ココシュカとエンデュミオンの温室
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ココシュカに戦闘能力を期待してはいけません。
245ココシュカとエンデュミオンの温室
エンデュミオンの温室には毎日誰か彼か妖精がやって来る。
リグハーヴスの街では増えてきた妖精達は住人に受け入れられてはいるが、身体が小さい妖精が街中で遊ぶのは少々危険なのだ。
それに寒さに弱いものもいるので、エンデュミオンが常春の温室を作ったのには皆が喜んだ。
ギルベルトがケットシーの里と温室を繋いだり、エンデュミオンが〈精霊の泉〉を引いた事に関しては、領主アルフォンス・リグハーヴスも黙認している。
「今日は誰が来ているのかな」
孝宏はヨナタンとヴァルブルガが作ってくれたトートバッグ型の〈魔法鞄〉にクッキージャーと菓子鉢、紅茶を入れた水筒、牛乳瓶、蜂蜜玉の瓶とコップを入れながら呟いた。
温室に来る妖精達におやつを出すのは孝宏の日課だ。遊びに来ている妖精達が〈Langue de chat〉の妖精達と一緒にいるのだから、まとめて出しているだけである。
孝宏の作るおうちおやつなのだが、とても喜んでくれる。
今日は弟のグラッフェンが来ているので、エンデュミオンも大魔法使いフィリーネに憑いているケットシーのルドヴィクを連れて温室に行っていた。ルドヴィクは忙しいフィリーネの休日以外は、〈Langue de chat〉で日中預かっている。
「イシュカ、温室におやつ届けに行ってくるね」
「解った」
店に顔を出し、カウンターに居たイシュカに声を掛けてから、孝宏は一階の台所にある裏口のドアを開けて裏庭に出た。
裏庭の畑にはまだ雪が残っているが、煉瓦敷きの小道はすっかり乾いている。小道沿いに温室に向かい、ドアを開けて風除室に入る。もう一つある奥のドアを開ければ、香草や苺が植えてあるハーブガーデンに出る。
ハーブガーデンや隣の広場にある果樹の管理はシュネーバルの趣味だ。毎日温室を覗きにいって、ベリー類を摘んで帰ってくる。
常春で四季関係なく植物が生えているという不思議なエンデュミオンの温室なのだが、ケットシーの里もそんな感じなので妖精達も何も言わない。
薬になる薬草も植えてあるので、妖精達の救急箱代わりにもなっていそうだ。
「皆、おやつだよー。──おっと!」
繁みの間を通って広場に出た孝宏の前に、何か白いものが飛んで来たので、慌てて受け止める。
「孝宏!」
「大丈夫、えーと誰だ?」
声を掛けてきたエンデュミオンに返事をし、孝宏は改めて胸元に抱えたものを確認した。
「ぎゃう」
白くて黒い模様のある生き物が、孝宏を見上げていた。赤紫色の瞳なので魔物だ。大きさはケットシーとほぼ同じ位だ。但し、鼻柱と四肢が太い。骨格もがっちりしている。
「白虎かな? でも翼も生えてて、尻尾が蛇だね。俺は孝宏だけど、お名前は?」
「ココシュカ!」
元気に答えたココシュカに、後ろでエンデュミオンが首を傾げた。
「孝宏は会っていなかったか? ほら、〈氷祭〉で」
「んんー? あ、ヘア・クラウスの所の子か。俺が見た時は外套の中に潜ってたんだよ。ココシュカ、可愛いなぁ。肉球でっかーい」
「ぎゃうー」
可愛いと言われて、ココシュカの蛇の尻尾がぐねぐね動く。結構解りやすい性格のようだ。
「本体はもう少し大きいんだがな。今は幼体化してるんだ」
「へえー。竜と同じなんだ」
竜や身体の大きい魔物は幼体化する事で、身体の大きさを小さく出来る。エンデュミオンの木竜グリューネヴァルトや、温室の〈精霊の泉〉を棲み処にしているキルシュネライトも本来はとても大きいのだ。
ココシュカの白い体毛は柔らかく良く手入れされていて、白い翼も綺麗だし、尻尾の蛇の鱗は真珠のようだ。相当クラウスに可愛がられているのだろう。
「クラウスに温室に来ても良いと許可を貰ったらしくて、カティンカと来たんだ」
エンデュミオンの前肢には白い封筒があった。クラウスからの手紙だろう。
エンデュミオンの温室には、エンデュミオンの許可がないと入れないのだ。もしくは害意がない者か。ココシュカはカティンカが連れてきて、すんなり入れているので、魔物だが害意がないとみなされたのだろう。孝宏を見上げる瞳も、好奇心旺盛な子供のようだ。
