三頭魔犬とコカトリス
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
雪の日の朝にやって来たのは……。
294三頭魔犬とコカトリス
リグハーヴスに今年初めての雪が降った。
目を覚まして窓の外を見たルッツは大喜びで、遅めの朝御飯をテオと食べた後、外套を着て裏庭に飛び出した。
「ルッツ、手袋忘れてるよ!」
ミトンを忘れたルッツを追い掛け、テオも外套を羽織って台所の横にあるドアを開けた。
「ルッツ?」
ルッツは赤い煉瓦の小道の端にしゃがみ、畑に積もったばかりの雪を覗き込んでいた。
「ルッツ、どうした?」
「テオ、ひよこー」
「え?」
テオはルッツの隣まで行き、煉瓦に片膝を付いた。そっと真っ白な雪に顔を近付ける。
雪の中にふわふわとした黄色い雛が倒れていた。鶏の雛に見えるが、シュネーバル位の大きさがある。
「何でこんなところに鶏の雛が……」
それより生きているのかと、テオは雪の中から雛を両掌に掬い上げた。
「お」
もぞ、と雛が動いた。
「鶏、じゃない?」
雛の尻尾には細い蛇が付いていた。通常の鶏に蛇の尻尾は無い。これはまずい。
「ルッツ、三頭魔犬を呼んできてくれるか? 仔犬の大きさで頼むと」
「あいっ」
てててて、とルッツが身軽に温室に走っていく。
テオは雛を掌に乗せたまま、急いで母屋に戻った。
「ヒロ! エンデュミオンは!?」
店から台所に戻ってきた孝宏にエンデュミオンの所在を確かめる。
「エンディ? 店にいるから呼んでくるよ」
孝宏が店に取って返す間に、テオは膝掛けの入っている籠に雛を入れた。
「ミヒェル」
「なあに?」
オーブンの扉をノックしてから開ける。オーブンの中では、火蜥蜴のミヒェルが首を傾げていた。
「冷え冷えの雛を暖めて欲しいんだ」
「いいよー」
二つ返事で了承してくれたので、テオはミヒェルを雛のいる籠に入れた。ミヒェルがぴたりと雛に寄り添ってくれる。その上に、ソファーの上に置いてあった膝掛けをふんわりと被せた。
「どうした?」
エンデュミオンと孝宏が居間に入ってくる。
「エンディ、これコカトリスだと思う」
「は?」
「中庭の雪の中に倒れていたんだ。ルッツが見つけて」
「どれ」
エンデュミオンはそっと膝掛けを捲り、目を瞑っている雛を確認する。
「……幼体化しているコカトリスだな。このままミヒェルに暖めてもらおう」
「コカトリスって目が合ったら石になるんじゃなかった?」
「この小ささなら大丈夫だ」
孝宏に答え、エンデュミオンはぽしぽしと前肢で鯖虎柄の頭を掻いた。
─おじゃまするわあ。
─雛って聞いたけど。
─本当?
ルッツと一緒に三頭魔犬がやってきた。仔犬の大きさに身体を縮めた三頭魔犬は鼻をふんふんと鳴らして籠の中を覗いた。テオが膝掛けを捲ってやると、あら!と呟いた。
─お留守番頼んでたコカトリスだわ。
─お迎えに来たのね。
─雪の中に落ちちゃったのね。
「このまま暖めていいか?」
─大丈夫よ。
─起きたら暖かいもの食べさせて。
─何でも食べるわよ。
「じゃあ細かく野菜刻んだスープ作るよ」
孝宏が台所へと向かう。
ルッツも外で遊ぶ気にならなくなったのか、籠の縁からコカトリスを見ていた。
「コカチョリス、だいじょぶ?」
「このまま暖かくしてたら大丈夫だって」
テオは心配するルッツの頭を撫でてやった。
暫くして異変を感じたのか、ヴァルブルガが工房からやって来て診察していったが、コカトリスの身体には問題はなかった。
ルッツはそのまま籠の近くに居て、編みぐるみでお飯事をして遊び、テオの膝の上で本を読んで過ごした。
コカトリスはお昼になる頃、目を覚ました。
「ピヨ?」
「コカチョリス、おきた?」
「ピョ!?」
籠を覗き込んだルッツに驚いたコカトリスが、コロンとミヒェルの上に転がった。
「きゅう」
上に乗られたミヒェルが変な声で鳴く。
「大丈夫か、ミヒェル」
慌ててテオがやんわりとコカトリスを掴んで、ミヒェルの上から避けてやる。
「大丈夫ー」
火蜥蜴は中々頑丈だったようだ。
「ピヨピヨ!」
籠に下ろされたコカトリスが、ぺこぺことミヒェルに謝る。幼体化していると囀りしか出来ないらしい。
ルッツは肉球でコカトリスを撫でた。
「コカチョリス、ゆきのなかでひえひえしてたの」
「ピヨー」
言葉は通じていない筈なのだが、ルッツとコカトリスは会話していた。コカトリスが頭をルッツの肉球に擦り付けて感謝している。
「ケルベロスおむかえきたの?」
「ピョ」
三頭魔犬と聞いて、むくっとコカトリスが起き上がった。尻尾の蛇も顔を上げ、チロリと赤い舌を覗かせた。
籠の縁に三頭魔犬が顔を出す。
─気分はどう?
