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オイゲンの靴屋のリュック・グラート

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

リュック・グラートのお話後編です。

287オイゲンの靴屋のリュック・グラート


 リュック・グラートは朝御飯を食べ終わると、そわそわしながら孝宏たかひろに裏地がふわふわのフード付きの上衣を着せて貰った。真新しく誂えられた、濃い青色はリュック・グラートの瞳の色と同じだ。

「よし、行くか」

 緑色の上着を着たエンデュミオンがリュック・グラートと前肢を繋ぎ、孝宏が開けた台所横の裏玄関のドアを通る。孝宏も二人の後からついてくる。遠回りになるが、裏庭から出て店の前の通りに回り込み南に進む。

 オイゲンの靴屋は〈ナーデル紡糸(スピン)〉の斜め向かいにあるので、〈Langueラング de() chat(シャ)〉から近いのだ。

 雪はまだ降っていないが、朝晩は風が冷たい。ぷしゅっとリュック・グラートがくしゃみをした。

「リュック・グラート、寒い?」

「大丈夫」

 久し振りに温室から出たリュック・グラートには、寒かったのかもしれない。孝宏はちょっぴり首を竦めがちなリュック・グラートに自分の首巻きを巻いてやった。

 オイゲンの靴屋は、リグハーヴスの街でも古い店だ。がっしりとした黒森之國くろもりのくに建築の建物は、長年の風雪にも耐え、よく手入れされている。

 コロロロン。

 靴屋のドアを開けると、ドアの上部に付けられた革製の鈴が可愛らしい音を立てた。

「おはようございます」

「いらっしゃいませ!」

 店にはオイゲンの孫のゼルマが居た。リュック・グラートが店内に視線を走らせる。

「オイゲンは?」

「お祖父じいちゃんは二階よ。どうぞ、上がって」

「うん」

 店の奥にある階段をゼルマに示され、リュック・グラートはとてとてと走っていった。

「ゼルマ」

 エンデュミオンがゼルマを手招きする。

「なあに?」

 ゼルマはエンデュミオンの前に視線を合わせるべくしゃがんだ。

「もしリュック・グラートが泊まりたいとか、一緒に暮らしたいと言ったら」

「大歓迎よ」

 エンデュミオンが皆まで言うより先に、ゼルマがにっこり笑った。

「お祖父ちゃんもリュック・グラートが遊びに来るって言って、昨日からそわそわしてたの」

「そうか」

 エンデュミオンは目を細め、立てた縞柄尻尾をゆらゆらと揺らした。


 一方、階段を一段ずつ登ったリュック・グラートは廊下に上がり、ドアが開いていた居間を覗き込んだ。そこにオイゲンの気配があったからだ。

「どこにいったかねえ……」

 オイゲンは呟きながら、白髪混じりの顎鬚をしごいていた。何かを探しているらしい。

「オイゲン、どうした?」

「おや来たかい、リュック・グラート」

 オイゲンはリュック・グラートに気付いて微笑んだ。それから再び部屋の中を見回す。

「眼鏡をどこかにやってしまってねえ。昨日の夜、寝る前にここで本を読んだんだが」

「眼鏡」

 リュック・グラートはオイゲンに近付き、スンスンと匂いを嗅いでから、改めて部屋の中の匂いをフンフンと嗅いだ。

「……」

 まっすぐに暖炉の前に置かれた一人掛けソファーの一つに向かい、リュック・グラートは座面の上に乗っていた、四角い端切れを繋ぎ合わせて作られたクッションを両前肢で持ち上げた。クッションがあった場所に、丸いレンズの付いた鼻眼鏡が転がっていた。

