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リグハーヴスの羊樹

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

風の強い夜の後には、変わった物が飛んできます。

260 リグハーヴスの羊樹バロメッツ


「ちゃかひろ、あけてー」

 日課として、シュネーバルは毎朝温室へ行く。裏庭の畑と温室にある畑を見回り、収穫できる野菜や果物を摘んで来て、水竜キルシュネライトとマンドラゴラのレイクに朝の挨拶をしに行くのだ。

 身体の小さなシュネーバルには妖精フェアリー用のドアも少々大きいので、近くに居る家人に頼んで開けて貰うのだ。

「はい、どうぞー。俺もキルシュネライトに朝御飯持って行くね」

 孝宏たかひろはキルシュネライトの朝食のフルーツサンドと、お茶の魔法瓶とカップを籠に入れて持ち、台所から裏庭に出るドアを開けた。

 二日続いた雨が朝方に上がったばかりで、しっとりと湿度を帯びた空気が顔に当たる。水と緑の匂いが鼻につく。

「う?」

 先に煉瓦道に出たシュネーバルが立ち止まる。

「どしたの?」

「ちゃかひろ、あれなーに?」

 最近、自分の欲求や疑問を口にするようになったシュネーバルが、何かを指差し振り返った。指差されたものを確認し、孝宏は目を丸くしてしまった。

「何だ? あれ。エンディー!」

 ひとまず孝宏はエンデュミオンを呼んだ。何か解らない物に一人で近付かないように、とエンデュミオンやテオに言われているのを思い出したので。

「どうした?」

 居間に居たエンデュミオンが直ぐに台所へとやって来た。

「裏庭に何か居るんだけど、どっから来たのかな」

「んん?」

 エンデュミオンは孝宏の脚の横を通り、シュネーバルの隣に立った。

 裏庭に白っぽい綿の塊のような物があった。

「あれは……」

 ゆっくりと近付き、綿の塊に回り込む。綿の塊には黒い獣の顔があった。エンデュミオンに気が付いたのか、ぱちりと目を開けると「メェー」と鳴いた。綿の塊に見えたのは座り込んでいたかららしい。

「それ、羊?」

「羊は羊だが……。一寸ちょっと立ってくれ。洗って乾かしてやろう」

「メエー」

 のそりと立ち上がった羊の四肢も黒かった。蹄の先だけが少し緑っぽい。そして羊の腹からは蔓が短く伸びていて、緑色の葉が付いていた。

 エンデュミオンは水の精霊(マイム)に頼んで羊の身体を洗い、風の精霊(ウィンディ)に乾かして貰った。あっという間にふかふかの羊の出来上がりだ。大きさはエンデュミオン達よりは大きいが、一般的な家畜の羊よりは小さい。

「ふかふか!」

 こうなると我慢出来ないのがシュネーバルで、駆け寄って来て羊に抱き着いた。

「わあ、シュネー!」

「大丈夫だ、孝宏。大人しい植物だから」

「へ? 植物?」

「これは羊樹バロメッツだ。顔が黒いから〈黒き森〉に居る野生種だな。ヴァイツェア公爵領にもいるんだが、こっちは森林族が育てていて顔は白いんだ。ちなみに羊毛では無くて、綿花だ」

「バロメッツ?」

「ンメェー」

 返事をするようにバロメッツが鳴く。

「それにしても、なんでうちの裏庭に居るのかな」

 〈Langue(ラング) de() chat(シャ)〉の裏庭は、錬鉄製の柵で囲まれている。通常なら、柵の扉を開けないと入り込めないが、利用者制限があるのでバロメッツは開けられない。

「まあ、上からだろうな。昨夜は風が強かったから〈黒き森〉から飛ばされて来たんだろう」

 そして飛んでいる途中で湿度に負けて、〈Langue de chat〉の裏庭に落ちたとしか考えられない。

「野生種のバロメッツは、リグハーヴスとハイエルンの〈黒き森〉にしか自生しないんだ。ハイエルンはコボルトと人狼が管理している筈だな」

 リグハーヴスはケットシーが管理……としたいところだが、ケットシーは裸族である。そして年中常春の里で暮らしている。木の洞を快適にするために、個人的にバロメッツから綿を貰うくらいなので、リグハーヴスのバロメッツは自由自適に生息しているのだ。

