木工ギルドと蘇生薬
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
たまに緊急往診依頼があります。
291木工ギルドと蘇生薬
「なんだか雪が降ってきそうだな」
朝御飯の後、孝宏が洗った皿を布巾で拭いていたイシュカが、窓の外を見ながら言った。
「確かにね」
本日のリグハーヴスの空模様は、どんよりと曇っていた。十一の月も終わりに近付き、冬に向かって気温がどんどん下がっている。
寒がりのケットシー達は温室に行くのでさえも、しっかりとフード付きの外套を着てから家を出ていく。
「テオとルッツは起きてくるのはもう少しあとかな」
「帰ってきたの遅かったからな」
雪が降る前にと、配達をまとめて頼まれたらしく、珍しくルッツの〈転移〉を使って帰って来たのだ。寒いので暖かい自分のベッドでゆっくり眠りたかったのだろう。
二人の分のスープは鍋にあるし、サンドウィッチも作って、乾かないように蝋紙で包んである。二人が寝坊する時のメニューだ。
「カチヤはヨナタンの糸張り手伝うみたいだし、俺はそろそろ店に下りるかな」
皿を拭き終えたイシュカが、布巾を孝宏に渡す。孝宏は石鹸で布巾を洗い、ぎゅっと絞った。
「よし、おしまい」
イシュカと二人居間に出る。
居間ではエンデュミオンとヴァルブルガ、シュネーバルが鉱石暖房の前に集まって背中を焙っていた。確かに鉱石暖房の前が一番暖かいのだが、部屋の中も充分暖かい。
「……部屋の中寒いか?」
思わずイシュカが鉱石暖房の目盛りを確認する。寒がりなケットシーが居るので、〈Langue de chat〉はどこでも冬は暖かくしてある。
「うーむ、雪が降りそうだからな」
「冷えてきてると思うの」
「う!」
シュネーバルは、エンデュミオンとヴァルブルガの間に挟まれているのが楽しいのだろう。最近毛の量も増え、以前より寒がらなくなった。
「寒いなら店に下りないで、ここにいていいぞ?」
「いや、暖まれば……誰か来るぞ」
エンデュミオンが呟くと同時に、居間にぽんっとグラッフェンが現れた。
「でぃー、たいへんたいへん!」
「どうしたグラッフェン」
「きゅうかんきゅうかん!」
急患と聞いて、エンデュミオンとヴァルブルガ、シュネーバルが一斉に立ち上がる。
エンデュミオンがヴァルブルガに訊く。
「ヴァルブルガ、診療鞄は?」
「〈時空鞄〉に入ってるの」
「シュネーバルは薬草持ってるか?」
「う!」
「では行こう。孝宏、出掛けてくる。その内フィリーネが来そうなんだが、来たら頼む」
「うん」
先日ギルベルトが温室を又改造して、隠者の庵と繋げてしまったので、魔力の大きな動きに気付けばやって来るだろう。フィリーネは大魔法使いで、魔法使いギルドの長なのだ。
「いくよー」
本当に急いでるのか、グラッフェンは転移陣を展開すると、あっという間に〈転移〉していった。
「グラッフェンが来たなら、大工の誰かが怪我をしたのか?」
イシュカが眉を曇らす。
「クルトやネーポムクじゃないみたいだけどね」
それならば、もっとグラッフェンが慌てている筈だ。
「今は新しい住居を建てているからな……」
「大した事ないといいね」
「ああ」
エンデュミオンとシュネーバルも連れていった以上、重症だとは思われたが、孝宏もイシュカも口には出さなかった。
グラッフェンが〈転移〉した先は、人が沢山いる建物の中だった。しかし、エンデュミオンが初めて見る建物だった。
「ここはどこだ?」
「きゅうけいごや」
どうやら新しく作っている住宅地にある、大工達の休憩小屋らしい。休憩小屋といってもきちんとした建物で、一般住宅を建て始める前に建てられていて、住宅地が完成したあとは集会場になる予定の物だ。
「グラッフェン!」
クルトとネーポムクがこちらを見付けたらしく、集まっている人を避けてやって来た。
