ヨナタンと染物屋
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ヨナタンの血族を探します。
284ヨナタンと染物屋
シュネーバルと家族の団欒は短時間で済ませられないだろうと、イドゥベルガが泊まっていくように薦めてくれた。
時には病室にもなる客室は、今は患者がいないらしい。イシュカ達は一晩泊めてもらう事にした。
「アーベント達に聞きたいんだけど、この子の家族を知らないかな」
居間に落ち着き、イドゥベルガとヴィオレットが焼いたお菓子を振る舞って貰いながら、イシュカはヨナタンの頭を撫でた。
救出された北方コボルトばかりがいるこの村なら、同じ血族の親戚がいるかもしれないと思ったのだ。
こてりとアーベントが首を傾げる。
「北の織り子?」
「……」
しゅっとヨナタンが右前肢を上げる。
シュネーバルとエンツィアン以外がヨナタンに近付いてきて、スンスンと匂いを嗅ぐ。
「近い匂い知ってる」
「……染物屋?」
「うん、染物屋」
アーベントとヴィオレット、アインスが頷き合う。代表してアーベントが言った。
「この村にいる染物屋に匂いが近い」
「ヨナタンの家族に染物してるコボルトいたのかい?」
「おにいちゃん」
ヨナタンの家族には織り子と染物職人がいたらしい。
「親方、ヨナタンを連れて会いに行ってきても良いですか?」
「いいよ」
カチヤにイシュカが微笑む。それにテオが手を上げた。
「俺もついていくよ」
「ルッツもー」
初めての場所なので、護衛代わりだ。
イシュカと孝宏は、親代わりにシュネーバルを育てているので、アーベント達と話をしていた方が良いだろう。
テオはルッツを、カチヤハヨナタンを連れて、イドゥベルガの診療所を出た。
「おーい、聞いても良いかい?」
診療所の前で遊んでいた子供のコボルト達に、テオは話し掛けた。子供と言っても、ヨナタンだってまだ子供なのだが。
「なあにー?」
わらわらと柔らかそうな小麦色の毛に包まれたコボルトが二人やって来る。
「染物屋さんって何処にあるかな?」
「なんばんめの、そめものや?」
幾つも染物屋があると思わなかったテオは面食らったが、ヨナタンを示す。
「この子の匂いに近い染物屋さんなんだけど」
「においかぐー」
フンフン、スンスンとヨナタンの匂いを嗅ぎ、「ごばんめのそめものやー」と教えてくれた。
勿論五番目の染物屋が何処にあるか解らないので、染物屋が見える所まで送ってもらい、お礼に孝宏の焼いたクッキーの袋を渡した。
染物屋は染色液に匂いがあるからか、家が建ち並んでいる場所から数軒分離れた位置にあった。
コボルト用の家屋の横に物干し竿があり、横竿には色の濃さの違う青い糸綛が幾つも下がっていた。ここで間違いないだろう。
家の前の陽当たりの良い場所に置かれたベンチで、ヨナタンの毛色に良く似たコボルトが、あちこち色んな色に染まった生成の前掛けをしたまま居眠りしていた。陽射しは温かいが、風は冷たい。毛皮があるとはいえ、風邪を引かないのだろうか。
「……」
ととと、とヨナタンがコボルトに近付き、隣によじ登って座る。ルッツもヨナタンの反対側に座った。
「……」
「……」
話し掛ける事もなく、ヨナタンとルッツは眠るコボルトを挟んで三人でベンチに座っている。起きるまで待つつもりなのだろうと、テオとカチヤは黙って見守った。
「……」
フンフン、と真ん中のコボルトが鼻を鳴らして空気を嗅ぎ始めた。
「クライン……?」
「わう」
呟いた言葉にヨナタンが返事をするなり、コボルトが飛び起きた。
「わう!?」
「おっと危ない」
ベンチから転げ落ちる寸前で、テオがコボルトを受け止める。
