王様とフィッツロイ
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
双子のお茶会は情報過多です。
262王様とフィッツロイ
南方コボルトのクヌートとクーデルカは、定期的に王都にあるマクシミリアン王の執務室に遊びに行っている。そこでマクシミリアンと側近のツヴァイクとお茶を飲み、お喋りをして帰って来るのだ。
「ジンジャーブレッドとベリーのタルトと、胡桃のパウンドケーキと桃のゼリー持って来た」
「エンデュミオンの温室から、ミントとカモミール貰ってきた」
待ち合わせた領主館の温室で、クヌートとクーデルカは持って行く物を確認する。クヌートの主であるディルクとリーンハルトは台所付きの部屋に住んでいないので、お菓子はもっぱらヨルンと台所付きの部屋に住んでいるクーデルカが作っている。
クヌートとクーデルカは主達と一緒に仕事に付いて回る事もあるが、こうして二人であちこち知り合いの所へと遊びに行く事も多い。〈転移〉で直接跳んで行くので、危ない事もなかろうと主達にはちゃんと許可を貰っている。但し、訪問先に王の執務室もあると知って、三人とも頭を抱えていたが。
さて行こうかと二人が杖を構えた時、館側の小路から、手を繋いだヴォルフラムとビーネが現れた。遊び友達でもあるクヌートとクーデルカを見て、ぱっと顔を輝かせる。
「あそぼ」
「あしょぼ」
年下の二人の登場に、クヌートとクーデルカは顔を見合わせる。ヴォルフラムもビーネも、行儀の良い子供だった。
「これから出掛けるけど、一緒に行く?」
クーデルカの問いに、ヴォルフラムとビーネは元気よく「あいっ」と答えた。
「じゃあ、行こっかー。クヌートかクーデルカの服に掴まっててね」
ヴォルフラムとビーネがそれぞれのシャツを掴むのを確認し、クヌートとクーデルカが魔石の嵌った杖を掲げ転移陣を展開する。
魔法使い特化のコボルトの魔法は人族の上級魔法使い並みである。ヴォルフラムとビーネに陰ながらついている侍女や〈木葉〉が止める間もなく、四人は王宮へと〈転移〉したのだった。
王宮の王の執務室の続き部屋であるツヴァイクの部屋に〈転移〉すると、今日は無人だった。ツヴァイクの部屋は王へ謁見する者の待合室にもなっているので、先客が居ればクヌート達はちゃんと待っているのだ。
耳を澄ますが、執務室にはマクシミリアンとツヴァイク、光竜のゼクレスの気配しかしなかった。杖の先で彫刻の施された重厚なドアをノックする前に、向こう側から開く。
「いらっしゃい」
「こんにちはー」
肩に竜の姿のゼクレスを乗せたツヴァイクが笑顔で迎えてくれたので、ぞろぞろと執務室へ移動する。
「ん? 今日は初めての子も一緒か?」
「この子は……」
マクシミリアンとツヴァイクがヴォルフラムを見て驚いているが、ビーネとヴォルフラムはそんな二人にきちんと挨拶した。妖精方式で。
「びーね!」
「ヴォルフラム!」
きらきらした眼差しで返事を待つビーネとヴォルフラムに、マクシミリアンとツヴァイクも挨拶を返す。
「マクシミリアンだ」
「ツヴァイクです」
挨拶を終えると、子供達はきゃっきゃと笑いながらソファーによじ登った。クヌートとクーデルカはいつもの通りマクシミリアンの向かいのソファーに。ビーネとヴォルフラムはマクシミリアンの隣に座り、ぱたぱたと足を動かす。その姿をマクシミリアンとツヴァイクは凝視してしまった。
銀髪と紫色の瞳でヴォルフラムという名前の子供はこの國に一人だけである。アルフォンス・リグハーヴス公爵に託した、マクシミリアンの庶子だ。
ツヴァイクはお菓子をテーブルに出し始めたクヌートとクーデルカに、そっと訊いた。
「どこに出掛けるのか、主にちゃんと言って来たのかい?」
「朝にディルクとリーンハルトに言ったよ」
「クーデルカもヨルンに言ったよ」
「ヘア・ヴォルフラムとビーネを連れて来る事は?」
