タンタンと騎士隊
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
家事コボルト、タンタンです。
269タンタンと騎士隊
「隊長、僕は竜の合同訓練にキュッテルと行きますから、ちゃんと休憩してくださいよ? 暑いんですから」
「おー」
朝から書類仕事をしている騎士隊長パトリックに副隊長ラファエルが声を掛けたが、帰ってきたのは生返事だった。
ここ数日リグハーヴスは真夏日だった。涼しいリグハーヴスでも、年に一週間か二週間程度とても暑い日がある。暑さに不馴れな騎士の中には、体調を崩す者もいるので、小まめに水分と塩分を取るように指導している。
風通しを良くするために開け放してあるドアから、風竜キュッテルを肩に乗せたラファエルは騎士隊の騎士詰所を出る。
騎士詰所は詰所と言っても、隊長の執務室や救護室、台所にバスルーム、仮眠室に武器倉庫などもあるので、実はそれなりに大きい建物である。
「おはようございます」
「おはよう」
「ぴるー」
「きゅー」
使用人宿舎の方から歩いてきた青黒毛の人狼ゲルトにラファエルは片手を上げた。ゲルトも極東竜ピゼンデルを肩に掴まらせていた。
更にゲルトは、足元に小麦色の北方コボルトを連れていた。緑色の多い縞柄の布地のズボンを履いているコボルトはタンタンだ。
温室で預かっているコボルト達は、〈転移〉が出来ない者は厨房横や宿舎側の出入り口に回って外に出てくる。丁度ゲルトと行き合ったのだろう。
「タンタンは散歩?」
「……」
こくりと頷く。タンタンは寡黙だった。北方コボルトも慣れれば話し出すが、まだ日が浅い。
「悪いんだけど、あと半時か一時間くらいあとに、隊長に休憩させてくれないかな。あの人、水分取り忘れそうでね。昼には朝番の隊員達も戻ると思うんだけど」
「……」
こくり。
「台所のもの好きに使っていいから、タンタンもお茶飲んでね」
「……」
こくり。
「じゃあ、行ってきます」
「……」
タンタンは手を振って見送ってくれた。
タンタンは生活魔法を使える家事コボルトだった。
ハイエルンの鉱山街の食堂付きの宿屋に買われ、働いていた。
休みなく働き、賄いの残りを食べ、台所の隅の木箱で寝ていた頃に比べると、今はとても待遇が良くて幸せだ。
隊長、確か名前はパトリックだった筈だ──の事を頼まれたので、タンタンはドアが開いている騎士詰所に入った。今は中途半端な時間なので、入ってすぐの待機室には誰もいない。奥の隊長執務室にはパトリックの気配がする。
「……」
とことことタンタンは台所に向かった。ぐるりと見回し、何処に何があるのかを把握する。ここは家庭の台所でも宿屋の台所でもないので、道具類も少なくすぐに把握出来た。
ここで軽食を作る事もあるのか、最低限の粉類や果物が置いてあった。
椅子に上ればテーブルも使える。
フス、とタンタンは鼻を鳴らした。
「ん……?」
ふと甘い香りを感じ、パトリックの集中が途切れた。
「誰か台所を使ってるのか?」
確か一時間程前にラファエルが出掛けていった気がするが、交代の騎士達が待機するにはまだ早い時間だ。
パトリックは立ち上がり、執務室を出た。
「何かいつもより綺麗になっている……?」
建物の中が全体的にすっきりした気がする。不思議に思いつつ、開け放してある待機部屋の戸口を潜る。
「ん?」
待機部屋のテーブルの上に、氷が詰められた盥があり、その中にミントが浮くお茶の入った硝子の水差しが二本刺さっていた。近くにはコップが並んだ盆と、『手洗励行! ご自由にどうぞ』と書かれた紙がコップの一つを重石にして置かれている。
喉の渇きを実感したパトリックは、お茶をコップに注いでごくごくと飲み干した。良く冷えたミントティーで、すうっと身体に染み渡るようだった。
使ったコップを洗おうと台所に入ったパトリックは、目を丸くした。台所では、小麦色の北方コボルトが、オーブンから天板を取り出そうとしていたのだ。
「重いだろう、私が出そうか?」
