レイクの秘密
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説話集は教養の一つです。
252レイクの秘密
シュネーバルの日課は、毎朝の温室通いである。
「キャンキャン」
「う、おみじゅ」
今日も今日とて、じゃれ付いてきたレイクにシュネーバルが如雨露で精霊水を掛ける姿は微笑ましい。
レイクがマンドラゴラでなければ、だが。
エンデュミオンが見るに、レイクは知能が高そうだった。多分もっときちんと会話が出来るのではないかと疑っている。そう孝宏に言えば『シュネーに合せて猫被ってるのかもね。見た目コボルトっぽいけど』と返って来た。育ててくれているシュネーバルに嫌われないようにしているのだろうと。
そんな考えが出来るマンドラゴラの方が厄介だと思うのだが、シュネーバルがとても可愛がっているので、エンデュミオンは黙っている。黙っているが、これを領主アルフォンス・リグハーヴスにも黙っていられるかというと無理なので、孝宏お手製のスポンジケーキにクリームと苺ジャムで和えた生の苺を挟んだケーキを手土産に、エンデュミオンは領主館へと赴いた。
「こんにちは……おや、居ないのか」
領主館にアルフォンスの気配はするが、執務室には居なかった。気配を探れば、クラウスとカティンカ、ココシュカと共に一階の応接間に居た。来客中らしい。
「待っているか」
応対が終われば執務室に戻って来るだろうと、エンデュミオンはソファーによじ登った。
今日は朝からしとしと雨が降っていて、少し薄暗い。歪みのある窓ガラスに当たる雨を眺めながら、アルフォンス達が戻って来るのを待った。
暫くすると玄関の扉が開き、走り去って行く馬車の車輪の音が聞こえた。客が帰ったのだろう。アルフォンス達の気配が近付いて来て、執務室のドアが開く。
「来てたのか、エンデュミオン」
「うん。来客中だったから待たせて貰っていた。クラウス、これを御茶請けに」
「有難うございます」
もはやクラウスはエンデュミオンが持ってくる物に対しては、毒味をしていないのではなかろうか。エンデュミオンがアルフォンスに毒を盛っても利はないが。どちらかと言えば、アルフォンスには長生きして貰いたいエンデュミオンである。
「孝宏のケーキだぞ。カティンカ、ココシュカ」
「ああい」
「お菓子? お菓子?」
アルフォンスと一緒にエンデュミオンの向かいのソファに座ったカティンカとココシュカが、嬉しそうな声を上げる。白地にところどころ淡い茶色の毛がある笹かまケットシーのカティンカはキッチンメイドのエルゼに憑いている。日中はエルゼが仕事をしているので、執事補佐としてクラウスに預けられているのだ。
キメラのココシュカもすっかり魔剣から外に出ているのが常態になってきている。クラウスの魔力で食事は充分なのだが、嗜好品としての食事もお気に入りのようだ。
おっとりとしているカティンカだが、そっとアルフォンスの体調管理をしているようで、前より顔色が良くなっていた。領主と言うものは気苦労が多い。リグハーヴスの街を発展させる努力をしていたが、ここ数年で功を奏したのも良かったのかもしれない。リグハーヴスの街は定住する職人や冒険者も増えた。周辺の村にも移住者が増えている。住人が増えれば税収も上がる。
この所、地下迷宮で大きな氾濫がないのも大きいだろう。地下迷宮の氾濫があれば、少なからず冒険者や騎士に犠牲者が出る。それは街の雰囲気を暗くする。
クラウスはケーキを切り分け、お茶を用意して運んで来た。
アルフォンスは花の香りのする紅茶を一口飲み、エンデュミオンに探るような眼差しを向けた。
「先日、森番小屋の人狼の件で来たばかりではないか。何かあったのか?」
「エンデュミオンが何かした訳ではないのだがな」
思わずエンデュミオンは苦笑する。何かやる前に報告しろと言われている身だが、自分自身で行わないものについてはエンデュミオンだって事前報告は出来ない。
