シュネーバルのお泊まり(中)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
急患です。
249シュネーバルのお泊まり(中)
お昼ご飯の後、エンツィアンとシュネーバルは暖炉の前のラグマットの上で、魔女の勉強を始めた。
家の中なので服を着ていないが、ギルドカードを首から下げているので、庇護されているコボルトだと解る。
シュネーバルの首にはギルドカードの他に小さな魔石が幾つか通った首飾りが着いているが、あれは〈竜の涙〉と言う稀少な魔石だったりするので恐ろしい。きっと木竜の主であるエンデュミオンが用意したに違いない。
シュネーバルは普段〈Langue de chat〉で、ケットシーのヴァルブルガに魔女としての教えを受けている。しかし、コボルトはコボルトの系譜の医術があるらしく、それはエンツィアンが教える事になったらしい。
ちなみにエンデュミオンも魔女に匹敵する治癒能力があるようなのだが、「独学だから普通の魔女で治せない時に来い」と言う感じだ。何となくだが、一般的な魔女がやらないような事が出来てしまうのだろう。
エンツィアンとシュネーバルの会話を聞きながら、ヘルマンはつるりとした茶色い壺に、塩と胡椒を揉み込んだ狂暴牛の肉の塊とたっぷりの玉葱と香草を入れていた。
「リンケ、頼むね」
「うむ」
オーブンを開けて、中に居た火蜥蜴のリンケに壺を託す。これで焦げる心配をせずに美味しく煮て貰える。
「あとはケットシー達がくれた若菜があるから……」
先日〈ケットシーの里〉に行って知り合いになったからか、時々ケットシー達がやって来て、里で取れる野菜や香草をくれるのだ。
ケットシー達は、お礼としてヘルマンにブラシや櫛で毛を梳かして貰うと満足して帰っていく。
何となく気付いているのだが、長毛種のケットシーが毛玉が出来始めた頃に来るようだ。自分達では毛玉を解けないらしい。
〈黒き森〉の妖精や精霊を守るのも森番の仕事なので、逸脱はしていないと思う。
オーブンはリンケに任せたので、ヘルマンは調理道具を洗い、水気を布巾で拭き取って片付けた。
「そろそろおやつかな」
エンツィアン達はまだ子供なので、ご飯の合間におやつを食べる。これは孝宏が〈Langue de chat〉の妖精達に与えていたのを見て、ヘルマンも実行しているものだ。ヘルマンも一休み出来るし、良いものだと思う。
(そういや、美味しくなったかな)
棚に置いてある平たい缶の中に、一週間前に焼いて、蝋紙で包んで熟成させているパウンドケーキがある。孝宏に教えて貰ったレシピだが、干し果物や木の実が沢山入っているので、エンツィアンの好物だ。焼き立ても美味しいが、熟成させてもしっとりとして美味しくなる。
ヘルマンが缶を取ろうと手を伸ばした時、玄関のドアが勢い良く叩かれた。
「はーい」
真っ先にエンツィアンが返事をする。ヘルマンは台所から居間に出て、ドアを開けた。
「はい、どうぞ」
ドアの前に居たのは、黒い上着のフードを深く被った男だった。背中に誰かを背負っているが、こちらも同じような服装の人物だ。
「ここに解毒剤はあるか!?」
「えっ!?」
食いぎみに詰問され、ヘルマンは目を瞠った。
「何の毒?」
いつの間にかヘルマンの足元にエンツィアンが立っていて、男を見上げていた。
「地下迷宮一階沼地の毒蛇だ」
「毒抜きは?」
「まだだ」
「すぐに治療する。エンツィアンは魔女だから。ヘルマン、入ってもらって良い?」
「勿論。暖炉の前の敷物の上に寝かせて」
ヘルマンは男に手を貸して、背中に背負われていた患者を、ラグマットの上に寝かせた。服のあちこち乾ききっていない泥が付いている。
床に寝かされた時、患者のフードが外れ、銀色の筋の混ざる漆黒の髪と狼耳が現れた。まだ成人になりきらない人狼の少年だった。顔色が悪く、意識が朦朧としている。
「漂泊の民?」
エンツィアンの呟きに、ギクリと男の身体が強張るのがヘルマンにも解ったので、慌てて「森番は種族とか部族とか関係なく保護するので」と説明した。