「リグハーヴスの村ではヴァイツェアみたいに育てないの?」

「もしかすると森の奥に居るから、リグハーヴス側の〈黒き森〉に居ないと思われているかもしれん」

 大魔法使い(マイスター)時代を思い出すと、聞いた事が無かった気がする。エンデュミオンの現在の知識は、大魔法使い時代のものとケットシーになってからの叡知が混在しているのだ。

「バロメッツは鳴くから、育てられても村だろうな。専用の畑を作らなければならないし、綺麗な水が必要だ。バロメッツ専属農家になるだろうしな」

 植物と動物の両方を育てるのに近い。餌は綺麗な水だけでもいいが、香草ハーブなども与えれば食べる。ただし、品質が良くなければ綿の質が落ちるのだ。

「ヴァイツェアは森の民だから、水と香草には恵まれている。それで改良したのが顔の白いバロメッツなんだ。ヴァイツェアは他にも森蚕もりかいこから作る緑色の光沢のある森絹もりぎぬが特産品だな」

「へえー」

「このバロメッツは耳に印もないし、首輪も無い。完全に誰の物でも無いな」

 飼い主は必ず耳にタグを付けるか、認識証付きの首輪をつけるのだ。

「この子どうするの?」

「どの地域から来たか解らんから、戻すに戻せないなあ。それにうちには糸に紡げる人が居ないだろう」

「糸になっていれば、ヨナタンが織れるけどね」

「ふむ」

 エンデュミオンは短い腕を組んだ。が、すぐにふんふんと匂いを嗅いでくるバロメッツの、フェルトのような手触りの鼻先を押しやる。

「ンメェー」

「こら、考え事の邪魔をするな」

 いつの間にかシュネーバルがバロメッツの背中に登っていたが、殆ど毛に埋もれていた。取り敢えず好きにさせておいても良いだろう。

 リグハーヴス産のバロメッツなので、他地域に出す訳に行かず、リグハーヴス内の知り合いを頭に浮かべる。とはいっても、綿なので服飾ギルド関係に限られるのだが。

「糸紡ぎ職人のクラーラとビアンカに託すか。バロメッツは大人しいし排泄したりしないから、部屋の中で飼えるし、糸も紡いで貰える」

 実は危害を加えようとする者には突進していく攻撃性もあるのだが、ビアンカと母親のクラーラなら平気だろう。時々バロメッツを連れて遊びに来て貰えれば、シュネーバルは喜ぶだろう。

 何故〈Langue de chat〉で飼わないのかと問われれば、繊細なヴァルブルガの機嫌が悪くなりそうだからである。エンデュミオンも危ない橋は渡りたくない。

 まずは皆で温室に行き、シュネーバルのいつもの日課を済ませる事にする。

「レイクー」

「キャン」

 シュネーバルが来たのに気付いたマンドラゴラのレイクが、木陰から現れたが、バロメッツを見た途端動きを止めた。それからじりっと後ずさる。

 バロメッツもじっとレイクを見詰める。孝宏が首の後ろを掴んでいるので前に出ないが、前肢がうずうずと動いている。どうやらバロメッツはマンドラゴラの葉を狙っているらしい。

「バロメッツ、レイクの葉を食うなよ? 他の香草はいいが、レイクだけは駄目だ」

 一触即発の気配に、エンデュミオンが釘を刺す。葉を食べられそうなったレイクに、叫び声を上げられるのは困る。シュネーバルも泣くだろう。

 やはり、温室にバロメッツは置いておけない。レイクには危険な相手だった。勿論レイクも黙ってやられたりはしないないだろうが、マンドラゴラとバロメッツの対決を見たい訳ではない。

 ─どこから来たのよ、その子。

「多分、昨日の風で森から飛んできたんだ」

 裏庭に居たのを、キルシュネライトも気付いていなかったようだ。無害な物だと、結構気にしないものなのだ。

 キルシュネライトに朝御飯を食べてもらっている間に、畑や果樹を見回り、熟れたベリーを幾つかバロメッツに食べさせる。精霊水も飲ませてから、孝宏がバロメッツを小脇に抱えて家に戻った。