レイクが温室を歩き回るようになってからカティンカとココシュカは来ていなかったので、二人は話しに入らず美味しそうにケーキを食べていた。ココシュカは前肢でフォークを持てないので、クラウスに食べさせてもらっていたが。表情には滅多に出さないが、クラウスはココシュカを可愛がっているのは間違いない。
「実はなあ、シュネーバルがこっそりマンドラゴラを育てていたんだ」
「はあ!?」
「そう言いたい気持ちはエンデュミオンも解る。コボルトの子供がマンドラゴラを拾って来るのは良くある事らしい」
「いや、あれをどうやって持って来たんだ? 叫ぶだろう」
「あー、うん。それが、コボルトは本能的に安全に土から出せるんだ。おまけにシュネーバルは幸運妖精だから」
限りなく叫ばれる事はないだろう。
「コボルト以外が間違って抜くと危ないから、今は土から出て貰っているから安全だ。一寸変わった形のマンドラゴラなんだ」
エンデュミオンはイシュカに描いて貰って来たレイクの姿絵を、アルフォンスに渡した。
「コボルト……?」
「見た目は小さなコボルトっぽいんだ。シュネーバルに懐いていて言う事は聞く。温室の中を歩き回っているから、一応知らせておこうと思ってな」
「確かに温室に来る者達に知らせておけば安全か」
マンドラゴラに興味がありそうなのは魔女や薬草師、錬金術師だが、どれもエンデュミオンと知り合いなのだ。
「マンドラゴラで作れる薬は常用するものではなかったな?」
「有名なのは蘇生薬か。あとは媚薬や精力剤」
蘇生薬は寿命以外で瀕死の患者を蘇生するもので、死者は蘇らない。媚薬は禁止薬物になっていて、精力剤は魔女か医者の処方箋が要る。
「乾燥マンドラゴラならラルスの所にもあるから、レイクに貰う事もないと思うが」
「レイク? 名前を付けたのか?」
「シュネーバルが」
「それは捨てて来いとは言えんな」
小さく笑ってアルフォンスがケーキをフォークで一欠け掬い取り、口に運ぶ。
「美味いな。生の苺も入っているのか」
「シュネーバルがレイクと摘んだ苺だ」
ぴたりとアルフォンスの手が止まる。
「……随分と器用だな、そのマンドラゴラは」
「恐らく変異種だと思う。知能が高そうだ。下手な者の手にあるよりは、シュネーバルが飼っている方が良いと思うくらいには」
「説話集にあったな、魔法使いが飼っていたマンドラゴラの話が」
昔、魔法使いがマンドラゴラを手に入れた。そのマンドラゴラは教える事全てを覚え、魔法すら使って見せたと言う。魔法使いの死後、マンドラゴラはいずこかへ姿を消したと記されている。エンデュミオンが大魔法使いだった頃より前の話だ。
「……まさかな」
「……それくらい昔なら、マンドラゴラはもっと大きくなっている筈だ」
現実逃避しようとしていた二人に、クラウスがぽつりと呟く。
「株分け、とか?」
エンデュミオンとアルフォンスは同時にクラウスを睨んだ。
「現実的な回答を求めてない!」
「お前、それを考えないようにしていたのに!」
「どう考えても幸運妖精なんだから引き当てるでしょうよ。こら、ココシュカ」
呆れた顔のクラウスが持つ空になった皿を、ココシュカが舐めて綺麗にしていた。カティンカは慰めるように、アルフォンスの太腿をぽんぽんと肉球で叩いている。
「株分けされた子株だとすれば、親株ほどの能力はないと思う」
「シュネーバルが育てるのだけが救いだよ……」
本当に伝説のマンドラゴラなら、子株でも学習していくだろう。それでもマンドラゴラの主がシュネーバルならば、覚えるのは良心的な魔法の筈である。クヌートとクーデルカとホーンが面白がって、レイクの前で色んな魔法を披露しそうな気がしないでもないが。
「陛下にも知らせる必要があるぞ、エンデュミオン」
「適当に知らせておいてくれ」
「おい」
アルフォンスに比べると、マクシミリアン王への態度は投げやりなエンデュミオンであった。
エンデュミオンは領主館から戻った肢で、温室に入った。菜園にはレイクはおらず、エンデュミオンは広場の方へと移動する。
「レイクは?」