孝宏はココシュカを芝生の上に下ろして、頭を撫でてやった。ココシュカは四つ足で歩くらしい。二足でも歩くケットシーとは少し骨格が違う。
「ココシュカ、おやつ食べられる?」
「うん!」
「主食は魔力だが、嗜好品として普通の食べ物も食べるそうだ。底無しだから適当な量を与えて欲しいとクラウスの手紙に書いてある」
「成程……。俺、魔力殆どないしね」
クラウスは孝宏がココシュカにおやつを与える事は予測済みだったらしい。
孝宏の脚に頭を擦り付けて喉を鳴らしているココシュカは、一寸懐きすぎて魔物に見えない。
こんなに初対面の人間に懐いて良いのかなと不安になる孝宏だったが、実は自分に危害を加えない人間だとココシュカが判断しただけだったりする。
「おやつだよー」
改めて呼び掛け、追いかけっこをしていたカティンカとグラッフェン、ルドヴィク、シュネーバルを呼び戻す。
今日はテオとルッツは配達仕事に出掛け、ヴァルブルガとヨナタンは家の中で仕事をしている。その為、この面子で遊んでいた。
キャッキャと笑いながら戻ってきた弟達を掴まえエンデュミオンが前肢を洗っている間に、孝宏は芝生に広げてあった毛布の上に、〈魔法鞄〉から水筒やコップ、菓子鉢等を取り出す。菓子鉢にはクッキージャーからクッキーを掴み出して入れる。店に出せない型崩れした歪なクッキーだが、味は変わらない。
「これ、クッキー?」
孝宏の隣にくっついていたココシュカが、菓子鉢の縁を前肢でトンと突いた。
「そうだよ」
「前に主がくれた。美味しかった」
「そっかー」
クラウスがココシュカを可愛いがっているのは確定である。つい、無表情なクラウスがココシュカにクッキーを与えている姿を想像してしまった。
「ココシュカ、お茶にミルクたっぷり入れる?」
「うん!」
余り熱いお茶を飲めないのは、ケットシーと同じらしい。
ケットシーとコボルトにはマグカップで、ココシュカには口径の広いカップでミルクティーを作る。
「蜂蜜玉入れるひとー」
しゅっと全員が前肢を上げた。妖精は甘いものが好きである。マーヤも甘いものが好きだから、魔物も同じなのかもしれない。
カップを配り終え、声を揃えて「きょうのめぐみに!」と食前の祈りを唱える。魔物でもちゃんと唱える。
「ああーん」
「あーん」
カティンカがココシュカの口にオレンジピールを練り込んだクッキーを入れてやっていた。ココシュカは前肢で物を持てないからだろう。孝宏もココシュカが食べてない種類のクッキーを見繕い、食べさせてやった。
「うまい」
孝宏の掌を舐め、ココシュカが喉を鳴らす。
「お茶も飲んでね。喉詰まるからね」
「うん」
素直にお茶を舐めるココシュカに、地下迷宮で討伐されるという魔物の狂暴さは感じられない。
「エンディ、ココシュカって魔剣の中身なんだよね? ココシュカも戦ったりするの?」
「むう」
シナモンクッキーを口に放り込んで噛み砕き、エンデュミオンは頭をぽしぽし掻いた。
「キメラは単体でも強い魔物だが、ココシュカは魔物としてはまだ子供なんだ。はっきり言って、クラウスの方が魔物のココシュカより強いぞ」
「は?」
「魔剣のココシュカを振り回すクラウスの方が危険だろうな。クラウスは魔法剣士だし。黒森之國の執事は領主の護衛にならないといけないから、文官であり騎士なんだ。ココシュカは子供だから、クラウスは戦いに出したりしないだろう」
「可愛がられているのは解るね」
魔剣の魔物なのに傷一つない。
「ココシュカの主になった事で身体能力が上がっただろうし、クラウスが自分で戦った方が早そうだ」
それは魔剣の魔物としてはどうなのだろうか。
「ぎゃう?」
自分の話をされていると気付いたのか、口の回りを舌でぺろりと舐め、ココシュカが顔を上げた。
「ヘア・クラウスがいい人だねーって話だよ」
「ぎゃうう」
ぐねぐねと真珠色の蛇がうねる。尻尾の蛇は食べ物に関心を示さないので、飲食しないようだ。
おやつを食べ終えた妖精達は、ココシュカの背中に一人ずつ乗せて貰い、芝生の上すれすれを飛んで遊んでいた。
エンデュミオンはそれを見ながら、〈時空鞄〉から紙と万年筆を取り出し、孝宏の太股をテーブル代わりにさらさらと手紙を書く。
「はは、くすぐったい。ヘア・クラウス宛?」
「うん、クラウスとアルフォンスにだな。あれでもココシュカは魔物だから、心配しているだろうからな」
