谷底の鍛冶屋とパンプディング
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
谷底の鍛冶屋へ毎度便です。
295谷底の鍛冶屋とパンプディング
冬には仕事を休む軽量配達人のテオとルッツだが、冒険者ギルドからの緊急性の高い指名依頼と、谷底の鍛冶屋イェンシュへの定期配達だけは引き受けていた。
谷底の鍛冶屋イェンシュとイェンシュに憑いている南方コボルトのベルンへの、食料と日用品の配達は季節に関係なく定期的に行う。イェンシュがいつもと違う物が欲しい場合は、事前に精霊便がテオに届くのだ。
イェンシュとベルンと友人になったテオとルッツは、頼まれた食料の他にも孝宏が焼いたお菓子や、貸本を持っていく。
谷底の家にはイェンシュ達の他に、火蜥蜴のグラナトも暮らしている。テオとルッツは配達に行った時にはお喋りもしてくるし、たまに泊まる事もある。まだ子供のベルンとルッツが遊び足りなさそうなのに、帰ってくるのが忍びないからだ。
「テオ、これヘア・イェンシュに持っていくお菓子だよ」
孝宏が持ち手付きの籠を台所から持ってきてくれる。孝宏はいつもクッキーや、干し果物がたっぷり入ったパウンドケーキなど日持ちのするお菓子を用意してくれる。
「この間ヘア・イェンシュに聞かれた、林檎のケーキとジンジャーブレッドのレシピも入れてあるよ」
「有難う」
谷底に自分達しか暮らしていないので、イェンシュとベルンは料理なども上手にこなす。孝宏が菓子作りが出来ると聞いたイェンシュは、ベルンの為におやつの作り方を知りたがった。押しかけて来て憑かれたとはいえ、イェンシュはベルンに振り回されつつも可愛がっていた。
「イェンシュが注文していた服を、昨日マリアンが届けてくれたぞ。一緒に頼むと」
エンデュミオンが生成りの布包みを抱えて持ってきた。マリアンは定期的にテオがイェンシュの元に行くのを知っている一人なのだ。
イェンシュは鍛冶屋なので、時々服に火花が飛んで小さな穴を開けている。最近それを繕っているのはベルンだが、今回は新調したらしい。一応中身を確認すると、大きなイェンシュの服と小さなベルンの服が入っていた。
「解った、一緒に持っていくよ」
布包みを、荷物を詰めていた木箱の上の方に置く。
「テオー、これもー」
さっき台所に行ったと思ったルッツが、大きな硝子瓶を抱えて戻ってきた。瓶の中には乾燥した玉蜀黍の粒が沢山入っている。これは先日孝宏が八百屋で見つけて買ってきた、加熱すると弾ける種類の玉蜀黍だ。
バターと塩、胡椒と共に鍋に玉蜀黍の粒を入れて加熱すれば、ポンポンと音を立てて弾け、白く倍以上の大きさになる。孝宏はそれを「ポップコーン」と言う菓子だと言った。
ルッツは孝宏が目の前で作ったポップコーンをとても気に入っていたので、ベルンにも食べさせたいらしい。
孝宏はルッツの前にしゃがんだ。
「ルッツ、ポップコーンって玉蜀黍少しで沢山出来るんだよ?」
「あい?」
ルッツが首を傾げる。どうやら、鍋にどのくらいの乾燥玉蜀黍が入っていたのか見ていなかったようだ。大瓶の玉蜀黍全てでポップコーンを作ったら、とんでもない事になる。
「もう少し小さい瓶に入れていっても、充分楽しめるぞ。ほら、これに移していけ」
エンデュミオンが〈時空鞄〉から、ルッツが抱えているものより小さい蓋付きの硝子瓶を取り出した。孝宏が玉蜀黍を中瓶にたっぷり移してやる。この量でも十回以上作れるだろう。