蛇に噛まれたのは少年の左足らしく、膝下を手拭いできつく縛ってあった。
「魔女も誰でも治療するよ! 噛まれたところの上で縛ってくれてて良かった。鋏は……」
「う!」
〈時空鞄〉から小さな鋏を取り出したシュネーバルが、少年のズボンを縦に鮮やかに切り裂いた。見掛けより恐ろしく切れるらしい。
「有難う、シュネー。精霊水持ってる?」
「う」
シュネーバルは〈時空鞄〉から水筒を取り出して、エンツィアンに渡した。
「何で水筒」
「おにわからくんできた」
思わず突っ込んだヘルマンに、シュネーバルはにぱっと笑った。エンデュミオンの温室では精霊水が汲み放題である。
エンツィアンは水筒の蓋を開け、蛇の噛み痕に精霊水を垂らした。水の精霊魔法を使ったのか、トロリと垂れた精霊水は噛み痕を覆うようにまとわりつく。その精霊水の中に噛み痕から紫色の毒が噴き出してきた。
「これを繰り返す」
毒が含まれた精霊水を、〈時空鞄〉から取り出した〈要浄化〉と張り紙された空き瓶に捨てながら、エンツィアンは水筒が空になるまで毒抜きを繰り返した。
「塞き止めてた毒は抜いたけど、身体に回っちゃった分は、解毒剤飲んで貰う」
「う! おくしゅり!」
ずるずるとシュネーバルが〈時空鞄〉から生成りの布で作られた巾着を引っ張り出す。エンツィアンは巾着の紐を緩めて中を確認した。
「ヴァルブルガとラルスが持たせてくれたのか? あ、ちゃんと薬包になってる。解毒剤は……これか。ヘルマン、これ淹れて。香草茶と同じやり方だから」
「解った」
ヘルマンがお湯を沸かしている間に、エンツィアンとシュネーバルが少年の脚をきつく縛っていた手拭いをゆっくりと緩め、撫で擦っていた。長時間縛っていると良くないとヘルマンも聞いた事があるから、慎重にやっているようだ。
薬湯を淹れるついでに洗面器にも触れられる位のお湯を作り、手拭いと合わせて運ぶ。
「これで身体拭いてあげて下さい。今、客間の準備をしてくるので」
床の上に洗面器を置いたヘルマンに、まだフードを被ったままだった男が「いや、解毒してもらえれば……」と言い掛けたが、エンツィアンにじろりと睨まれた。
「入院。身体に回った毒はそんなに簡単には抜けない。それにすぐに解毒してないから、後遺症があるかも」
「そうか……」
「良くなるまでゆっくりとここで養生してください」
「助かる」
ヘルマンが客室の準備をして、着替え用にバスローブを持って戻る頃には、清拭が終わるところだった。
流石に邪魔になったのか、蛇に噛まれていなかった方の男もフード付きの上着を脱いでいた。もう一人と同じ、銀の筋が混じる黒曜石のような艶のある髪の人狼だった。こちらの方が年上でヘルマンと同じ位の歳に見えるが、先程の少年と良く似ているので兄弟だろう。
「これをどうぞ」
「お借りする」
男とエンツィアンが少年にバスローブを着せている間、シュネーバルは合わせた両前肢の間に、何かを挟んでいた。
「いいこいいこ」
ぽわりと前肢の間が光る。
「にーに、できたよー」
「よし、一つをハシェの指に着けてあげて。一つはクレフにあげる」
「う!」
シュネーバルは持っていたものを一つ男に差し出した。会話から推測するに、彼がクレフだろう。
「魔石の指輪?」
クレフが指先に摘まんだ指輪を、裏表に返して見る。
それは魔石のみで作られた指輪だった。元々空魔石だったらしいが、今は透明な魔石にちらちらと虹色が混ざっている。
「それは幸運魔石の指輪。身に付けていると幸運値が上昇する。漂泊の民は先天的に幸運値が低すぎる。治るものも治らない」
「うー」
シュネーバルが眠っているハシェと言うらしい少年の右手の人差し指に、指輪を押し込むのが見えた。
「……幾らだ? 治療費もだが、出来れば払える額で頼む」
「治療費は半銀貨一枚。薬や精霊水はシュネーが持っていたものを使ったからなあ。薬は後でラルスに追加で処方してもらってくるから、その時でいい。魔石は元々、空魔石をエンツィアンが細工したものだから、代金は要らない」
「いや待て、普通漂泊の民には上乗せするだろう。迷惑料とか」
「なんで迷惑?」