 まだ店を開ける前だったので、そのまま二階に行く。

「イシュカ、バロメッツが居た」

「はぁ!? どこの羊だ?」

「え、羊!? お腹に葉っぱ付いてますけど」

 イシュカもカチヤもバロメッツを見るのは初めてだったようだ。

「これはバロメッツと言う羊型の植物だ。顔が黒いのは野生種で、〈黒き森〉から来たみたいだ。うちでは飼えないから、ビアンカに頼もうかと思う」

「温室は?」

「レイクと戦いになる。香草が好物なんだ」

「ああ……」

 それは無理だと、あっさりイシュカに納得してもらえた。

「植物なら日光必要だよね。散歩用のハーネス要るかな? ええと胴輪みたいなの」

 孝宏が紙に絵を描いてヴァルブルガに見せる。

「すぐ作るの」

 どんなものか理解出来たらしく、ヴァルブルガが部屋に戻って行った。

(危ない危ない)

 バロメッツを見た瞬間、ヴァルブルガに緊張感が走ったのだが、他に預けると知って、いつもの穏やかな気配に戻っていた。

 当のバロメッツ自体はご機嫌にメエメエ鳴いて、カチヤとヨナタンに撫でて貰っていた。

 相変わらずの仕事の早さでヴァルブルガがハーネスを作り上げてくれたので、孝宏にバロメッツに装着してもらう。

 嫌がる事もなくハーネスを着けたバロメッツの見た目が一寸見慣れない姿になったが、美味しそうなものを見付けてふらふらされるよりは良いだろう。引き綱よろしく組紐を付けてあるので盗難防止にもなる。

