森番とコボルト(下)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
再会します。
241森番とコボルト(下)
「いらっしゃい」
「こんにちは」
へルマンとツヴァイが入った居間では、黒髪と茶色の髪の少年が二人いた。茶色の髪の少年の足元には北方コボルトが立っていた。しゅっと小麦色のコボルトが右前肢を上げた。
「ヨナタン!」
「ツヴァイ!」
コボルト同士で挨拶しあう。ひょいと黒髪の少年がツヴァイの前にしゃがんだ。
「俺は孝宏。あの子はヨナタンが憑いているカチヤだよ」
「孝宏はエンデュミオンの主だ。孝宏、ツヴァイはシュネーバルの兄らしいぞ」
ギルベルトに抱っこされた状態で、エンデュミオンが説明する。途中で捕獲されたようで、頬擦りされている。
「……」
スンスンとツヴァイは孝宏の匂いを嗅いだ。お菓子を作っていたのか砂糖と肉桂、そして懐かしい匂いがした。
「シュネーの匂いがする!」
「さっき抱っこしてたからかな? お兄ちゃんは大きいんだね」
ツヴァイはコボルトの標準的な大きさだ。
「シュネー、小さい?」
「うちに来た時から余り大きさが変わらないかな。シュネーバルは俺達がハイエルンから連れてきたんじゃなくてね、うちの温室にいつの間にか来てたんだよ」
「多分〈転移〉が失敗したんだろうな」
ギルベルトから解放されたエンデュミオンが孝宏の隣にやって来た。
「シュネーバルと言う名前も、自分で付けていたんだ。独立妖精だな」
独立妖精は一人で生きていかねばならないと思う状況にならないと選ばない状態だ。
へにょりとツヴァイの耳と尻尾が垂れる。
「シュネーに苦労させた」
「うちに来たときは妖精犬風邪に掛かっていたが、今は元気だぞ」
あの時は、全國的に妖精犬風邪が流行して大変だったと、エンデュミオンが遠い目になった。
「ただいま。あれ、お客様?」
台所の奥からドアが開く音がして、孝宏が振り返る。
「お帰りー。あっ、どうぞお掛けください」
お客様なのにー、と孝宏は慌ててへルマンとツヴァイにソファーを勧めた。ギルベルトは勝手知った家なのか、ラグマットの上に既に座っていた。
「へルマン?」
「へルマンだー」
毛布で包んだルッツを抱えたテオが、居間に入って来るなりへルマンを見て目を丸くする。ルッツは毛布の中から前肢を振ってくる。
「いらっしゃい」とテオの後ろからヴァルブルガとシュネーバルを毛布に包んで抱いて現れたイシュカに、ツヴァイは座りかけたソファーから飛び上がった。
「シュネー!」
「う? にーに?」
ぱちぱちとシュネーバルは紅茶色の瞳を瞬かせた。居なくなった時はまだ殆ど喋れなかったのに、とツヴァイの目が潤む。
「イシュカ、シュネーのお兄ちゃんだって」
「そうなのか。ほら、シュネー」
イシュカが毛布ごと床に下ろしてから、シュネーバルを抱き上げてツヴァイの前に出してやる。
「うー」
スンスンとツヴァイの匂いを確かめるように嗅ぎ、シュネーバルがぎゅっと抱き付く。
「にーに!」
「わう。無事で良かった」
ぶんぶん尻尾を振る勢いから、兄弟で間違いなかったようだ。ヘルマンは内心そっと胸を撫で下ろした。
「へルマンが一緒って事は、森番小屋にあの子が来たのか?」
「今朝な。丁度父さんが来る日だったから、留守を頼めたんだ」
運が良かったよ、とへルマンはテオに答えてルッツの頭を撫でた。風呂上がりだからか、いつもに増してふわふわしている。
「ついでに〈氷祭〉見てこいってさ」
「普段へルマンは街に来られないからな」