「にゃー」
「良かったね、ルッツ」
玉蜀黍の入った瓶に頬擦りするルッツの頭をテオは撫でた。ちょっぴり変わった青黒毛にオレンジ色の錆のあるルッツは、人族で言えば幼い子供の精神年齢だ。実際の歳もまだまだ子供だが、妖精の精神年齢は個体差がある。
「これがポップコーンの作り方だ。バター胡椒とキャラメルのやつだな」
孝宏の代わりにレシピを紙に書いて、エンデュミオンがテオに差し出した。孝宏は黒森之國語が母國語ではないので、読み書きが速く出来ないのだ。
「有難う。イェンシュと作ってみるよ」
頬擦りするのに満足したルッツから玉蜀黍の瓶を受け取り、テオは木箱の中に入れた。
「火蜥蜴のグラナトがいるとはいえ、火傷の薬も入れておけ。他にも色々詰めて置いた」
小さな薬箱をエンデュミオンがテオに押し付けてきた。
恐らく、火傷の薬の他に、乾燥させた妖精鈴花のお茶や蘇生薬、完全回復薬が入っていそうなので、テオは中身を見ずに薬箱を木箱の中の鍛冶素材の箱の隣に収めた。
「一番上に〈麦と剣〉のパンを置いて、と」
塊のままの黒パンや白パンが幾つも布袋に入っている。実はこの布袋、パン専用の〈魔法鞄〉になっている。イェンシュ達の食生活を聞いたエンデュミオンとヴァルブルガが、さっさと作り上げてしまったのだ。袋は二枚あり、配達時には空袋をテオが受け取って、中身が詰まった袋をイェンシュの所へ置いてくる。
夏と冬ではイェンシュが注文する物は異なり、冬場は街で手に入る生野菜や果物の瓶詰めが増える。ベルンがベリーや桃が好きなのか、果物のシロップ煮は毎回注文される。
実はリグハーヴスの街でも、果物の瓶詰めは冬には稀少で、割高になる。それでもテオが頼まれる度に持っていけるのは、ケットシーの里で新鮮な果物が採取出来るからだ。必要な分を里で採取させてもらい、孝宏にシロップ煮にしてもらうのである。
「これで全部かな」
イェンシュからの精霊便と木箱の中身を確認し、蓋を閉めてベルトを掛ける。
「ルッツ、木箱をしまってくれる?」
「あい」
木箱はルッツの〈時空鞄〉にするんと消えた。
「じゃあ、イェンシュの所に配達に行ってくるよ」
外套を着て準備をしながらテオは言った。ルッツは孝宏にフード付きの外套を渡し、着せてもらっている。角型の釦が付いているのだが、ルッツが自分でやると少し時間が掛かる。
ルッツの裏返っていたフードを直してやりながら、エンデュミオンは思い出したようにテオを見上げた。
「テオ、そろそろ妖精犬風邪が流行り始めるから、ベルンの様子を見てきてくれ」
「解ったよ」
妖精犬風邪はコボルトや人狼が掛かる重い風邪である。カモミールのお茶を飲んでいれば、妖精犬風邪になっても軽く済むが、ベルンはまだ子供なので、エンデュミオンは心配なのだろう。妖精犬風邪はハイエルンから流行るので、ハイエルンとリグハーヴスの境目にある谷底は流行の末端になる。
「はい、いいよ」
「ありがと」
外套を着せてもらったルッツをテオは抱き上げた。
「谷底は雪が深いだろうから、気を付けろよ」
「うん、行ってきます」
孝宏とエンデュミオンに見送られ、テオとルッツはリグハーヴスとハイエルンの間にある谷底へと〈転移〉した。
「にゃん!」
ルッツが〈転移〉したのは、谷底にあるイェンシュの家の前だった。
「よお、いらっしゃい」
テオとルッツを見て、人狼のイェンシュが外套の下から見える黒褐色の尻尾を振る。