─お留守番してくれて有難うねえ。
─誰かに代理頼んできたの?
「ピョピョピョ」
─そう、アラクネに頼んだの。
「アラクネって、何だっけ」
魔物に詳しくない孝宏が呟く。
「下半身が蜘蛛で上半身が女性の魔物だよ」
テオが教えると、孝宏がぶるりと震えた。孝宏は蜘蛛が苦手なのだ。鳥肌の立った腕を擦りながら、孝宏はコカトリスに聞いた。
「野菜のスープあるけど食べられそう?」
「ピョ!」
蛇尻尾がふりふりと犬のように左右に振られる。
孝宏はスープボウルに鮭と野菜を細かくしたクリームチャウダーを注いで持ってきた。
「ルッツ、少し冷ましてくれる?」
「あいっ」
孝宏が差し出したスープボウルに、ちらちらと雪の結晶が降った。
「はい、どうぞ」
「ピョー」
ぺこんと律儀にお辞儀をして、コカトリスが嘴をチャウダーに入れた。
「……」
そのままぴたりとコカトリスが動きを止める。
「口に合わなかったかな?」
「ピョピョ!」
孝宏が不安になるのと、物凄い勢いでコカトリスがチャウダーにがっついたのは同時だった。ガツガツとチャウダーに夢中で嘴を突っ込み飲み込んでいく。
「お、落ち着いて食べよう? お代わりあるから」
「ピョ!」
少し速度は落ちたものの、コカトリスの食欲は落ちなかった。チャウダーの後に、焼きリンゴにクリームを掛けたものも平らげ、汚れた嘴を孝宏に拭いて貰うと、そのままコロンと横になり眠ってしまった。
「……いい食べっぷりだったね」
─やーね、何も食べさせてないみたいじゃないのぉ。
─仕方ないわよ、ヒロのごはんだもの。
─召喚なしで来たから疲れてるのよ。
「ゆっくり休ませておけばいい」
エンデュミオンはコカトリスに膝掛けを掛け直してやった。隣からルッツがそっと覗き込む。
「コカチョリス、げんきになる?」
「目を覚ます頃には元気になってるだろう」
魔物なので、そもそもが頑丈に出来ている。
孝宏たちも一度店を閉めて昼食にする。
イシュカとカチヤはヴァルブルガから聞いていたのか、コカトリスを見ても驚かなかったが、二階にいたヨナタンとシュネーバルは、ふわふわとした黄色い大きな雛に目を輝かせていた。
「こかちょりす、ふわふわ」
「シュネーバル、起きるまで寝かせておいてやれ」
「う」
コカトリスを寝かせておく為に、「起きるまでおさわり禁止」とシュネーバルに通達したエンデュミオンである。シュネーバルはふわふわとした手触りの良いものが好きなのである。
夕食近くになって起きたコカトリスは、早速シュネーバルに抱き付かれていた。
翌朝、すっかり元気になったコカトリスは、孝宏の作ったリゾットを美味しそうに食べていた。
「孝宏の作るものは、魔物も虜にするのか」
「お腹空いてたら美味しいんじゃない?」
「腹が空いていても不味いものは不味いぞ」
「それはそうだけど」
米粒一つ残さずリゾットを食べ終えたコカトリスの丸い頭を、孝宏は撫でる。コカトリスが目を細めてピョと鳴いた。
「ピョー」
成体化すると眼力で石になるコカトリスだが、雛は大きなひよこで可愛い。
─エンデュミオン。
コカトリスがいるので母屋に泊まった三頭魔犬が、エンデュミオンを鼻先でちょんちょんと突いた。
「なんだ?」
─ホーンを呼んでもらえる? 入口を開いてもらった方が楽なの。
「そうだな。コカトリスにも会わせておいた方が良いか」
─そうね。
ホーンは大工クルトの母親エーリカに憑いた、北方コボルトの魔法使いで先見師である。角笛の子と呼ばれる、三頭魔犬を召喚するという謂れを持つ角笛を持つコボルトなのだが、ハイエルン公爵領に幾つかあるという角笛の内、ホーンの角笛は本物だった。ちなみに本物の角笛は一つだけである。
エンデュミオンは手紙を書き、風の妖精に頼んでホーンに送った。返信か本人の訪れを、食後のお茶を飲んで待つ。