ホルストの性格を知っているテオも苦笑する。
「で、ルッツはどうしたんだ?」
「……シュネーバルのおにいちゃん……」
ルッツはテオの脚に抱き付いて、じーっとツヴァイを凝視していた。
「最近ここで預かっていた赤ん坊ケットシーが主を見付けて巣立ったからかな」
「ああ……」
ツヴァイがシュネーバルを連れていかないか危ぶんでいるのだろう。子供なのもあるが、ルッツは結構嫉妬深いのだ。
そんなルッツの視線を知ってか知らずか、ツヴァイはシュネーバルの頭を撫でながらイシュカを見上げた。
「あの、このままここでシュネーを育てて貰ってもいい?」
「俺達は構わないけど、良いのか?」
「家族は居るけど、ハイエルンはシュネーにとって安全じゃない」
「そうか。ツヴァイはどうするんだ?」
「ツヴァイは家を出てきたから、適当に住む」
聞き捨てならない事が聞こえて、慌ててヘルマンはツヴァイに声を掛けた。
「待てツヴァイ。コボルトが適当に住める場所なんか、リグハーヴスにだってないぞ。冬場がきついんだから屋根があるちゃんとした場所じゃないと」
「ツヴァイ、魔女だからお仕事出来る!」
両前肢を上げて、ふん!と気合いを入れるツヴァイに、エンデュミオンが腕を組む。
「職業持ちか。一番良いのは誰かに憑く事なんだがなあ」
「憑いていいの?」
こて、とツヴァイが首を傾げた。真似してシュネーバルも同じ動作をしている。
「良い物件があるならな」
そう言いながら、何故かエンデュミオンはヘルマンを見た。ギルベルトもじっとヘルマンを見詰めている気がする。あの大きな瞳からの視線が刺さっている。
「な、何?」
「妖精が憑く人族には条件があるみたいなんだよ、ヘルマン。それに当てはまっているんじゃないかな」
ルッツを脚にくっつけたまま、テオが苦笑いする。
「物件扱いなのか」
「しかも拒否権ないからな?」
妖精は押し掛けで憑くものらしい。
「ヘルマン」
てててっとツヴァイがヘルマンの側に走ってきた。ぴたりと目の前で止まって見上げて来る。
「ヘルマン、ツヴァイが憑いてもいーい?」
「……森の入口の寂しい場所で、普段はリンケと三人暮らしになるけど良いのか?」
「いいよ。お仕事するよ!」
「魔女なら、通り掛かりの冒険者や近隣の村やケットシー用の診療所かな?」
街まで来なければ診療所がないので、怪我をして地下迷宮から出てくる冒険者は少なくない。
「森番小屋から街までだったら、〈転移〉出来るのか?」
「うん。シュネーに会いに来られる」
「じゃあ、俺に憑けば良いんじゃないか?」
ヘルマンはツヴァイの耳の間に、掌を置いた。わしわしと頭を撫でてやる。
コボルトが一人増えてもヘルマンは困らないし、賑やかになるだろう。なにしろリンケは結構長生きで、ヘルマンにとっては祖父のようなものだからだ。
「名前付けて」
「今考えるから少し待って」
ツヴァイは流石にないだろう。二番目と言う意味なのだ。
きらきらしたツヴァイの青い瞳は角度によって、青紫にも見える。
「エンツィアンにしようか」
「竜胆?」
「目の色が竜胆みたいな綺麗な青紫だからね」
「わうー! エンツィアン!」
ピョン!と跳ね、ツヴァイ改めエンツィアンはヘルマンの脚に抱き付いた。
「エンツィアン。ヴァルブルガも魔女だから、色々お話してみたら? シュネーバルのお師匠さんだよ」
「わう! そうなの?」
孝宏に勧められ、エンツィアンはシュネーバルとヴァルブルガの元へ行った。
入れ替わりにエンデュミオンがやって来て、ヘルマンの膝を肉球で叩く。
