シュトラールと大晦日
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
シュトラールの大晦日。
297シュトラールと大晦日
暮れの黒森之國は一寸した騒ぎになった。
月の女神教会の最上位聖職者である司教マヌエルが退位すると、全國に公表されたからだ。
黒森之國の聖職者は政には関わらず、國内の聖職者を取りまとめる立場である。一神教である黒森之國で、生涯独身を貫き女神シルヴァーナに仕える聖職者はとても尊敬される。ましてや長年司教を勤めていて、温厚な人柄で知られたマヌエルが引退するというのは、少なからず人々を驚かせたのだった。
マヌエルの引退宣言のあと、大聖堂で大司祭達の互選が行われ、新たな司教が選ばれた。
「今度の司教はコボルト憑きだって、イーズが言ってたよ」
叔父であるイージドールの所に孤児院の子供達へのクッキーを届けに行っていたテオが、外套を脱ぎながら台所にいた孝宏とエンデュミオンに教えてくれた。
「ほう。どんなコボルトだ?」
「南方コボルトで斑模様だって」
「斑」
孝宏とエンデュミオンは頭の中で、斑のコボルトを想像した。可愛い。
「ルッツとシュネーバルは?」
「キルシュネライトとシュトラールとレイクを温室に呼びに行ったよ」
大晦日なので、温室にいる彼らも一緒に晩御飯なのだ。
孝宏達は午前中のうちに、一度皆で教会に礼拝に行っていた。
教会から戻って昼食のあと、イシュカとカチヤは三毛ケットシーのヴァルブルガと北方コボルトのヨナタンを連れて散歩に出ている。普段は仕事で籠りがちになるので、時々ゆっくり散歩に出るのだ。年末には珍しく暖かい日だったのだが、そろそろ戻ってくるだろう。
冬のリグハーヴスでは、市場広場で暖かい飲み物や焼き栗を売っている。子供向けの玩具を売る店や、街に逗留している魔法使いが小銭稼ぎに、光の精霊魔法を見せたり、剣士が模擬戦を披露したりして、一寸したお祭り状態になる。
しかし、それも明るいうちまでて、陽が暮れる頃には皆暖かい家に帰るのだ。陽が落ちたリグハーヴスはとても冷え込んでくるからである。
「ただいま」
「ただいま帰りました」
階段を上がる足音がして、イシュカとカチヤが二階の居間に顔を出した。ヴァルブルガとヨナタンも被っていたフードを取りながら、居間に入ってくる。
「ただいま」
「……」
しゅっとヨナタンがミトンをしたままの前肢を上げる。孝宏はしゃがんでヨナタンの外套を脱がしてやった。紐で繋がっているミトンも外してやる。
「寒くなかった?」
「ううん。まほうつかいが、ひかりのまほうつかってるのみた」
「へえ!」
「光で作った小鳥を飛ばしてました。結構色んな色のやつを」
カチヤが孝宏からヨナタンの外套を受け取りながら言った。
「ふうん?」
エンデュミオンの黄緑色の瞳がキラリと光った。
「幻影を使えるとは、そこそこの使い手だな」
現在正式に魔法使いと名乗れるのは、学院を卒業した者だけである。学院では下級魔法から上級魔法まで学べるが、素質がなければ当然覚えられない。幻影は魔力操作が難しいので、上級魔法になる。ちなみに大魔法は学院卒業後に師匠に師事して伝授してもらうものになる。
魔法使いは学院を卒業した者全てが師匠を見付けられる訳ではなく、冒険者になったり貴族家や商家に勤める者も少なくない。特に実家が平民であればその傾向が強い。
「春までの間に何度か見られるんじゃないかな」
「そうだな」
イシュカの予想に、エンデュミオンがピンと立てた尻尾をゆらゆらさせる。面白そうな魔法の使い手がいると、興味をそそられるのがエンデュミオンなのである。
ポン! と音を立てて、ルッツ達が居間に現れた。
「にゃん!」
「皆連れてきてくれて有難うね」
孝宏は青黒毛にオレンジの錆のあるルッツの頭を撫でた。ルッツの毛並みは滑らかなエンデュミオンとは違った柔らかさがある。
「あいっ。あ、テオ! おかえり!」
「ただいま、ルッツ」
飛び付いてきたルッツをテオが難なく抱き止める。