パトリックの声にぱっと振り向いたのは、タンタンと呼ばれているコボルトだった。パトリックは仕事柄、容姿を覚えるのは得意だ。それがコボルトでも、大体見分けがつく。
「……」
タンタンがパトリックに鍋つかみを差し出す。パトリックはここに鍋つかみがあるのを初めて知った。
鍋つかみを受け取り、天板を取り出し作業台の上の木製の生板の上に置く。
タンタンは作業台の前にあった椅子に上り、天板から蝋紙ごと焼いていたシートケーキを取り出し、金網に足の付いた物に乗せる。確かこれはケーキ類を冷ます為の道具だ。パトリックの妻も菓子作りが好きなので、台所で見る。
作業台の上には、既に焼かれていたらしいビスケットが籠に山盛りになっていた。
ふわ、と風を感じた。タンタンがシートケーキを風の精霊に頼んで冷ましてもらったらしい。
パトリックが天板をオーブンに戻している間に、ナイフで切り分け、ホウロウの蓋付き容器にきっちりと並び入れる。
見ているとケーキ皿にビスケットとシートケーキをひと切れずつ乗せ、すっとパトリックに差し出した。
「頂いていいのかい?」
「……」
こくりと頷く。そして口を開いた。
「お茶、と」
「さっき一杯貰ったけど美味しかったよ」
タンタンは、こちらにも置いてあったピッチャーからパトリックのコップにお茶を注いだ。
「ラファエル、パトリックに休憩させてって言った」
「そうなのか。有難う、タンタン」
「……」
お礼を言われ、タンタンが微かに笑った。タンタンは余り表情が変わらないので、珍しい。
「おはようございまーす」
「あれ? 何これ、飲み物ある」
昼の交代時間が近くなったので、昼番の騎士達が出勤してきたようだ。
「……」
タンタンはビスケットとシートケーキを〈時空鞄〉に入れ、椅子を下りた。とことこと待機部屋に移動する。パトリックも後ろからケーキ皿とコップを持ってついていく。
「タンタン? 隊長?」
一緒に現れたタンタンとパトリックに、隊員達が驚く。
タンタンは待機部屋のテーブル回りに置いてあった子供用の椅子に上り、ビスケットとシートケーキを〈時空鞄〉から取り出した。
隊員達がどよめく。
「……」
ぺちぺちとタンタンはテーブルの上の『手洗い励行! ご自由にどうぞ』の紙を叩く。
「手を洗って自由に食べて良いらしいぞ」
「え、良いんですか!?」
「俺、走ってきたからお茶貰うわ」
コップにミントティーを注ぎ、一口飲んだ騎士が「うまっ」と声を上げた。
「あー、これ水筒に入れたいかも。警備中に戻って来れないし」
「確かにこの暑さではな。頼めるかな、タンタン」
パトリックのお願いに、タンタンは頷いた。
「水筒出してこい」
「はいっ」
返事をした騎士が、装備置き場から、四角い籠に入れられた水筒を運んでくる。
「えーと、昼番の人数でいいかな、とりあえず」
水筒を人数分机に並べる。蓋を開けた水筒を水の精霊魔法で軽くすすぎ、タンタンはミントティーを注いでいった。ピッチャーが空になると、〈時空鞄〉から新しいピッチャーを取り出す。
台所のどこかにしまってあったピッチャーを見つけ出していたらしい。
「クヌートとクーデルカに涼しくなる魔石作って貰ってるけど、陽射しがきついからなあ」
「助かるよ、タンタン」
水筒を受け取った騎士達に撫でてもらい、タンタンはゆるゆると巻き尻尾を振って嬉しさを示す。
「それでは、昼番行ってきます」
誰が出勤しているのかを示す名札を引っくり返し、次々と外に出ていく。名札は赤文字が欠勤、黒文字が出勤になる。
暫くして顔に疲労を浮かべた朝番の騎士達がぞろぞろと戻ってきた。
「水ー」
「喉渇いたー」
「ほら、飲め」
人数分コップにミントティーを注いで、パトリックとタンタンが騎士達に渡す。
各々喉を鳴らしてコップを煽り深い息を吐く。水筒を持っていって居なかったらしく、渇ききっていたようだ。
「はー美味しー。タンタンが用意してくれたんですか?」
「そうだぞ。そっちの菓子もだが、手を洗ってから食えよ」
うぃーすと景気良く返事をして、ぞろぞろと手を洗いにバスルームへと向かっていく。