「おや、凄い」

 オイゲンはソファーから眼鏡を拾い上げた。壊れていない事を確認し、ベストのポケットに入れる。

「上に座らなくて良かったよ。見付けてくれて有難う、リュック・グラート」

「うん」

 リュック・グラートが巻き尻尾をぱたぱたと振った。

「さ、上着を脱いで、仕事場に行こうかね」

 オイゲンはリュック・グラートの首巻きと上着を脱がせ、丁寧に畳んでソファーの横に置いてあった籠の中に入れた。

「下りの方が危ないからね」と、リュック・グラートを片手で抱き上げ、オイゲンはもう片方の手で手摺りに掴まりながら、ゆっくりと階段を下りた。

 既にエンデュミオンと孝宏は帰っており、ゼルマが店の窓ガラスや棚を固く絞った雑巾で拭いていた。

 オイゲンの靴屋は基本的には客の注文を受けてから靴を作るが、見本としてリグハーヴスに多いサイズの靴を、紳士物と婦人用、子供用と冒険者用のブーツを意匠違いで幾つか置いている。稀に急ぎの客が見本の靴を買う事もあるからだ。ケットシーやコボルト用は、革の柔らかさや靴の履き口の深さなど、一人ずつの体格に合わせての注意が必要な為見本は無いが、妖精フェアリー用の靴を作るのは、リグハーヴスではオイゲンしかいない。

 棚を拭き終えたゼルマは、丁寧な手付きで柔らかい乾いた布で、見本の靴を拭っている。オイゲンに床に下ろして貰ったリュック・グラートは、ゼルマの元へ行って、下の棚に置いてあった、子供用の靴を前肢に取った。

「……」

 じっと隅から隅まで見詰める。

「それはお祖父ちゃんが作った靴よ。こっちは私が作った靴よ」

 ゼルマは同じ子供用だが、リュック・グラートが持っているのとは違う、女児の多くが好みそうな可愛らしい靴を指差した。色違いの革で作った小花が飾りで付いているが、きちんと実用的だ。

「どちらもいい靴だ」

「ふふ、有難う(ダンケ)

「今リュック・グラートが履いているのは、オイゲンが作った物か?」

「そうね。その靴はお祖父ちゃんの物ね。採寸した後、二人で作ったから、お祖父ちゃんと私が作った物とあるわ」

 殆どが着の身着のままで靴も履かずにいたコボルト達に、エンデュミオンは真っ先に服と靴を誂えたのだ。それも上質な物を。

 靴を棚に戻し、リュック・グラートは靴を作っている工房へと向かった。店内を見渡せる一角が工房なのだ。親方は必ず徒弟を育て上げなくてはならない為、工房には二人が作業出来る場所がきちんとあった。片方の机は使いこまれ、片方はまだ殆ど傷も汚れもない。

 オイゲンはリグハーヴスに来る前に、ハイエルンで息子を職人にしているので、リグハーヴスでは徒弟を取っていなかったのだ。ゼルマが職人として移住してきて、やっともう一つの作業台も使われる事になったのだった。

 作業台の上には真新しい木型と採寸票が乗っていて、これから木型を合わせて行く作業をするらしい。足の形は一人一人違うので、採寸票に合せて削ったり盛り上げたりするのだ。

 コロロン。

 革の鈴が音を立てて、ドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

「おはようございます」

 入って来たのは、灰色と白のハチワレケットシーを抱いた青年だった。

「いらっしゃい、ヘア・グラッツェル、ゼクスナーゲル」

「ええと、今日はゼクスナーゲルの予備用の冬靴をお願いしようと思って。もっと早く頼めば良かったんですけど」

「冬は靴が濡れるからねえ」

「雪遊びした後に、急に乾かすと革が傷みますし」

 オイゲンと話しながら、グラッツェルと呼ばれた青年が、床にケットシーを下ろした。

「コボルト? ゼクスナーゲル!」

 ゼルマの足元にいたリュック・グラートにすぐに気付き、ゼクスナーゲルが前肢を上げた。

「リュック・グラート。……六本指?」

「はい。ゼクスナーゲル、ろっぽんゆび」

 珍しい六本指のケットシーに、リュック・グラートは前に出て行き、ゼクスナーゲルの前肢を取った。一般的なケットシーよりも大きな前肢で、元々肢が太めだから、より大きく見える。前肢でこれなら、後肢で立ち上がった時にはもっとこう、むにっとなりそうだと考えていたリュック・グラートは、全員が自分を見ているのにはっと気が付いた。

