谷底の鍛冶屋とポップコーン
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
谷底の鍛冶屋への配達後編です。
296谷底の鍛冶屋とポップコーン
ぷうぷうと鼻を鳴らしながら眠るベルンを覗き込んでいたルッツは、揺り籠の隣に持ってきたクッションの上に移動して座った。
谷底のイェンシュとベルンの家の暖炉の前には織物のラグマットが敷かれていたが、そのまま座るにはちょっぴり硬い。
グラナトもぺたぺたと歩いてきて、ルッツの隣に来て長く伸びた。
暖炉脇の壁には、窓の下にベンチが設えられているのだが、ベルンの揺り籠には遠いからだろう。
暖炉の中では、灰の上に出た熱鉱石が赤々と燃えている。炉台の上では鉄瓶と薬草の入った鍋が沸々と音を立てて沸いていた。
とはいえ、ルッツが鉄瓶を炉台から持ち上げるのは危ないので、テオは魔法瓶にお茶を淹れていってくれた。おやつには孝宏のクッキーと、干し果物が乗った皿が置いてある。
家の外からはザクザクと雪をシャベルで掬う音と、テオとイェンシュの話し声が聞こえている。
ルッツは靴を脱いだ肢の肉球を暖炉の熱で暖めながら、刻んだ干し葡萄が練り込まれたクッキーを齧った。これは甘くてルッツの好きなクッキーだった。
いつもなら谷底に来たらベルンと遊んでいるのだが、そのベルンが病気なのだから仕方がない。
ルッツとテオが来た時よりは、ベルンの身体が楽になったようなのでほっとする。
「……」
〈時空鞄〉からルッツは編みぐるみを取り出した。家にある編みぐるみの半分ほどの大きさの、紺色のケットシーの編みぐるみだ。ルッツのお出掛け用の編みぐるみである。
「……」
もう一度〈時空鞄〉に前肢を入れ、今度は焦げ茶色のコボルトの編みぐるみを取り出す。ルッツのお出掛け用の編みぐるみと同じ大きさで、こちらはベルンにと、ヴァルブルガが編んでくれた物だった。今日はこれも渡そうとしていたのだ。
ルッツはそっと、コボルトの編みぐるみをベルンの揺り籠に入れた。
「人形か」
「あい」
ちょっぴり寂しい時に、ぎゅっと抱き締めると安心出来る。
「ベルン、げんきになったらポップコーンつくりたいな」
「ポップコーン?」
「とうろもこし、はじけるやつ」
「玉蜀黍か」
「あい」
「なに、薬も飲んだしベルンはすぐ良くなる」
ぽんぽんと尻尾でグラナトはルッツの背中を軽く叩いた。
「あい」
爺ちゃん火蜥蜴であるグラナトがいうのだから、そうなのだろう。
玄関からゴトゴトと音がして、テオとイェンシュが戻ってきた。外は冷えてきたのか、二人とも頬や鼻の頭が赤くなっている。リグハーヴスの冬は、午後になるとあっという間に冷え込んでくるのだ。
「ただいま、ルッツ」
冷気を纏わせたテオが、ルッツの頭を撫でる。
「ベルンはまだ寝てるか」
「あい」
「わうぅ」
ぷうぷう寝息を立てていたベルンが寝返りを打って、隣にあったコボルトの編みぐるみに抱き付いた。それに気付いたイェンシュが指先で編みぐるみを突いた。
「これは?」
「ヴァルブルガあんでくれたの。ベルンの」
「へえ、起きたらベルンが喜ぶな」
編みぐるみに抱き付いたまま寝ているベルンに、イェンシュが笑う。
「さて、夕飯作るか」
「お昼の残ったポトフに足しますか。キャベツに叩いて捏ねた肉を巻いて煮込みましょう。柔らかくなるので、ベルンも食べられますよ」
「いいな、それ」
どうやら夕飯はロールキャベツのようだ。
テオとイェンシュが台所へ行ってしまったので、ルッツはまた暖炉で肉球を焙る。
「グラナト、おはなしして」
「何の話がいいかね」
「うーん」
ルッツが頭を傾げた。黙っているとつまらないので何か話して欲しかっただけである。