「……」
「……」
ぴたりとクヌートとクーデルカが黙って、「あれ?」という顔になった。言ってこなかったらしい。
「二人の主に言って来たのなら、まあアルフォンスも解っているだろうけど……」
クヌートから紙に包まれたミントとカモミールを受け取り、ツヴァイクは内心であきらめ混じりの息を吐いた。
今頃リグハーヴスの領主館は大変な事になっていそうだ。間違いなくヴォルフラムには侍女や〈木葉〉を付けているだろうし、目の前で消えたとなっては慌てるだろう。
「マクシミリアン、お茶を頼んでくるから見ていてくれよ」
ついでに特急便で精霊便を出そうと、ツヴァイクは執事の居る簡易台所のある小部屋へと急いだ。
「……」
幼いオレンジ色のケットシーと並んで座るヴォルフラムは、にこにことマクシミリアンを見上げている。どうやら人懐こく育ったらしい。
マクシミリアンは軽く咳払いをした。
「ビーネはヴォルフラムのケットシーか?」
「あいっ」
「あいっ」
二人で返事をする。ビーネは名前の通り、蜜蜂のように見える。蜂蜜のようなオレンジ色の毛をしているし、焦げ茶色のズボンからは蜂の針のように短い尻尾が覗いている。白いシャツの背中には蜜蜂の羽が刺繍している念の入れようだ。仕立屋で育てられていた筈で、質の良い服を着ている。
ヴォルフラムが話せるようになった頃に、ビーネが憑いたとアルフォンスから報告は受けていたが、会うのは初めてだった。ヴォルフラムにも。
ヴォルフラムはレオンハルトの幼い頃に良く似ていた。とても可愛がられているらしく、肌艶も良く健康そのものだ。
ヴォルフラムはマクシミリアンの庶子だが、実子としての記録は一切残されていない。公式な記録として、アルフォンスの息子となっている。そもそもマクシミリアンとアルフォンスは縁戚関係にあるので、従弟であるレオンハルトとヴォルフラムが似ていてもおかしくはない。
マクシリミリアンは当然、ヴォルフラムが産まれたと報告を受けた時、誰に託すのが最善かを考えた。
王となる者の兄弟姉妹ですら、王太子の即位と前後して臣籍降下する黒森之國では、現王の兄弟よりも四領の公爵と〈暁の砂漠〉の族長の地位の方が実質的に高い。王の兄弟は独立しても、王都に屋敷は与えられるが、領地は持たないからだ。
リグハーヴス公爵家は、他のハイエルン公爵家、ヴァイツェア公爵家、フィッツェンドルフ公爵家と同様に、黒森之國を統一した古王家の分家である。そして現在に至って王家との血縁関係が続いている。ハイエルン公爵家やヴァイツェア公爵家はそれぞれ、採掘族や森林族の血が濃くなっているが、リグハーヴス公爵家とフィッツェンドルフ公爵家は、古王家の色彩とされる銀髪と紫色の瞳を持つ者が高確率で産まれている。
不思議な事に、臣籍降下した元王族の子孫には、銀髪・紫目が揃った子供は殆ど生まれない。銀髪のみ、紫目のみといったように現れても片方の色彩しか持たない事が多い。
公爵家は王家に不慮があった場合、世継ぎを埋める役割がある為、定期的に王族を嫁入りまたは婿入りさせ、王家の血を引き継ぐ。そして、王家の色彩を持つ子供が生まれる。
なぜ直系にも拘らず臣籍降下したものには引き継がれず、公爵家には引き継げるのか。これは月の女神シルヴァーナの思し召しであるとしか語り継がれていない。
この世界の國々は、それぞれの神の決める理がある。
だからマクシミリアンは銀髪に紫色の瞳を持つヴォルフラムを、公爵の誰かに託すしかなく、一番信用のおける友人でもあったアルフォンスの手に渡したのだ。
すっと初老の執事がティーワゴンでお茶と果物を運んで来て、見事な手つきでティーカップにお茶を注ぎ、銘々の前に置いて行く。
執事フィデリオは、マクシミリアンが少年の頃から仕えてくれている官人である。王太子だろうと、悪さをしたら叱り飛ばしてくれた有難い男である。当然、フィデリオはヴォルフラムの事を知っている。
