フィリーネとルドヴィク
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ルドヴィクがヴァイツェアに旅立ちます。
232フィリーネとルドヴィク
塔ノ守孝宏と言う人物は凄い、とフィリーネは思う。
別の世界からやって来たと言うのに、黒森之國に馴染もうとしている努力家だし、エンデュミオンの主であるところからして凄い。
エンデュミオンは森林族から妖精猫に生まれ変わっているものの、中身はそのまま引き継がれている。そのエンデュミオンと対等に接している上に、可愛がっているのが凄い。
いまだにエンデュミオンが昔の大魔法使いエンデュミオンだと、理解していないらしい。
エンデュミオンにフード付きのケープを着せ抱き上げた孝宏は、毛布でくるんだルドヴィクを抱いたフィリーネに「行きましょうか」と微笑んだ。
「イシュカ、〈針と紡糸〉に行ってくるね」
「ああ、いってらっしゃい」
フィリーネにルドヴィクが憑いたと既に説明していたので、カウンターのイシュカにすんなりと見送られる。
〈Langue de chat〉を出て路地を南に進み、〈針と紡糸〉に向かう。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
孝宏がドアを開けて顔を覗かせると、カウンターにはマリアンとギルベルトが居た。奥の作業台ではアデリナが布にまち針を打っている。
「フラウ・フィリーネにルドヴィクが憑いたので服を頼みに来たんです」
「まあ、おめでとう。シャツとズボンなら明日には仕上げるわよ」
「セーターはヴァルブルガが編んでくれるみたいです」
話を聞いたヴァルブルガは、持っていた刺繍針を直ぐ様編み針に持ち替え、家にあった象牙色の毛糸でルドヴィクのセーターを編み始めたのだ。
孝宏はカウンターにエンデュミオンを座らせ、ルドヴィクの毛布を取るのを手伝った。
おむつ姿のルドヴィクをマリアンが撫でる。
「まだつかまり立ちなのね」
フィリーネが支えている間にマリアンがルドヴィクの身体を測り、ギルベルトが紙に書き付ける。
「ルドヴィクはまだ大きくなりそうかしら?」
「あと一回りくらいは大きくなるかな。母乳ではないからなんともいえないな」
「身体が小さくても元気ならいい」
「に!」
ギルベルトに撫でて貰い、ルドヴィクは嬉しそうに声を上げる。
「もうすぐおしめが外れるから、下着も要るわね」
「頼む。外套もだな。一年超えてからでもいいが」
大体一年でケットシーは成体になるのだ。ビーネを育てているので、マリアンもその辺りは承知している。
「必要になったらいつでも作るわ」
布見本を取り出し、マリアンがカウンターに広げた。
「柔らかい生地ならこの辺がお薦め。ルドヴィク、触ってみる?」
「に」
ぺたんとカウンターに座ったルドヴィクが、布見本を肉球で触る。その中の一つを、ペチペチと叩いた。
「にゃん」
「これが良い?」
「に!」
「ふふ、じゃあこれで作りましょうね」
マリアンは他にもズボンの布見本を取り出して、フィリーネとルドヴィクに選ばせた。
「靴は一歳過ぎてからの方がいいかもしれん。部屋履きを布地で作ってくれるか?」
カウンターに転がるルドヴィクの肢の先をエンデュミオンが摘まむ。太くて短め、というのはヴァルブルガ系の体格だ。
「そうね」
マリアンはギルベルトが書いたサイズ表に〈シャツ・ズボン・下着・部屋履き〉と書き加えた。
「明日の午後には届けるわ」
「とりあえず一組頼む。洗い替え用は後日でも良いから」
「ええ。妖精の服は可愛らしくて作るのが楽しいのよ」
マリアンも作業の手を止めていたアデリナも嬉しそうだ。ヨナタンが来てから、妖精の服はコボルト織が多い。珍しい布地に触れられるのが、仕立屋には堪らないらしい。
帰り際にギルベルトに抱き締められて大喜びのルドヴィクを毛布に包み直し、〈針と紡糸〉を出る。
エンデュミオンもしっかりギルベルトに抱き締められてから孝宏の元に戻っていた。ギルベルトがにこにこと前肢を広げて待っていたので、行かない訳にはいかなかったのだ。
ギルベルトは愛情深いケットシーだとフィリーネは思う。
エンデュミオンがケットシーに生まれ変わった後、元々の性格以上にひねくれずに過ごせていたのはギルベルトのお陰だろう。
「魔法使いギルドに寄って良いですか?」
「差し入れを持っていくんだろう?」
「はい」
おくるみのように毛布で包まれたルドヴィクは、中に行火を入れて貰っているのでご機嫌だ。
路地から市場広場を突っ切って歩く。今日は市場がない日なので、子供達が雪の中遊んでいる姿が見られる。
