イシュカとハルトヴィヒへの報告
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ハルトヴィヒへ諸々の報告です。
282イシュカとハルトヴィヒへの報告
予定外の砂竜との出会いはあったものの、イシュカ達はヴァイツェアの街のルリユールで見学をさせて貰ったあと、街を散策して屋台でお昼ご飯を食べてから領主館に戻って来た。
ヴァイツェアの街は、交易街という話の通り様々な種族が居て賑やかだった。果物や香辛料などは産地だけあって、王都よりも豊富で安い。そのため買い付けに来る行商人も多いらしい。
「イシュカ、孝宏、エンデュミオン、父上の所に行くぞ」
各離れに向かう渡り廊下に繋がる広間で、フォルクハルトがイシュカの腕を掴んだ。
「やっぱり説明が要るか」
「チッ」
「エンデュミオン、舌打ちしたか?」
「気のせいだ。仕方ないな」
ぽしぽしと前肢で灰色の縞のある頭を掻き、エンデュミオンが不満げながら了承する。
「俺達はエデルガルト邸に戻っているよ」
「じゃあ一緒にシュネーバルを連れて行ってくれ」
「解った」
イシュカはスリングごとテオにシュネーバルを渡した。帰りの馬車の中で、シュネーバルはお昼寝に入ってしまっていた。テオに肩車されているルッツも、半分目が閉じているし、カチヤの腕の中にいるヨナタンも、街ではしゃいでいたので疲れたのかこくりこくりと舟を漕いでいた。
テオ達と別れ、本館に向かう。渡り廊下の飾り窓から花の咲き乱れる庭を見ながら進む。途中で窓から見える庭が変わるので、その辺りで魔法陣による場所移動をしているのだろう。
渡り廊下を出た先には、平民の家屋に近い造りのエデルガルト邸とは打って変わった、壮麗な屋敷が建っていた。白と緑の石を主体に彫刻を交えながら造られた屋敷は、孝宏の感覚では神殿のようにも見える。
両開きの重厚そうな扉を開けたのは、なんとなく若く感じる蜂蜜色の髪の執事だった。森林族は慣れないと本当に年齢が解らない。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、フィン。イシュカ、彼が執事のフィン。俺の乳兄弟でもあるんだ」
フォルクハルトの乳母マティルデの息子だ。以前の執事の職が解かれた後、暫く空位だった執事の座だが、学院を出た後ヴァイツェアの騎士団で働いていたフィンが戻って来たのだ。
「大君にはお初にお目にかかります」
「こちらこそ。フォルクハルトを宜しく」
イシュカの言葉を聞いたフィンは、その場で見事な騎士の礼をとった。
「私はヴァイツェア家にお仕えする者。大君にも、忠誠を誓います」
「──有難う」
「イシュカ」
ヴァルブルガが〈時空鞄〉から緑色の表紙の手帳を取り出して差し出して来た。手帳を受け取ったイシュカが、それをフィンに差し出す。
「俺が作ったものだけど、どうぞ」
「有難うございます、大君」
嬉しそうな顔でフィンが手帳を両手で受け取る。それを見ていたフォルクハルトが堪えきれずに笑った。
「フィンはイシュカの手帳がお気に入りなんだ。前に土産であげたんだけど」
「若君!」
「フィンは学院で騎士科も文官科も修了してからここの騎士団に入ったんだ。執事になったのは最近だから、覚える事が一杯で手帳が足りないって言ってたもんな」
「ほう、二科も出るとは優秀だな。確かクラウスも二科出ていた筈だが」
エンデュミオンがきらりと黄緑色の瞳を光らせた。
「リグハーヴスのヘア・クラウスは高名ですね。彼は二科とも首席で卒業されています。王宮への勧誘を断ってリグハーヴス公爵家に入ったと聞いています」
「クラウスはアルフォンスの執事だからな。あれは魔剣ココシュカの主だし、王宮よりは公爵家に居た方がいいだろう。クラウスは例えるなら、王のツヴァイクみたいなものだからな」