「……」
タンタンは椅子から下り、台所へいってお湯を沸かし始めた。お茶のお代わりを淹れるのだろう。
盛んに尻尾を揺らしているのでご機嫌だ。
手を洗って戻ってきた騎士達が、早速ビスケットとシートケーキに手を伸ばす。
「やった、おやつ!」
「これから昼飯だけど食べる!」
「いや、紙に包んで貰っていけばいいだろうに」
パトリックは呆れて冷静に指摘してしまった。
「今食べたいんですよ!」と反論されてしまったが。殆どの騎士は若いので食欲旺盛なのだ。一つ二つ食べても支障はなさそうな奴等ではある。
「美味ーい。ビスケットがチーズ味だ」
「シートケーキは林檎と干し葡萄だ。これ好きだな」
「……」
台所から戻ってきたタンタンが、子供用の椅子に上り、律儀にビスケットとシートケーキを一つずつ取って食べている騎士達の前に、ミントティーのピッチャーを置く。
「有難うね、タンタン」
「タンタンも食べた? 一緒に食べよう」
騎士の一人がタンタンにビスケットとシートケーキを取り分ける。
「ほらほら、お茶も」
別の騎士がカップにミントティーを注いで、タンタンに渡す。
「……」
カップを両前肢で持ったまま、タンタンは吃驚したように固まり、それから満面の笑みを浮かべた。
パトリックもタンタンの隣の椅子に腰を下ろし、ビスケットを齧る。チーズを練り込んだビスケットは、暑い中仕事をした騎士達には有難い塩分だろう。
「ところで隊長、どうしてタンタンがおやつを作ってくれてるんですか?」
「ラファエルが、私に休憩を取らせろとタンタンに頼んでいったらしい」
「そうなんですか。今日だけかー」
残念そうな騎士を見て、タンタンは隣のパトリックを見上げた。
「……作る? タンタン、お仕事するよ?」
「良いのかい?」
ぱあっと騎士達の期待に輝く顔は見ないようにして、パトリックはタンタンに向き直った。
「タンタン、家事コボルトだから。お掃除したり、お菓子作ったりするの好き」
「それじゃあ身体に無理のない範囲でお願いしようかな。お休みも入れて、お給料もちゃんと出すからね。ラファエルと執事のヘア・クラウスと相談して決めて貰おうね。そこ、静かに」
やったーと叫ぶ騎士達に注意をし、パトリックはタンタンの頭を撫でた。
「今日の分は、お小遣いを渡しておこうか」
パトリックは自分の財布を取り出し、半銀貨を一枚タンタンに渡した。半月の形の半銀貨に、タンタンが目を輝かせる。
「きらきらしてる! お月様の形だ!」
明らかに硬貨を硬貨と認識していないようなので、一応説明する。
「これはお金だよ。銅貨十枚分だ。これと交換で物を買う事が出来るんだ」
「これと物々交換?」
「そんな感じだね。品物よりこの銀貨の方が多かったらお釣りをくれるよ。銀貨のお釣りは、殆どがこの銅貨になる」
銅貨と半銅貨を一枚ずつ渡す。
「女神様」
黒森之國の貨幣は、片面に植物、片面に月の女神シルヴァーナの横顔が刻印されている。
「タンタン、俺巾着持ってるからあげるよ」
騎士の一人が、生成りの生地で作られた小さな巾着をタンタンに渡す。
「有難う」
いそいそとタンタンがお金を巾着に入れた。
「〈Langue de chat〉に行った時に、お金の使い方を教えて貰うと良い。〈薬草と飴玉〉で飴が買えるからね」
「うん!」
こうして、タンタンは騎士詰所付きの賄いさんになった。
元々毎日掃除はしていた筈なのだが、タンタンが来てから騎士詰所は明らかに綺麗に整えられ、飲み物と軽食が用意されるようになった。
そして、軽度の怪我であればタンタンは〈治癒〉が出来る事も判明した。〈治癒〉能力のある隊員が、夜勤明けの就寝中に叩き起こされる回数がぐっと減って、とても有り難がられるのだった。
領主館に預けられているコボルトのお話。
タンタンは家事コボルト。おうちの事ならどんとこいな賄いさん(おやつ係)です。日勤。
誰かに付いている訳ではなく、騎士隊が気に入ってお仕事をしています。
遊びに行く時などは、自由に行けます。
夕ご飯やお風呂は、退勤する時に一緒の騎士の誰かと。