三頭魔犬とコカトリスの帰還に合わせ、孝宏は四角い銀色の大缶に昨夜迄に作っていたお菓子をせっせと詰め始めた。クッキーやパウンドケーキ、マカロンやダッグワーズ、ビスケットなどを詰めていく。軽く持ち上げ、ずっしりとした重みに苦笑いが出るが、三頭魔犬なら持てるだろう。
ぽんっ。
「来たよー」
魔石の填まった杖を持ったホーンが居間に現れる。エンデュミオンは右前肢を上げた。
「やあ、ホーン」
「こんにちはっ」
ホーンも元気に挨拶する。最近はクヌートとクーデルカの南方コボルト兄弟と一緒に魔法使いギルドのお手伝いをしている事もあり、ギルド職員から有り難がられている存在である。リグハーヴス魔法使いギルドは職員が少ないのだ。
「ひよこ?」
ホーンがコカトリスを見て、薄い灰色の瞳を瞬かせた。
「コカトリスの雛だ」
「ピョ」
コカトリスは身体が鶏で蛇の尾を持つ魔物である。じっとホーンを見上げて、蛇の尻尾をゆらゆらさせている。ホーンも答えるように、巻き尻尾を揺らした。
「コカトリスは三頭魔犬を迎えに来たんだがな、帰る時は入口を開いてもらいたいそうだ。地下への入口を開けるのはホーンの角笛だからな」
「わう」
エンデュミオンもやれない訳ではないが、抉じ開ける形になるので、後始末が面倒臭いのだ。
「ふわふわしてる」
嬉しそうにホーンがコカトリスを撫でる。
「ピョー」
ぐねぐねとコカトリスの尻尾が動く。ココシュカで見慣れているので、嬉しいのだと解る。
「家の中で入口を開けられないから外に行くぞ」
外套を着て皆で裏庭に出る。今日は晴れていて比較的暖かい。冬の青灰色の空には雲一つないが、夜には崩れてきそうだ。
「これお土産。皆で食べて」
─有難う。
─お菓子かしら。
─いい匂い。
ふんふんと揃って鼻を鳴らしてから、三頭魔犬の真ん中の頭が風呂敷の結び目を咥えた。
「暖かい時季にまた遊びにおいで」
孝宏はシュネーバルに抱き付かれているコカトリスの前にしゃがんで言った。
今回はルッツとテオが見付けたから良かったものの、次に雪に埋まって見付からなかったら大変だ。
「ピョー」
コカトリスはシュネーバルと孝宏に嘴を擦り付けた。
「コカチョリス、またね」
「ピョピョ」
ルッツを前にして、コカトリスは胸元に嘴を突っ込んだ。羽根繕いするように柔らかい羽毛を掻き回し、小さな羽根を二枚嘴に挟んでルッツに差し出す。
「くれるの?」
「ピョ!」
ルッツは羽根を受け取り、風で飛ばないようにすぐに〈時空鞄〉にしまった。
「ありがと」
「ピョー」
行き倒れた所を救ってもらったお礼だろう。エンデュミオンはテオに囁いた。
「コカトリスの雛の羽は、石化耐性の護符を作る素材になるぞ」
「それは凄い。グラッツェルに頼んで作って貰えるかな」
グラッツェルは錬金術師だ。六本指のケットシー、ゼクスナーゲルと暮らしている。
「三頭魔犬もコカトリスも幼体化していれば、ホーンに呼ばれてエーリカの所に出ても大丈夫だと思うぞ」
エーリカは胆が据わっているので、三頭魔犬やコカトリス位では驚くまい。恐らくクルト一家も。
─うふふ、そうねえ。
「ピョ」
「エーリカも料理上手だぞ」
─いいわね。
キラリ、と三頭魔犬の瞳が光る。温室にいる間に、すっかり孝宏の料理で舌が肥えたようだ。
そっとエンデュミオンは三頭魔犬の端の頭に耳打ちした。
「アラクネがもし地上に出てくる気なら、全身人型になってきてくれと伝えて欲しい。孝宏は蜘蛛が苦手なんだ」
蜘蛛恐怖症は治るものではない。もしアラクネが孝宏を恐がらせたりしたら、エンデュミオンは怒る。
─解ったわ。
三頭魔犬が頷く。
「ありがとね」
最後に温室から呼んできたシュトラールが、三頭魔犬に抱き付いた。
─幸せになってね。
─マヌエルなら大丈夫でしょうけど。
「はい」
司教マヌエルは近々隠者の庵にやってくるのだ。シュトラールはマヌエルと一緒に暮らす予定だ。
「角笛吹くよー」
─いいわよ。
「ピョ!」
すう、と息を吸い込み、ホーンが角笛に息を吹き込む。
パアアァアー!
