リグハーヴス新聞の新企画
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
孝宏の連載が始まりました。
239リグハーヴス新聞の新企画
ちりりりん。
「おはようございます!」
店のドアが開き、顔馴染みの新聞配達の少年が顔を出した。
「おはよう」
「新聞です。はい、シュネーバル」
丸めた新聞を細長い紙で留めた物を、少年がイシュカに抱かれたシュネーバルに渡す。
「ありがと」
「またね、シュネーバル」
「う!」
「ご苦労様」
少年がシュネーバルの頭を撫でて、店を走り出ていく。最近は月払いで新聞代を払っているので、毎回代金を支払う手間がない。
「シュネー、新聞届けに行こうか」
「う!」
一度店のドアに鍵を下ろし、カウンターの裏の廊下に出て左手にある階段を上がる。階段を上がって右手に二階の居間がある。
「新聞が来たぞ」
「本当に来たんだ」
「そりゃ来るだろ」
孝宏に苦笑して、イシュカはシュネーバルを床に下ろした。
「ちゃかひろー」
「有難う、シュネー」
とててて、とやって来たシュネーバルの頭を撫で、孝宏は新聞を受け取った。新聞をまとめている細長い紙を外すと、同じ新聞が数枚広がった。
「うちのが一枚ね。後はエンディとイシュカとテオだよね?」
「ああ、フィーとジークヴァルト、マヌエルには送ろうと思ってな」
「俺は母さんとフォルクハルトに」
「俺も養父さんには送ろうと思って。イェンシュにも頼まれてるし」
エンデュミオンは封をする為の紙を用意し、送り先の名前を緑色のインクの万年筆で書き始める。イシュカとテオもテーブルの向かいで同じように紙に宛名を書き、丸めた新聞に巻き付ける。
エンデュミオンは小さな銀色の転移陣を床に出し、「ジークヴァルトの魔法使いの塔」や「マヌエルの部屋」と指定しながら新聞を〈転移〉させた。ついでに「エデルガルトの家」「フォルクハルトの部屋」「ロルツィングの部屋」「イェンシュの家」とイシュカとテオの分も〈転移〉させる。あらかじめ転移陣を刺繍した布を送り先に渡してあるので、手軽に送れるのだ。
「本当に載ってるんだねえ」
孝宏が新聞を見ながら、感心したように呟く。
実は今日から孝宏の書いた小説がリグハーヴス新聞で掲載されるのだ。他には先見師ホーンの天気予報も新たに載っている。
先に数週分の活字拾いと挿し絵の銅板画作りがあったので、今頃の掲載になったのだ。
孝宏が書いたのは、〈Langue de chat〉の貸本で人気の、フリッツとヴィムの休日のお話の連作掌編だ。
季節に合わせたお話を書いて、どれからでも載せられるようにしたので、今日は〈氷祭〉に行く二人のお話だった。リグハーヴスでは、今〈氷祭〉を開催している。
挿し絵では、後ろ姿のフリッツとヴィムが氷像を見ていた。
「う!」
「読んでほしいの? ご飯の後で読んであげるね。イシュカ達はお仕事だからね」
「うー」
シュネーバルは孝宏に抱き付いて顔を擦り付けてから、台所へ行って自分の椅子によじ登った。
「早く読んでほしいんだな」
イシュカは笑って、黒パンをナイフで切り出した。孝宏もコンロで温めていたスープを深皿に注ぐ。
「ルッツ、ご飯だぞ」
「あいー」
相変わらず朝に弱く、座布団の上で転がっていたルッツは、テオに掬い上げられて、半分寝ながら子供用の椅子に座らされる。
ヴァルブルガはジャムの瓶にバターナイフを突っ込み、イシュカが切って火蜥蜴のミヒェルが焼いた黒パンに紅色のジャムを塗り付けた。
「ジャムの人だあれ?」
「じゃむ!」
シュネーバルが前肢を挙げる。イシュカはナイフでジャムパンをザクザクと四等分に切ってから、シュネーバルの皿に載せた。
「じゃむー」
嬉しげにシュネーバルが尻尾を振る。このジャムはシュネーバルが摘んで来たベリーで作ったものである。毎日シュネーバルが少しずつ摘んだものを孝宏が冷凍しておき、たまったらジャムにしている。
最近木の実以外のものも食べるようになったグリューネヴァルトは、作業台の上でミヒェルとチーズ入りのオムレツを前にそわそわしていた。
エンデュミオンも椅子によじ登り、皆で食前の祈りを唱えてフォークを手に取る。
「エンディ、フラウ・フィリーネの分は送らなくて良かったの?」
「ルドヴィクを迎えに行くからな」
「そっか」
大魔法使いフィリーネに憑いたルドヴィクは、休日以外は〈Langue de chat〉で日中を過ごしている。まだおしめをしている赤ん坊なので、フィリーネが仕事で忙しい日は預けられているのだ。
半分寝ながらテオにチーズオムレツを口に運んでもらっていたルッツは、大抵途中から覚醒する。今日も暫くしてからジャムを塗ったパンを自分で持って食べ始めた。ちなみにルッツのパンには桃と林檎のジャムをテオが塗っていた。