「わう? わう?」
テオとヨナタンをきょろきょろと見比べるコボルトをベンチに戻す。ヨナタンがコボルトに抱き付いた。
「おにいちゃん」
「クラインか」
「いまはね、ヨナタン」
「ヨナタン」
「カチヤといっしょにリグハーヴスにいるの」
ヨナタンが指差したカチヤを、じっとコボルトがを見て、右前肢を上げた。
「ファルベン」
「カチヤです」
ファルベン、は色の複数形だ。染物屋らしい通り名だ。
「カチヤはすきなぬの、おらせてくれる。とてもやさしい」
「うん」
「テオとルッツは、ヨナタンたすけてくれた」
「そうか。弟が世話になった。さっきも助かった」
ぺこん、とファルベンが頭を下げた。
「おにいちゃん、ほかのみんなは?」
「別の村にいるぞ。手紙でやりとりしてる。ヨナタンの無事を知らせておく」
「わう。これ、ヨナタンすんでるところ」
ヨナタンは住所が書かれた紙を、ファルベンに渡した。ファルベンは大事そうに前掛けのポケットに紙を入れる。
「これ、ファルベンが染めたの?」
テオは風で揺れている糸綛を指差した。
「そうだ。これは綿糸だ」
「良い色だね。こんなに細かく色を染め分けてるんだ」
「コボルトの織り子は色に拘る」
「コボルトの織り子って、一色織りはしないの?」
「コボルトは殆どしない。何故だ?」
「人族にはこの辺の綺麗な色で織られた布が好まれそうだと思って。服にも使いやすいし」
「おりもよう、いれたらいいかな」
ヨナタンも糸綛を眺めながら思案する。
「なら、仕上がったらこの糸はヨナタンに送ろう」
「もし綿糸の他に絹糸や毛糸も染められたら、リグハーヴスの服飾ギルドに、試供品を送ると良いよ。喜んで取り引きしてくれるから」
「ほう?」
「コボルト織の布だとハイエルンのギルドを通さないと駄目だけど、糸は引っ掛からない筈だよね。物々交換にも応じてくれると思うよ。リグハーヴスの服飾ギルドは適正価格で買い取ってくれるし」
黒森之國では庶民から貴族まで、刺繍や編み物が盛んだ。冬が長いリグハーヴスでも、実益を兼ねた趣味として愛されている。その為、リグハーヴスの服飾ギルドでは、質の良い糸や毛糸をいつも用意していた。
(これだけ綺麗な絹糸なんか王宮への献上品に出来そうだしなあ)
事実、テオが思った通り、コボルトの絹糸は王宮への献上品とされていた。但し、コボルト解放令のあとでは、手に入りにくい物の一つとなっている。以前なら搾取出来ていた生産品は、今ではコボルトの意思次第で売って貰えないからだ。そもそも、コボルト織はコボルトの日常で使う布である。余剰分がコボルトの里から売られていくのだ。
「成程、良い事を聞いた」
ファルベンは取り引き先に拘りはないようだ。
「ヨナタンの兄弟が見付かったって、親方やヒロに知らせないといけませんね」
「親方?」
ファルベンが不思議そうな顔をする。
「私はルリユールの徒弟なんです。親方はヘア・イシュカでケットシーのヴァルブルガ憑きです。ヒロは従業員で、ケットシーのエンデュミオンが憑いています」
「凍土の魔女ヴァルブルガと大魔法使いエンデュミオン!?」
「確かにヴァルブルガは魔女ですが、凍土の魔女ってフラウ・アガーテの二つ名じゃないんですか?」
「魔女は資質があれば、師の二つ名も継ぐ」
「そうなんですか」
確かに凄い氷魔法を使っていたなあ、とカチヤは思い出した。
「それにエンデュミオンか。ヨナタンを預けておいても安心だな」
ぽんぽんとファルベンがヨナタンの額に前肢を乗せた。
「ルッツも俺もいるしね」
「うん、強そうだな」
ファルベンはルッツの額も撫でる。
「にゃー」
