メテオールと師匠(下)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
木工ギルドへ。
265メテオ―ルと師匠(下)
「クルト!」
「ネーポムク、どうしたんですか?」
ネーポムクはグラッフェンとメテオールを連れて、トラウゴットの家に遊びに行ったばかりだった。揃って戻って来た事に驚き、クルトは板に印を付けていた手を止めた。
「クルト、木工ギルドに行くぞ」
「構いませんけど、何があったんです?」
クルトは手早く作業台に出していた道具を木箱に片付け、革の前掛けを取った。
「メテオールの職人認可証を見た事はあるかい?」
「……そう言えばないですね」
「トラウゴットの所で見せて貰ったら、親方がハイエルンのヴァルターだったよ。しかも、ヴァルターのギルドカードと遺言書も出てきてね、吃驚さ」
「……ああ、解りました。行きましょう」
確かにギルド案件だった。
クルトもハイエルンのヴァルターの名前は知っていた。クルトが憧れる作品を作り出していた家具大工だったし、弟子を取らなかった不名誉でも同業者の中では有名だったからだ。そして、生前ヴァルターは弟子を取らなかった事について、一言も言い訳をしなかったという。
メテオールをネーポムクから受け取り、工房を出る。急ぎだと解っているのか、メテオールはいつもなら歩く道程を、クルトに抱かれたままだった。
木工ギルドの路地を挟んだ向かいにある駐車場に、どこかの商家の紋をつけた馬車が停まっていた。馭者が馬に水を与えているのが見える。
乗合馬車は停留所までしか来ないが、商家や工房の馬車は街の中にも入って来られるのだ。余り覚えがない紋なので、他の領の商家だろう。
リグハーヴスはハイエルンと並ぶ木材や木工の生産地だ。買い付けや依頼に来る商家は多い。
「今日はお揃いですね」
木工ギルドの受付にいた職員のファイトは、クルト達の姿を見て笑顔で立ち上がった。
「うん。一寸重要な話があってね。ギルド長居るかな?」
「公証人もいた方がいいだろうよ」
クルトの言葉に、ネーポムクが付け加える。
「今日は別件の商談があったので、ギルド長も公証人も居ますよ。公証人はヘア・ビョルンです」
「ビョルンは馴染みだから、丁度いい」
ネーポムクが頷く。
「空いている応接室で待っていて貰っていいですか? ギルド長達の手が空き次第、伺わせますから。ギルド長、グラッフェンとメテオールに会いたがっていましたし」
「そう言えばまだ会っていなかったね」
木と水の精霊魔法が得意なギルド長は、木を伐採した後の植林に力を入れている。現場に出ている事が多いのだ。
「わう?」
「にゃ?」
ぴくっぴくっとメテオールとグラッフェンの耳が動いた。
ガチャッと閉まっていた応接室のドアが開いて、一気に中の音がロビーに溢れ出す。
「舐められたもんだね。うちは公正で真っ当な取引でやってんだよ。あんたんとことの取引はお断りさせて貰うよ。次来るときは会頭自ら顔を出すんだね。お帰りはあちらだよ!」
張りのある女性の声が、クルト達の所まで聞こえてきた。ギルド長のヘドヴィクだ。
ぼそぼそとした声で反論する声が聞こえたが、「あんたんとこと取引しなくても、うちの屋台骨は揺らがないね」とヘドヴィクが切って捨てる。
応接室からかっちりとした服を着た中年の男が、大柄の女性に追い立てられるように出て来る。
「ウゥーッ」
「シャーッ」
男の姿が見えるなり、メテオ―ルとグラッフェンが唸り声を上げた。グラッフェンの尻尾の毛がぼふりと膨らむ。
「どうしたね、二人共」