「良かった、三人とも捕まえられたんだな」
「あいっ」
クルトはグラッフェンとエンデュミオンを、ネーポムクはヴァルブルガとシュネーバルを抱き上げ、奥にある部屋に急いだ。
途中で取り乱している妊婦らしき女性を宥めているアンネマリーがいた。怪我人の家族なのだろう。
「連れてきたぞ!」
クルトがドア越しに部屋の中に声を掛けると、ドアが開いた。ドアを開けたのは、いつも受付にいるファイトだった。
「お待ちしてました」
ドアの前には衝立があって、すぐに部屋の中が見えないようになっていた。衝立の脇からクルトとネーポムクが奥にはいる。
「む」
エンデュミオンは鼻の頭に皺を寄せた。部屋には強く血の匂いがした。
防水布で覆われたベッドの上には、患者らしき顔色の悪い若い男が横たわっており、身体に部分的に血が滲む白いシーツが掛けられていた。ベッドの頭の方に木工ギルドのギルド長ヘドヴィクがいて、男に声を掛けている。
エンデュミオンは自分達の回りに〈防音〉の魔法を掛けて、クルトに問う。
「酷いんだな?」
「酷い。脚が元に戻せるのは、エンデュミオン位だろうと思って」
「無けりゃ生やしてやる」
「頼もしいな」
クルトとネーポムクは、ベッド脇にくっつけて並べられていたベンチにエンデュミオン達を下ろした。但しグラッフェンは治療に関わらないので、クルトの脚にしがみ付いている。先程エッダとメテオールの姿がなかったので、家でデニスのお守をしているのだろう。
「シュネーバルは、これで〈幸運の指輪〉を作ってくれ」
「う!」
シュネーバルはエンデュミオンから渡された指輪の形に整えられた空魔石に魔力を込めた。それからシーツの上を撫でて患者の手を見つけ出し、「えい」と指に虹色の光を内包する指輪を押し込む。
「よし。あとはヘドヴィクの方に行って、呼吸を確認していてくれるか」
「う!」
ベンチの上を歩いてシュネーバルがヘドヴィクの元へ行くのを見送り、エンデュミオンはヴァルブルガと頷き合ってシーツを捲った。
「……」
「……」
無言になってしまった。
既に患者が履いていたズボンは切り開かれていて、脚が露になっていた。脚の状態はすこぶる酷かった。何かの下敷きになったのだろう。何ヵ所も骨折していて傷口から骨が見えている。膝の上できつく止血してあるが、かなり出血しているだろう。肌の色が白っぽい。
人族の魔女や医師ならば切断を選択する重症だ。クルトがエンデュミオン達を呼ぶ訳である。
「ヴァルブルガ、麻酔で痛みを取ってやってくれ」
「うん」
患者の身体の管理は、魔女のヴァルブルガに任せる。
エンデュミオンは、まずは患者の命をこの場に引き留めなければならない。
「クルトはこの小瓶の中身を、こっち水筒の水でコップ一杯に薄めて、患者に飲ませてくれ」
エンデュミオンはクルトに〈時空鞄〉から取り出した、〈蘇生薬〉の白い小瓶と〈精霊水〉の水筒を渡した。
何だかんだでエンデュミオンに慣れたクルトは、それが何か確認せずに部屋にあった水差しの隣に置かれていたグラスに小瓶の中身を空けた。
淡く発光する金色のとろりとした液体に、クルトとネーポムクは顔を見合わせた。だが黙ってその液体を水筒の水で薄めて、グラスにストローを挿す。
クルトが脚にグラッフェンをくっつけたままコップを運び、ヴァルブルガの麻酔で楽になった患者に薄めた〈蘇生薬〉を飲んで貰う。ラルス謹製〈蘇生薬〉は、美味しい蜂蜜檸檬生姜風味である。
飲み終わった患者が眠り始めたので、エンデュミオンは防音魔法を解いた。
「あとは部屋を〈浄化〉して」
エンデュミオンの〈浄化〉は聖職者のものとは異なるが、対象のものを綺麗に出来る。今はこの部屋の空気と中にいる人達の衣服や身体が対象だ。スッと血の匂いに籠っていた部屋の空気が澄んだ。
「よし、やるぞ。シュネーバルは呼吸の確認を頼む」
「う!」