ルッツが嬉しそうに笑った。
「ファルベン、時間があるなら診療所に一緒に行って貰ってもいいかな?」
「いいが、何故診療所?」
「診療所のアーベント一家に、末子を連れて来たから、皆いるんだよ」
「ああ、そう言えば末子がいると聞いた事があるな。良いぞ、行こう」
ファルベンはベンチから飛び降りた。ルッツも身軽に飛び降りたが、ヨナタンはカチヤが下ろしてやった。
ファルベンを真ん中にして前肢を繋ぎ診療所へ向かう妖精達の後ろから、テオとカチヤがついていく。並んでみると、ルッツとヨナタンより、ファルベンの方が大きかった。
先程、染物屋の場所を教えてくれたコボルト達が居たので手を振って、診療所に戻る。
「ただいまー」
「邪魔するぞ」
ルッツとファルベンの声に、居間のドアを開けたイドゥベルガが破顔した。
「お帰り。おや、ヨナタンはファルベンと兄弟だったのかい。並ぶとよく似ているね」
「わう」
ヨナタンが巻き尻尾を振る。ファルベンは前掛けを取ってから、ヴァルブルガとエンデュミオンを膝に乗せて座っていた、イシュカと孝宏の前に行き名乗った後、「凍土の魔女ヴァルブルガと大魔法使いエンデュミオンにはお初にお目にかかる」と格式ばったお辞儀をした。
「染物職人親方ファルベン、ヨナタンの兄だ」
「息災で何よりだ」
「ふふ」
エンデュミオンが応え、ヴァルブルガも嬉しそうに笑った。
「ファルベンの染めた糸、とても綺麗な色だったよ」
「綺麗な色?」
テオの言葉に、ヴァルブルガの緑色の瞳が興味深げに光った。
「うん。凄く微妙に色を変えていてね。淡い色から濃い色まで」
「色糸……」
ヴァルブルガがイシュカの膝の上でそわそわし始める。糸や布はヴァルブルガの大好物である。
ファルベンが〈時空鞄〉から、引き出しの付いた木箱を引っ張り出した。
「色糸の見本ならあるが、見るか?」
「見たい」
ヴァルブルガはイシュカの膝から下りて、ファルベンに駆け寄る。
「あらあら、ヴィオレットにも見せてくれる?」
ファルベンの元に、ヨナタンとヴァルブルガ、ヴィオレットが集まり、色糸見本の木箱を囲む。色糸には自然の植物などの名前が付いているらしい。そのうち色糸の染めに使っている植物や鉱物の名前も四人の会話に登場し始め、専門的な会話すぎて、何を話しているのか解らなくなる。
「ああなると、長い」
うとうとしているシュネーバルを抱いたアーベントが、イシュカの隣でぽつりと呟いた。
「成程」
買い物中の主婦と同じ状態なのかと、イシュカもそれ以上余計な事は言わずに頷いた。
アインスは手招きでテオとルッツを呼んで、お菓子を渡している。イドゥベルガも笑いながら、お茶のお代わりを用意していた。
コボルト達はこんな普通の日常を、長い間送れなかったのだな、とカチヤは思う。カチヤも、どちらかと言えば家族には恵まれなかった。イシュカの元に徒弟として引き取られた今の方が、とても家族らしい日常を過ごしている気がする。
「楽しいね、カチヤ」
孝宏がエンデュミオンの後頭部を撫でながら、カチヤに笑い掛けた。
「はい」
カチヤも笑って、楽しそうにファルベンと話しているヨナタンを見詰めた。
ヨナタンの兄、ファルベン登場。
染め物職人、ファルベン。親方なのでかなりの腕前です。
この村は織り子が多いので、染物屋も多いです。
結構ヨナタンとは歳が離れていますが、仲良し兄弟です。
ハイエルンのコボルト的には、エンデュミオンよりもヴァルブルガの方が身近で知られています。
エンデュミオンは伝説級なんで。
質の良い糸や布には目がないヴァルブルガです(魔力の乗りも良いので)。
きっと、マリアンにも教えてあげるのだろうなあと思います。