「宜しく頼む、ヘルマン。自由なコボルトはハイエルンに送還させられるかもしれないんでな。エンツィアンはシュネーバルの兄弟だから、何かあったらリグハーヴスのケットシーが呪うと思うが」
「呪うんだ」
「一般的なケットシーの最大攻撃が〈呪う〉だからな」
確実に致死性の呪いも持っていそうで怖い。エンデュミオンの場合などは存在自体を消されそうだ。そもそも呪うより前に大魔法使いの魔法で街を吹き飛ばせる。
「楽しくなりそうだし、うちの火蜥蜴もエンツィアンを気に入っていたから喜ぶと思うよ」
何より父親のホルストが、小屋に頻繁に顔を出すようになる気がする。
「おやつにしようか。今日は林檎の一口パイだよ」
「アプフェル!」
台所に向かう孝宏とカチヤを、ヨナタンとルッツが追い掛けていく。ルッツは相変わらず林檎が好きらしい。
「そうだ、これ俺が焼いたお菓子なんだけど、良かったらどうぞ」
ヘルマンは荷物の中からケーキを取り出した。エンデュミオンが受け取り、黒い鼻をひくひくさせる。
「美味しそうな匂いがする。ヘルマンは料理が出来るんだな」
「森番小屋だと自分でするしかないからね」
リンケは火力調節ならお手のものなのだが、それ以外ほぼ料理の戦力にはならない。
「イシュカ、ヘルマンにお菓子を貰ったぞ」
エンデュミオンが貰ったケーキをイシュカに見せる。シュネーバルとエンツィアンに身体を登らせていたイシュカが「有難う」と笑った。
「地下迷宮が閉鎖されていて宿屋は満室だから、うちにゆっくり泊まっていって下さい」
「助かります」
本当にこの時期は宿屋が空いていないので有難い。泊まるところがなければとんぼ返りしなければならなかった。
「ヘルマンは〈氷祭〉も見に来たんだって」
「〈氷祭〉は夜も綺麗だから、今晩皆で行こうか」
〈氷祭〉は夜も開催されているらしい。光の精霊に頼んで照らしてもらっているのだろう。
「おやつの前に手を拭いて下さーい」
孝宏がおしぼりを持ってきて、ケットシーとコボルトの前肢を拭いていく。ギルベルトも楽しそうに孝宏に肉球を出していた。拭きごたえのありそうな肉球である。
ヘルマンの前のテーブルにもおしぼりを置かれたので、ちゃんと手を拭いた。
「おやつだよー」
「にゃうー」
「わうー」
孝宏とカチヤがお菓子とお茶の載ったお盆を持って現れると、妖精達から歓声が上がった。ルッツから噂には聞いていたが、孝宏が妖精を虜にするお菓子を作るのは本当らしい。
「今日の恵みに、月の女神シルヴァーナに感謝を」
「きょうのめぐみに!」
食前の祈りが元気良く唱和される。
「ヘア・ヘルマンに頂いたケーキも切ってみたんですよ」
「ヘルマンのケーキ?」
「これだよ」
ヘルマンはエンツィアンの皿にケーキを取ってやった。午前中は寝ていたので、エンツィアンは森番小屋でおやつを食べていなかったのだ。
手掴みでケーキを頬張り「うまー」とエンツィアンが尻尾を振る。孝宏が前肢を拭かせた理由が解る。
「ちゃかひろのぱい、おいちーの」
シュネーバルは正方形に膨らんだ、一口大の黄金色をしたパイを「あー」と口に入れる。サクサクと音を立てて咀嚼した後、頬を両前肢で押さえた。
「おっちー」
ルッツとヨナタンも揃って頬を押さえ「おいしーねー」と言っているので、頬を押さえるのは美味しいという表現なのらしい。
「エンツィアン、暗くなったら皆で〈氷祭〉に行こうって」
「本当? エンツィアン初めて」
「俺も初めてだな。去年来られなかったし」
雪のせいで、冬は余り小屋の周辺から出られないのだ。遭難しても助けは来ないので、迂闊に出歩けない。