あれは執事と言う名を借りた、アルフォンスの盾であり剣である。
「ココシュカには王宮は合わないかも……」
孝宏も無邪気なココシュカを思い出して呟く。リグハーヴスだから魔剣から出て遊びまわれるのだ。
「フィン、父上は執務室かな?」
「はい。そろそろお茶をお持ちする時間です」
「じゃあ、ちょうどいいかな。話したい事があるんだ」
皆でハルトヴィヒの執務室に移動する。イシュカも孝宏も初めて入る本館なので、フィンとフォルクハルトについていかないと迷子になりそうだった。
飴色に磨かれ、植物の彫刻の入ったドアの前でフィンが立ち止まり、軽く握った拳でノックする。
「どうぞ」と中からハルトヴィヒの返事が聞こえた。
フィンはドアを開け、イシュカ達を部屋の中に通してから、お茶を淹れに出て行った。
「お帰り、楽しかったかい?」
ハルトヴィヒはイシュカ達を見て、ぱっと笑顔になると、執務机に向かっていた椅子から立ち上がった。既に机の上の書類はきちんと片付けられ、決裁箱に振り分けられている。
「はい、楽しかったです」
「楽しかったけど、色々と報告する事があるんです」
「何かあったのかい?」
イシュカとフォルクハルトの答えの違いに、ハルトヴィヒはソファーへと移動していた動きを止めた。
「まだ何か起こった訳じゃないぞ、フォルクハルト」
「起こってたら國際問題になってるからな、イシュカ」
「そういう恐ろしい話は、最初からゆっくり話そうか? 息子達」
「失礼します」
ワゴンに乗せたティーセットをフィンが運んで来たので、それぞれソファーに腰を下ろす。
「おかし」
皿に盛られた焼き菓子に、フリューゲルが嬉しそうな声を出す。ヴァイツェアの一般的な菓子は、果物などの水菓子か、ドライフルーツや木の実を混ぜて焼いたケーキだ。イシュカの母のエデルガルトは、趣味で料理や菓子のレシピを集めているので、レシピが多いだけなのだ。
花の香りのする紅茶をフィンがカップに注ぎ皆に配るのを待ち、フォルクハルトが声を掛ける。
「フィンも居て貰った方がいいから聞いていてくれ」
「はい」
フィンがティーワゴンの傍らに立つのを確認して、フォルクハルトはケーキを一切れ皿に取り、フリューゲルに渡す。
「ありがと」
尻尾をゆらゆらさせながら、フリューゲルがフォークを握り、ケーキを攻略しはじめる。フリューゲルは妖精としては子供なので、これでいい。
ミルクたっぷりのミルクティーをぺろりと舐め、エンデュミオンは「孝宏の事なんだがな」と口を開いた。
「孝宏が〈異界渡り〉なのは知っているだろう?」
「ああ。王と聖女から公爵家当主は知らされたからな」
エンデュミオンの問いに、ハルトヴィヒは頷いた。エンデュミオンはハルトヴィヒがティーカップをテーブルに戻すのを確かめてから、言葉を続けた。
「倭之國にも英之國にも〈異界渡り〉は降りたが、現在その二人共が倭之國にいる。そしてその二人と孝宏は親戚であり、倭之國に降りた方の〈異界渡り〉は帝の正妃で、英之國に降りた方の〈異界渡り〉は大使となっている」
「……は?」
「だから、孝宏は倭之國の帝の嫁と、英之國の大使と親戚と言う事になる」
「はあ!?」
「すっかりアルフォンスとマクシミリアンに伝えるのを忘れていたんだがな。このお茶は美味いな」
「いや、なに落ち着いてお茶を飲んでいるんだ? エンデュミオン。場合によっては孝宏は國賓扱いになるぞ」
「面倒だからそんな扱いはいらん。王宮と聖都と公爵家だけで知っていればよかろう」
孝宏の価値が上がれば余計な虫が湧くかもしれないからだ。
「解った。覚えておくよ。陛下にはお知らせするのかい?」
「リグハーヴスに戻ってから知らせに行こうと思っている。倭之國にはエンデュミオンと同等の呪術師がいるからな。喧嘩は売らない方が良い」
「冗談だろう?」