青紫色の瞳を瞬きし、心底不思議そうにエンツィアンはクレフを見上げた。
「なんでって……」
「エンツィアンは、クレフ達に迷惑かけられてないから要らない」
ハシェに着せたローブの帯をぎゅっと結び、フンとエンツィアンは鼻から息を吐く。
「はい、ベッドに運んで」
「あ、ああ」
クレフがハシェを抱き上げ、エンツィアンとシュネーバルが先に立って客室に案内する。ベッドが二つある客室なので、クレフとハシェの二人で使って貰える。
「毒を抜いたから暫くしたらハシェは目を覚ますと思う。エンツィアンとシュネーが見ているから、クレフは風呂に入ってきて」
ベッドに寝かせたハシェの隣に、シュネーバルがさっさと潜り込んでいく。
「……風呂?」
「病室は清潔第一」
キリッとした顔で、エンツィアンがベッドカバーの上に仁王立ちする。
確かにクレフはあちこちに泥が付いていた。
「こちらにどうぞ」
呆然とするクレフの腕をヘルマンは引っ張り、バスルームに案内した。石鹸や浴布の場所を教え、ドアを閉める。
ヘルマンは居間に戻って、ラグマットの上に置かれたハシェの服を集め、ポケットの中身を手近な籠の中にそっくり取り出してから、水と木、風の精霊に頼んで洗濯した。足首まである黒い革靴の泥も乾いていたので、良くブラシを掛けて泥を落とした。
乾いた服を畳みつつ、シュネーバルが切ってしまったズボンは一番上に乗せておく。シュネーバルはお針子の技能も持っていた筈だ。
ヘルマンが小物と服が入った籠を客室に届けると、すぐにシュネーバルが布団から出て来て、ハシェのズボンを引っ張り出していたので、修繕してくれるのだろう。
ラグマットに落ちた泥も乾いていたので、外に持ち出して振るって落とした。こういう時、力持ちの採掘族は楽だ。
ラグマットを暖炉の前に戻し、台所で手を洗い、ティーポットの薬湯の温度を確認する。充分薬効が出た頃だろう。
「もういいかな」
蓋付きのマグカップに薬湯を茶漉しで漉し入れた。これは後でハシェに飲んでもらう。
ティーポットを洗って、紅茶を淹れ直していると、バスルームからクレフが出てきた。
先程とは違う洗い晒しの白いシャツと少し色の褪せたGパンを履いている。髪と同じ銀色の筋が混じる黒い尻尾がゆらゆら揺れているので、気分が大分落ち着いたのだろう。片手に持っている背負い鞄は〈魔法鞄〉のようだ。
「お茶飲みますか?」
「有難う、頂く」
「どうぞ、座って下さい」
台所まで来たクレフに、ヘルマンは椅子を引いてやる。軽く頷き、クレフが椅子に腰かけた。
「改めて、俺は漂泊の民のクレフ。あっちは弟のハシェ」
「俺は採掘族のヘルマンです」
「採掘族?」
「あー、母親似なんですよ、体格とか。成人していますよ」
ヘルマンは採掘族の男にしては華奢で背が高めなのだ。それでも平原族の成人男性に比べると背が低い。街に行くと平原族の子供と間違われるヘルマンである。地味に童顔だった。
「北方コボルトのエンツィアンは俺に憑いているんですが、白い方の子──シュネーバルはエンツィアンの弟で普段は街に住んでいます」
「……幸福妖精だよな?」
「そうみたいですね。エンデュミオンが庇護しているので、誰も手出ししませんけど」
「エンデュミオンとは、あの?」
「その、エンデュミオンです」
マグカップの底に入れた牛乳の上から紅茶を注ぎ、ミルクティーを作り、クレフの前におく。
「蜂蜜玉はお好みで」
「じゃあ一つ」
クレフは容器から蜂蜜玉を一つ摘まんで、マグカップに入れ匙でかき混ぜた。
ヘルマンも自分のミルクティーを作り、クレフの向かいに腰を下ろしたがすぐに立ち上がり、棚から缶を下ろしてパウンドケーキを切り、皿に乗せてテーブルに置いた。
「これお茶請けに」
「ケーキなんて久し振りだ。ハシェが好きなんだ」
「起きたら食べて貰いましょう」
一切れずつパウンドケーキを食べ、お茶を飲む。
「俺、漂泊の民に会うのは初めてなんです」
「殆ど定住しないからな。漂泊の民は人狼の部族の一つだが、不幸を招くと言われているんだ。理由は生来幸運値が底辺だから」
「幸運値が殆どない?」
「ない」
きっぱりとクレフが言い切った。
