽいぽいとホーンとグラッフェンの口に入れてやる姿が目に浮かぶ。