家の前にある夏場は家庭菜園もしている広場で、イェンシュは雪掻きをしている最中だった。雪に活けている野菜もあるので畑までの道と、谷の上へ行く為の崖への道は作っているのだ。
「ベルンは?」
きょろきょろとルッツが辺りを見回す。
いつもならイェンシュと一緒に外に出ている、ベルンの姿がなかった。
「昨日の雪遊びで風邪を引いたみたいだ。グラナトによると、妖精犬風邪ではないらしい。頼まなかったんだが、カモミールを持ってるか?」
「持ってますよ。ベルンの様子見せてくれますか?」
出先で妖精犬風邪に遭遇した時の為に、テオはカモミールを調合したお茶を持ち歩いている。テオもルッツも感染はしないが、罹患したコボルトを見付けたら早期治療をしないと感染拡大してしまうからだ。
シュネーバルが〈Langue de chat〉に来た年の妖精犬風邪の流行は酷かった。エンデュミオンやケットシーの里のケットシー達の応援でリグハーヴスの流行は治まったが、それからは〈薬草と飴玉〉のラルスに、「怪しい患者を見付けたら飲ませろ」と持たされている。
普通の風邪でもコボルトにはカモミールが効くし、妖精犬風邪の予防にもなるのだ。
イェンシュはブーツの先でシャベルに付いた雪をこそぎ落とし、玄関のドアを開けた。シャベルは風徐室の壁のフックに掛け、居間へのドアを開ける。
「ベルン、気分はどうだ?」
「わぅ……」
いつもの弾ける元気はなりを潜め、毛布にくるまったベルンが咳をしながら、暖炉の前の安楽椅子で寝ていた。肘掛けにいたグラナトが、ぺとりとベルンの鼻に前肢で触れた。
「熱が出てきたな。鼻が乾いている」
「一寸いいかな」
テオは水の精霊魔法で手を洗ってから、ベルンの様子を確かめた。
「お鼻からからだね」
コボルトの鼻は元気な時はしっとり濡れているものなのだ。それにいつもはきらきらしている濃い青の瞳が、涙ぐんで潤んでいた。
「ルッツ、ヴァルブルガとシュネーバル呼んで来て。これは魔女に診せた方がいい」
「あいっ」
ぽんっとすぐにルッツが姿を消す。シュネーバルも呼ぶのは、薬草師の修行もしているので、薬草をラルスから持たされているからだ。
「イェンシュはこれでお茶を淹れて下さい。蜂蜜玉はこれを。ミルクを入れてもいいですから」
「解った」
テオは〈魔法鞄〉からカモミールの茶葉と、霊峰蜂蜜玉の小瓶を取り出してイェンシュに渡す。イェンシュはお茶を入れる為に台所へ向かった。
「よんできた!」
ぽぽんっと音を立てて、ルッツがヴァルブルガとシュネーバルを連れて戻ってきた。すぐさまヴァルブルガが診察し始める。
「鼻の乾きと涙目。あーんして」
ヴァルブルガが、先端に茶色い薬草飴の付いた棒でベルンの舌を押さえ喉を見る。
「喉真っ赤なの。飴はそのまま舐めててね。はい、胸の音聞かせて」
「痛い事しないから大丈夫だよ、ベルン」
テオが手伝いながら、ぷるぷる震えるベルンの診察を進める。どうやらベルンは魔女に診察を受けたのは始めてらしい。
「んん、少し肺に来てる」
ベルンの胸と背中の音を聞いたヴァルブルガの鼻の頭に、きゅっと皺が寄った。
「シュネーバル、胸のお薬の薬草くれる? お鍋に入れる方の」
「う!」
シュネーバルは〈時空鞄〉から小袋を取り出した。口を縛ってある紐に札が付いていて、どの薬か解るようになっていた。
ヴァルブルガは札を確かめ、小袋の中から、薄い布で作られた薬包を取り出した。端を縫い止めてあり、中の薬草が溢れない仕様だ。