「冗談ではない。エンデュミオン達は必ず生まれる存在だ。倭之國には二柱の神がおわすが、あの神達は人を嫁にすると言う。もしその呪術師が神の寵愛を受けているのなら笑えないぞ。まあ、國土からは出られないと思うが」
寵愛する存在を神が領土から出す筈がない。エンデュミオンが黒森之國から出られないように、その呪術師も倭之國からは出られないだろう。
「あと一つは街に砂竜が居て、イシュカとテオに〈加護〉を与えた事かな」
「砂竜? 居たのか街に」
「居ました。普通に人化して屋台で氷菓子売っていました」
ハルトヴィヒに答えるフォルクハルトが、何とも言えない顔をしている。竜は神ではないが神聖視される生き物なのだ。だから竜に選ばれた竜騎士も尊敬を得る。
「氷菓子。砂竜が」
想像出来なかったのか、ハルトヴィヒが繰り返す。
「寿命が長いから、暇潰しだろう。若い個体だったし」
「砂竜……」
ぽつりとヴァルブルガが呟く。緑色の大きな瞳を半眼にしたまま、握ったフォークをケーキにぶすりと突き刺した。まだご機嫌斜めのようだ。丸い三毛の頭をイシュカに撫でて貰いながら、ケーキを食べている。
「砂竜の〈加護〉を強く受けるのは〈暁の砂漠〉の民だろうし、今の情勢で悪さをする事もないだろう。砂竜だってルッツとヴァルブルガに呪われたくないだろうし」
〈加護〉でもあれだけむきになって匂い付けをしていた二人なのだ。場合によっては相手が竜でも呪うだろう。
「まあ、好きにさせてやれ。何か用事があるなら領主であるロルツィングかハルトヴィヒに言って来ると思うから」
「ああ。ではヘア・ロルツィングとも情報共有をしておかなければならないな」
溜め息をついてハルトヴィヒが前髪を掻き上げた。そしてじっとエンデュミオンを見詰める。
「……」
「何だ? エンデュミオンのせいではないぞ」
ハルトヴィヒのもの言いたげな眼差しに、エンデュミオンは孝宏の膝の上でもぞもぞと座り直す。いくらエンデュミオンでも、顔見知りでも無い砂竜を呼び出したりは出来ない。
ふう、とハルトヴィヒがリグハーヴスのある方向を遠く眺めた。
「ヘア・アルフォンスもご苦労な事だな……」
「いや、だから、エンデュミオンのせいではないからな?」
思わぬところでアルフォンスへの同情を得てしまった。孝宏の親戚について知らせ忘れたのはエンデュミオンだが、砂竜の件は濡れ衣である。
「そう言えば、フラウ・イングリットに御挨拶をしていなかったのですが、いらっしゃいますか?」
イシュカ達は領主館を訪れてから本館に来ていなかったので、ハルトヴィヒの正妻であるイングリットに会っていなかった。イングリットは、側室であるエデルガルト邸には訪れないからだ。
ハルトヴィヒは少し困ったように笑った。
「イングリットは実家の兄弟に子供が生まれてね、顔を見に出かけているんだよ」
「それはおめでたいですね」
イシュカの事を避けているのかもしれないが、森林族は生存年齢に比べると、子供の数が少ない種族だ。子供が生まれたと言うのは、一族を上げての慶事なのだろう。
「父さん、俺達は明後日、リグハーヴスに戻ろうと思います」
「そうか。ケットシー達が場所を覚えただろうから、これからはいつでも遊びにおいで。ここはお前の実家なんだからね」
「有難うございます」
実家と言う響きにくすぐったい物を感じる。ないと思っていた親が、兄弟が、実家が出来たのはとても幸運だとイシュカは思う。
「イシュカ?」
「有難う、ヴァル」
見上げて来たヴァルブルガの額に、イシュカはお礼のキスをした。
アルフォンスに同情するハルトヴィヒです。
全部が全部エンデュミオンのせいではないので、不本意なケットシーが一人。
そして、砂竜にまだ怒っていたヴァルブルガさんです。加護だけど、祝福だけど、イラッとするわー、なのです。
そして、この中で一番色々と驚いていたのがフィンだろうなと。
多分あとでフォルクハルトに詰め寄っていると思われます。