普段の気の抜けた音とは異なる角笛の音が、リグハーヴスの街に突き抜けていく。
(アルフォンスに角笛吹くの言ってないな)
言った方が良かったのかな? と一瞬心に掠めたが、まあいいかとエンデュミオンはやり過ごす。
─入口が開くわよ。
ずず、と音を立てて、中庭の中心に黒い渦が現れる。
─よいしょ。
三頭魔犬の端の頭の一つが、コカトリスを優しく咥える。
─じゃあ、またね。
「またおいで」
家主のイシュカにも「またおいで」と言われ、三頭魔犬が尻尾を振る。
─うふふ、有難う。
「ピョ!」
コカトリスも三頭魔犬に咥えられたまま、蛇の尻尾を振った。
足取り軽く三頭魔犬が黒い渦の中に入り消えていく。その後を追うように、黒い渦がくるくるとほどけて消えた。
「行っちゃったね」
ぽつんと孝宏が呟いた。
救い出してきたコボルト達が、落ち着く場所に落ち着くまで温室に残ってくれた三頭魔犬だ。半年近くいたので、いなくなると何だか寂しくなる。
「まあ、その内また遊びに来るだろう」
「そうだね」
笑って孝宏はエンデュミオンを抱き上げた。
「なんかきたー」
「精霊便かな?」
ルッツとテオの声に見上げた空から、白い封筒を持った風の精霊が下りてきて、エンデュミオンの顔に張り付いた。
「にゃうっ」
「ありゃ」
精霊が見えない孝宏は、封筒をエンデュミオンの顔から剥がしてやった。
「全く誰だ?」
エンデュミオンは〈時空鞄〉からキャラメルを取り出し、風の精霊に渡してやる。風の妖精は喜色満面で飛んでいった。
「エンディ、これリグハーヴス公爵の封蝋じゃないの?」
「ぬう」
封筒の合わせ目には赤い封蝋に、くっきりとリグハーヴス公爵の印章が押してあった。
「もしかして角笛吹いたから?」
「あーうん、多分な」
きっとアルフォンスが、何があったのか知らせろと言うのだろう。それにしても。
「何故エンデュミオンだと解るのだ……」
角笛はホーンのものなのに。
ぱぷー。
ホーンが角笛を吹いて、気の抜けたいつもの音を出している。
最近ホーンは魔法使いギルドに手伝いに行っていて、こちらも配達の仕事に行っていたルッツとは久し振りに会うので、意気投合して温室で遊ぶ流れになりそうだ。隠者の庵と言う遊び場が増えたので、エンデュミオンの温室はリグハーヴスの妖精達に人気なのだ。
「仕方がない、アルフォンスの所に行ってくるか……」
「三頭魔犬達にあげる為に、お菓子沢山作ったから持ってく?」
「袖の下だな」
「ピンクのマカロンを薔薇風味にしたから、フラウ・ロジーナにも袖の下回してもらえるよ」
「そうだな」
アルフォンス・リグハーヴスは愛妻家である。
「貝の形のマドレーヌもあるし」
貝の形のマドレーヌは、夫妻の息子ヴォルフラムとヴォルフラムに憑いているオレンジ色のケットシー、ビーネが好きだったりする。
「ついでに熟成済みのパウンドケーキも頼む」
これはクラウスが好きなのだ。エルゼと一緒に食べろと押し付けてやろうと、エンデュミオンは鼻を鳴らした。自棄である。
「イシュカ、ついでに持っていく物があったら持っていくぞ」
「アルスの写したものを製本したやつがあるよ」
アルスは領主館の写本師兼司書コボルトだ。
「持っていってくれるなら包むかな」
「その間に、俺はお菓子の詰め合わせ作るね」
年少組妖精とテオは温室に向かい、年長組妖精とイシュカ達は母屋に戻る。
その後領主館に行ったエンデュミオンは、アルフォンスに「三頭魔犬が帰るのなら礼を言いたかったのに」と叱られ、「また遊びに来るから気にするな」と答えて何とも言えない顔をされるのだった。
お迎えに来たコカトリス、うっかり凍えてルッツに発見されました。
ルッツとシュネーバルはコカトリスとちゃんと言えなくて、コカチョリスになっていますが、誰も突っ込まないのでした(本人はちゃんと言っているつもりなので)。
シュネーバルは相変わらずのもふもふマイスターです。
コカトリスは雛がシュネーバルサイズ。成体サイズだともっと大きくなります。
アラクネはそのまま来たら孝宏が叫ぶと思うので、来ても人型です。