「はは、よかろう。昔の話をしてやろう。グラナトが若い頃はこの辺りにも魔物が居てな──」
テオが居間を覗いた時、ルッツはクッションの上で編みぐるみを抱えて寝ていた。
「寝ちゃった?」
「うむ。昔話をしてやったのだが、堅苦しく話しすぎたかもしれん」
「ルッツ、まだ子供だからね」
叡知のあるケットシーでも、それを理解出来るかというと、やはりある程度の年齢が必要なのだ。
エンデュミオンによると、ルッツの精神年齢は余り成長しないだろうと言われている。それでも最近は自分より幼いシュネーバルやグラッフェン、ルドヴィクと暮らしたので、彼らよりお兄ちゃんの立場にいると自覚はしているようだ。
腰の〈魔法鞄〉から毛布を取り出し、テオはルッツに掛けてやった。
台所に戻り、テオは玉蜀黍の粒が入った瓶を手に取った。鍋に蓋をしたイェンシュが振り返る。
「それ、玉蜀黍か?」
「はい。加熱すると弾けるんですよ」
「弾ける? 危険なのか?」
イェンシュが眉間に皺を寄せた。
「危険なものをわざわざ持ってきませんよ」
何言ってるんですかと、呆れた声を出してテオは浅鍋を取り出した。
鍋の中にバターを一欠けと塩と胡椒を摘まんで入れる。固く乾燥した玉蜀黍は瓶から掌に受けた分だけにする。心持ち少なめに。
カラカラと鍋の中でバターと玉蜀黍を絡ませてから蓋をして、熱鉱石を加熱する。
「これで揺すりながら加熱するんですよ」
「ふうん?」
イェンシュはこの玉蜀黍を見るのは初めてらしい。
「ちなみに蓋をしないと飛び出します」
「飛び出す?」
イェンシュの質問と同時に、鍋の中でポン!と玉蜀黍が弾けた。一瞬ボフッとイェンシュの尻尾が膨らんだ。
ポポポポ!と鍋の中で玉蜀黍が次々と弾けていき、台所に香ばしい匂いが広がり始める。
鍋の中が静かになったところで、テオは熱鉱石の加熱を止めた。
「弾ける音がしなくなったら出来てます」
「お、おう」
テオより聴覚が優れている人狼には、吃驚する調理方法だったかもしれない。
鍋の蓋を開けると、バターと胡椒、そして香ばしい匂いが強く立ち上った。
「白い?」
「さっきの玉蜀黍が弾けるとこうなるんですよ。このまま食べられますよ。味が薄かったら足せばいいです」
「どれ」
イェンシュがひょいと指先でポップコーンを一つ摘まんで、口の中に放り込んだ。サクサクと音を立てて咀嚼する。
「……美味いな」
「でしょう? これ、甘い味も作れて……」
はっとテオは後ろを振り返った。
「……」
「……」
台所の間口から、各々編みぐるみを抱いたルッツとベルンが顔を出していた。
「こら、ベルン寝てろ!」
「おいしいにおいした!」
慌ててベルンをイェンシュが抱き上げる。そのイェンシュの匂いを、ベルンがふんふんと嗅ぐ。
ルッツはテオのズボンを掴んだ。
「テオー、ルッツもポンポンするのみたかったー」
「そっかあ」
鍋に蓋をしているので、弾けているのは見えないのだが、ルッツは何故か作っている過程を見たがる。弾けている最中に蓋を開けたら大変なので決して開けないが。
「まだ塩胡椒の方しか作ってないよ」
「たべるー」
「はい」
テオはポップコーンを摘まんでルッツの口に入れてやった。
「おいしーねー」
「ベルンも!」
「はいよ」
イェンシュもベルンの口にポップコーンを入れる。良い音を立てて、ポップコーンを食べたベルンの尻尾が揺れる。
「おいしい!」
「はは、食欲出てきたみたいだな」
「甘いのも作ってあげようか?」
「うん!」
「あい!」
塩胡椒味のポップコーンを陶器のボウルに移し、鍋をざっと洗い、バターと玉蜀黍を入れる。別の鍋にキャラメルを作る砂糖やクリームを入れ、熱鉱石を加熱する。
ポップコーンの方はイェンシュに任せ、テオはキャラメルを仕上げ、出来上がったポップコーンに絡ませた。こちらもボウルに空ける。
