ロンベルクと蘇生薬
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
備えよ常に。
254ロンベルクと蘇生薬
シャルンホルストを連れて、エンデュミオン達はフィッツェンドルフの領主館に戻った。
「お帰りなさいませ」
穏やかな笑みを浮かべて執事のロンベルクが出迎えてくれた。
「御髪が湿気っておられますよ。居間の暖炉に火を入れましょう」
「有難う。何か温かい飲み物があったら貰える?」
「厨房で確認して参ります」
ロンベルクは居間の暖炉に火を熾し、部屋を出て行った。
─ここがおうち?
エルヴィンの外套の中に入っていたシャルンホルストがひょっこりと顔を出す。
「そうですよ」
外套を脱いでシャルンホルストをソファーの上に乗せ、エルヴィンはレベッカの外套も受け取り片付けに行った。
「うう、やはり湿地は冷えるな」
「エンデュミオン、少しマントを干しておきましょう」
「うん」
レベッカがエンデュミオンのマントを四角い布張りのスツールの上に広げた。エンデュミオンは暖炉に近寄り肉球を炙る。
「シャルンホルストは寒くないのか?」
─水竜は寒さに強いよ。
「水の中に居られる位だものな」
─でも暖かいところも好き。
シャルンホルストはぱたぱたと翼を動かし、エンデュミオンの隣に飛んで来て同じように前肢を暖炉に翳した。
「スープを貰って来ましたよ」
居間にエルヴィンとロンベルクがお盆を持って戻って来た。
─スープ? 美味しい?
ぽてぽてと音がしそうな歩き方で、シャルンホルストがロンベルクに近付いた。相変わらず警戒心が無い。ロンベルクがシャルンホルストを見て固まった。
「……フラウ・レベッカ、この水竜は」
「さっき派遣して貰った水竜のシャルンホルストだよ。シャルンホルスト、彼は執事のロンベルク」
─ロンベルク。覚えた。
こっくりとシャルンホルストが頷く。
「シャルンホルスト、さっきサンドウィッチとパイを四つ食べてませんでした? お腹大丈夫ですか?」
持ち手が二つあるスープボウルが人数分乗った盆をテーブルに置きながら、エルヴィンが尋ねるがシャルンホルストは「大丈夫」と竜尾を振った。
「シャルンホルストの本体はもう少し大きい筈だからな。食べようと思えば食べられるんだよ」
エンデュミオンが今度は背中を暖炉に炙りながら答えた。
そもそも、竜は自然界からも栄養となる物を吸収しているので、実際は口から食べる物は嗜好品である。暫くの間貢ぎ物が無くても、キルシュネライトが平気だったのはそう言う理由だ。
土地の守護者というのは、その土地を守護しても良いと思うから、その立場にあるのであり、そう思わなくなれば土地から離れてしまう。だから守護者と直接関わりを持つ領主は、重責なのだ。
本来領主とは、その土地を守る者の接待係なのだ。〈柱〉だけでは心もとない地域の守りをするのが土地の守護者なのだから。死によって一時的に不在となる〈柱〉が戻るまでの間、國を支えるのが守護者である。
「熱いですよ」
「有難う。自分で適当に冷やせるから平気だ。──今日の恵みに。」
エンデュミオンは暖炉の前の敷物の上で、ロンベルクからスープボウルを受け取った。スープボウルを膝に乗せていれば温かい。エンデュミオンは匙でスープを飲んだが、シャルンホルストはテーブルの上に乗せて貰い、スープボウルに顔を突っ込んでいた。
─美味しい! ロンベルク、これなに?
