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メテオールと師匠(上)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

師匠の隠し物。

264メテオールと師匠ししょー(上)


 ヘンゼルが里帰りしていたリグハーヴスとハイエルンの領境にある村からの帰路は、天気も良く馬車も途中で止まる事もなく順調に過ぎた。

 平民が使う乗り合い馬車なので、整地された街道でも揺れるのが難点だ。冬の方が馬車は揺れないが、雪が多いリグハーヴスの里帰りは、大抵雪の降らない季節になる事が多い。

 ヘンゼルが修行に入ったリグハーヴスの大工トラウゴッドの工房は、二週間の里帰りをくれる。

 トラウゴッドは老齢で、恐らくヘンゼルが最後の弟子だろう。同期の徒弟もいなくて、ヘンゼル一人をじっくり職人まで育ててくれた。

 トラウゴッドは子供がおらず、工房はヘンゼルが引き継ぐ事になっている。ヘンゼルは村の農家の四人兄弟の末っ子なので、実家を継ぐ必要はないからだ。

 リグハーヴスの街の東門停留所で馬車を下り、歩いて大工通りへと向かう。大工通りは街の中心からは外れるが、東門からは近い。

 既に時刻は午後で、大工通りも朝よりは落ち着いた空気になっていて、木の香りのする中、作業する音や大工達が指示する声が、暖かな陽気に開け放たれた工房の扉の奥から聞こえてくる。

 今の時刻なら親方のトラウゴッドは家で一休みしている頃だろうと、帰省荷物を背負ったヘンゼルは工房の隣にある家のドアを開けた。ヘンゼルの私室も二階にあるので、まずは荷物を置きたい。

「ただいま帰りました」

「お帰りー」

「おかえりー」

「はい!?」

 玄関から居間へのドアを開けたら、子供の声で迎えられた。

 鼻筋に一筋白い毛のある北方コボルトと、鯖白のケットシーが居間のテーブルに備え付けの椅子に立っていた。

「何でうちにコボルトとケットシーが……?」

「ネーポムクと遊びに来た。じいちゃん達は台所だよ。メテオールはクルトのコボルト」

「ぐらっふぇん、えっだの!」

 少し掠れた声でコボルトが言って、居間と続きの台所を指差した。ケットシーは片前肢に持ったかんならしき物を高く上げる。何故、鉋。

 取り敢えず、ヘンゼルも名乗る事にする。

「俺は親方トラウゴッドの弟子のヘンゼル」

「あいっ」

「って、それ鉋だよね!?」

 グラッフェンが鉋で机を擦り始めたので、ヘンゼルは慌ててしまった。

「クルトが作った玩具の倭鉋わがんなだから大丈夫。グラッフェン、見習い大工だから勝手に削らないよ」

 まさかのケットシーが見習い大工だった。

 クルトの家にケットシーと職人コボルトが来たことは知られていたが、ヘンゼルは会った事がなかったのだ。

「お帰り、ヘンゼル」

 台所からトラウゴッドがティーポットとカップの乗った盆を、ネーポムクが菓子皿を持って出てきた。

「ただいま帰りました」

「お茶にしよう。荷物を置いて手を洗っておいで」

「はい」

 ヘンゼルは部屋のある二階に行き、荷物を下ろして一度バスルームに顔と手を洗いに行ってから、お土産の包みを持って居間に戻った。

「チーズの匂いがする!」

 居間に入った途端、メテオールがヘンゼルに勢いよく顔を向けた。

「ヘンゼルの実家は美味しいチーズを作るんだよ。いつもお土産に持って来てくれるんだ」

「食べてみたいのなら、切ろうか?」

「うん!」

 メテオールの巻き尻尾が左右に揺れる。どうやらチーズが好物らしい。

 ヘンゼルの実家は農業と牧畜の兼業だ。地下迷宮ダンジョンから離れているので、食料として普通の牛や鶏などを育てている。そして牛や山羊の乳からチーズを作り、売っているのだ。