「あーん」
「あーん」
口を開ける二人の舌の上にキャラメルポップコーンを乗せてやる。ルッツとベルンが頬を前肢で押さえた。
「おいしーねー」
「おいしい。あまい」
「夕飯の前だから少しな」
ルッツとベルンを暖炉の前に戻し、イェンシュは裾の長いシャツ型の寝巻きを着ていたベルンに、毛編みのカーディガンを着せた。
暖炉の前にクッションを並べ、ルッツとベルンを座らせる。クッションの間にグラナトが収まっている。老火蜥蜴は何も言わなかったが、目の前に二つのボウルが置かれたのを見ると、すぐに前肢を伸ばした。グラナトは身体の大きな火蜥蜴なので、自分で手が届く。
ぺたりとキャラメルポップコーンをつかみ、グラナトが口に運ぶ。
「……美味いな」
「ねー」
「おいしーねー」
「お前達、食べ過ぎるなよ?」
「イェンシュ見ててくださいよ。俺はお鍋の様子を見てきます」
テオはロールキャベツが煮えているのを確認し、熱鉱石の加熱を止める。ちなみにコンロはレバー式で熱量を調節出来る。
パンは食べる時に切ればいいし、ロールキャベツを煮る前にさっと作った、林檎を薄切りにして砂糖を掛けて軽く煮たものは、ヨーグルトに乗せて出すだけだ。皮の赤い林檎だったので、良い感じにうっすらとピンク色になっていた。
テオはティーポットに茶葉を入れ、ミルクと蜂蜜を入れたマグカップと一緒に居間に運んだ。
「出来上がってました。食べる時に暖め直しましょう」
テオはティーポットに、炉台の上の鉄瓶から熱湯を注ぐ。お湯が減った鉄瓶には、水の精霊魔法で水を足しておく。
谷底の家は回りに誰も住んでいないのでとても静かだ。今はベルンが居るが、イェンシュだけの時は酷く寂しかったのではなかろうか。
カモミールティーを飲み一眠りしたベルンは、少し鼻に潤いが戻ってきていた。
ルッツとベルンがグラナトと仲良くポップコーンを食べている姿は、見ていて可愛らしい。
蒸らした紅茶を茶漉しを通してマグカップに注ぎ、スプーンで混ぜる。何度かイェンシュの台所を手伝ったお陰で、物の位置を覚えたテオである。
「イェンシュ、どうぞ」
「有難う」
イェンシュがマグカップを受け取り、口を付ける。
「蜂蜜入りか」
「風邪予防に」
ミルクたっぷりの妖精仕様のミルクティーを、ルッツとベルンがせっせと舐めている。グラナトは深皿だ。
うっすらと暮れてきた窓の外には、白い雪がちらちらと舞い降りてきていた。
「また降ってきたな」
「今年は雪が多いんでしょうかね」
「谷間は毎年こんな感じだ」
イェンシュが、光鉱石が填まったランプに明かりを灯し、ローテーブルの上に置いた。黒森之國では天井に明かりがない事が多いので、各部屋にランプがあるのが普通だ。明度を変えられるし、火事にもならないので、光鉱石のランプは重宝される。
「イェンシュ、ほんよんで」
「さっきの続きか?」
「うん」
安楽椅子脇の籠に入っていた膝掛けの上に、今日テオが持ってきたばかりの若草色の本が入っていた。
イェンシュはランプを引き寄せ、若草色の本を開く。
「きりの良いところまで読んだら夕飯だからな?」
「うん!」
ベルンの耳の間を軽く掻いてやり、イェンシュが落ち着いた声音で本を朗読し始めるのを、ルッツとベルン、グラナトが楽しそうに聞いている。
テオも安楽椅子に背中を預けながら、朗読のご相伴に預かるのだった。
お泊まりすることになったテオ達です。
大人組がポップコーン作ってたら、子供達にバレたよ!っていう。
イェンシュ、なんやかんやと押し掛けコボルトのベルンを可愛がっていて、ちゃんと服もあつらえてあげています。
カーディガンは、イェンシュのお母さんが編んでくれたものだったりします。
谷底に一人きりだとやっぱり寂しいので、ベルンがいて良かったんじゃないかなと思います。