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ヴァイツェアからの誘い

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

ヴァイツェア旅行編始まります。


273ヴァイツェアからの誘い


「いしゅか、あけて」

「はいはい」

 毎朝シュネーバルは温室に向かう。ただし身体が小さくドアを自力で開けられないので、毎回誰かにお願いするのだ。

 今日はイシュカが一階の台所横にあるドアを開けた。

 温室へ続く煉瓦道をちょこちょこ歩いていくシュネーバルの後についていき、温室のドアも開けてやる。

 毎朝マンドラゴラのレイクに水を掛けてやるのが、シュネーバルの日課なのだ。

「んー」

 温室のドアを開けたままシュネーバルを待ち、イシュカは朝陽の下、腕を空に上げて伸びをした。

 夏が短いリグハーヴスは、既に初秋の気配だ。朝晩は涼しくなってきた。薄青い空も高くなった気がする。

「ん?」

 見上げていた空から、白い物が飛んできて目の前で停まった。

「手紙?」

 イシュカは魔力が殆んどないため精霊ジンニーが見えない。だが、恐らく目の前には風の精霊(ウィンディ)がいる筈だ。

有難う(ダンケ)

 イシュカは封筒を掴み、礼を言った。

一寸ちょっと待っててくれるか?」

 精霊にお礼を渡そうと、イシュカは温室に入り、大粒で真っ赤な苺を見付けて一つ摘んだ。エンデュミオンの温室の果物は甘くて美味しいのだ。

 温室の外に戻り、掌に乗せた苺を「どうぞ」と差し出すと、風が掬い取っていった。

「誰からだ?」

 白い封筒を確認する。宛先はイシュカ宛で、差出人はフォルクハルトだった。イシュカの腹違いの弟だ。お互いの存在を知ってから、手紙をやり取りしている。いつもは貸本の返却時に手紙を付けてくる事が多い。

 フォルクハルトの名前の頭文字を、飾り文字の印章にしたものが、緑色の封蝋に押し付けてあった。

「おみず、あげてきた」

「キャン」

 戻ってきたシュネーバルに、レイクもついてきた。マンドラゴラは根で自由に移動するのだ。大人しいし、渇いてきたらレイクは水を所望するので、育てやすいとイシュカは思うのだが、一般的にはマンドラゴラは脅威の植物である。

 シュネーバルとレイクと母屋に戻る。朝御飯は二階で食べる事が多いので、そのまま二階に連れていく。居間と続きの台所からは、孝宏たかひろとカチヤが作る朝食の良い匂いがしていた。

「おはよう、イシュカ」

「おはよう。ルッツはまだ寝てるか」

 テオも起きてきていたが、腕に抱かれたルッツは完全に寝ていた。相変わらず朝に弱い。

「あれ、手紙?」

「フォルクハルトからだよ」

 イシュカは居間のローテーブルの引き出しから紙用のナイフを取り出し、封筒を開けた。封筒の中から薄い緑色の便箋を抜き出す。黒に近い濃い緑色のインクで、細めのペン先を使って文字が丁寧に書かれている。

「……」

 手紙に目を通し、イシュカは「ヴァイツェアか」と呟いた。

「ヴァイツェアがどうかしたのかい?」

「フォルクハルトが遊びに来ないかと書いてきたんだ」

 テオに答え、イシュカは便箋を封筒に戻した。

 イシュカはヴァイツェア公爵ハルトヴィヒの長男だが側妃腹であり、産まれてすぐに執事の手により王都の孤児院に置き去りにされている。その為、ヴァイツェアの記憶はないし、訪れた事もない。

「ご飯出来たよ。温室の皆の所に届けてくるね」

 孝宏が台所から〈魔法鞄〉片手に現れる。

「ああ、頼むよ」

 現在〈Langueラング de() chat(シャ)〉では、救出されたハイエルンのコボルト達を預かっている。コボルト達は温室で寝起きしているので、食事を届けているのだ。日によっては、ケットシーの里で一緒に料理を作って食べたりもしている。

「ルッツ、ご飯だぞ」

「……ごはーん」

 もそもそとテオの腕の中で、ルッツが前肢で目を擦りながら起き出す。

 台所のテーブルでは、エンデュミオンとヴァルブルガ、ヨナタンがフォークやスプーンを並べていた。

「う」

 シュネーバルが〈時空鞄〉から、採り立てのベリーが入った籠をカチヤの前の床に置く。

「有難う、シュネー。ヨーグルトに入れようか」

「う!」

 カチヤに頭を撫でて貰い、小さな白い尻尾をシュネーバルが振る。

「ん? 手紙か?」

 イシュカの前にフォークを置いたエンデュミオンが、手に持っていた封筒に気付く。

「フォルクハルトから、ヴァイツェアに皆で遊びに来ないかと書いてあったんだ」

「ふうん? 良いんじゃないのか? エデルガルトも喜ぶだろう」

 エデルガルトはイシュカの母である。

「でも皆でとなると……」

「コボルト達か? 留守番を誰かに頼めば大丈夫だろう。三頭魔犬ケルベロスもいるし」

 コボルト達がいるので、〈Langue de chat〉の裏口の鍵は常に開けてあるのだ。一応、敷地内にはエンデュミオンが防御の魔法陣マギラッドを張り巡らしているので、不審者は入ってこられない。無理矢理敷地内に入ろうとすると、かなり酷い目に遭うらしい。それでも母屋を無人にするのは、やはり不安だ。