「去年はエンデュミオンが凄いのを作ったって聞いたけど」
「凄いかどうかは知らないが、今年も作ったぞ」
「ふふ、坊やのは凄いぞ」
エンデュミオンではなくギルベルトが自慢気に笑う。
「楽しみ」
ぶんぶんとエンツィアンの尻尾が揺れる。コボルト達が自由に活動出来るようになったのは最近だと聞いていた。お祭も余り経験していないのかもしれない。
おやつを食べ終わると並んでラグマットの上で昼寝を始めた妖精達に、慣れた様子で孝宏が毛布を掛けていく。エンツィアンも眠り足りなかったのか、シュネーバルの隣で横になっていた。今日は少し夜更かしになるのだから、構わないだろう。
妖精達が寝てしまうと、途端に居間は静かになった。こんなところは人族の子供と変わらない。
「ヘルマン、孝宏の本を見てみるか?」
「ああ、貸本をしているって言う」
「そう」
テオとヘルマンはそっと立ち上がって、店舗へと移動した。今日は休みの日だが、孝宏とカチヤが店用のクッキーの仕込みなどをしていたので、皆で一階に居たのだそうだ。
「話には聞いていたけど、こんな感じなんだ……」
森に籠っているヘルマンが街に来たのは本当に久し振りだった。だから比較的新しい〈Langue de chat〉にも来た事がなかったのだ。
磨き込まれた床や一枚板のカウンターは、この店が古くから大切にされてきたのだと窺えた。ちぐはぐな調度品もきちんと手入れをされていて、何故かしっくりと馴染んでいる。
貸本の棚には、色とりどりの革装の本がきちんと並べられていた。
「どれでも借りられるから、試し読みしたらいいよ」
「うん、そうする」
手近にあった若草色の本を一つ引き抜き、頁を繰る。少年とケットシーの冒険物のようで、エンツィアンも楽しめそうだ。
「それだと、一番左にあるのが最初の巻だよ」
「続き物なんだ」
一冊目を借りる事にして、テオに貸し出し手続きをしてもらう。ヘルマンの貸出カードは既に作られていた。いつか来るだろうと、テオがイシュカに頼んで作って貰っていたという。
持つべきものは友である。
〈Langue de chat〉の前の路地を、子供達が高い声を上げて通り過ぎていく。きっと、〈氷祭〉に行くのだろう。
ヘルマンは森番の子供だったので、兄以外の子供達と一緒に遊ぶ機会は殆どなかった。今だって友人らしい友人はテオとルッツ位のものなのだ。
「テオ、ルッツってどんな感じ? 弟みたいな?」
「うーん、弟みたいでもあるし、友人でもあるし……相棒かな、俺の場合」
「そうなんだ……」
自分とエンツィアンはどうなるのだろうかとヘルマンは思う。ひとまずエンツィアンの居場所にはなったが。
(これから、これから)
リンケに相談しながら、エンツィアンの診療所の準備をしなければならないし、街にいる間に注文しておいた方が良い物を確認しなければ。
「難しく考えなくてもさ、妖精が笑って暮らせていれば良いんだよ。それが一番なんだって」
テオがヘルマンの記録を書き込んでいた貸出帳をぱたんと閉じる。
「へえ」
「子供の頃、養父さんが言っていた。『妖精が笑っていない土地は枯れる』って、〈暁の旅団〉の言い伝えなんだって」
「なるほど」
〈暁の砂漠〉のオアシスに暮らす〈暁の旅団〉の言い伝えは、真実味がある。
実は単純なのかもしれない。
妖精が笑っていれば、周りも大概幸せなのだ。
まずは目の前の〈氷祭〉をエンツィアンやテオ達と楽しみたい。
日が暮れるのが待ち遠しいヘルマンだった。
お兄ちゃんと大きさの違うエンツィアン(ツヴァイ)とシュネーバルです。仲良し。