ぺたりとシュネーバルが患者の胸に耳を当てる。ヴァルブルガも患者の手首に肉球を押し当てていた。
ドアの外にはエンデュミオン達と入れ違いで外に出たファイトが、誰も入れないように立ってくれている。
エンデュミオンは〈肉体修復〉の複雑な魔法陣を書き上げ、患者の脚に飛ばした。重症なだけあって、眩しい位の緑色の光が魔法陣から立ち上る。
〈蘇生薬〉とエンデュミオンの魔法の効果で、壊滅的だった怪我がするすると元のように修復されていく。修復途中で、止血していた紐を解いて血流を戻す。怪我が完全に治ると同時に、魔法陣が消えた。
「ふう」
再生や修復魔法はエンデュミオンでもそれなりに魔力を使う。一般的な魔法使いにしてみれば、膨大な魔力を糧にする魔法なので使い手が限られるし、患者が生きているからこそ、使って効果がある魔法なのだ。
「大丈夫」
「だいじょぶ」
脈と呼吸を診ていた、ヴァルブルガとシュネーバルも顔を上げる。
「治ったのかい?」
息を詰めて見守っていたネーポムクが囁いた。
「治ったぞ。まあ、一週間位は様子見だな。骨折もしていたし、出血も多い。すぐに仕事に復帰したら倒れるぞ。外にいた妊婦は嫁か? だったら、誰か手伝いを付けた方がいいだろう」
「有難う。奥さんの実家がリグハーヴスにあるから、手伝いは頼めると思うわ」
ヘドヴィクが汚れたシーツを簡単に畳みながら答えた。
「それならいい。一応嫁の方も、薬草魔女の往診を頼んでおけ。かなり動揺していた風だったから」
「ええ」
撫で肩を自分の前肢で揉み、エンデュミオンは息を吐いた。流石に再生修復魔法は神経を使う。
「でぃー、しゅごい」
グラッフェンが、きらきらした瞳でエンデュミオンを見ていた。
「グラッフェンがすぐに呼びにきてくれたから間に合ったんだぞ」
結構危ない状態だった。元々が健康な大工だったからもっていたが、そうでなければ大怪我の痛みに耐えられなくて死んでいただろう。
「造血の薬はヴァルブルガに処方を書いて貰ってくれ。今日の分位はシュネーバルが持っている筈だ。幸運魔石の指輪は体調が良くなるまで着けていて、その後は嫁が着けていると出産が軽くなるだろう。よいしょ」
「でぃー」
エンデュミオンはベンチを下りて、抱き着いてきたグラッフェンを抱き締める。可愛い弟は癒しである。
グラッフェンが脚から離れた間に、クルトとネーポムクが患者の身体を毛布でくるんでやっている。この後、ギルドの仲間で家まで運んで行くのだろう。
ヴァルブルガとシュネーバルはヘドヴィクがベンチから下ろしてくれた。
「エンデュミオン、治療費は幾らかしら。それと、治療前に飲ませたのは何?」
「治療費は半銀貨一枚と薬代だな。エンデュミオンは魔女ではないから、お金を貰えないのでヴァルブルガに。さっき飲ませたのは〈蘇生薬〉と〈精霊水〉だ。エンデュミオンが自分で集めた薬草でラルスに作って貰った物だから、金は要らん。〈精霊水〉もただで湧いているものだし。……ヘドヴィク?」
途中から相槌を打たなくなったヘドヴィクをエンデュミオンは怪訝そうに見上げた。ヘドヴィクは零れそうな程目を瞠っていたが、その内肩より短く切り揃えた蜂蜜色の髪で覆われた頭を抱えた。
「私の聞き間違いかしら。〈蘇生薬〉と〈精霊水〉を使ってくれた上に、両脚を修復してくれて、幸運魔石の指輪までついてお金が要らないって」
「そう言ったが」
「あのね、エンデュミオン」
ヘドヴィクがエンデュミオンとグラッフェンの前に真顔でしゃがみ込む。
「王都でこれだけの治療をしたら、借金まみれになってお尻の毛まで抜かれるわよ?」
「いや、相当な魔力を糧にしないとならないから、再生修復魔法が出来る者はそんなにいないと思うが」
それにお尻の毛を抜かれたら痛いと思うし、使い道も無いだろう。獣型妖精の毛なら錬金素材にはなるが。
「だからよ。何かお礼をさせて」
「お礼か? うーん」