「む、すまん」

 慌ててリュック・グラートはゼクスナーゲルの前肢を離した。オイゲンはリュック・グラートの頭の上に掌を置いた。

「この子も靴職人でね。やっぱり作り甲斐があるお客には夢中になるんだね」

「そうなんですか。じゃあお薦めの革ってあるかな」

「はい、リュック・グラート。革見本よ」

 グラッツェルに問われたリュック・グラートに、ゼルマが革見本を手渡す。ぱらぱらと革見本を一通り見た後、リュック・グラートはゼクスナーゲルに窓辺のソファーに座って貰い、靴を脱がせて直接肢に触れた。

「ケットシーは肢が柔らかいし、ゼクスナーゲルは地面についた時に足先が広がるから、柔らかい革の方が良い。冬用なら柔らかくて温かい内貼りをつけて。この辺りの革はどうだ?」

 むにむにとゼクスナーゲルも革見本を触って確かめる。

「ゼクスナーゲル、これがいい」

 ゼクスナーゲルは磨くと良い色に育っていく明るい茶色の革を選んだ。

「これに〈撥水〉の魔法陣マギラッドを仕込めば濡れを気にしなくても良くなる」

「魔法陣を靴に入れるの!? あ、そうかコボルトだもんね……」

 驚いた声を上げたグラッツェルだが、直ぐに相手がコボルトだったと納得する。魔法が使えるコボルトの靴職人ならやれるだろうと気が付いたらしい。

 ぽそっとリュック・グラートが呟く。

「……今までやった事ないけど」

「そうなの?」

「頼まれなかったし、ずーっと鉱山用の靴ばかり作って来た。可愛くないやつ」

 その言い草に、人族三人は噴き出した。

「うん、解る気がするわ。やる気なくなるわよね、同じ靴ばっかり作り続けていたら」

 ゼルマが笑い過ぎて、目の端に浮かんで来た涙を指先で拭う。

 こっくりとリュック・グラートは頷いた。

 全くその通りだった。ごつくて可愛くない鉱山用の靴ばかりを何十年も作って来たのだ。本当はもっと可愛い靴を作りたかったのに。

 グラッツェルも笑いながら言った。

「ゼクスナーゲルの靴はリュック・グラートに頼んでいいですか?」

「構わないよ」

「いいの?」

「作ってみたいんだろう? 場所も材料もあるからね。道具はあるかね?」

「うん!」

 リュック・グラートは〈時空鞄〉から使いこまれた道具箱を引っ張り出した。

「ゼクスナーゲルの採寸票はあるけれど、変わっていないか調べ直しておくれ。木型も倉庫から出しておくからね」

「うん!」

 道具箱から小さな巻き尺を取り出し、リュック・グラートは景気よく引き出した。


 その日からリュック・グラートは、〈オイゲンの靴屋〉のリュック・グラートになった。

 グラッツェルの隣を歩くゼクスナーゲルの可愛らしい刺繍入りの靴が注目を浴び、ご婦人たちの噂の的になるのはほんの少し後の事である。


リュック・グラートは、〈背骨〉や〈不屈の精神〉と言う意味もある名前です。

何十年もごつい靴ばかり作って来たリュック・グラートですが、漸く可愛い靴も作れる様になりました。ひっそりと魔法陣もりもりなので、コボルトもケットシーも出来る事には見境がありません。


リュック・グラートは孝宏にこっそり「エクレア」だなあ、と思われていました。背中が。

差し入れにエクレア渡したりしそうです。

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