暖炉の炉台には鉄瓶とお湯の入った鍋が置いてあった。ヴァルブルガは躊躇いなく、鍋に薬包を入れた。すぐにじわりとお湯が淡い黄色に染まり、部屋の中に爽やかな薬草の香りが広がった。ラルスの処方は香りの良い物が多い。
「これは肺のお薬。ベルンがいる部屋にこの湯気があるようにして」
「ふむ」
グラナトがこくりと頷く。
「お茶淹れてきたぞ。……いつの間にか増えてるな」
台所から戻ってきたイェンシュが、ベルンを診察していたヴァルブルガ達に目を丸くした。
「魔女ヴァルブルガと見習いのシュネーバルですよ」
「それは?」
ヴァルブルガが、イェンシュが持ってきたマグカップの中身を気にする。
「俺が持っていたカモミールティーに霊峰蜂蜜入れてもらったものだよ」
「あれ霊峰蜂蜜かよ……」
イェンシュが驚くのは無理もなく、霊峰蜂蜜は通常の市場では高価なのだ。ラルスやヨナタンは、物々交換をして手に入れている。最近は物々交換の品物として、孝宏のお菓子大瓶詰め合わせも人気らしい。
「それを飲ませてあげて欲しいの」
「解った」
毛布に包み直したベルンの口元にイェンシュがマグカップを差し出して舐めさせる。喉が渇いていたのか、ベルンは素直にカモミールティーを舐めた。
「お薬はこのカモミールティーで大丈夫。それから部屋には肺のお薬を入れたお湯を沸かして欲しいの。ベルン、肺炎のなり始めなの」
「え!?」
「お薬飲んで安静にしていれば、二週間位で良くなるの。寒暖差が激しいと咳出るから、良くなるまで外遊びは我慢してね。冷たい空気を吸わないで。お風呂もお湯に浸からないで、シャワーだけ。暫く微熱続くと思うから、無理しないで」
「うぅ」
外遊び出来ないと聞いて、へにょりとベルンの耳が伏せた。
「大丈夫、すぐに良くなるの」
毛布の上からベルンを軽く肉球で叩き、ヴァルブルガは目を細めた。
「じゃあ、お薬一週間分置いてくの。薬切れる頃また来るけど、咳が酷くなったりしたら、いつでもヴァルブルガ喚んでね」
〈時空鞄〉から新しいカルテを取り出し、ヴァルブルガは万年筆でベルンの診療情報を書き込んだ。その間に、シュネーバルが生成りの袋に薬包を数えて移し、飲み方や使い方を書いた紙も一緒に入れた。
「診察代と薬代は幾らだ?」
ヴァルブルガに診察代と薬代を聞いたイェンシュは驚いた顔をした。恐らくいつもは上の村から魔女を呼んでも、谷底まで来る分の手間賃も追加されているのだろう。
「霊峰蜂蜜代は要らないの」
「いや、それが一番高価だろう」
「物々交換してるから、お金に換算出来ないの」
「ああ、そういう意味か」
ヴァルブルガの処方において、霊峰蜂蜜はサービスである。
カルテを〈時空鞄〉にしまい、ヴァルブルガはテオの袖を引いた。
「テオとルッツ、今日ここに泊まる?」
「ベルンの様子を見ていた方がいいんだね?」
「うん」
「解った。泊まってお手伝いしていくよ」
イェンシュがベルンについていた方がいいので、テオとルッツは食事の用意等を手伝える。
ヴァルブルガとシュネーバルは、薬をイェンシュに渡し、〈Langue de chat〉へ帰っていった。
「……ケットシーの魔女と幸運妖精?」
薬包の入った袋に視線を落としたまま、イェンシュがぽつりと呟いた。流れのまま診察が終わり薬を受け取って、漸く現実味を帯びてきたらしい。
「ヴァルブルガは俺が下宿しているルリユールの家主に憑いているんですよ。元々はハイエルンの魔女に憑いていたそうです。シュネーバルは偶然エンデュミオンの温室に紛れ込んでいた子です」