「トマトのスープですよ」
全ての材料が細かく刻まれた、少しとろみと酸味のあるスープだ。
スープを飲み終わったあと、トマトで赤くなったシャルンホルストの口回りをロンベルクがそっと布で拭ってやっていた。
「ご馳走様。ここの料理人は腕がいいな」
上品すぎる味でも無く、粗末すぎもしない。家庭料理の味に近かった。
「すぐに料理人を決められなかったので、料理上手な領民に来て貰っているんです。時間がある主婦に数人ずつ組んで貰っているんですよ」
「ほう」
ライヒテントリットの影響下にあった者は療養の為、前領主と共にフィッツェンドルフの沖にある小島に送られたのだ。使用人達は強制的に送致されたが、給料はきちんと出るし、体調が改善されれば申請の上で島外にも出られる。
「エンデュミオン、お借りしていた〈浮水の護符〉です」
エルヴィンが〈浮水の護符〉をエンデュミオンに差し出した。エンデュミオンはその手に前肢を置いた。
「手元にないのなら、譲るぞ? フィッツェンドルフは水場が多いしあった方が良いと思うが」
「譲って貰えると有難いです。それか、作成出来る錬金術師を紹介して貰えれば助かります。結構色んなものが無くなってまして……」
「ああ……」
前領主の内政はかなり拙い事になっていたらしい。領主騎士隊の備品などを売ってしまったりしていたのだろう。水竜キルシュネライトの扱いが悪かったのだから、水を使用する生産品の質も落ちたに違いない。それは別の領に売る時に当然買い叩かれる。
「フィッツェンドルフに錬金術師は居ないのか?」
「居たんですけどね……」
レベッカとエルヴィンが深く溜め息を吐く。
前領主時代に他領に移られたらしい。錬金術師は魔法使いに比べて数が少ないのだ。グラッツェルに聞いた話では階級によって扱いに差があるというし、作れるものも系譜によって変わると言う。
「頼むのならリグハーヴスのグラッツェルという錬金術師に頼むと良い。素材は湿地帯の水竜に集めて貰えるんじゃないかな。魔窟水洞蛙の魔石と迷宮アメンボの足が必要だ。あの湿地帯は迷宮化しているから、居ると思うんだ」
「迷宮化って」
「昔は地表に迷宮が出来るのは珍しくなかったんだ。今より人族が散らばっていなかったから。最近は魔力溜まりがあると、すぐ散らすだろう? 湿地帯は水竜が居座っているから、水竜の巣を中心に迷宮化しているんだ」
つまり、水竜が管理しているので氾濫などはほぼ起こりえない。
「湿地帯はフィッツェンドルフの持ち物なんだから、素材は値崩れしない程度に錬金術師ギルドに売ると良いかもな。冒険者ギルドは地下迷宮産の物を取り扱うから。下級や中級錬金術師専門の店を王都に出店するのも手だぞ。王都は良質の素材は上級錬金術師が買い占めてしまうらしいからな」
「そんな事になっているんですか?」
「ああ。下級錬金術師が中々昇級出来ない状況らしい」
「それは……陛下に奏上してもいい案件ですね。次の領主会議の時にでも」
領主の顔で、レベッカが着ていたベストのポケットから、小さな手帳を取り出して書き込む。女公爵だがレベッカはドレスを着ていない。元騎士と言うのもあるだろうが、シャツに細身のズボンと言う格好だった。
「フィッツェンドルフで素材の一部でも確実に手に入ると解れば、戻って来る錬金術師もいるだろう」
「そうだと良いんですが」
レベッカは近くに寄ってきたシャルンホルストの頭を指先で撫でる。
「お下げします」
空になったスープボウルを取る為に、床に片膝をついたロンベルクに、エンデュミオンは黄緑色の瞳を大きく開けた。
「そうだ、エンデュミオンはロンベルクに用があったんだ」
「私にですか?」
「一寸そのままでいてくれ。よいしょ」
床に片膝を付いた体勢のロンベルクに、エンデュミオンは抱き着いて、胸に耳を押し当てる。
「あの、」
「黙って。息を吸ってー、吐いてー」
戸惑いを見せたロンベルクだったが、エンデュミオンに言われた通りに呼吸を繰り返す。
「……うん、解った」
エンデュミオンはロンベルクから身体を離した。
「ロンベルクは胸の病だと聞いたが、医師の見解はどうなんだ?」
「……呼吸が浅くしか出来なくなる病だそうで、進行は止まっている状態です」
「うん。肺の大部分が機能していないな。いっそなければ生やすんだが、器官が残っているからなあ」
「生えるんですか?」
「エンデュミオンは生やせる。ちゃんと魔女の修行をしていないから独学なんだ」
欠損した部位の再生は奇跡に値する。再生回復薬が無い訳ではないが、素材費が物凄く高い。おまけに作れる薬草師や錬金術師が殆んどいない。