ネーポムクがグラッフェンを撫でて落ち着かせようとするが、威嚇を止めようとしない。クルトの腕の中のメテオールも飛び出す素振りは無いが、唸り続けている。
男はロビーに出て来ると、その場にいたクルト達を睨みつけた。
「調教も出来ていないのか!」
「生憎、善人判定が出来るものですから、普段は唸らないんですよ」
クルトは男ににっこりと笑った。ひやりとロビーの温度が少し下がる。
動物型の妖精が悪人を威嚇するのは、広く知られている。ロビーに居た者達の視線が、一気に男に集まった。
「チッ」
舌打ちして、男は木工ギルドの扉を荒々しく開けて出て行った。
「クルト、冷気が出ておるぞ」
「あー、本気で怒るとつい……」
本来魔法使いになれる程の魔力のあるクルトは、感情が高ぶりすぎるとうっかり精霊が力を貸してくれたりする。近くに氷の精霊が飛んでいた。
「やっぱりあいつは黒ね」
リグハーヴスの女性には珍しく肩より短く切った蜂蜜色の髪を振り、ギルド長ヘドヴィクが大きく息を吐いた。三十路半ばのヘドヴィクは、胸元が張り出した白いシャツに深紅の巻きスカートを身に着けているが、スカートの下は焦げ茶色のズボンを履いている。履き込んだブーツは良く磨かれていた。
男性並みに背が高いヘドヴィクは、採掘族の父親の能力を引いて剛腕である。見た目は平原族の母親似で、それ程筋肉が付いているようには見えないのだが、重い木材を軽々運ぶ。
男が多い大工界だが、ヘドヴィクがギルド長に指名されてもリグハーヴスの大工達は誰も文句を言わなかった。彼女は大工としての腕も高かったし、気持ちの良い性格をしていたからだ。
「お疲れ様だったね」
ヘドヴィクの後ろからビョルンと言う名前に相応しく、熊のような貫禄のある茶色の髭の生えた採掘族の男がのしのしと歩いてくる。彼が木工ギルドの専属公証人ビョルンだ。
ファイトがカウンターからヘドヴィクに手を振る。
「ギルド長、ヘア・ビョルン、ヘア・クルト達がお話があるそうですよ」
「そうなの? じゃあ応接室にどうぞ。ファイト、お茶くれる?」
「はい、お持ちします」
ヘドヴィクは、男と商談していたのとは違う応接室にクルト達を案内した。普段のヘドヴィクは気さくな話し方をするが、先程の啖呵を切っていたよりも言葉遣いは荒くない。
「待たせてごめんなさいね。あー、時間の無駄だった!」
お互いソファーに座るなり、ヘドヴィクが盛大にぼやいた。
「さっきの商談かい?」
「そう! 王都の商家で何度か取引した事はあったんだけど、最近経営者が息子に変わったらしくて。さっきの人も最近ハイエルンの官吏から天下りしたらしいの。このあたしに賄賂求めたのよ。驚くわ」
「大口だったのかね」
ネーポムクが、床にグラッフェンを下ろしながら問う。グラッフェンはヘドヴィクとビョルンが並んで座っているソファーによじ登り、ヘドヴィクの膝に座った。ふに、とヘドヴィクの口元が緩む。遠慮がちにグラッフェンの頭を撫でているが、かなり嬉しそうだ。
「大口と言えば大口かな。第一王子が臣籍降下される予定でしょ? 今空いている館がないから、建設するのに入札があるのよ。計画書に家具の見積もりとか作る工房名入れなきゃならないから。参加したいなら入れてやるって話だったのよ。第一王子に何も思うところはないけど、あいつと組むのは嫌だわ」
「ふむ、第一王子は新しい家を興すのかね」
「臣籍降下と同時にご成婚されるだろうし、部屋住みにはならないんじゃないかしら」
公爵は古王家の四分家のみなので、現王家の王族が臣籍降下しても公爵は名乗れない。但し、どの王の子かを表す為、記録用に家名が付き、それが館の名前になる。