妖精に比べると力が強いものが多いのが魔物なので、上手く遊べているか気になっているだろう。
「まあ、あれなら大丈夫だろう」
「そうだね」
皆で芝生に転がって仲良く遊んでいるココシュカと妖精達に、孝宏も頷いた。
今日は〈薬草と飴玉〉のラルスの所に遊びに行っているが、キルシュネライトも遊びに来る妖精達を見ていてくれる。
それに何かあっても、繋がっているケットシーの里に助けを求める事も出来る。ココシュカならケットシーの里にも入れるだろう。
館では我慢している分、温室で思い切り飛び回り、ココシュカは満足してカティンカと帰っていった。
「た、ただいまー」
「ただいまー」
「お帰り、楽しかったかい?」
執務室に戻ってきたカティンカとココシュカをアルフォンスが笑顔で迎えた。
「ああい」
「うん。主は?」
「クラウスは厨房に献立の確認に行ったよ。すぐ戻るさ」
アルフォンスはカティンカとココシュカを抱き上げ、ソファーの上に乗せた。
「ああい、アルフォンス」
「ん? 手紙?」
カティンカがアルフォンスに差し出したのは、白い封筒だった。緑色のインクで裏にエンデュミオンの名前が書かれている。
エンデュミオンからの手紙と言うと、ビクリとしてしまうアルフォンスだったが、読まない訳にはいかないので、封がされていない封筒を開けて中の紙を取り出す。
「……良かった」
手紙はココシュカが良い子で、他の妖精とも仲良く遊び、孝宏にも懐いているので安心するように、と言う内容だった。
「何が良かったなんです?」
「クラウス」
いつの間にかクラウスが戻って来ていた。執事と言うものは気配を消せる能力が必要だが、二人きりの時には余り発揮してほしくない能力である。
「エンデュミオンから手紙だ。ココシュカが良い子にしていたと」
「そうですか」
アルフォンスから手紙を受け取り、クラウスが僅かに頬を緩める。
「おや、ココシュカとカティンカは寝たか」
さっきまで起きていたのに、ソファーの上で揃って寝息を立てている。ココシュカは背中に翼があるのにも関わらず、器用に仰向けに寝ていた。カティンカはココシュカの尻尾の蛇を抱えて眠っていた。近くにあったからだろう。
「随分遊んで貰ったようだな」
「流石に館の中では飛び回らせる事は出来ませんし」
「うーん、うちの温室はエンデュミオンの所に比べると狭いからなあ」
少し変形しているので、真っ直ぐ飛べる距離が短いのだ。
「お客様にぶつかっても困りますよ」
「騎士隊詰所の前で遊ばせてもいいんだがな。クヌートとクーデルカと一緒なら」
「今度預けてみますか」
騎士達も面倒見が良いので構ってくれるだろう。
「メイド達の方が問題か?」
「厨房のフラウ・エルゼやヘア・オーラフはココシュカを可愛いがってくれますが、蛇が苦手だとどうしても……。ヘア・イェレミアスは元々妖精にもぎこちないので変わりませんが」
「可愛いのになあ」
カティンカに抱き付かれたココシュカの尻尾の蛇も、チロリと桃色の先割れ舌を口からはみ出させて爆睡していた。物凄く緊張感のない魔物である。
蛇が苦手なメイドと会うと悲鳴を上げられるので、ココシュカはクラウスかアルフォンスと行動するか、執務室や執事室に居る事が多いのだ。
会う度に叫ばれれば、ココシュカでも落ち込む。
「エンデュミオンが受け入れてくれたから、今度からカティンカと遊びに行かせられるな」
「ええ」
キメラとはいえ全くもって戦闘には向かないココシュカである。
「ロジーナにも懐いているから、ヴォルフラムやビーネと遊ばせても良いんだがなあ」
ヴォルフラムとビーネならココシュカに大喜びすると思うのだが、彼らのお付きのメイドが蛇が苦手だったりするのだ。
アルフォンスはソファーから立ち上がり、執務机の引き出しから小袋を取り出してクラウスに放った。クラウスはそれを片手で危なげなく受け取る。
「ココシュカにそれを着けておいてやれ」
「良いんですか?」
「お前の大事な家族だろう」
小袋の中身は領主家の家族や、家族に等しい者が持つ紋章と名前入りのメダルだ。クラウスも身分を証明する為に常に身に付けているが、魔物にも与えるのは異例だろう。
このメダルを持つものは領主家の家族扱いとなる為、例え魔物でもココシュカを害したものはきつく罰せられる事になる。
クラウスは半ば呆れて溜め息を吐いた。
「アルはココシュカに甘いな」
「お前程ではない」
