イシュカとヴァイツェア魔法使いの塔
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ヴァイツェアの魔法使いの塔へ。
274イシュカとヴァイツェア魔法使いの塔
ヴァイツェア旅行の留守番には、木竜のグリューネヴァルトと火蜥蜴のミヒェルが残る事になった。
温室にはコボルト達がいるが、水竜キルシュネライトが構えているし、マンドラゴラのレイクも留守番組だ。いくら幼いマンドラゴラでも、シュネーバルに懐いている個体なので、何かの拍子に叫ばれると厄介なのだ。
コボルト達の食事はクヌートとクーデルカに頼み、畑はカシュが見てくれる事になった。
パンや肉はカールとアロイスが届けてくれるし、夜にはリュディガーとギルベルトが母屋に泊まってくれるので安心だ。
「何かお土産を持っていこうか……」
とは言え、イシュカはリグハーヴスの特産は地下迷宮位しか思い付かなかった。
「イシュカの作った手帳は? 仕事で使うだろうし、喜ばれるんじゃないかな」
「そうかな。何色の表紙がいいかな……」
孝宏の薦めに、イシュカは在庫の手帳が入っている箱を持ってきて選びだす。
「土産か。ヴァイツェアで手に入りにくい物なら、〈黒き森〉産の物がいいか?」
座布団に座っていたエンデュミオンが〈時空鞄〉を開けて中を覗き込む。
「この間作った妖精鈴花入りのお茶なんでどうだ? 蘇生薬と再生回復薬とか。一本ずつ位はあってもいいだろう。魔力回復飴もあるぞ」
「エンディ、それ買ったら本来凄い値段するやつだから」
「エンデュミオンは素材持ち込みだからなあ。手技料と瓶代で良いんだ」
苦笑するテオに、エンデュミオンは頭を掻く。
エンデュミオンも調薬出来る知識があるようだが、普段は素材を持ち込み〈薬草と飴玉〉のラルスに作って貰っているのだ。
「森だから、ヴァイツェアも薬草師多いのかな? 森林族って長寿だよね」
孝宏が首を傾げた。
「長寿だが、平原族の街と職業分布は同じようなものだったと思う。薬草師や樹木医は〈緑の蔦〉一族が多かったんだ。一族毎に職種を継いでいるのがヴァイツェアでは多いんだ。だから領主や村や街の長は、ヴァイツェア一族と言う訳だ」
お土産用の籠にヨナタンのコボルト織で作った巾着に一本ずつ入れた蘇生薬と回復再生薬、魔力回復飴の瓶を納めながらエンデュミオンが答える。
「だから、もしイシュカがヴァイツェアに戻ると言っていたら、ヴァイツェアの中央街の街長になっていたかもしれないな」
中央街と言うのは、各領の一番大きな街の事だ。リグハーヴスには大きな街が一つしかないが、他の領には幾つか存在する。
フォルクハルトが領主になれば、兄であるイシュカに大きな街を任せたとしても、おかしくはないのだ。
勿論、イシュカにそんな気は欠片もないが。
「柄じゃないなあ。俺は一介のルリユールだよ」
「そうだな。だが孝宏は表向きイシュカの庇護下にあるだろう? イシュカがヴァイツェアに移動すれば〈異界渡り〉の孝宏もついてくると考える馬鹿もいるかもしれん」
「曖昧な態度は取るなって事だな」
イシュカを次代領主にと擁立しようとする派もあるのかもしれない。領主になる為の勉強をしていないイシュカに、無茶振りしすぎである。
おまけにイシュカにはヴァルブルガが憑いているのだ。おっとりしているが、エンデュミオンと同じだけ生きているヴァルブルガは、決して弱くない。呪いに関しては、エンデュミオンよりも容赦がない。
「しかしフォルクハルトも、よくエンデュミオンまで招いたものだ」