「本当にあんたの下宿先おかしいって」
「そう言われても……」
偶然集まったのだから仕方ない。
「テオ、きばこだす?」
「そうだね。イェンシュ、持ってきた荷物の整理をしましょう。今のベルンでも食べられそうな、桃のシチューの瓶詰めもありますよ」
「もものシチュー?」
肘掛けに頭を乗せていたベルンが顔を上げた。
「果物のシロップ煮はベルンの好物なんだ」
「やっぱり。孝宏が色々作ってくれています。ルッツ、木箱出してくれるかな」
「あい」
するん、とルッツが〈時空鞄〉から木箱を取り出した。テオは木箱のベルトを外し、蓋を開ける。
「孝宏の焼いた柔らかいパンも入っていますよ」
黒森之國の伝統的なパンはどっしりとした物が多いが、孝宏が趣味で作るものはふわふわと柔らかい。
テオとルッツも手伝って、イェンシュは木箱の中身を、食料をしまっている台所横の食料庫に収めた。
桃のシロップ煮の瓶はすぐに開け、小鉢に半割りの桃を二つ程移してナイフで小割にしてスプーンと一緒にベルンの元へと運ぶ。
テオは外套を脱いで、壁のフックに掛けさせてもらった。ルッツの外套もその上に引っ掛ける。
「イェンシュはベルンと一緒にいて下さい。台所の物を使ってスープを作っていいですか?」
「頼むよ」
ベルンを膝に乗せて桃のシロップ煮を食べさせ始めたイェンシュを視界の端に入れつつ、テオはセーターとシャツの袖を肘まで上げた。
「グラナトー」
ルッツがグラナトを抱えて運んできた。オーブンの前で下ろされたグラナトが、その中にのそのそ入っていく。
「さてと」
テオは慣れた手付きで馬鈴薯や人参、玉葱の皮を剥き、大きめに切って鍋に入れた。出汁にもなる塩漬け肉も、塊から数枚切り取り追加する。コンソメスープの元と水を入れ、コンロの熱鉱石を加熱する。もう少し後で、腸詰肉を足してポトフになる。
「ベルンは柔らかい物の方が良いかな」
卵をといて蜂蜜と牛乳を足し、孝宏の焼いた柔らかいパンを一口大に切って浸す。それを耐熱皿に入れてオーブンのグラナトに託す。
「グラナト、焼いてくれるかな」
「任せろ」
鼻歌を歌うように答え、グラナトが耐熱皿を抱えたので、テオはオーブンの扉を閉める。焼けたら教えてくれるのだ。
使ったボウルや包丁を洗って拭いている内に、腸詰肉を追加した鍋がくつくつと煮え、オーブンからは甘い香りが漂い始める。
濡れた手を拭き、テオは居間に顔を出した。グラナトを連れてきた後、ルッツはテオの邪魔にならないように台所から出て行ったが、暖炉の前に二つある安楽椅子の片方に座っていた。もう片方の安楽椅子にベルンを膝に乗せて座っているイェンシュが、若草色の本を朗読するのを大人しく聞いていた。
「もうすぐお昼御飯出来ますよ。ベルンは食事が出来そうですか?」
「どうかな。朝は食べられなかったんだが、さっきの桃は食べられたからな」
イェンシュに答えるように、ぐぅーとベルンのお腹が鳴った。カモミールが効いてきたのか、気分が良くなって来たらしい。
「食欲があるなら治りも早いですよ。ベルンの食事を持って来ます」
台所に戻ったテオに「焼けたぞ」とオーブンのグラナトからお知らせがあった。オーブンの扉を開け、鍋掴みで耐熱皿を取り出す。グラナトものそのそと出て来て、尻尾で扉を閉めた。
「グラナトも味見するかい?」
「うむ」
熱々のパンプディングに楓の樹蜜を回し掛ける。取り皿を用意して、盆に鍋敷きの上に置いた耐熱皿とスプーンとグラナトを乗せて運ぶ。
