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エデルガルトとフリューゲル

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

フリューゲルのお散歩。

238エデルガルトとフリューゲル


 フリューゲルはフォルクハルトに憑いたコボルトだが、まだ子供なので自由にさせている。

 朝はイングリットから引き継いだ畑仕事をして、フォルクハルトやハルトヴィヒ達と朝食を食べる。それからフリューゲルは執務室で仕事前のお茶をフォルクハルト達に淹れてから、敷地内に探索に行くのだ。

「お昼には戻ってくるんだよ」

「わう」

 フォルクハルトに頭を撫でて貰ってフリューゲルは執務室を送り出される。

 ヴァイツェア領主館の敷地は広い。領主一家が暮らしている館を中心に、渡り廊下や離れがあり、血族が暮らしているのだ。

 フリューゲルは毎日違う場所へ散歩に行っているらしく、その日あった事を夜にフォルクハルトに教えてくれる。

 フリューゲルの存在は敷地内の親戚に知らせてあるので、遊びに行くと快く迎えてくれるようだ。

 素っ気なく見える母親のイングリットも、フリューゲルに会うと胡桃等の木の実に飴を絡めたお菓子を与えていた。彼女なりに可愛がってくれているらしい。

 今日は何処にいくのやら、と思いつつフォルクハルトは執務室のドアを閉めた。


「んっんー」

 鼻歌を歌いながら、フリューゲルはカチカチと爪を鳴らして廊下を歩く。

 今日はまだ行っていない棟へ行くつもりだ。フォルクハルトに渡り廊下の入口まで連れてきてもらった時、「ここには庭があるよ」と教えてもらっていた。

 白い透かし模様の入った壁のある屋根付きの渡り廊下を抜けると、周囲を花園に囲まれた小さな家が建っていた。渡り廊下から家の玄関迄は、白く大きさが不揃いな平たい石で小道が作られていた。

「いいにおい」

 甘い花の香りや清涼な草木の清々しい空気に包まれた花園は、コボルトであるフリューゲルには落ち着く場所だ。

 ぐるりと玄関前を見回し、フリューゲルはおもむろに花株に近付いて、咲き終わった花の蕾をプチプチと取り始めた。手が届く場所だけだが、萎れた蕾は取ってしまった方が、花の為には良い。

 この花園は、きちんと手を入れられているらしく、灌木等もきちんと刈り込まれていた。

 花殻を取りながら石畳を進むと、家に沿って小道があるのに気付いた。

 前肢に持っていた花殻を石畳の上に一ヶ所に固めて置き、フリューゲルは小道を進んだ。ぴんと立った耳に水音が聞こえてくる。

 玄関の真裏に当たる場所は、芝生の広がる庭になっていた。白い石造りの小さな噴水があり、太陽の光に跳ね上がる水滴がきらきらと輝く。

 丸く整えられた芝生の回りは、様々な灌木で囲まれていた。黄緑色の常緑樹や白やピンクの花が咲くもの、ベリーの灌木には、赤や紫の宝石のような実が付いている。

「わーう!」

 とととと、とフリューゲルは噴水に走り水盤の端に前肢を掛けて覗き混んだ。水盤の中には青い小魚がひらひらと沢山泳いでいて、水底には水草がゆらゆらと揺れていた。

「いらっしゃい、可愛いお客様」

「わう?」

 フリューゲルが振り返った先には、赤みの強い栗色の長い髪を一つに束ねた女性が微笑んで立っていた。家の大きな掃き出し窓が開いていて、彼女はそこから出て来たらしい。

「わたくしはエデルガルトです」

「フリューゲル!」

 しゅっとフリューゲルは右前肢を挙げた。

「ヘア・フォルクハルトに憑いた子ですね」

「わう!」

 近付いてきたフリューゲルに、エデルガルトは屈んで頭を撫でてくれた。

「お茶をいかがですか?」

ありがと(ダンケ)