「誰に?」

 イシュカに問い返され、エンデュミオンは右前肢で顎を押さえた。該当者を熟考したのちにぽつりと口にしたのは、元王様ケットシーの名前だった。

「……ギルベルトかな」

「そうか。……リュディガーに頼んでみるか」

 ギルベルトはエンデュミオンの育ての親であり、リュディガーはギルベルトのあるじで且つイシュカの年下の叔父である。

 リュディガーの伴侶はヴァイツェアから出てしまった森林族のマリアンだ。マリアンが故郷を出た理由がハルトヴィヒの側妃になるのを断ったというものであり、二人共ヴァイツェアに帰郷する気はないらしい。

「ただいまー。今日も皆元気そうだったよ。難しそうな顔してどうしたの?」

 温室から戻って来た孝宏が、真面目な顔で話していたイシュカとエンデュミオンに微笑む。

「フォルクハルトからヴァイツェアに遊びに来ないかと手紙が来たんだ。それで留守番をリュディガーとギルベルトに頼んでみようかと思って」

「へえ、ヴァイツェアかあ。俺、リグハーヴスと王宮くらいしか行った事ないなあ」

「店をやっているからな。カチヤもどこにも連れて行ってやっていないし、皆で行くか」

「いえ、お祭には行かせて貰ってますから」

 慌ててカチヤが手を振る。〈Langue de chat〉はきちんと毎週休みがあるし、充分な衣食住がついている。街で行われる祭などにも、毎回ちゃんと連れて行って貰え、まともに賃金が出て、しっかりとルリユールの仕事を教えて貰っていた。

 イシュカは「見て覚えろ」というような無駄な事はせず、きちんとやり方をカチヤに教える師匠だった。曖昧な事を教えてどうするんだ、という考えなのだ。これはかなりの好待遇と言えた。

「まずはリュディガーとギルベルトに留守番を頼めるか、聞いてみるよ」

 イシュカは朝食を済ませた後、〈ナーデル紡糸(スピン)〉に出向いた。

 リュディガーは薬草採取師なので、留守にしている事もあるが、出掛けていない場合は家で細工物を作っている。

おはようございます(グーテンモルゲン)

 カウンターにはマリアンが居た。イシュカを見てにっこりと笑う。相変わらず性別を感じさせない美しい容貌をしている。作業台ではアデリナが布の裁断をしていて、イシュカに会釈をしてから仕事に戻る。

「いらっしゃい。ご注文? それともリュディガーに用事かしら」

「リュディガーとギルベルトに頼みがあってきました」

「二階に居るから、どうぞ上がって」

「有難うございます」

 イシュカは階段を上って、二階にある居間に顔を出した。

「おはようございます」

「イシュカ」

 台所で皿を拭いていたギルベルトが、ひょいと尻尾を上げた。リュディガーは流しの前で皿を洗っていた手を止め振り返る。イシュカを見て軽く目を瞠った。

「おはよう。座っててくれる?」

「ここ」

「有難う、ギル」

 ギルベルトが台所のテーブル脇の椅子を引いてくれたので、イシュカはそこに腰を下ろした。

 食器を洗い終わったリュディガーは手拭いで手を拭いてから、薬缶を焜炉に乗せ、熱鉱石のレバーを動かす。その間に、ギルベルトがティーポットとカップ、茶葉の入った缶を準備していた。成人男性の腰ほどの大きさがあるギルベルトは、一般的なケットシーよりも力があるので、重い物も持てるのだ。

「イシュカが来るなんて、今日休みの日じゃないよね?」

 イシュカの前の椅子に座ったリュディガーの言葉は最もだった。

 〈Langue de chat〉が休みなのは、基本的には陽の日だ。というか、黒森之國くろもりのくにの店は殆どが陽の日は休みである。それ以外は店主の都合によって休日となる。孝宏とカチヤ、時々テオと妖精フェアリー達という店員がいるものの、イシュカが定休日以外に休むのは珍しいのだ。

「相談があって、少し抜けてきました」

 イシュカは年下でも叔父であるリュディガーには丁寧な言葉遣いで話す。

「相談? なにかあった?」

「フォルクハルトからヴァイツェアに皆で遊びに来ないかと誘われていまして。旅行に出た場合の夜の留守番をお願い出来ないかと。長くて一週間ほど、コボルト達の面倒も見て欲しいんです」