 今の時期は青い新鮮な草を食べた家畜が出す乳でチーズを作るので、干し草を食べて出した乳で作ったチーズとは、風味が変わる。

 ヘンゼルの家では香りの良い牧草を育てる所からやっているので、チーズの品質は高い。

 薄く切り出したチーズと黒パンを用意して皿に盛り、居間に戻る。

「どうぞ」

 皿をテーブルに置いて、ヘンゼルはメテオールの向かいの椅子に座った。

有難う(ダンケ)。今日の恵みに」

 食前の祈りを唱え、早速メテオールがチーズに前肢を伸ばす。

「牛のチーズ」

 ふんふんと匂いを嗅ぎ呟いて、メテオールはぱくりとチーズを齧った。もぐもぐとゆっくり味わい、飲み込む。

「草の香りがする」

「うん、このチーズの特徴なんだ。牛に香りの良い草を食べさせてる」

「ヘンゼル、これ美味しい。これ売ってる?」

 齧りかけのチーズを持ったまま、メテオールがヘンゼルに身を乗り出す。

「チーズ屋に少し卸してるかな。あと市場マルクトの露天にも、兄さんがたまに来てるよ」

「クルトに買って貰う!」

「若草のチーズって言えば解るよ」

「うん!」

 尻尾を振りながらチーズを食べるメテオールに、グラッフェンがじっとチーズの皿を見る。

「ぐらっふぇんもたべたい」

 ネーポムクの膝の上に座っていたグラッフェンも前肢を伸ばしたが皿に届かなかった。

「やーん」

 ペチペチとテーブルを肉球で叩く。

「取ってあげるよ」とネーポムクにチーズと黒パンを取って貰って、「ありがと。きょうのめぐみに!」とちゃんと言ってから齧りつく。

「んーまっ」

「匂いがきつくないから、グラッフェンも平気みたいだね」

 どうやらグラッフェンは、匂いの強いものは苦手らしい。チーズを乗せた黒パンをしっかり抱え込んで食べているので、気に入ってくれたようだ。

「そういえば、メテオールの親方はどなただい?」

師匠ししょー?」

 ネーポムクに問われ、ミルクティー(ミルヒテー)を舐めようとしていた桃色の舌を引っ込め、メテオールが宙を見詰めた。

「師匠の名前……なんだっけ。いつも師匠って呼んでたから忘れた」

 メテオールはカップをテーブルに置いて、〈時空鞄〉らしき空間に前肢を突っ込んで、木の板を取り出した。

「ここに置くといい」

「有難う」

 トラウゴッドが広げた綺麗な布巾の上に職人認可証を乗せる。

「この裏に彫ってあったと思う」

「これは素晴らしいね」

「本当だね」

 メテオールが取り出した家具大工の職人認可証に、ネーポムクとトラウゴッドが感嘆の声を上げた。

 大工の職人認可証は木製のものが多い。そしてそれには親方自身の手による彫刻が施される。

 メテオールの職人認可証も縁にぐるりと野花を浮き彫りにされた美しいものだった。

 名持ちだったメテオールの職人認可証なので、本来名前の入る部分は空いており、その下に小さめの文字で、メテオールの通称らしき〈ヴァイスヴェーク〉と彫り込まれていた。〈白い道〉という意味だ。妖精の通称は見た目の柄や毛色で決まる。

「メテオール、これは後でクルトに名前を入れて貰うといいよ」

「うん」

「どれ、裏を見せてもらおうかね」

 ネーポムクがそっと職人認可証を裏返す。裏側は表の浮き彫りとは逆に、彫りが地より深くなる技法でハイエルン公爵領の紋章と、軽量化紋が彫られていた。公爵領の紋章は何処の領で発行されたかを示すものだ。軽量化紋は工房ごとに違い、弟子はそれを引き継ぐ事で系譜が解る。親方の名前は、端に小さく〈ヴァルター〉と刻まれていた。

「ヴァルター!? 人狼のヴァルターかね?」

「うん。師匠、人狼だったよ」

 ネーポムクとトラウゴッドが顔を見合わせる。

「トラウゴッド、ハイエルンのヴァルターと言えば……」

「ああ。弟子を取らなかったとされているね」

「確か木肌が美しい家具を作る職人でしたよね?」

 ヘンゼルでも知っている、ハイエルンの家具大工だった。華美な彫刻を殆ど入れず、吸い付くように滑らかな木肌の家具を残している。

「そうだよ。やれやれ、ギルドに報告しなければならないよ」

「なんで?」

 こて、とメテオールはトラウゴッドに首を傾げた。

「ヴァルターは木工ギルドに弟子の登録をしていないんだよ。メテオールはリグハーヴスに来てからギルドに登録したんだろう?」

「うん。名前が通称しかなかったから」

「それもあるだろうけど、ヴァルターはメテオールが拐われたりしないようにしたんだろうねえ」

 ギルドに登録すれば、所在が明らかになってしまう。メテオールが認可証を貰った頃は、コボルト狩りの最盛期だ。ギルドにもし内通者がいれば、村が襲撃されるかもしれないと危ぶんだのだろう。