 お誘いを受けたので、フリューゲルはエデルガルトについて低い階段を数段上り、家の中に入った。

 窓が大きい部屋は居間になっていた。ソファーもあるが、床に毛足の長いラグマットも敷かれ、クッションが置かれている。

「ロスヴィータ」

「はい、奥様」

 エデルガルトが声を描けると、奥から森林族の侍女が現れた。フリューゲルを見て一瞬目をみはる。

「フリューゲル!」

「ロスヴィータです」

 軽く脚を屈めてフリューゲルに挨拶したロスヴィータは、お茶を淹れる為台所に戻った。

 フリューゲルは水の精霊(マイム)魔法で四肢を洗い、ラグマットの上に座った。エデルガルトもフリューゲルの近くに腰を下ろす。

「おにわきれい」

「有難う存じます。つたない手ですが、わたくしがお手入れをしているんですよ」

「まえのおにわも?」

「はい」

 花殻が残っていたのは、今日はまだ手入れに出ていないからのようだ。

「フリューゲルはうらのはたけやってる」

「フラウ・イングリットの菜園ですか?」

「うん。フリューゲルがやっていいって」

 放置しがちだったので、手入れをしてくれるならと、イングリットがフリューゲルに菜園をくれたのだ。

「失礼致します」

 ロスヴィータがお茶とお菓子の乗った盆をラグマットの上に置く。

「これはタルトというお菓子ですよ。リグハーヴスのヘア・タカヒロに教わったのです」

 タルト生地の中にカスタードクリームと生クリームを重ね、上に瑞々しい赤と紫のベリーをぎっしり並べてある。

「わう」

 三角形に切られたタルトが乗ったケーキ皿を膝に乗せ、フリューゲルは目を輝かせた。

「きょうのめぐみに!」

「今日の恵みに、月の女神シルヴァーナに感謝を」

 食前の祈りを唱え、フリューゲルはわくわくしながらフォークをタルトに刺した。

「あーん」

 たっぷりとベリーとカスタードクリームが乗った生地を口に入れたフリューゲルが尻尾をぶんぶんと左右に振る。

「うまー」

「ふふ、美味しいですね。そうだわ、フリューゲルはチョコレート(ショコラーデ)はお好きですか?」

チョコ(ショコ)?」

 フォークを咥えたまま、フリューゲルは首を傾げた。

「息子が送ってくれたのですよ」

「イシュカ?」

「ええ」

「奥様、お持ちします」

 控えていたロスヴィータが直ぐに白い琺瑯の容器を持ってきた。保冷庫に入っていたのか、ひんやりと冷気を感じる。

 容器の中には一口大に四角く切られた黒っぽい物が、茶色の粉をまぶされて入っていた。

「にがい?」

「少し苦くて甘いですよ」

 フリューゲルはフォークで一つ刺して口に入れた。それは舌の上でとろりと柔らかくなった。ほろ苦く、そして甘かった。

「おいしい」

「これは柔らかいチョコレートだそうです。ヘア・フォルクハルトにも送ったと手紙に書いてありましたから、お部屋に届いていると思いますよ」

 フォルクハルトの部屋には荷物を送りあえる大きさの転移陣が縫い取られた布がある。エデルガルトの家にもそれがあるのだろうと、フリューゲルは納得した。

 タルトを食べ、お茶を飲み、花の手入れについてお喋りする。

 フリューゲルにとって、とても楽しい時間になった。

 お茶の後、フリューゲルはエデルガルトと一緒に庭の手入れをした。お喋りをしながら花殻を取っていたが、お腹の虫が鳴った事で昼ご飯を食べにフォルクハルトが待つ執務室に戻った。