妖精鈴花の青い花を乾燥させた物を混ぜたお茶の缶を籠に追加し、エンデュミオンが楽しそうに笑った。
「呼ぶなら全員って思ったんだと思うが」
「そうだろうな。お、これもあったな」
〈時空鞄〉に前肢を突っ込み、エンデュミオンは淡いピンク色の花を取り出す。それは硬貨程の大きさの、ピンク色で半透明の蓮の花の形をした石に見えた。
少し甘く柔らかい花と果実の香りが、ふわりと鼻先をくすぐる。
「それは?」
「これは香り石だな。昔暇な時に作ったんだ。衣装櫃の中に入れておくと良いんだ。香りが女性に合うから、エデルガルトにやると良い」
これって錬金術じゃないの? とテオが呟いているのがイシュカの耳に聞こえた。どうやらエンデュミオンは魔法使いの他に調薬も錬金術も出来るのかもしれない。
だとしても、エンデュミオンはイシュカには、可愛い鯖虎柄のケットシーでしかないのだが。
孝宏とイシュカはエンデュミオンが可愛いケットシーに見えるのだが、他の人にそういうと「え……?」と言う反応が返ってくるのが不思議である。
綺麗な模様のある透明な硝子の容器に香り石を入れて、エンデュミオンがイシュカに差し出した。多分この容器も、骨董の部類の砂糖菓子入れのような気がする。
「これ、幾らだ?」
「エンデュミオンが昔作ったからなあ。いらんぞ」
まさかの趣味の工芸だった。
「ルッツもエデルガルトにあげるー」
ルッツが差し出してしたのは、翡翠色や薄紫色の花の形の鉱石だった。
「さばくでひろってきたの」
定期的に〈暁の砂漠〉の実家に顔を出すようになったテオとルッツは、行く度にオアシスの回りを散策しているらしい。
ころころと容器の中に花が増える。そしてヴァルブルガも、そっとレースで編んだ白い小花を幾つか入れた。あっという間に容器の中が花でいっぱいになる。
「う!」
「シュネー、これは?」
シュネーバルが持ってきたのは、指先で摘まめる程の、白く丸い物だった。真珠大の物が数個ある。
じっとエンデュミオンが〈鑑定〉する。
「シュネーバルの抜け毛で作った毛玉だな。〈幸運〉が付いてるぞ」
有難い毛玉だった。幸運妖精は抜け毛にも〈幸運〉付与があるとは知らなかった。
「有難う、シュネー」
「うー」
ぐいぐいとイシュカの脇腹に頭を擦り付けるシュネーバルを撫でてやる。うちの子が可愛い。
「ただいま戻りました」
「ただいま」
布包みを抱えたカチヤがヨナタンと一緒に居間に入ってきた。カチヤには〈針と紡糸〉に頼んでいた、夏物の上着を取りに行って貰っていたのだ。
「砂漠蚕の布を扱う仕事は殆んど来ないらしくて、フラウ・マリアンとフラウ・ナデリナが喜んでましたよ」
「それは良かった」
珍しい布での仕立てを頼むと、マリアン達はとても喜ぶ。
「砂漠蚕は〈暁の砂漠〉の特産だから、地元ではそれほど高くないんだけどね。必需品だし」
王都では高いらしいよ、とテオが言う。
暑い〈暁の砂漠〉では、涼しい砂漠蚕の布が日用品なのだ。
「街に出る時は羽織っていかないと暑いよ。あと、孝宏は目立つから、フード被ってね」
「目立つ?」
きょとんとする孝宏にテオが続ける。
「孝宏は顔立ちが黒森之國の民と違うだろう? 大使位しか倭之國の人っていないから、〈異界渡り〉を知っている人にはバレやすいよ。〈異界渡り〉は倭之國系の人種だって、知っている人は知ってるから」
「皆彫り深いもんね……」
平たい顔族だもーん、と孝宏が口を尖らす。
「王宮と聖都が、孝宏はリグハーヴスの庇護下にあるって発表しているけど、用心に越した事はないからね」
「ふん。エンデュミオンから孝宏を奪おうなど、この世に生まれてきた事を後悔させてやるぞ」