─お邪魔するわ。
キルシュネライトは、シュトラールのベールを被った頭の上から、ソファーの上へとふわりと飛んで移動した。青色の鱗を持つキルシュネライトは、エンデュミオンの温室に移住してから、すっかりと元々の美しさを取り戻していた。鱗も艶々としている。
「わう」
修道女の格好をした南方コボルトのシュトラールは、にこにこしながら孝宏に抱き付いてきた。
「シュトラールもいらっしゃい」
いつも機嫌の良いシュトラールは、温室の祠を管理してくれている聖職者コボルトである。マヌエルが隠者の庵に移住してきた暁には、同居する予定だ。
エンデュミオンはシュトラールに言った。
「互選が終わったから、近々マヌエルが来るだろう」
「本当?」
「ああ。年明けには来るんじゃないかな」
聖職者は私物を殆んど持たない。その為に引っ越しは物凄く簡単に出来る。
「ふふふー」
嬉しさを隠しきれないシュトラールが、尻尾を振ってくねくねする。やはりコボルトは、人族と共に暮らす事に幸せを感じる妖精なのだろう。シュトラールは、マヌエルがリグハーヴスに来るのを、指折り数えているのだ。だからエンデュミオンも、さっさとマヌエルが来ないだろうかと思っている。
「キャンキャン」
レイクはシュネーバルと一緒にいれるのが嬉しいのか、並んで部屋の中を歩き回っている。渇いてくれば水が欲しいと催促してくるので、手間が掛からないマンドラゴラである。
大晦日の夕食はいつもよりちょっぴり豪華なのが、〈Langue de chat〉である。何故なら、料理を作る担当の孝宏の家がそうだったからだ。
今年は妖精達のリクエストでスモークサーモンや、玉蜀黍たっぷりのコーンスープ、白身魚のパイ包み、絶叫鶏の唐揚げを作った。薩摩芋がメインの栗きんとんはヴァルブルガのお気に入りだ。温室で採れる葉野菜のサラダもシャキシャキだ。
馬鈴薯にはこだわりのある黒森之國の民だが、日本人である孝宏も芋の種類の多さには慣れている。とは言え最初の頃は、エンデュミオンにどの芋がどの料理に合うのか教えてもらったものである。探してみたところ、薩摩芋は倭之國から輸入されていた。甘いので、どちらかと言えば嗜好品扱いに近かった。栗と一緒に焼かれている事も多い。
ざっくりと掬って食べられるトライフルは、ルッツとシュネーバルに手伝って貰って作った。嬉々としてジャムやクリームをスポンジの上に広げてくれたので助かった。
「わあぁ」
シュトラールがテーブルに並んだ料理を見て目を輝かせた。基本的に聖職者は清貧を常とするが、身体を壊しては元も子もないので、リグハーヴス女神教会ではきちんと栄養の摂れる食事内容となっている。なにしろ、主席司祭のベネディクトの身体が弱いので。
エンデュミオンの温室にある祠もリグハーヴスの中にあるので、管轄はリグハーヴス女神教会であり、シュトラールの所属もリグハーヴス女神教会になる。
聖職者はきちんと何処の教会に所属か登録されるのだ。今までは登録されていなかったシュトラールだが、マヌエルが隠者としてやってくる事となり、きちんと登録される流れとなった。隠者も聖職者なので、基本的にはどの地区に居るかは登録される。稀に異動登録しない隠者もいて行方不明になったりするのだが。
今日は聖職者のシュトラールがいるので、シュトラールのお祈りから食事が始まった。
「今日の恵みに、月の女神シルヴァーナに感謝を」
「今日の恵みに」
大晦日の料理は一通り最初に皿に盛られているが、お代わりからは好きなものを食べて良い事にしている。
レイクは精霊水が一番のご馳走なので、今日はミントを浮かべて変化をつけたものを与えてみたが、喜んで飲んでいた。
妖精達は甘いコーンスープがお気に入りで、皆お代わりしていた。
キルシュネライトと木竜グリューネヴァルトはスモークサーモンが気に入ったようだ。
火蜥蜴のミヒェルは、白身魚のパイ包みが気に入っていて、ピタンピタンと尻尾でテーブルを叩きながら食べている。