「なんだ、それ位なら引き受けるよ。イシュカだって、フラウ・エデルガルトにも会いたいだろう?」

「そう、ですね。その、まだ実感は薄いんですが」

 ハルトヴィヒとエデルガルトが親だと言う実感が。孝宏は二人とイシュカが似ていると言うが、どうしたって直ぐに、はいそうですかとはならない。積極的に好意を向けて来るフォルクハルトを、漸く血を分けた兄弟なのだと実感して来た状態なのだ。

「実は俺もヴァイツェアに呼ばれてはいるんだけど」

 リュディガーが椅子から立ち上がり、沸いたお湯をティーポットに注ぎ入れながら言った。

「そうなんですか?」

「うん。森の木の様子を診ろって。でもヴァイツェア生まれの樹木医って俺だけじゃないんだよね。だから不思議でさ。イシュカが行くなら、どういう状況なのかついでに訊いて来て欲しいな」

 ティーポットに蓋をするリュディガーの左手薬指には、マリアンとお揃いの木製の指輪がある。ギルベルトの洞のある木の枝から作った指輪を、結婚指輪にしているのだ。

 半ばヴァイツェアから追い出されたマリアンの伴侶として、リュディガーは故郷から一歩引いた状態なのだ。ハルトヴィヒ自体はマリアンとのわだかまりはないのだが、周りはそうもいかない為だ。

「解りました。フォルクハルトや父さんから聞いてみます」

「頼むよ」

「ええ。旅行の日取りが決まったら連絡しますね」

「うん。ところでヴァイツェアに行くなら、服は涼しいものの方が良いよ。イシュカ達の中で、暑さに強いのはテオだけじゃないのか?」

「……そうですね」

 砂漠生まれのテオは暑さに強い。しかし、それ以外の面子は皆王都以北生まれだった。

「妖精用に砂漠蚕で上着は作りましたけど」

 シュネーバルが庭仕事をするので熱中症予防にと、妖精皆の分を作ったのだ。

「それの人用のが要るから。ヴァイツェアの森の中は涼しいけど、街に下りると気温が上がるんだ。ヒロも北国生まれって言っていたし、カチヤもリグハーヴス生まれだよね」

「砂漠蚕の布はあるので、テオに確認してみます」

 〈Langue de chat〉には、テオの養父ロルツィングが送って来た砂漠蚕の布があるのだ。ご当地布である砂漠蚕の布は、〈暁の砂漠〉の外の市場に出るとかなりの高値になる。ヴァイツェアの森蚕の布よりも高かったりする。それをぽんと全員分送って来る辺り、テオはロルツィングに愛されている。

「あと行く時は、ちゃんとヴァイツェアの魔法使いギルド経由で行った方がいいかな。フォルクハルトにギルドまで迎えに来て貰って」

「坊やならヴァイツェアの領主館を知っているのではないか?」

 ギルベルトが言う坊やとはエンデュミオンの事だ。

「知っている気がするんだけど、一応ね、形式的に。エンデュミオンが突然行くと、襲撃されたと思われるかもしれないからね?」

 首を傾げたギルベルトに、リュディガーが説明する。それに対し、ギルベルトは不思議そうな顔になった。

「おかしなことを言う。坊やなら襲撃されたと悟られる前に殲滅出来るだろうに。いらぬ心配だ」

「殲滅しちゃ駄目だから!」

 エンデュミオンは災厄級の大魔法使い(マイスター)である。それが現在野放しになっているので洒落にならない。

「ヴァイツェアに行くなら、大魔法使いフィリーネに挨拶はするだろうから、大丈夫だと思いますが」

 エンデュミオン唯一の弟子が大魔法使いフィリーネである。〈Langue de chat〉で育てたケットシーのルドヴィクも魔法使いギルドの塔に暮らしている。

「エンデュミオンと〈異界渡り〉、モルゲンロートの継承者、それにイシュカが行くんだからね。形式はそれなりに必要だよ」

「俺は……」

「兄さんはイシュカにヴァイツェアを名乗る権利を与えただろう? だからイシュカは準貴族扱いされて当然なんだよ」

 騎士爵や学者などの資格を取って準貴族位を得るのとは別に、公爵が血族に姓を名乗る権利を与えても、準貴族相当の扱いを受ける資格を得るのだ。

 ヴァイツェア公爵の実弟であり樹木医でもあるリュディガーも、正式にはヴァイツェアを名乗れる。

「慣れませんね……」

「リグハーヴスだと騎士位しか準貴族いないしな……」

 顔を見合わせて、苦笑しあう。

 その後も雑談を少しして、リュディガーの淹れてくれた林檎の香りのする紅茶をご馳走になり、イシュカは〈Langue de chat〉に戻った。



まだヴァイツェアに着かない!

ヴァイツェア編、数話続きます。

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