エンデュミオンがにゅっと前肢から爪を出すが、すぐに「悪代官みたいな発言しないの」と、孝宏にぎゅっと抱き締められ窘められていた。
「孝宏もカチヤも一人で行動はしないようにね」
「いや、そもそも迷子になると思うから!」
「そうですよ!」
テオに釘を刺され、孝宏とカチヤがあわあわする。子供扱いされるよりも、迷子になりそうな事の方に比重が大きいのがおかしい。イシュカは思わず吹き出して、孝宏とカチヤに、じとりとした眼差しを向けられてしまった。
イシュカだって初めていくヴァイツェアだ。どんな街かは知らない。
「これで大体荷物は揃ったかな」
何を用意するか書いてある紙に目を落とし、孝宏が呟く。
「着替えがあれば良いって、フォルクハルトが書いてたからな」
何しろ宿泊するのは領主館である。
「待ち合わせはヴァイツェアの魔法使いギルド本部だっけ?」
「うん。エンデュミオンがそこまでは〈転移〉出来るんだろう?」
「出来るぞ。〈転移〉する時間をフィーに知らせておいてあるから問題ない」
魔法使いギルド間で飛ばないので、一応時間予約していた。
一般的には転移陣経由でのみ、〈転移〉をするものなのだ。大魔法使いは別だが、妖精がぽんぽん〈転移〉をする姿が見られるというのも避けたいらしい。リグハーヴスでは見慣れた光景なのだが。
ぽん、とイシュカの太股にヴァルブルガの丸い前肢が乗せられた。少し潤んでいるような緑色の大きな瞳でイシュカを見上げてくる。
「イシュカ、楽しみ?」
「うん、少し緊張しているけどね」
冒険者か、もしくは巡礼でもなければ、余り旅行をしないお國柄である。
更にイシュカにとっては記憶にはないが生家である。まだハルトヴィヒとエデルガルトが両親だという実感は薄いが、一度は行ってみたいと思っていたヴァイツェアだった。
二週間ほどの余裕をもって準備をし、出掛ける当日の朝に改めてリュディガーやカール、アロイス等温室組コボルトの面倒を見て貰う各所に声を掛けた。クヌートとクーデルカには前日に話してある。
畑仕事が好きなカシュも二つ返事で引き受けてくれて、クヌート達と一緒に連れてきて貰う約束だ。
温室には水竜キルシュネライトとマンドラゴラ、三頭魔犬がいるので、無断侵入するのは命懸けになるだろう。
荷物を持って皆で裏庭に集まる。
「荷物は持ったな」
「大丈夫」
エンデュミオンの確認に、頷く。
「では跳ぶぞ」
ぶわっと足元に銀色の光で魔法陣が描かれる。ここまで速く展開出来るのは、等級の高い魔法使いだけだと、ヨルンが言っていた。
エンデュミオンに憧れる魔法使いは多いが、ヨルンもコボルトのホーンも時々魔法を教わっているようだ。コボルト達の勉強会に参加しているだけともいうが、魔法がからっきし使えないイシュカには少し羨ましい。
〈転移〉の魔法陣が展開されてすぐに目の前の景色がぶれ、次の瞬間には薄暗い石壁の部屋の中だった。壁には煌々と魔石ランプが灯されている。足元の魔法陣は力を失いぼんやりと光っていた。
「ようこそヴァイツェアへ」
待ち構えていたのは、長い杖を持った大魔法使いフィリーネだった。
「転移部屋を貸し切ってすまんな、フィー」
「数分の事ですから、師匠」
イシュカよりも数倍の年齢の筈だが少女に見えるフィリーネは、大魔法使いに相応しい魔力の持ち主だ。魔力の高い者程、森林族でも寿命が長いという。
イシュカは平原族と森林族の血を継いでいるので、自分の寿命がどれ程の長さになるのか知らない。
母親のエデルガルトが平原族なので、種族的には平原族だが、森林族の素質も受け継いでいる筈だからだ。