食後にはトライフルを皆で食べて、のんびりとお茶を飲み、カルタで遊んだ。
このカルタはエンデュミオンの持ち物で、魔法素材や素質の違う魔石の綺麗な絵が描かれた薄い木札の取り札と、絵に描かれた物の名前や効果が書かれた読み札に分かれている。魔法使いの弟子の勉強用に作られた物らしい。
エンデュミオンが読み札を読み、妖精達がラグマットに広げた取り札を囲んだ。
「風の魔石。風の魔力が籠められた魔石」
「わう!」
シュトラールが目の前にあった水色の魔石の絵が描かれた札の上に前肢を置く。
「迷宮蛍の光袋。地下迷宮に住む蛍の、光を発する体内袋。錬金素材」
「にゃん!」
ルッツがにゅっと前肢を伸ばしてお尻の光る蛍の絵のカードに飛びつく。
「これ覚えやすいかも……」
孝宏はヴァルブルガが取っていた取り札を眺めて感心した。魔法を覚え始めたばかりの子供の魔法使いたちは、こうして覚えていくのだろう。
夜も更けて来たので、イシュカがシュトラールを温室まで送っていった。
寒いので毛布で包んだシュトラールを、イシュカは隠者の庵の入口で下ろしてやった。ここまでくると春の陽気なので暖かい。
「有難う、イシュカ」
「お休み、シュトラール」
「お休みなさい」
イシュカを見送り、シュトラールは隠者の庵に入った。〈Langue de chat〉の母屋に行く前に、庵の中の光鉱石ランプを点してから行ったので、夜目の利くコボルトには充分明るい。
日中はケットシー達で賑やかな隠者の庵も、夜にはそれぞれの木の洞へと帰って行くので静かだ。しん、と静まり返る家の外から、微かに虫の音だけが聞こえる。
ご飯はたっぷり食べさせてもらったので、シュトラールのお腹はいっぱいだ。残ったスモークサーモンで作ったサンドウィッチや白身魚のパイ包み、スポンジケーキにジャムを挟んだサンドウィッチケーキも小腹が空いた時用のお土産に貰った。
「よいしょ」
貰った料理を悪くならないように、台所にある〈魔法箱〉に入れる。
それからシュトラールは光鉱石ランプを一つ持ってバスルームに行き、歯を磨いた。修道服を脱いで身体をお湯で絞った布で拭く。今日は遅いのでお風呂に行くのは明日にする。隠者の庵にもバスタブはあるが、ケットシーの里の温泉に行きたい。
畳んだ修道服を持って寝室にいき、長いシャツ型の寝巻に着替え寝支度をする。
寝室のベッドは小物箪笥を挟んで人族用の大きなベッドと、シュトラール用の小さなベッドがある。人族用のベッドに高さを合わせてあるので、シュトラールのベッドは下部に引き出しがある。登れるように階段もあって、階段部分にも小物用の引き出しがついていて可愛い。これは大工コボルトのメテオールが作ってくれた。
ベッドに登り、ランプは小物箪笥に置いて、明度を絞る。
敷布の間に潜り込み、目を瞑ったがシュトラールは中々眠れなかった。もうすぐマヌエルが王都から来る。しかし、いつ来るのかと思うとドキドキして眠れない。
「……」
シュトラールは起き上がり、ベッドから下りて居間に行った。ドアを開けて外に出て、庵の傍にあるベンチに腰掛ける。
春の陽気の空間にある隠者の庵は夜でも寒くはなく、時折髭を揺らす風が気持ちいい。
マンドラゴラのレイクが遊びに来るたびに手入れをしていく芝生には、いつの間にか夜になると光る花が植えられていた。微風が吹くと、鉄砲ユリに似た光る花が、ゆらゆらと揺れるのが幻想的だ。
少し前まで隠れるようにして生活し、その後は狭い場所に押し込められて労役させられていたのを思えば、なんだか既に月の女神シルヴァーナの御許に居るのではないのかと錯覚してしまいそうになる。以前エンデュミオンにそう言ったら、「まだ死んでないからな?」と念を押された。
「……わう?」
ゆらゆらと風に揺れる光る花の一つが、こちらに近付いて来ている気がした。それがどんどん近付いて来るにつれ、光鉱石の角灯なのだと解る。
「おや」
角灯が喋った。否、角灯を持つ者が。
「もう眠る時間なのではないですか? シュトラール」
「マヌエル」