口の中に入っていたパンを飲み込み、ルッツはエンデュミオンに訊いた。
「ルドヴィクくる?」
「今日は来るぞ」
「あい」
ピン、とルッツの尻尾が立つ。軽量配達屋をしているので、毎日ルドヴィクと遊べる訳ではないルッツだが、自分より年下のルドヴィクやシュネーバルをとても可愛がっているのだ。
「では迎えに行ってくる」
「行ってらっしゃい」
朝食を食べ終え、エンデュミオンはリグハーヴス新聞を〈時空鞄〉に入れて、ヴァイツェアの魔法使いの塔へと〈転移〉した。直接フィリーネの部屋に出る。
「来たぞー」
「師匠、おはようございます」
「でぃ?」
フィリーネにセーターを被せられていたルドヴィクが、エンデュミオンの声に反応して立ち上がろうとする。
「ルド、セーターを着るまで待って」
すぽんとセーターから顔を出したルドヴィクの前肢を袖に通すフィリーネは、大分手慣れてきたようだ。
「でぃー」
よいしょ、と言う声が聞こえそうな動きで前肢をラグマットについて立ち上がったルドヴィクが、エンデュミオンに抱き付く。
「師匠もてますね」
「何故か懐かれるんだ」
不思議と年下の妖精達はエンデュミオンに懐いてくる事が多い。
「今日もお願いします」
「うちは皆ルドヴィクが来るのを楽しみにしているから気にするな。そうだ、今日からリグハーヴス新聞をフィーの分も取る事にしたんだ」
これが今日の分、とエンデュミオンは新聞の筒を〈時空鞄〉から出してフィリーネに渡した。
「有難うございます?」
「では、夕方にルドヴィクを届けにくるからな」
何故リグハーヴス新聞を渡されたのか解らないフィリーネを置き、エンデュミオンはルドヴィクを連れて〈Langue de chat〉に戻ったのだった。
「何で新聞なのかしら……」
フィリーネはエンデュミオンに渡された新聞に目を落とす。綺麗に丸められ、紙で巻かれている。つまり、傷まないように気を使われている。
そっと巻き付けてある紙を外し、新聞を広げる。リグハーヴス新聞は街が小さいのに比例するように紙面が少ない。一枚の紙の両面に印刷されているだけの時が多い。
片面は王都や聖都等、重要都市の情報や他の領の出来事が記されている。そしてもう片面はリグハーヴス自体の事が書かれている筈だった。
「天気予報? そう言えばリグハーヴスに先見師コボルトが来たんだったわね」
先見師コボルトの流出はハイエルンにとっては中々の痛手だと、ハイエルンから魔法使いギルド本部に来た魔法使いがぼやいていた。先見師は人族でも妖精でも稀少なのだ。
天気予報は農村には有難い情報だ。
するすると紙面を読んでいき、フィリーネの視線は飾り枠で囲まれた場所に辿り着く。
「……〈フリッツとヴィムの休日〉? えええええ!? これヘア・ヒロの新作よね!? あっ、この前言っていた書き下ろし!?」
孝宏に教えて貰っていたのに、すっかり失念していた。逸る気持ちを抑え、フィリーネは一度新聞をラグマットの上に置いて目を瞑る。そうでもしないと新聞をくしゃくしゃにしそうだった。
「落ち着くのよ、フィリーネ。師匠ってば何で教えてくれなかったのよって思うけど!」
それでもエンデュミオンはフィリーネの為に新聞を届けてくれた。きっとフィリーネがゆっくり読めるようにとすぐに帰ったのだろう。
「よし」
少し落ち着いたフィリーネは、なんとなく居ずまいを正してから新聞を手に取り直した。
物語は休日にフリッツとヴィムが〈氷祭〉に行く話だった。
「そう言えばリグハーヴスの〈氷祭〉って今頃よね」
見直した紙面のリグハーヴス情報には、〈氷祭〉開催中と書いてある。
「ルドヴィクと師匠と行きたいわね……」
もしかしたら孝宏達が、ルドヴィクを〈氷祭〉に連れていってくれているかもしれないけれど。フィリーネは余りエンデュミオンとそういった場所に一緒に行った経験がなかった。エンデュミオンが常に王宮の監視下にあったからだ。
「行こうかな……」
今ならエンデュミオンは自由に動ける。
フィリーネはリグハーヴス新聞を保護用の厚紙二枚の間に挟んで、本棚に挿した。
「よしっ」
気合いを入れてまずは今日の仕事だ。それから休みをもぎ取ろう。
フィリーネは仕事用のローブを羽織り、執務室に勇んで向かった。
その日、黒森之國の各地では、購読しているリグハーヴス新聞を見て叫び声を上げる人が後を絶たなかった。
リグハーヴス新聞社には未購入者の新聞契約を求める精霊便がひっきりなしに届き、印刷部は増刷に明け暮れたと言う。
やっと孝宏の連載が始まったリグハーヴス新聞です。
事前予告なしの掲載だったので、國中で大騒ぎになったかも……。
一日で、リグハーヴス新聞の購読数が跳ね上がった模様です。