とは言うものの、産まれた時から魔力が殆んどなかったからこそ、イシュカは捨てられたのである。もしそのままヴァイツェアで暮らしていたとしたら、嫡男として育てられていたかもしれないし、学院の騎士科に通っていたかもしれない。だとしても、今のイシュカには特に未練のない妄想だ。
ルリユールとして独立し、店を持ち、可愛い弟子もいる。同居人にも恵まれていて、何の不自由もない。
「ヘア・イシュカ、ヘア・フォルクハルトがお待ちになっていらっしゃいますよ」
「待たせましたか?」
「いえ、早めに出てこられたそうです」
うふふ、と笑ってフィリーネが待合室へと案内してくれる。大人数で〈転移〉する時などの待ち合わせに予約出来る部屋だそうだ。もしくは、それなりに身分のあるものが来た時用に使うらしい。
〈転移〉部屋を出て廊下を進み、壁に並ぶドアの一つをフィリーネが叩く。
「はい、どうぞ」と聞き覚えのある声に、イシュカは口元を緩めた。
ドアを開けた待合室では、フォルクハルトと南方コボルトが仲良く座り、フォルクハルトの膝の上に乗った黒白ハチワレケットシーのルドヴィクとお喋りをしていた。
「ふぃー!」
フィリーネに気付いたルドヴィクが前肢を主に伸ばす。フィリーネはルドヴィクを抱き上げた。
「ルド、良い子にしてた?」
「るど、いいこ!」
「良い子でしたよ」
フォルクハルトが笑って立ち上がった。
「イシュカ、久し振り」
「フォルクハルトも」
ぎゅっと抱き合うのにも、少し慣れた。フォルクハルトがイシュカを兄として慕ってくれるのが、少しくすぐったい。
「その子がフリューゲル?」
「そう。フリューゲル、おいで」
呼ばれて南方コボルトがソファーから下りてとことこ近付いてくる。一番近くにいたエンデュミオンと目が合うと、右前肢を上げた。
「フリューゲル!」
「エンデュミオン!」
「ヴァルブルガ」
「ルッツ!」
「ヨナタン」
「しゅねーばる!」
シュネーバルは孝宏が提げたスリングの中から挨拶した。小さいので、一人で歩かせるのに不安があるのだ。
同じコボルト同士、フリューゲルとヨナタンがにこにこと笑いあっている。相性は良さそうだ。
「領主館に案内するよ。表に馬車を用意してあるんだ」
「馬車?」
「魔法使いギルドの本部の塔は街中にはないんだ」
イシュカの怪訝な声に、エンデュミオンが答えた。
「森の中の湖の真ん中にあるんですよ」
フィリーネが先に立ち、待合室を出た廊下の先に進む。
「少し塔の横からになりますが、ここから外に出られますよ」
廊下の突き当たりの堅牢そうな扉を開けると、整地された広場になっていた。回りは背の高い大木で囲まれている。広場からは緩やかな坂道が、赤い石壁に蔦の這った塔の周囲を回るように続いていた。
「この坂道を上りきると、塔の正面になります」
「あとは解るから大丈夫だぞ、フィー」
「昔と変わっていませんからね」
フィリーネが微笑み、エンデュミオンの前にルドヴィクを抱いたまましゃがんだ。
「師匠、たまには〈柱の間〉にもいらして下さいね」
「魔力が足りないのか?」
「足りてはいますが……」
「そうか。近いうちに行くと伝えてくれ」
「承知しました」
イシュカが解らない会話を終え、フィリーネが立ち上がる。彼女はそこで立ち止まり、イシュカ達を見送った。
やっと魔法使いの塔へ到着です。
ケットシーから主を奪おうとすると、確実に呪われます。
ヴァイツェアの魔法使いの塔の地下にも、〈柱〉の魔力供給陣があります。
補佐柱は国内にいくつかあります。黒森之國の正式な柱は一本だけです。