コンコンとドアがノックされ、ヘドヴィクが「どうぞ」と答えるの待って、ファイトがお茶を運んで来た。
「グラッフェンとメテオールはミルクをどのくらい入れます?」
「ぐらっふぇん、いっぱい」
「メテオールも」
ファイトは希望通りにミルクティーを作り、他の人達にはカップに紅茶だけを注ぐ。
「蜂蜜玉はお好きな数どうぞ」
「いっこちょうだい」
「はい、どうぞ」
「ありがと」
グラッフェンのカップに蜂蜜玉を一つ入れ匙でまぜてやってから、ファイトが受付に戻る為に応接室を出て行った。
ネーポムクが咳ばらいをする。
「ギルド長とヘア・ビョルンを呼んで貰ったのには訳があってな。メテオール、職人認可証を出してくれるかい」
「うん」
カップをテーブルの端に寄せて空けた場所に、メテオールは職人認可証を取り出した。
「素晴らしい彫刻ね。ヴァイスヴェークはメテオールの通称ね?」
「うん」
「問題は裏でな」
「裏?」
認可証を裏返して覗き込んだ、ヘドヴィクとビョルンが息を飲んだ。
「ヴァルター!?」
「メテオールの親方がハイエルンのヴァルターだったんだよ」
「な、何で公式記録にないの?」
「恐らくメテオールの所在地が判明しないように、ギルドに加入させていなかったようだよ」
「コボルト狩りですか」
ビョルンが眉根を寄せる。
「登録すれば、可愛い弟子をむざむざ攫われるようなものですからな」
「ヴァルターが沈黙していた理由は、コボルトの弟子だったからなのね。確かにハイエルンでは言えないわ」
ヴァルターはメテオールの主ではなかったので、〈所有権〉を主張出来ない。黙っていた方が、人狼と隣接する村に住むメテオールは守られる。
「にゃん」
ヘドヴィクの膝に居たグラッフェンが、器用に肉球で職人認可証の〈隠し〉を開けた。
「〈隠し〉?」
「もう一つ話しておきたいのがそれでな」
「うわ、本当に遺言書だ」
テーブルの上に、ヴァルターのギルドカードと遺言書が置かれ、初めて見るクルトが目を丸くする。
「それで公証人の私ですか」
「そう言う事だよ、ビョルン」
遺言などの重要書類は公証人の立ち合いの元に開封しないと、偽造したなどと言われかねない。
「失礼しますね」
ビョルンが遺言書を取り上げ、封蝋が割れていない事を確認する。
「この封蝋の印璽は今どこにありますか?」
「ヴァルターが亡くなった後探したけど、家にも工房にもなかった。ギルドカードと遺言書もさっき見付けた」
「さっき見付けたというのは儂も保証するよ。グラッフェンとトラウゴット、ヘンゼルも見ていた」
「一寸見ただけじゃこの〈隠し〉は解らないわ……」
巧妙に野花の彫り物に隠された〈隠し〉に、ヘドヴィクも目を細める。メテオールが安全な状況になるまで、見付からないようにしたに違いない。が、巧妙過ぎて数十年見つからなかったのだろう。
「では失礼して開封させて頂きます」
赤い封蝋を割り、ビョルンが〈遺言書〉を開封し、封筒の中から数枚の白い便箋を取り出す。
「前半は形式に則った遺言の決まり文句なので今は省いて、主文を読みますね。『私、ヴァルターは唯一の弟子である北方コボルトの通称ヴァイスヴェークに全財産を譲渡する。』とあります。家屋や工房、木工ギルドの個人金庫の中身の全てですね。目録も付いています。印璽も個人金庫の中にあるようです。家屋と工房については、第三者に貸与しても構わないとありますが、どうなっていますか?」
「メテオールには大きすぎるから、師匠の甥のウルリヒが使ってる。ウルリヒも大工だから。系譜が違うから、工房にあったヴァルターの物は全部メテオールが持っている」