「ありがとごじゃいましゅ」
ミルクをたっぷり入れたお茶を貰ったヴォルフラムが、ちょっぴり噛みながらお礼を言うと、普段は仕事中に表情を変えないフィデリオが、ふっと頬を緩ませた。
「どういたしまして。お菓子をお取りしましょう。どちらを召し上がりますか?」
いつもならコボルト兄弟と自由に摘まんでいるが、流石に子供達が自分で取るのは難しいと思ったのか、フィデリオがビーネとヴォルフラムの隣に膝を付き、ティーワゴンに乗せて来た菓子皿に菓子を食べやすい大きさに切り分けて乗せてやっている。ツヴァイクが居れば同じようにしただろうが、今は精霊便を出しに行っている。
「これはねジンジャーブレッド。こっちがベリーのタルトで、こっちが胡桃のパウンドケーキ。これは桃のゼリーだよ」
「どれも美味しそうでございますね」
お菓子を説明するクーデルカに相槌を打ちながら、フィデリオが菓子皿に菓子を綺麗に盛り付け、コボルト達にも渡す。ティーワゴンに乗せて来た果物を添えるのも忘れない。
「凄い、綺麗」
「苺おっきい」
「その苺はヴァイツェア産ですよ」
王宮に納められる生産物は、最上級品だ。だが、エンデュミオンの温室で栽培されているという果物や野菜を使った孝宏の料理を食べている筈のコボルト達は、舌が肥えている気がする。
「きょうのめぐみに!」
少しばかり省略形の食前の祈りを唱え、子供達がおやつを食べ始める。
クヌートとクーデルカが定期的に遊びに来るようになったのは、偶然と言えば偶然なのだが、お喋りな南方コボルトとの会話には、リグハーヴスや他の領の話題が混じっているので侮れない。
「このベリーはシュネーバルとレイクが摘んでくれたの」
「レイク?」
クヌートがタルトのブルーベリーをフォークで刺しながら答える。
「レイクはマンドラゴラだよ。コボルトみたいな形しててね、可愛いの」
「……どこから持って来たんだ?」
「シュネーバルがね、ケットシーの里から持って来たんだって」
何かやらかすのはやはり〈Langue de chat〉だった。
「マンドラゴラは叫ばなかったのか?」
「コボルトは叫ばせずに掘れるもん。こうして、こうするの」
膝の上に菓子皿を置いたクヌートに、身振り手振りで説明されても解らない。普通に手掘りしているようにしか見えない。お茶のお代わりを注いでいるフィデリオの手が震えている。突っ込みたいのか笑いたいかのどちらかだろう。
「その、エンデュミオンは止めなかったのか?」
「エンデュミオンが知らない内に畑に居たんだって。レイクはシュネーバルのだから」
「温室にはキルシュネライトも居るし、聞き分けのいいマンドラゴラだから」
「侵入者以外は気絶させない約束なんだって」
クヌートとクーデルカが交互に話す。つまり明らかな不審者ならマンドラゴラに叫ばれるのか。その前に、裏庭に入れる者も限定されているらしいが。
クヌート達は子供なので、結構話題はころころと変わる。
「アロイスの所にフラウムヒェンが来たんだよ。あ、お茶美味しい」
フィデリオの淹れたカモミールを混ぜたミルクティーに、クーデルカが舌鼓を打つ。
「有難うございます」
フィデリオがビーネに桃のゼリーを取り分けた器とスプーンを渡してから、軽く頭を下げた。
「アロイス? フラウムヒェン?」
「あろいす、おにくやしゃん!」
誰だったかと首を傾げたマクシミリアンに、ビーネが答えた。その拍子にスプーンで掬っていたゼリーが、器にぽろりと戻る。
「にゃあー」
幼いケットシーはまだ前肢が上手く使えず、少々不器用なのだ。それでもビーネは癇癪を起さずに、ゼリーを掬い直して口に入れにっこりと笑った。
クヌートがジンジャーブレッドのお代わりを、マクシミリアンの菓子皿に乗せながら言う。
「フラウムヒェンは南方コボルトだよ。クヌート達よりふわふわの毛をしてて可愛いの」