 ヴァルターは「腕は良かったが弟子をとって職人に育て上げなかった」と言う不名誉が語られる職人なのだ。メテオールがヴァルターの弟子であれば、それを払拭出来る。

「師匠、メテオールしか弟子いない。皆逃げたって言ってた」

「何で?」

「師匠、顔が恐かった」

 余りの理由に、ネーポムク達は呆気に取られてしまった。

「優しかったんだけど」

 妖精フェアリーは外見に然程さほど頓着しない。人格で善人かを判断するので、メテオールはヴァルターに懐いたらしい。

「ぐらっふぇんもみていい?」

「いいよ」

「にゃー」

 グラッフェンが職人認可証の浮き彫りを肉球で撫でる。するとカコンと音が鳴った。

「にゃ?」

「何か音がしましたね」

 ヘンゼルはそっと職人認可証を持ち上げて確認してみた。浮き彫りの花で上手く誤魔化していたが、〈隠し〉が作られていた。するりと職人認可証の縁の一部がずれ、物入れが現れる。

「ほう、〈隠し〉かい」

 ネーポムクが目を輝かす。

 〈隠し〉とは小物入れや机などに作る、大事な物を密かに入れておく場所だ。

「……知らなかった」

 メテオールが衝撃を受けていた。今まで気付いていなかったらしい。

「何か入っていますけど、出します?」

「うん」

 メテオールの許可を貰い、ヘンゼルは〈隠し〉に入っていた物を、布巾の上に出してみた。

 まずころりと出てきたのは、魔銀製のギルドカードだった。

「師匠のだ! どこ行ったのかと思ってたのに!」

 もうひとつは、きちんと畳まれた封筒が出てきた。メテオールが手に取り広げてみる。メテオール宛で、〈遺言書〉と書いてあった。

「遺言書?」

 出てきたとんでもない代物に、何だか良く解っていないグラッフェン以外の全員が頭を抱えた。

「師匠ー!」

「完全にギルド案件だな」

「ギルド長呼ばんとならんぞ」

「ギルド長、いますかね?」

 木工ギルド長は留守が多いのだ。

「仕方があるまい、クルトを連れて行ってくるかね。メテオール、一度しまっておいておくれ。封蝋を割らずにそのままにしてな」

「うん」

 遺言書とギルドカードを〈隠し〉に戻し、メテオールは職人認可証をしまう。

「またゆっくり遊びにくるよ」

「そうしておくれ。まずはギルドに報告だよ」

 ネーポムクはグラッフェンとメテオールを抱えると、グラッフェンの〈転移〉でクルトの工房に戻っていった。

 数十年ぶりに見付かったヴァルターの遺言書である。ギルドは大騒ぎになるだろう。

 亡くなったギルド員の個人金庫は、相続資格がある者か、遺言で指定された者が金庫の名義人のギルドカードを携えなければ相続出来ない。つまり、ずっとヴァルターの遺産は凍結されたままだったのだ。

「親方。メテオールって親方ヴァルターの唯一の弟子なんですよね?」

「そうなるねえ。確かヴァルターの工房は甥が継いだと聞いたけれど、系譜が違う筈だからね」

 ヴァルターの技術は絶えたと言われていたのだ。それが今になって継承者がいたと知れたら──。

「ギルド長が大喜びですよね」

「だろうねえ」

 ヴァルターは倭之國わのくにの技術を独学で身に付けたとされる。技術を受け継いだメテオールは、貴重な職人だ。

「遺言書の中身もどんなものかねえ」

 ヴァルターはメテオールしか気付かない場所に遺言書を忍ばせたのだから、受取人は想像にかたくない。

 近い内に遊びに来た時にでも教えてくれるだろう。

 トラウゴッドは微笑みを浮かべ、すっかり冷めてしまったお茶を淹れ直すべく、台所へと足をむけた。


メテオールの師匠ヴァルター、こっそり遺言書とギルドカードを隠していました。

最後まで一緒に居たのはメテオールなので、メテオールに遺産を遺しています。


倭之國の技術を取り入れつつ、黒森之國の家具を作っていたのがヴァルターです。

職人は最低一人弟子を取らなければなりません。もし弟子を取らなかった場合、不名誉として記録に残ります。


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