「甘やかしているつもりはないのだけれど」
そう言いながら、クラウスはココシュカとカティンカに膝掛けを広げて掛けてやる。
フンフンとココシュカが空気を嗅ぎ、「主ー」と寝言を呟いた。
「はいはい、戻ってきたよ」
分厚い耳の付け根を掻いてやり、返事をする。返事をしないと寝言を喋り続けるからだ。
「ケットシーも良く寝るが、ココシュカも良く寝るな」
カティンカもココシュカも毎日昼寝をしているが、夜もしっかり寝ているのだ。そういう種族特性らしい。元森林族のエンデュミオンでさえ、ケットシーの種族特性には抗えない。昼寝もするし爪も研ぐ。おまけに呪う。
「ずっと起きていられても賑やか過ぎますよ。……お茶を淹れますか?」
「頼む。クラウスも一緒にな」
「はい」
仕事が一段落ついたらお茶を飲むのがアルフォンスの日課だ。
執務室の続き部屋にある簡易台所でクラウスがお茶を淹れる微かな音を聞きながら、アルフォンスはソファーに腰を下ろした。
向かいのソファーでは、カティンカとココシュカが眠っている。
一見ココシュカは魔剣の魔物だとは解らない。
魔物憑きの魔剣とは言え、囮にも使えない魔物を養っているクラウスはかなりの物好きと言えるだろう。
自分以外の剣をクラウスが持つと、ココシュカが嫉妬して腐蝕させるから仕方がないとは言え、剣から出てきた魔物に魔力以外の食事を与える事など通常はしない。必要がないからだ。
しかし、クラウスは学院時代から、ココシュカに毎日自分の食事を分けていた。
最初の主がクラウスなので、ココシュカも当然のように食事をしているが、嗜好品でしかない食べ物を日常的に食べる魔剣などそう居ないのだ。これが甘いと言わずに何が甘いものか。──アルフォンスもココシュカにお菓子を与えていたので、クラウスを責められないのだが。
魔剣は主の癖などを取得して成長していく。
魔物のココシュカは戦闘に出ない為、クラウスを支える補助的な能力が発達している。それもかなり稀少な。
毒持ちでもあるココシュカは、どんな毒を摂取しても毒に侵される事なく解毒剤を作れるのだ。これはマクシミリアン王とツヴァイクにだけ教えている。
他にもクラウス限定でのココシュカの補助能力があるのだが、秘匿している。馬鹿正直に全てを公開する必要はない。
「どうぞ」
ことり、とテーブルにティーカップが置かれる。湯気の立つ紅色の水面から花のような香気が広がった。自分の分のカップもテーブルに置き、クラウスが静かにココシュカの隣に腰を下ろす。
「……お前を陛下に取られなくて良かったよ」
「陛下にはツヴァイクがいるでしょう。私はあなたの執事ですよ」
王宮には馴染める気がしませんね、と厭そうに呟いたクラウスに、アルフォンスは同意の返事を紅茶と共に飲み込んだ。
リグハーヴスは田舎だが、日々の生活は愉快である。王宮はそれなりに──色々あるのだ。
「領主会議行きたくないなあ」
「行かない訳にはいかないでしょう」
冬の間は各領に閉じこもりがちになる為、その年最初の領主会議は春に行われる。冬の間の報告を王と他領の領主に報告するのが領主会議だ。
「フィッツェンドルフの水竜が決まったと聞かないからな。うちに手伝いの依頼が来る気がする」
「エンデュミオンが連れてきてしまいましたからね。エンデュミオンに相談するしかないですね」
「そうだよなあ」
そもそも水竜の居場所など、知っている者の方が少ないだろう。安全な竜への話し方も含めて。竜騎士を減らした弊害がここにも出ている。エンデュミオンがあの時怒って、竜騎士を増員させていなかったら、更に拙い事になっていただろう。卵を保管したまま孵さない相手の話など、竜が聞く耳を持つかどうかなど知れた事だ。
「領主会議に行く時、ココシュカはどうするんだ?」
「このままついてきますよ、多分」
魔剣に戻れと言ったら戻るだろうが、かなり拗ねるだろう。それならば、アルフォンスの膝の上にでも乗せておいた方が大人しくしている。
「……頑張るか、領主会議」
「そうして下さい」
これが、闘わない魔物の有効な使い方だ。
魔剣の魔物だけど、戦闘能力に期待されないココシュカです。
魔剣ココシュカは魔剣、魔物ココシュカはココシュカ、という感じで分けて考えられています。
ココシュカは学院時代から、クラウスとアルフォンスに育てられているので、アルフォンスにもとても懐いています。