「ただいまー」

 執務室のドアの前で帰還を告げる。

「おかえり」

 すぐにフォルクハルトがドアを開けてくれた。フリューゲルを抱き上げ、額にキスを落とす。

「何処まで行ってきたんだい?」

「エデルガルトのおうち。おやつたべておにわのおていれした」

「あそこの庭、綺麗だっただろう」

「わう」

 フォルクハルトはハルトヴィヒと視線を交わし、一緒に執務室を出た。フォルクハルトはフリューゲルと話しながら食堂に向かう。

「フラウ・エデルガルトの所のおやつは何だった?」

「タルト。きいろとしろのくりーむにたくさんベリーのってた。あとね、イシュカからおくってもらったってチョコレート。フォルクハルトにもとどいてるよっていってた」

「へえ、楽しみだな」

「……フォルクハルト」

 ぽん、とハルトヴィヒがフォルクハルトの肩に手を乗せた。深い緑色の瞳がやけに真剣だ。

「何ですか」

「もしかしてお前の部屋には荷物用の転移陣があるのかな?」

「あー、ありますね」

 通常転移陣は魔法使いギルド等の限られた場所にある。荷物を送るのにも、ギルド経由で行うのだ。何故なら、転移陣を描き出せる魔法使いが限られているからだ。

 フォルクハルトの場合は、定期的に〈Langue de chat〉の本を借りているので、何度かやり取りするうちにエンデュミオンが「送り先がはっきりしている方が楽だから」と、ヴァルブルガに布に刺繍してもらった転移陣をくれたのだ。