「フラウムヒェンは〈人形〉だったんだって」
「何だと?」
コボルトを〈人形〉とする事は、ハイエルンでかなり前から禁じられている。だというのに、双子の話は最近の事だと言う。
「どの家に居たのかは解らないのか?」
「〈人形〉の時の事をフラウムヒェンはまだ話せないから」
「でもエンデュミオンとギルベルトがすっごく怒ってたから大丈夫だよ」
「ねー」
顔を見合わせて笑う双子に悪意がない。
「それは大丈夫なのか……?」
フラウムヒェンを〈人形〉としていた者達は、エンデュミオンとギルベルトに呪われたのに他ならないだろう。呪われたのなら明からに小さな不幸が積み重なるので、解りやすいと言えば解りやすいが。
「マクシミリアン」
ツヴァイクが奥の小部屋から戻って来た。その後ろからリグハーヴスに居る筈のクラウスがカティンカを抱いて現れる。
「精霊便と入れ違いで来たんだ」
「先触れもなく、失礼致します。陛下」
頭を下げたクラウスに、マクシミリアンは片手を上げて謝罪を止めさせた。
「いや、そちらも大変だっただろう」
「ディルクとリーンハルトが双子の外出先を知っていましたので、それ程には」
「そうか」
きっとアルフォンスは「よりにもよって王宮かよ」とぼやいたに違いないと、マクシミリアンは確信している。
「ココシュカは?」
「御前のお守りに残してきました」
護衛ではなくお守というところがクラウスだ。
クラウスはカティンカをクヌートとクーデルカの隣に座らせてから、ヴォルフラムとビーネの前に片膝をついた。
「若君、ビーネ。お出かけになられる時は、家に残る者にどこに行くか伝えておいてください。皆心配しますからね」
「ごめんなしゃい」
「ごめちゃい」
ぺこんと頭を下げる二人に、クラウスが告げる。
「御前から、陛下のお茶に招かれたのなら楽しんできなさいと、伝言をお預かりしています」
「あいっ」
「あいっ」
元気よく返事をするヴォルフラムとビーネに頷き、クラウスは立ち上がった。
「カティンカ、タルトにする?」
「ああい」
背後ではクーデルカがカティンカにケーキを勧めていた。
「ツヴァイクとゼクレスはジンジャーブレッド?」
「ジンジャーブレッド、今日も持って来てくれたんだ」
「きゅいっ」
こちらではクヌートがツヴァイクとゼクレスに同じ事をやっていた。当分帰りそうにない。
軽くなったティーポットをティーワゴンに戻し、フィデリオがクラウスの横に立つ。
「クラウス、お茶を淹れ直すのを手伝ってくれますか?」
「ええ」
クラウスはフィデリオに素直に頷いた。こうなると予測していたので。
クヌートとクーデルカの居るお茶会で、何も食べずに帰る者はいないのだ。お茶を淹れ直して戻って来たら、双子のコボルトはフィデリオとクラウスにもケーキを勧めるだろう。
断ったら物凄く残念そうな顔をするので、クラウスも領主館では苦肉の策として、「後程頂きます」とケーキ皿に取り置いて貰ったりする。実際コボルトのケーキは断るのが勿体無い位に美味しいのだ。
ティーワゴンを押して簡易台所のある控室にフィデリオと移動したクラウスの耳に、子供達とマクシミリアンの会話が聞こえて来る。
「あのね、〈Langue de chat〉にこの間バロメッツが来たんだよ」
「レイクが齧られるからって、里子に出されたけど」
「リグハーヴスにバロメッツ……? おい、クラウス?」
聞こえない何も聞こえない。クラウスは紅茶の葉とミントの葉を温めたティーポットに入れた。
「クーラーウースー?」
「呼んでらっしゃいますよ」
無視を決め込もうかと思ったが、フィデリオに背中を押され促されたので、クラウスは渋々と執務室に向かった。
どうやら予想よりも、帰宅は遅れそうである。
定期的なクヌートとクーデルカと王様のお茶会です。
南方コボルトは情報通だったりします。
足りない部分は、丁度いたクラウスが説明する羽目になりました。