〈氷祭〉と初めての逢引
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
なかなか進展しない二人です。
242〈氷祭〉と初めての逢引
いつものように執事室で昼食を取っていた時、ふとクラウスが口を開いた。
「〈氷祭〉が始まっていますが、エルゼとカティンカは見に行くんですか?」
クラウスの問いに、苺とクリームがたっぷり挟まったサンドウィッチに齧りつこうとしていたカティンカはエルゼの横顔を見上げた。
「はい。明日がお休みなので、カティンカと行って来ようと思います」
クラウスに柔らかい笑顔を向けるエルゼに、カティンカはゆらゆらと渦巻尻尾を揺らした。
「ク、クラウスは?」
「何ですか?」
「カ、カティンカ、クラウスとエルゼと〈こおりまつり〉いきたいなー」
途端にエルゼとクラウスが顔を見合わせた。
「あの、ヘア・クラウスはお忙しいのでは?」
「いえ、明日なら御前はお出掛けにならないのでお休みを頂けますよ。フラウ・エルゼが嫌でなければ一緒に〈氷祭〉に行きましょうか」
「嫌なんて事は全然ないです!」
エルゼが頬を赤くして、ぱたぱたと胸の前で手を振る。
「カティンカも嬉しいわよね?」
「ああい」
水色の瞳を細め、カティンカはフルーツサンドを頬張った。
午後からエンデュミオンの温室にカティンカが遊びに行ったので、クラウスはアルフォンスを執務机に縛り付けるべく、決裁書類を板面に積んだ。ついでに休みを申告する。
「御前、明日休みを下さい」
「何だ、藪から棒に」
目の前に午後の決裁書類をどさりと置きながらのクラウスの発言に、アルフォンスは困惑した。今までこんな風にクラウスが休暇を求めた事はなかったからだ。
基本的に表情に乏しいクラウスが、いつもの顔をしたまま情報を追加する。
「明日、フラウ・エルゼとカティンカと〈氷祭〉に行くので」
「……っ」
カラン、とアルフォンスの手から万年筆が執務机に転がった。表情が驚愕に染まる。
「本気か」
「アル……、何か失礼な事を考えていないか?」
学生時代そのままの言葉遣いで、クラウスがアルフォンスを睨んだ。
魔剣使いのクラウスは、剣に憑く魔物を封じる為に、普段は感情の起伏を抑えている。だが、魔剣に気に入られる位なので、根本的な性格は好戦的だ。
アルフォンスとクラウスは、王とツヴァイクのような伴侶関係はない。従って、クラウスに恋人が出来るのは構わない。構わないのだが。
「今まで浮いた話すらなかったお前が女性と〈氷祭〉に行くと言うからだ!」
「カティンカも一緒だと言っただろう」
「憑いている妖精が許可済みって、解っているのか?」
カティンカがエルゼの伴侶にクラウスを認めているに他ならない。
「解っているが、どうなるかは神のみぞ知るだ」
嫌われてはいないだろうが、エルゼがクラウスに好意があるかどうかは解らない。
「主に春か?」
ポワッとクラウスの上着の下から光が漏れ、布地が持ち上がる。
「……」
クラウスは無言で上着の裾に手を突っ込み、そこに居たものを無造作に掴み出した。
「ココシュカ、勝手に出てくるな」
「えー」
クラウスに首根っこを掴まれてだらんと垂れ下がっているのは、背中に白い翼の生えた白虎だった。普通の白虎と違うのは翼がある事でも明らかだが、本来尻尾があるべきところにも白い蛇がひょろりと生えている。
幼体化しているので四肢の太い仔猫に見えるが、れっきとしたキメラ──魔物である。これが、クラウスの魔剣に憑いている魔物ココシュカだった。普段はクラウスが上着の下に隠して身に付けている〈魔法鞄〉の中に、魔剣として収まっているが、時々こうして実体化して出てくる。
「ココシュカも行きたいぞ、主」
「……」
きらきらと赤紫色の瞳を輝かせて見上げてくるココシュカに、クラウスは溜め息を吐いた。
「お前、〈氷祭〉の屋台が気になるんだろう」
「うん!」
白蛇の尻尾がぷらぷらと揺れる。魔物の癖に馬鹿正直なのがココシュカだった。ココシュカは若い魔物なのだ。昔、地下迷宮で通りかかる冒険者に悪戯を繰り返していたが、大魔法使いエンデュミオンに見付かり、誰か主を見付ければ大人しくなるだろうと王都に保管された。
それから毎年騎士候補生と引き合わされたココシュカだったが、長年かけてこの魔物が選んだのがクラウスだったのだ。つまり、ココシュカの最初の主がクラウスなのである。
「悪戯しなければ良いんじゃないか?」
「アル」
甘い、とクラウスが顔を顰めた。
「ココシュカは味をしめたら毎日出てくるぞ。魔剣に封じられているから、私の許可なく遠くには行けないが」
「はは、きっとカティンカを羨ましいと思ったんだろう。人に危害を加えなければ構わないさ」