「一応、服飾ギルドに届けておくか」

 バロメッツは素材扱いになるのだが、羊の形という事で、家畜と同様に所有者登録をしておかないと、盗まれた時に申し立て出来ない。

「ビアンカに頼んで来る」

「行ってらっしゃい」

「いってらー」

 時々遊びに来て貰えるからと伝えたからか、レイクの天敵だからなのか、シュネーバルは素直にバロメッツを見送ってくれた。


「ええとまずは服飾ギルドだな」

 バロメッツの組紐を持ったまま、服飾ギルドに〈転移〉する。

「おーい、ヘルガー」

 ロビーに出たエンデュミオンは、カウンターの内側に居るヘルガに前肢を振った。

「あらエンディ、バロメッツ連れてハイエルンにでも……」

 不意にヘルガは語尾を途切らせ、椅子から立ち上がるなりロビーまで真っ直ぐに出てきた。

「エンディ、一寸お話しましょうか。手続きとかあるわよね?」

「う、うん」

 にっこりと微笑むヘルガの後について応接室に入る。エンデュミオンの背後でドアを静かに閉め、ヘルガは大きく溜め息を吐いた。

「エンディ、そのバロメッツってハイエルン種じゃないわよね? 蹄の色が違うもの」

「ハイエルン種? これはリグハーヴス側の〈黒き森〉にいる野生種だぞ」

「新種?」

「昔から居る。でも森の奥に居るんだ。ケットシーは裸族だから、特に管理してない」

「出回ってないなら新種じゃないのよぉー」

 エンデュミオンの目の前でヘルガがしゃがみこむ。

「今朝うちの裏庭に居たんだ。昨夜の風で飛んできたみたいで。うちでは誰も糸を紡げないし、ビアンカ達に預けようかと思って」

「本当!?」

 がばりとヘルガが顔を上げる。

「ああ。ヨナタンが使う分以外は、ギルドに売って貰うつもりだ」

「嬉しいわ。野生種は繊細なヴァイツェア種とは違って糸が丈夫なんだけど、ハイエルン種は入ってくる量が少ないのよ」

 地元消費されるらしい。王都などはヴァイツェア種が人気なのだと言う。

「でもこの子しかビアンカには渡さないぞ?」

 あのアパートに何匹もバロメッツがいたら大変だ。ビアンカの母親のクラーラは呼吸器が弱いのだし。

「ケットシー達、内職しないの?」

「なんでも遊びに変えるから、面白いと思ったらやると思うが、多分毛が混じるぞ」

「付加価値付いて良いじゃない。あと魔法付与も付けやすいんじゃないかしら」

「成程、特殊糸や特殊布として売るのか。冒険者には売れるな。ケットシーにやり方と気に入る報酬を提示出来れば、ヴァルブルガの血統なら出来ると思うぞ」

 ヴァルブルガやゼクスナーゲルのように、あの血統は器用なものが多い。

「道具はこちらで用意するわよ」

「ビアンカがバロメッツで糸を紡げるか確認してから、教えに来て貰うか」

「それで構わないわ」

「今日はこの子の所有者登録を頼む。エンデュミオンの名でな」

「そうね。首輪に付ける登録票がいいかしら」

「うん」

 ヘルガは一度応接室を出ていき、暫くして赤い組紐に小さな鈴と銀色の登録票がついた首輪を持ってきてくれた。

「この子は赤が似合うと思うのよね」とバロメッツに首輪を着け、鼻筋を撫でる。バロメッツはメエメエ鳴いて、短い尻尾をぴるぴる振った。バロメッツの尻尾は初めから短い。動くと鈴が小さくチリチリと鳴った。

「さっき蹄の色が違うと言ったが、ハイエルンのバロメッツは何色だったかな?」

 エンデュミオンがハイエルンのバロメッツを見たのは、もう随分昔だった。しかも五十年ばかりケットシーの里から出ていないので、地域毎に種別分けされているのも知らなかった。

「ハイエルン種は黄色よ。この子は緑でしょう? ヴァイツェア種は白ね」

 服飾ギルド職員のヘルガだから、すぐに気付いたのだろう。ハイエルン種とリグハーヴス種の違いは、知らない者が見ても解りにくい気がする。

「エンディ、リグハーヴス種のバロメッツの事は、リグハーヴス公爵に伝えないとならないわよ」

「むう」

 面倒臭い、と顔に出したエンデュミオンの額をヘルガは指で軽く押した。

「仕方ないわね。ケットシー達とリグハーヴス種の糸作りを計画してるって、うちのギルド長から知らせて貰うわ。試作品が出来たら、一巻きくれる?」

「解った。クリスタに宜しく」

 エンデュミオンはバロメッツを連れて、ヘルガの前から〈転移〉した。

「……エンディってば、解ってるのかしらねぇ」

 ヘルガは苦笑して応接室を出て、ギルド長クリスタの部屋へ足を向ける。

 リグハーヴス種のバロメッツの糸や布は、リグハーヴス公爵領の新しい商品になる。それも、ただの布ではなく初めから魔法付与がしやすい布だ。ハイエルン種のバロメッツ布はコボルトが製作し、ほぼ領内で消費されている。それはやはり魔法付与がしやすいか、反物になった時点で魔法付与があるからだろう。

 リグハーヴス種のバロメッツ布は、騎士団や騎士隊、冒険者達の衣服に用いられるだろう。魔法付与で防御力を上げれば、生存率も上がる。

 孝宏もエンデュミオンも無自覚でリグハーヴスを活性化しているのだが、それに気付いていない辺りが良く似ている。

(うーん、ケットシーへのお礼は何にしたらいいかしら)

 ケットシーは余り欲がない。のんびり暮らし、好きな事をやって、気紛れに冒険者を助ける。

 きっと糸紬ぎも、遊びの一部として作ってくれるのだろう。糸車も玩具として、皆で交代で回す姿が目に浮かぶ。

 バロメッツ布自体が丈夫で質が良いのだから、種をもらってバロメッツを育てる畑を作るのを領主に検討してもらっても良いだろう。水が良くないとならないから、場所選びは大切になるが。

 その辺りはクリスタと領主の話合いになる。

 ヘルガはギルド長の部屋の前で足を止め、軽くノックした。

 やって来る度に仕事を増やすエンデュミオンに毎回「あらあら」と笑うクリスタなのだが、今回もきっと同じだろうなと思いながら。



エンデュミオンを畏れない人の一人、ヘルガです。


エンデュミオンは大魔法使い時代の記憶とケットシーの叡知がありますが、五十年間森の中にいたので、知識のアップデートがされていない部分があります。


マンドラゴラの天敵はバロメッツ。植物なので〈叫び〉が効きません。バロメッツを蔓で捕獲してポイするしか手がないマンドラゴラなのです。

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