 基本的にはエンデュミオンの魔力に反応するらしく、フォルクハルトは本の返却に合わせて手紙をイシュカに送っていた。

「何故父さんに教えてくれないんだい」

「何となく……?」

 イシュカから来たお菓子は執務室でのお茶の時に出していたりしたのだが、ハルトヴィヒは気付いていなかったらしい。

「よし、フォルクハルトの部屋に行こう」

「今届いているか解りませんよ?」

「いいからいいから」

 フォルクハルトとフリューゲルは、ハルトヴィヒに部屋へと引っ張って行かれた。ハルトヴィヒは見た目も若いが、子供っぽい所もある。

「全くもう」

 フリューゲルを片腕に抱いてドアを開けたフォルクハルトは、部屋の中の空気が少しひんやりしているのに気が付いた。

 机の上に広げてあった転移陣の刺繍入りの布の上に、籠が載っていた。籠の回りに氷の妖精(アイス)がくるくると回って冷やしてくれている。

「来てた」

 フォルクハルトはフリューゲルをベッドに座らせ、籠の中から封筒を取り上げた。封筒から手紙を抜き取り、黙読する。

孝宏タカヒロが作ったチョコレート菓子だそうです。なんでも今日はチョコレートを贈る日だとか」

 孝宏が送ってくれたのは、生チョコレートとチョコレートブラウニーだった。籠の中には紙袋が二つあり、片方をハルトヴィヒに渡してほしいと書いてあった。

「これは父上と母上にだそうです」

 フォルクハルトは紙袋を一つ、父親に渡す。ハルトヴィヒは驚いた顔をして受け取った。

「良いのかい?」

「父上に渡してほしいと書いてありますから。こっちは俺とフリューゲルの分だよ」

「わう!」

 エデルガルトのところで味見をしていたフリューゲルが嬉しげに尻尾を振る。

「しかし、転移陣を簡単に作ってくれるとは……」

「ケットシーですからねえ」

 幼いケットシーは叡知があっても出来ない事も多いが、エンデュミオンやヴァルブルガ位になると、魔方陣でさえも簡単に編み出してしまう。

 しかも裁縫が出来ると、こんな風に布に刺繍で魔方陣を縫い付けてしまう。人族の魔法使いでも出来ない訳ではないが、かなりの高等技術だ。

 おそらく〈Langue(ラング) de() chat(シャ)〉にいるケットシーは規格外である。

 ぐうーっと、フリューゲルの腹が鳴った。

「ごめん、フリューゲル。お昼だったね」

「わうー」

 前肢を伸ばしてきたフリューゲルを抱き上げ、フォルクハルトはハルトヴィヒの背中を押した。

「父上、感動するのは後でゆっくりしてください。俺はフリューゲルにお昼ご飯を食べさせたいので」

「そ、そうだな」

「冷やしておかないと、チョコレートの方は柔らかくなりますよ」

「うむ」

 いそいそとハルトヴィヒが紙袋を抱えて去っていく。多分、かなり、とてつもなく嬉しいのだろう。先端の尖った耳がぴくぴく動いていた。

 フォルクハルトはフリューゲルと部屋を出て、台所に足を向ける。朝と夜は両親と合わせるが、昼食は結構皆好きな時間に食べるのだ。

「マティルデ」

 食堂の奥にある台所に顔を出し、乳母を捜す。

「はい、若様」

 台所の隣にある使用人の休憩部屋から、マティルデが現れる。

「お昼ご飯ですね。ご用意しますよ」

 フォルクハルトはいつも料理人の手間を省く為、使用人と同じ物を昼に用意して貰っている。

 今日は掌に乗る大きさの丸パンに切れ込みを入れ、そこにハムと葉野菜、卵等を挟んだものと玉蜀黍とうもろこしのスープだった。

「きょうのめぐみに!」

 子供用の椅子がないので、高さをテーブルに合わせる為に、マティルデの膝に座ったフリューゲルが、木匙でスープの玉蜀黍を掬って幸せそうに口に入れる。

「子供用の椅子がいるなあ」

「若様の使っていた物がありますよ。倉庫から出しておきましょうね」

「お願い」

 卵を挟んだパンをはむはむと齧っているフリューゲルは不便そうではないが、子供用の椅子はあった方が良いだろう。

 そういえば、とフォルクハルトは思い出す。

 エデルガルトの家には、子供用の椅子が食堂のテーブルに置いてあった。あれはイシュカの椅子で、エデルガルトは誰も座らないあの椅子と、ずっと食事を摂っていたのだ。

「早く雪が溶けないかな」

「兄君様ですか?」

「うん。フラウ・エデルガルトとあの家で過ごしてほしいと思って。春になったら誘おうと思っているんだ」

「それはようございますね」

 マティルデが微笑んで、卵が付いたフリューゲルの口を手拭いで拭く。

「フリューゲル、エデルガルトすきー。またあそびにいく。おにわきれい」

「そうだね、フラウ・エデルガルトも嬉しいと思うよ」

 今までひっそりと暮らしていたエデルガルトにとって、フリューゲルが遊びに行くのは楽しみになるのではないかと思うのだ。

 人懐こくて、幼児の大きさしかないコボルトは、触れると柔らかく温かで気持ちも和む。

 毎日のようにフリューゲルがエデルガルトの元に通えば、様子も解るのでイシュカに知らせる事も可能だ。

「そうそう若様、コボルト織の布地を幾つか見繕って貰って下さいましね。フリューゲルの服を縫いますから」

「うん。イシュカに頼んでおく」

 コボルト織はハイエルンに行って買い付けるのが一般的だが、リグハーヴスのヨナタンに頼んだ方が柄が豊富だ。イシュカに頼めば、可愛らしい柄を選んでくれるだろう。

「うまー」

「沢山召し上がれ」

 穏やかにフリューゲルを見るマティルデの眼差しは、孫を見る祖母のようだ。マティルデの子供はフォルクハルトと同じ歳なので、既に独立してヴァイツェアの騎士隊に居る。

 フリューゲルが来たのは、乳母孝行にもなっているようだ。

 妖精フェアリーはどの種族であれ、幸せを運んでくるに違いない。

 ヴァイツェアにも良い風が吹いて来そうだと、フォルクハルトは月の女神シルヴァーナに感謝して、食前の祈りを唱えた。


バレンタインのお話。イシュカからヴェイツェアへ贈り物です。

「取っておきたい」と言って、イングリットに「悪くなる前に食べて下さい」って言われそう。


エデルガルトにはロスヴィータしか侍女はいません。ハルトヴィヒはちゃんとエデルガルトの所にも通っています。奥さんを二人共大切にしています。

庭の手入れを手伝いに、フリューゲルは結構な頻度で、エデルガルトの家に行ってそうです。

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