「……全く。良い子にしているんだぞ」
「うん!」
渋々掴んでいた手を放してやると、ココシュカは小さな翼を羽ばたかせ、クラウスの肩にしがみついたのだった。
翌日、待ち合わせの時間に執事室に来たエルゼとカティンカは、クラウスの黒い外套の肩にしがみついているココシュカに眼を丸くした。幼体化しているココシュカは見た目は可愛いので、エルゼは怖がらなかった。
「ね、ねこ?」
「違う! ココシュカはキメラ!」
同族ではないと気付いたカティンカがエルゼの腕の中で首を傾げたのを見て、ココシュカの白蛇の尻尾がシャーと鳴いた。
「ココシュカ、噛んだら連れていかないぞ」
「噛まない」
ぱくんと白蛇の口が閉じる。クラウスはココシュカの頭に掌を乗せた。
「これは私の魔剣に憑いているキメラのココシュカです」
クラウスの紹介に、カティンカとエルゼもココシュカに名乗る。
「カ、カティンカ」
「エルゼです。魔剣というと、普段はこの子は剣の中にいるんですか?」
「そうです。たまにこうして出てきます」
出てくるのは大抵気になる食べ物があった時だった気がするが、通常ココシュカはクラウスの魔力を糧にしている。
「行きましょうか」
「はい」
職員用の入口から出て、囲壁の門も正面ではなく横の門から出る。正面の扉を使うのは、領主家族か来客のみだ。
丘の上にある領主館から街へ下る並木道には、少し寒さは緩んで来たとはいえ、冷たい風が吹き付ける。
服を着ていないココシュカがぶるりと震えた。
「寒いぞ、主」
「……」
クラウスはココシュカを掴み、胸元を開けた外套の中に突っ込んだ。腰にベルトをしているので、落っこちる事はない。ココシュカがクラウスの腹に頭を擦り付ける。
「温い」
世話が焼けるキメラである。普段は魔剣の中に入っていたり、室内に現れていたので寒さを感じていなかったらしい。
ぽつぽつとエルゼと雑談し、カティンカの鼻歌を聞きながら丘を下り、街に下りる。
〈氷祭〉は他の領にも噂になっており、街以外の客も来ている。ただし、宿屋は冒険者で埋まっているので、日帰りが基本だ。
魔法使いギルドの〈転移陣〉が随分と忙しい事になっていそうだが、このところ魔法使いコボルトがリグハーヴスには増えたので、手伝いを頼んでいるらしい。賃金の他におやつを付けると喜んで手伝ってくれるそうである。
騎士団の訓練場に近付くにつれ、人が増え賑やかになっていく。屋台も並び始め、腸詰肉を焼く香りや、グリューワインの香辛料を含んだ湯気が漂って来る。
「主、主」
太い肢でココシュカがクラウスの腹を叩いてくる。
「昼にはまだ早いぞ」
昨夜から姿を出しているので、ココシュカはしっかり朝食も食べているのだ。
「えー」
「ほら、氷像を見てから何か買ってやるから」
クラウスは外套の上からココシュカを軽く叩き宥めた。
「むー」
ごそごそとココシュカが外套の中で前向きに直り、胸元から顔を出す。
「ふふ」
エルゼの笑い声に、クラウスは気まずくなりこめかみを掻いた。
「妖精って子供みたいなところがありますよね」
「ココシュカは魔物ですが」
「マーヤもそうですよ」
「ああ、そうですね」
魔女グレーテルの養い子のマーヤは吸血鬼だ。地下迷宮から出て来て〈Langue de chat〉で保護された後、グレーテルに引き取られ魔女見習いになっている。マーヤは人型になった時は幼女だった。妖精も魔物も長く生きるので成長が遅い。特に精神面での。
「わぁー」
人波に合わせて歩いていくと氷像が現れ、カティンカが嬉しげな声を上げる。
今日は天気が良く、薄青い空の下、太陽の光に氷像が煌めいていた。
「き、きれい」
「おおお、凄いぞ主」
ココシュカも興奮しているのか、クラウスの外套の中で尻尾の蛇がぐねぐねと動いてくすぐったい。
今年も騎士団長マインラートの作り上げた魔物の氷像は見事だった。
そもそもマインラートの魔力過多症の治療に考案された氷像作りなので、彼が作っている物が多い。
他には街の住民が有志で作っている氷像もあちこちにある。
そして会場の中心にあるのは、一際繊細な月の女神シルヴァーナの氷像だった。今年はシルヴァーナの回りにケットシーとコボルトが遊んでいる構図だ。エンデュミオンが各ギルド長に頼まれ作ったらしい。余りにも出来が良すぎるので、女神像の足元にはお祈りが出来るように設えがある。
クラウス達もお祈りの列に並んだ。人を襲わない魔物は、女神の力に祓われたりしないので、ココシュカも平気な顔をしている。
クラウス達の前に居たのは見覚えのある長身の赤毛の青年と、小柄な黒髪の少年だった。
「ん?」
黒髪の少年の陰から、灰色の鯖虎柄のケットシーが顔を出した。エンデュミオンだ。孝宏に抱かれているので、丁度ココシュカと顔の位置が揃う。