「まあ、再生回復薬が欲しければ、素材を集めてラルスかグラッツェルの所へ行くんだな。手技料だけで作ってくれるぞ。で、ロンベルクにはこれだ」
エンデュミオンは〈時空鞄〉の中から白い硝子の小瓶を取り出した。
「これは?」
「蘇生薬だな」
「いやいや、蘇生薬って瀕死の患者に使う薬でしょう!?」
思わずエルヴィンが突っ込む。流石にエルヴィンだって蘇生薬の使い時は知っている。厳重に保管されてはいたが、騎士団の医務室にも置いてあったのだ。蘇生薬は素材が素材なので再生回復薬まではいかないが高価だ。
「適用外にはなるんだがなあ、器官が残っていて機能不全の場合は効果があるんだ。エンデュミオンは魔女じゃないから渡せる」
「それ、違法じゃあ」
「エンデュミオンが魔女の資格を取って治療をすると、高額な治療費を請求しなければならないんだ。だから、魔女が出来ない治療をエンデュミオンは請け負う。大魔法使い時代からの抜け道でな」
「薬代はお幾らになりますか」
レベッカが真顔で問う。
「エンデュミオンの私用のものだから要らないと言いたいんだが……」
言葉を濁し、エンデュミオンがレベッカをちらりと見上げる。
「季節の魚介類を時々送って貰えればいいな」
「え?」
「リグハーヴスは湖や川でしか漁が出来ないから、海の魚はフィッツェンドルフ産のものになるんだが、出回る種類が少なくてな。冒険者ギルド経由で送って貰って構わないから」
「あの、それで良いんですか?」
「うん。孝宏に食べさせたいからな」
嬉しそうに笑うエンデュミオンに、レベッカは力が抜けた。
「……エンデュミオンはケットシーでしたね……」
「うん? そうだぞ」
主持ちのケットシーは、主が一番だった。そもそも妖精はお金に拘らない。
「飲むと回復するまで一日くらいは眠ってしまうと思うから、夜にベッドに入る前に飲むと良い。味は蜂蜜生姜檸檬風味だそうだ。ラルスの薬は飲みやすいぞ。一週間おきに二回飲んでおけ」
ロンベルクの手に、エンデュミオンは小瓶を二本押し付ける。
「二本も……」
「出来たら、元の症状と薬を飲んだ後の体調を記したものを送ってほしい。魔女ギルドに知らせて検討して貰えば、魔女も使えるようになるかもしれないから」
「承知致しました」
ロンベルクはエンデュミオンに頭を下げた。白っぽい金髪の頭を、エンデュミオンが肉球で撫でる。ロンベルクには、荒れたフィッツェンドルフを改善していく、レベッカとエルヴィンを支えて貰わねばならない。
「さて、そろそろマントは乾いたかな」
エンデュミオンはスツールから乾いたマントを回収した。ついでテーブルの上からシャルンホルストを抱き下ろす。
─抱っこ?
「シャルンホルスト、フィッツェンドルフの守護竜の仕事を、キルシュネライトに教えて貰いに行くぞ。二、三日で戻れると思うが」
─そうなの? 解ったー。
無邪気過ぎる水竜にいささか不安があるので、前任者のキルシュネライトに指導をお願いするのが手っ取り早い。
「キルシュネライトの研修が終わったら連れ帰る。おやつを用意して待っていてくれ」
「解りました。シャルンホルスト、お勉強頑張って来て下さいね」
─はーい。
レベッカに元気に返事をするシャルンホルストだが、水竜の威厳は感じられない。
とりあえず、帰って来たらおやつがあるというご褒美をちらつかせておく。キルシュネライトはかなり生真面目な個体だが、シャルンホルストは陽気である。どこまでキルシュネライト先生の研修に飽きずにいられるか解らない。
(グリューネヴァルトにも協力して貰うか……)
属性は違うが、グリューネヴァルトも長生きなので知識は持っている。フィッツェンドルフ以外の領の事を教えてやれるだろう。
エンデュミオンは、ロンベルクに「勿体がらずに蘇生薬をきちんと飲めよ」と念を押してから、〈Langue de chat〉へ〈転移〉した。
いざという時の為に、高価な薬も持っているエンデュミオンです。
素材さえあれば調合してくれる幼馴染がいるので。
欠損部位でも再生できるエンデュミオンは、命に関わるような大怪我でスピード勝負の時などに呼ばれます。ギルベルトも同様です。エンデュミオンが魔女の資格を取ると高額治療になる為、あえて資格を取っていません。
大魔法使い時代から、特例として見逃して貰っていますが、治療した時は近隣の魔女か魔女ギルドに報告します。エンデュミオンの場合はヴァルブルガかグレーテルに報告します。
シャルンホルストはキルシュネライト先生とグリューネヴァルト先生の研修が待っています。