「春の陽気ですが、寝巻だと風邪を引いてしまいますよ」
黒い司祭服を着たマヌエルが、角灯とトランクをベンチに置いて、シュトラールを抱き上げた。シュトラールはすんすんと匂いを嗅ぎ、マヌエルを確認する。
「マヌエル、年明けに来るんじゃなかったの?」
「引き継ぎの準備は既にしていましたし、聖職者は身軽なものですからね」
マヌエルの持ち物は、それほど大きくないトランクが一つだった。
「エンデュミオンに裏庭と温室に入る許可を貰っていましたから、こっそり来てしまいました」
悪戯っぽく笑い、マヌエルはシュトラールを芝の上に下ろし、角灯とトランクを取り上げる。
「マヌエル、お腹空いてない?」
「実は今日はばたばたとしていて、何も食べてないんですよ」
「大変! あのね、美味しいものあるんだよ。シュトラール、お茶入れるね」
マヌエルの司祭服の裾を掴み、シュトラールが隠者の庵へと誘う。
「座って座って」
食卓の椅子にマヌエルを座らせ、シュトラールは〈魔法箱〉から、今晩孝宏に貰った料理を取り出した。薬缶でお湯を沸かし、お茶を淹れる。もう遅い時間なのでミルクティーにした。
「今日ね、シュトラール〈Langue de chat〉でご馳走になったの。これお腹空いた時に食べてねってもらったの。マヌエルお腹空いているから、今食べる時だよね」
にこにこ笑って、シュトラールは料理を乗せた皿と、湯気の立つマグカップをマヌエルの前に置いた。自分の前には、ミルクをたっぷり入れて温めにしたミルクティーだ。
「美味しそうですね。……今日の恵みに、月の女神シルヴァーナに感謝を」
ゆっくりと噛み締めるように、マヌエルは食事を摂った。
「とても美味しいです」
「ヒロはお料理上手だよね。シュトラールも教えて貰おう」
「それはいいですねえ」
ぱたぱたと部屋の中に、シュトラールの尻尾が揺れる音が聞こえ続けている。
「庵の回り、少し変わりましたか?」
「レイクが遊びに来るたびに、色々植えていく」
「マンドラゴラでしたね。よりよい環境にする性質があるんでしょうか」
「多分、シュネーバルが喜ぶからかも」
「成程」
レイクはシュネーバルの愛玩植物なので、主はシュネーバルなのである。
食事の後、マヌエルはバスルームを使い、寝室に来た。
「庵の中に手を入れてくれたのですね」
ケットシー達が長年守ってくれていた建物だが、やはり傷んでいた部分は少しあり、マヌエルが来るのであればと、大工のクルトや鍛冶屋のエッカルトが綺麗に修繕してくれたのだ。寝具類も仕立屋のマリアンが一新してくれた。
「ふかふか」
「おや本当ですね」
ベッドに腰掛け、マヌエルが微笑む。シュトラールはマヌエルのベッドによじ登った。
「マヌエル、今日は一緒に寝て良い?」
「ええ、勿論」
掛け布団を捲り、布団に潜り込む。微かに香草の香りがする敷布に、ほうっと息が零れる。
司教を引退すると決めてからのマヌエルは、本当に忙しかったのだ。今日も何かと引き止める面々を振りきり、転移陣に乗ったのだ。王都からリグハーヴスへと領を移動してしまえば、そう言った輩は流石に追いかけてこないだろう。
目を瞑ると、遠くから新年を迎えた教会の鐘の音が聞こえて来た。隠者の庵は〈黒き森〉の中にあるので、リグハーヴスの街の教会とはかなり離れているのに不思議だ。
「お休み、マヌエル」
「お休み、シュトラール」
すぐにシュトラールから寝息が聞こえ始める。
ふんわりと温かいシュトラールの体温を感じながら、マヌエルも眠りに落ちたのだった。
隠者の庵に暮らす、シュトラールの大晦日と年明けです。
夜は一人で寝ていたシュトラールですが、やっとマヌエルがやってきました。
きっと、朝になって〈Langue de chat〉に挨拶に行って、「来るなら連絡をよこせ」とエンデュミオンに言われそう。
隠者の服は、基本的には司祭服と同じです。普段は修道服を着ています。
マヌエルはきちんとリグハーヴスの女神教会に登録している隠者なので、人手が足りない時はシュトラールと手伝いに来そうです。