「ココシュカか」
「ぎゃう!」
ココシュカが咄嗟にクラウスの外套の中に潜りこんだ。既にばれているので無意味だと思うのだが、クラウスはエンデュミオンと振り返った孝宏とイシュカに会釈をした。
「こんにちは」
「こんにちは」
会釈を返した孝宏の視線が、膨らんだクラウスの腹に向く。
「クラウスの腹に居るのは、クラウスの魔剣に憑いているココシュカというキメラだ。エンデュミオンが昔説教した事があってな」
クラウスが説明するより先に、エンデュミオンが孝宏に教えてくれた。ココシュカは、昔エンデュミオンにこっぴどく説教されたようだ。
「随分可愛がられているようで何よりだ」
「ココシュカは私に他の剣を持たせてくれませんので」
「魔剣とはそういうものだ。ココシュカは血族継承を望むだろうから──まあ頑張れ」
血族継承とは初代主の血筋のみを選んで、魔剣が憑く事だ。クラウスには身内はいないので、子孫のみになる。
「孝宏、お祈り」
「あ、うん」
順番が来たようで、イシュカとヴァルブルガの後に孝宏とエンデュミオンが、氷像の月の女神シルヴァーナの前にある賽銭箱に銅貨を数枚入れてお祈りする。
お祈りをすると女神像の周辺を舞っている光の精霊が、銀の光を降らせてくれる趣向になっているらしい。敬虔な信者にはかなり評判が良いとクラウスも聞いていた。
孝宏達はお祈りを済ますと「〈氷祭〉を楽しんで!」と言って、屋台が並んでいる方へ歩いて行った。きっと先に〈Langue de chat〉の他の住人たちが行っているのだろう。
「お祈りしましょうか。お先にどうぞ、フラウ・エルゼ」
「有難うございます」
素直にエルゼはクラウスに勧められるまま、カティンカと一緒に女神像にお祈りをする。こういう姿勢が彼女の美徳だとクラウスは思う。
エルゼの後、クラウスも賽銭箱の前に置いてあるクッションに膝を置き、女神に日々のお礼と安寧を祈った。胸元ではきちんとココシュカも前肢を合わせていた。
「行きましょうか」
次の人へと場所を譲り、待っていたエルゼと氷像見物を続ける。氷の滑り台は子供に人気で、カティンカとココシュカも頼んで滑らせて貰った。ココシュカに少し驚かれたが、はしゃぐ姿は子供でしかなかったので、怖がられずに済んだ。
氷像を一通り見まわった後、屋台へと向かう。
こんがり焼けた腸詰肉を挟んだパンや、カボチャのスープ、砂糖掛けの木の実、グリューワイン、ごつごつと丸い菓子に粉砂糖を掛けた物、白身魚と馬鈴薯の揚げ物など、沢山の屋台が並んでいる。
「色々な物がありますね。少しずつ買ってみましょうか」
「はい」
エルゼが財布を出そうとしたので、クラウスはそっと押し留めた。
「ここは私が。私とココシュカの方が沢山食べるでしょうから」
食べようと思えば、ココシュカは底なしに食べられるのだ。
「ご馳走になります。でも飲み物は私が買いますね」
エルゼはクラウスの提案に頷いたものの、譲らないところは譲らなかった。
それから二人であれこれと食べ物と飲み物を買い、食事の出来る場所として用意されていた、テーブルと椅子のある場所に移動する。空いていたテーブルに買って来た物を置き、カティンカとココシュカをそれぞれ膝に乗せた。
「フラウ・エルゼ、歩きっぱなしで、疲れませんでしたか?」
「楽しくて忘れていました」
「ああい」
笑顔のエルゼに、カティンカも嬉しそうに笑う。
「主、主、ご飯」
「お前は相変わらずだな……」
テーブルに前肢を掛けて紙袋を見つめるココシュカにクラウスは呆れる。魔物と言うものは欲求に忠実なのだ。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
食前の祈りを唱え、紙袋を開ける。カティンカとココシュカの歓声に、クラウスとエルゼは顔を見合わせて微笑んだ。
アルフォンス・リグハーヴス公爵の執事クラウスが、年下の女性と〈氷祭〉で並んで歩いていたという噂は瞬く間に街中に知られた。
しかし、冒険者達はクラウスが魔剣使いであると知っていたし、住人達はアルフォンスの右腕として采配を振るう彼の手腕を知っていた為、誰もがそっと成り行きを見守ったのだった。
やっと初デートした二人です。
クラウスの魔剣に憑いているココシュカ、空気を読まない。因みに魔剣自体の名前もココシュカです。
アルフォンスにも許可を貰ったので、これから姿を現しそうです。
ココシュカは沢山食べられるけれど普段は大人一人分しか食べません。カティンカは子供一人分。
ココシュカの尻尾の蛇は飲み食いしません。実は各種毒を持っています。
ケットシーは二足歩行ですが、ココシュカは四足歩行です。