下の水盤に浸かっていた水竜キルシュネライトに尋ねると、あっちと居るらしき方向を尻尾で示してくれた。
「レイク」
エンデュミオンの呼びかけに応じたのか、かさりと音を立てて、木の根元近くからレイクがコボルトに似た顔を覗かせる。
「こっちにおいで」
「キャウ」
さわさわと根を動かして、レイクがやって来る。ここまで聞き分けの良いマンドラゴラは、普通ではない。エンデュミオンはレイクの葉を肉球で優しく撫でた。
「レイクは賢いな」
「キャン」
エンデュミオンはレイクの前に座り、黒真珠のような円らな瞳に正面から向かい合う。
「レイクの親株はどこにいるんだ?」
「キャーウー」
わさわさと葉を横に振る。知らないらしい。
「そうか。レイクは魔法を覚えられるのか?」
「キャン!」
レイクがちょっぴり胴体を反らす。物凄く解りやすい。覚えられるもん、という感じだろうか。
「じゃあな、良い物をやろうな」
エンデュミオンは植物であるレイクと相性の良い水属性と木属性の魔石を取り出した。小さな環に加工されている物で、本来であれば紐や鎖、髪に通して使う装飾品だ。
質の良い魔石は魔法を使う時に媒介となり、精霊から借り受ける魔力の流れを潤滑にしてくれる。自分の魔力を使う時にも同様だ。
「ほら、魔石だ。これを持っているといい」
「……」
じっと魔石を見た後、レイクは下肢の根で環を受け取った。二つの魔石の環を、するすると根の中に取り込み隠した。
「いい子だ」
「キャウー」
褒められたのが嬉しいのか、レイクが身体をエンデュミオンに擦り付ける。
キルシュネライトがぱしゃりと水を尻尾で跳ね散らした。
─餌付け?
「マンドラゴラは魔石を食べないぞ」
─知ってるわ。エンデュミオンは心配性ね。
クックッと喉を鳴らしてキルシュネライトが笑う。
「むう」
自覚があるエンデュミオンは唸るだけで反論しなかった。
「キャウ」
さわさわとレイクが移動し、キルシュネライトの居る水盤に入る。キルシュネライトは黙ってレイクを尻尾の内側に囲い込んだ。
─何よ。
キルシュネライトがもの言いたげな視線を向けたエンデュミオンに、羞恥混じりの尖った思念を向けて来る。
「いいや、何でもない」
エンデュミオンは軽く頭を左右に振った。
エンデュミオンを心配性だと言う癖に、自分もしっかりレイクを守る体勢を取っているキルシュネライトがおかしかっただけだ。
「また明日」
そう声を掛けて、エンデュミオンは温室を後にする。
雨はすっかり上がっていた。
裏庭に敷かれた煉瓦の小路を歩く。裏庭でも露地栽培を孝宏とシュネーバルが始めており、まだ小さな苗や芽が風にゆらゆらと揺れていた。
「ん?」
ヒューと風切り音を立てて、風の精霊が飛んで来るのが見えた。白い封筒を持っている。風の精霊はエンデュミオンの目の前に下りて来た。
「エンデュミオン宛か」
封筒の蓋を止めている赤い封蝋はリグハーヴス公爵家のものだった。封筒を受け取り、風の精霊に砂糖菓子を与えて見送る。
「さっき行ったのになんだ?」
封筒の中に入っていた手紙は短かった。フィッツェンドルフの新たな水竜の交渉を手伝って欲しいという内容だった。きっとレイクの話題で驚いて、エンデュミオンに伝えるのをすっかり失念したのだろう。先程来ていたのは、フィッツェンドルフの使者だったに違いない。
「ああ、忘れてた」
聞かれたら怒られそうな言葉を漏らし、エンデュミオンは頭を掻いた。
フィッツェンドルフのレベッカの所に行ってこなければ。
「水竜の巣の場所は昔と変わらないのかなあ。孝宏にお弁当頼まないと」
暫く大雨は降りそうにないが、フィッツェンドルフの水域を司る水竜は居るに越した事はない。
フィッツェンドルフへ訪問する旨の手紙を書くべく、エンデュミオンは母屋へのドアを開けた。
レイクの名前はマンドラゴラの別名マンドレイクから。
とても昔に存在した知能の高いマンドラゴラの子株、レイクです。
多分他にも子株は存在していそうです。
次回は漸くフィッツェンドルフの水竜探しに行けそうです。