「だから、昔から災難を引き受ける役として雇われる事が多く、長生きしない。定住する事も好まれないから、常に移動する」
「それは……大変ですね」
「丈夫な奴ならまだしも、身体が弱くても移動を強いられるのがな」
クレフの視線が客室のある方に向けられる。確かにハシェは人狼にしては小柄で線が細かった。
「ところでこれだが」
クレフが右手の人差し指にある幸運魔石の指輪を、ヘルマンに見せる。
「とんでもない代物だぞ」
「エンツィアンとシュネーバルがくれるって言うんだから、いいんじゃないですか?」
「こんなの王様だって持っていない」
「下手に断ると、もっと凄いの来ますよ?」
回り回ってエンデュミオンやギルベルトが何をするか解らない。
「妖精達は独自の価値観があるので、くれるっていう物は貰って大丈夫みたいです。与えられる者にとって必要な物らしいので」
「それは、確かに」
幸運魔石の指輪で、クレフとハシェの幸運値は人並みに補正されているだろう。
「ここは街からも離れていますし、殆ど人も来ませんからゆっくりしていって下さい」
ケットシーは時々来るが、と言う台詞はお茶と共に飲み込む。
「でも、どうして地下迷宮に入ったんです? 漂泊の民にとっては危険でしょう」
「さっき言った、不幸の引き受け役だな。地下迷宮では沼蛇の大繁殖に当たったらしくて、結構噛まれた冒険者がいたんだ。それで管理小屋の解毒剤が足りなくなった」
体内から毒素だけを抜き出すのは、魔女の修行をした者でなければ難しいのだ。解毒剤を所持していない冒険者達が、管理小屋へ群がる姿が思い浮かぶ。
「漂泊の民は貧乏籤を引かされるからな。金を持っている訳でもないし。ハシェに解毒剤が回らないと気付いた職員が、森番小屋にあるかもしれないと教えてくれたんだ。それで背負って走ってきた」
「あそこから走って!?」
森番小屋から地下迷宮の管理小屋までの道程は、きちんと整備されていないのだ。草を刈ってもすぐに伸びる。
「人狼に多少の道の悪さは支障ない」
それにしてもかなりの速さでここまで来たに違いない。地下一階の沼蛇は麻痺毒であり、迅速に処置し解毒しないと呼吸が出来なくなり死に至るのだ。
漂泊の民は不幸に見舞われやすい分、応急措置などの知識を持っているようだ。
「明日エンデュミオンが来ますから、ヘア・クレフとヘア・ハシェがいる事は伝えましょう」
「エンデュミオンが来る?」
「シュネーバルのお迎えに来るんです。エンデュミオンは領主様と顔見知りなので、悪いようにはならないですよ」
妖精には善人かどうか判断する本能があるが、エンツィアンもシュネーバルもクレフとハシェに友好的だった。オーブンにいるリンケもおとなしいし、この分ならエンデュミオンに会っても問題ないだろう。
それより問題は人数の増えた夕食だ。スープはいつも多めに作るから足りる。パンもある。
「……芋を茹でるか」
茹でた馬鈴薯に塩胡椒をして粉チーズを掛けて焼くと美味しい。それに若菜の残りを付けよう。保冷庫に季節外れのベリーもある。
ケットシー達のお陰で、季節のずれた物が時々届くのだ。
「芋の皮剥きを手伝おうか?」
「今日のところはヘア・ハシェの所に行って下さい」
ヘルマンはクレフの申し出を丁重に断り、食料庫へ馬鈴薯を取りに向かったのだった。
幸運妖精とは真逆の不幸体質の持ち主、漂泊の民。ただし、他人に不幸は押し付けません。
昔から不吉だと言われて移動する生活をしています。
森番は犯罪者以外は、助けを求められたら保護する役目を担っているので、漂泊の民でも関係ありません。
幸運魔石の指輪は超レア。市場に出たらオークションになってしまうし、王宮の宝物庫にもありません。
幸運妖精は好意を持った人の運気をちょっぴり上げるので、シュネーバルが居るだけで回復効果があったりします。
シュネーバルのお裁縫道具は、ヴァルブルガが良い物を揃えて渡しています。
ちなみに、幸運魔石(小粒)は、〈Langue de chat〉の雑貨棚に、たまーにお守りとして置かれています。ジョークグッズかと思われがちなこのアイテム、本物です。