エンデュミオンは前肢を組んで唸った。隣でグラッフェンも同じ格好をしている。可愛い。
「そうだ」
ぽんと肉球を合わせ、エンデュミオンは〈時空鞄〉から木の板を取り出した。
「孝宏が箸を欲しがっていたんだ。輸入品店にもなくてな。箸というのは倭之國のカトラリーでな、木の棒なんだが。これが長さや形を書いた紙だ。クルトに頼もうと思っていたんだ」
「これ、トレントよね?」
「エンデュミオンが持ってる木材がトレントしかない。エルダーとエンシェントもあるが、消耗品だしトレントでよかろう」
その場にいた三人の大工全員が、「トレントじゃなくてもいいだろう」と内心思っていたのを、エンデュミオンは知らなかった。
「箸は二本で一組なんだ。何組か作ってくれると有難い」
「解ったわ。他にも必要な物はある?」
「シュトラール用の宝箱だな。これもクルトが作り方を知っている」
「エンデュミオンが欲しい物はないの?」
「む?……今は特にないな。疲れたから孝宏の作った小豆のお菓子が食べたい位だ」
「一寸、この大魔法使い無欲過ぎるんだけど!」
ヘドヴィクの訴えに、クルトとネーポムクは苦笑した。エンデュミオンは主が一番の妖精な上、そもそもが裸族のケットシーなので欲が少ないのだ。
最終的に「エンデュミオンか〈Langue de chat〉で必要な家具や小物が出来たら、無料か格安で木工ギルドが作る」と言う約束になった。
「〈蘇生薬〉を飲んでいるから、一日寝ていると思うが、明日には目を覚ますからな。往診はヴァルブルガでも魔女グレーテルでも、どちらでもいいだろう」
「有難う。本当に助かったわ」
「それにしても、何でこんな怪我を?」
「建築現場に入り込んで来た馬車が、立て掛けてあった木材にぶつかって崩れたの。荷車が道を塞いでいたとかで、回り込んで来たのよ。向こうはかすり傷だったから、低級回復薬ぶっかけて騎士団に引き渡したわ」
ヘドヴィクなら本当にその通りの行動をしたのだろう。ギルド長ならばギルド員が優先である。
「ヘドヴィク、もし建築現場を清めるなら、イージドールに頼むと良い。ベネディクトが出てくるには寒いから」
「そうするわ」
ベネディクトは寒さに弱いので、直ぐ寝込むのだ。リグハーヴス生まれの筈なのだが。
「ではエンデュミオン達は帰るぞ」
「待った」
転移陣を展開しようとしたエンデュミオンにクルトの待ったが掛かる。
「エンディ、グラウも連れて行ってくれないか? まだ俺達は家に帰れないから。あとで迎えに行くよ」
「解った」
グラッフェンの実家は〈Langue de chat〉のようなものなので問題はない。グラッフェンは主のエッダが大好きだが、兄のエンデュミオンもこれまた大好きなので問題ない。
シュネーバルを抱いたヴァルブルガが転移陣の範囲内に入ったので、エンデュミオンはグラッフェンと四人まとめて〈Langue de chat〉へと〈転移〉したのだった。
〈転移〉が出来るケットシーの魔女なので、ヴァルブルガには緊急往診依頼が来たりします。
エンデュミオンは知り合いの何人かに、再生修復魔法を使えると伝えてありますが、実際にリグハーヴスで依頼されたのは今回が初めてです。
死んだ人には使えないので、女神シルヴァーナの理には触れません。瀕死でも生きてさえいれば使えます。
蘇生薬は魂を繋ぎ留めたり、内臓回復に使用(適用外)。再生回復薬が外科用と言った感じです。
どちらもお金で買おうとすると物凄く高価です。
治癒魔法は怪我の治癒なので、切断してしまった場所は生えてきません。綺麗な状態の部位が残っていれば、くっ付けられます。
蘇生薬も再生回復薬も素材が希少なので、物自体が少ないです。ただし、エンデュミオンとラルスはかなりの数を備蓄していたりします。
聖人でも〈祈り〉を極めれば〈再生の祈り〉が出来たりしますが、ベネディクトはまだ出来ません。
そして本人に聖人の自覚がありません。