「熱いから、少し冷まして下さい」
安楽椅子の間にあるローテーブルに盆を乗せ、器にパンプディングを掬い取って、スプーンと一緒にイェンシュへ渡す。ベルンが器に鼻を寄せてすんすんと匂いを嗅いだ。
「こら、熱いぞ」
「あまい?」
「うん、甘いよ。柔らかいパンを卵と牛乳に浸して、グラナトに焼いて貰ったんだ」
説明しながら、グラナトとルッツにも取り分けてやる。
「ポトフもあるから、食べられそうなら持って来るよ」
「ん、まずこれを食べさせてみるよ」
イェンシュはスプーンに少な目にパンプディングを掬い、吹き冷ましてからベルンの口元に持って行った。ちょんと舌先で温度を確かめてから、ベルンはスプーンを口に入れた。
「あまい。おいしい。イェンシュ、もっとたべたい」
咀嚼してごくりと飲み込んだベルンの尻尾が、毛布の中でぱたぱたと忙しなく動いているのが、テオにも解った。
「待ってな、食べさせてやるから」
苦笑しながら、イェンシュが次のパンプディングをベルンの口に入れてやる。
「うむ、これは良いものだ」
「おいしー」
熱い物が平気な火蜥蜴のグラナトは、冷ましもせずにパンプディングを食べている。ルッツは熱々の物は食べられないので、自分で氷の精霊に頼んで少し冷ましていた。
「これ、随分柔らかいパンだな」
「孝宏が作ったパンですよ」
孝宏のレシピの中でも、特に柔らかい方のパンだった筈だ。白く精製された小麦粉を使うので、黒森之國で作られれば高価なパンになるだろう。孝宏の場合はパンの販売権を持たないので、趣味の範囲だが。
ベルンはポトフも少し食べ、もう一度カモミールティーを飲んでから眠り始めた。
ベルンは人気がないと眠れないらしく、イェンシュは物置から、人族の赤ん坊用の揺り籠を持って来た。クッションと浴布、毛布を使って整え、そこにベルンを寝かせて、暖炉の前に置く。こうすれば寒くもないし、安楽椅子よりは楽だろう。
テオとイェンシュも食事を済ませ、泊まる客室の準備をしてから、やりかけの雪かきをしに外出る。ベルンはルッツとグラナトが居るので大丈夫だろう。
「こういう時、谷底にうちしかないと困るんだよなあ」
シャベルで一晩経って締まった雪を切り取って広場の端の雪山に放り投げつつ、イェンシュがぼやいた。
「ご両親は上の集落でしたっけ?」
「そう。上の村で鍛冶屋をやってる。親父達の方にもコボルトが居るんだ。番のコボルトだから二人」
「んん?」
なんだか最近何処かでそんな話を聞いた気がする。
「もしかして、そのコボルト達って保護されたコボルトですか?」
「そうだ」
「リグハーヴスの教会に、そのコボルト達の子供がいたりしません?」
「知ってるのか?」
ざくりとイェンシュは雪にシャベルを刺した。テオもシャベルで雪を掬う手を止める。
「俺の末叔父がリグハーヴス女神教会の司祭の一人なんです。その子の名前はモンデンキントと言うんですが、名付け親はエンデュミオンです」
「……は?」
「偶然です」
「いやいやいや」
「偶然です」
暫し、谷底の家の前でイェンシュに問い詰められるテオだった。
谷底の鍛冶屋イェンシュのところへ配達に行くテオとルッツです。
ベルンは家族に恵まれなかった子なので、すこし寂しがり屋です。
イェンシュに押しかけで憑いて色々振り回しているものの、可愛がられています。
暖炉の前ではいつもお膝の上に座っていたりします。
実は、イェンシュの両親の家に、モンデンキントの両親が住んでいます。