「では家屋と工房の賃貸料を相場の金額でヘア・ウルリヒにご請求しましょう。きちんと管理されているようであれば、管理料として金額を勉強すると言う事でどうでしょう」
数十年分の賃貸料の請求が発生するのである。ウルリヒは度肝を抜かれるだろう。管理料を相殺するのはかなりの譲歩だ。半額程度にはなるだろう。
職人の場合は特殊で、技能の保護が優先される。甥なのでウルリヒにも継承権はあるが、家具大工としての系譜が違うので、ヴァルターの弟子で同居していたメテオールの方が家屋と工房の継承順位は上なのである。
「メテオールはそれでいい」
「では公式文書を作成致します。今日中に遺言書の写しと請求書をヘア・ウルリヒにギルド経由で送ります」
「うん、お願い」
ビョルンは〈魔法鞄〉に持っていた魔道具で遺言書の写しを取り、現物は元通りメテオールの職人認可証に戻した。
「ギルドカードも身に着けておくか、無くさない場所に入れて置いてください」
「うん」
メテオールは職人認可証とギルドカードを〈時空庫〉にしまった。ギルドの金庫はどの支部からも開けられるので、わざわざハイエルンまで行く必要はない。
はあーと誰ともなく溜め息が漏れる。
自分が契約していた妖精に財産を残す者がいない訳ではない。だが全財産を譲渡するのは珍しい。ヴァルターが独り身で、親族と暮らしていなかったからだろう。
「喉乾いた」
ぽつりとメテオールが呟いた。
「お茶貰おうか。蜂蜜入れる?」
「一個」
クルトがミルクティーに蜂蜜玉を一つ落とし、匙で混ぜる。カチャカチャとカップと匙が触れ合う音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
「有難う、クルト」
カップを両前肢で持って、薄茶色の水面を舐める。ミルクティーは良い感じに冷めていた。
グラッフェンもヘドヴィクにミルクティーを飲ませて貰いながら、ちらちらとビョルンを見ていた。あれは髭に触らせて貰いたい顔だ。その内に頼むだろう。
「ヴァルターの記録も修正するわ。ちゃんと弟子が居たんだって直さないと」
「何だかハイエルンに悪いねえ」
ネーポムクが紅茶にミルクを注しながら言ったが、口元の笑みを隠しきれていない。
ヴァルターの弟子が存在していて、この間までハイエルン領内に居たのだと知れたら。それも〈修理屋〉と呼ばれていたコボルトだと知れたら。一騒動になるだろう。
コボルトを隷属させていたハイエルンだからこそ、コボルトを弟子にしていたと気付けなかったのだろう。目の前で、メテオールの大工としての技能を見ていたにも拘らず。
メテオールの技能を見抜いたのは、クルトだけだった。本当の名前を見付けだしたのも、クルトだった。それが星回りなのだろう。
「あのね」
もじもじしながらグラッフェンが、ビョルンの膝を肉球でぺちぺちと叩いた。
「何ですか?」
穏やかな声で聞いたビョルンに、グラッフェンが口を開く。
「ぐらっふぇん、びょるんのおひげさわりたい」
「いいですよ」
ビョルンの快諾に、部屋の中は和やかな空気に包まれた。
設定は決まっていたけれど、やっと出て来たヘドヴィク姐さんです。
見た目は高身長の美人さんなんだけど、剛腕です。強いです。
漸くグラッフェンとメテオールに会えました。
メテオールは師匠に会ったら「遺言の場所あれじゃわかんないよー!」って言いたいかも。
実は、メテオールは彫刻実習の途中で、ヴァルターとの修業が終わっています。
クルトとネーポムクに教わりつつ、ヴァルターが遺した個人金庫の中の沢山の習作でお勉強です。
系譜が違う為、クルトとメテオールは軽量化紋が異なります。二人で作った時には、二つ嵌め込むのかな、と。