リグハーヴスの中では大きな建物になる冒険者ギルドの扉の棒状の持ち手を握り、「えいっ」と孝宏は力を込めて引いた。地面より数段分高い場所にあるからか、外開きなのだ。
ギッと軋む扉は孝宏には重い。
「こんにちは」
一応挨拶をして、フィリーネとカウンターの横の通路から隣の棟にある魔法使いギルドへ向かう。
明らかに冒険者ギルドの部外者と解る華奢な孝宏だが、腕に抱いているエンデュミオンが睨みを利かせているので、職員の人狼の女性が手を振ってくれる位で、ロビーにいる冒険者に絡まれる事はない。
魔法使いギルドのカウンターでは、クロエとヨルンが戻っていた。
「師匠お帰りですか?」
「帰るのは明日になったの。この子が憑いたから。ルドヴィクよ」
「るど!」
毛布の中から、元気よくルドヴィクが名乗る。
「あれ? アハトだった子ですよね?」
ヨルンはクーデルカに憑かれている為、アハトには会っていた。
「そうですよ」
孝宏が答えながら、エンデュミオンが〈時空鞄〉から出した紙袋をカウンターに乗せた。
「フラウ・フィリーネからの差し入れですよ」
「もしかしてガレット・デ・ロワですか?」
「ええ、忙しくて〈Langue de chat〉に行けないかもと思って」
「有難うございます。師匠」
クロエが嬉しげに紙袋を受け取った。彼女もフェーブを楽しみにしている一人なのだ。
「そろそろクーデルカ達も上がって来ると思いますから、お茶にしますよ」
ヨルンが地下への入口に目を向ける。
「魔法使いコボルトが補佐にいるって良いわよね。〈転移陣〉の管理も出来るなんて」
「一つだけ問題なのは、お客様がハイエルンと一瞬勘違いする事です」
「だから、私が来た時に『リグハーヴスにようこそ』って言ったのね」
「あの子達も学習したみたいです」
その場の全員が声に出さず笑ってしまう。
魔法使いコボルトが三人も待ち構えていれば、ハイエルンと間違われても仕方がない。しかし毎回間違われるのも飽きるので、先に言ってしまおうと考えたのだろう。
「来たついでなんだけど、ルドヴィクのギルドタグをお願いしたいの」
「すぐ作ります」
ヨルンが手際よく活字を拾い、刻印機に嵌め込んで、銀色のタグにルドヴィクの名前を打ち込む。裏側には主であるフィリーネの名前を打ち込み、長さを調節出来るように革紐を結び、フィリーネに手渡す。
「有難う」
「に」
すんすんとギルドタグの匂いを嗅ぐルドヴィクを撫で、フィリーネはギルドタグを外套のポケットにしまった。
〈Langue de chat〉に戻ったフィリーネは客室に案内された。
「夕食までゆっくりしてください」と、孝宏はエンデュミオンを置いて、夕食の仕込みに行ってしまった。
「今日はテオとルッツが配達仕事に行っているから静かでな。ヨナタンとシュネーバルは温室に行っているし」
エンデュミオンが建てた温室は、リグハーヴスに住む妖精達の遊び場になっているらしい。
うとうとしていたルドヴィクをベッドに寝かせ、傍に腰掛けたフィリーネの隣に、エンデュミオンもよじ登る。
「フィリーネ、最近の各領の状況を知っているか?」
「フィッツェンドルフは新領主になってから安定しています。ですが、いまだ新しい水竜は見付けていない模様です。ハイエルンはコボルト解放令を出してからの方が流通は良くなりましたね。コボルト産の製品が出回るようになりました。ヴァイツェアにも遊びに来るコボルトが居ますよ。ヴァイツェアは森林族が大多数だからか、変わらないですね。騒ぎになったのは、ヘア・イシュカの存在が解った時位ですよ。リグハーヴスについては、師匠が色々やらかし過ぎです」
「エンデュミオンが何かしたか?」
「リグハーヴス公爵の臣下でもない師匠が、領の為に動いていますからね。しかも〈黒き森〉が味方でしょう? 他の領としてはリグハーヴス公爵が羨ましいですよ」
「ふうん?」
エンデュミオンとしてはリグハーヴスを良くしないと、孝宏が苦労すると思っているだけである。
「だから師匠の主であるヘア・ヒロに注目は集まっていますよ。今年は大雪もあって王宮の新年祝賀会には出席されなかったでしょう? 皆残念がっていましたよ」
年明けにはリグハーヴスで大雪が降り、雪かきと炊き出しで疲れ切って、祝賀会を辞退したのである。
〈Langue de chat〉には〈異界渡り〉とヴァイツェアの第二位継承者と〈暁の旅団〉の継承者がいる。〈暁の旅団〉の族長ロルツィングの息子ユストゥスはまだ幼いので、いまだにテオが継承者なのだ。彼らと仲良くしたい準貴族たちは多いだろう。
「ヘア・ヒロの本は〈Langue de chat〉でしか借りれませんし。本を欲しがっている方も多いです」
「元々は製本見本だからなあ」
何しろ小さなルリユールなのだ。リグハーヴスで印刷機を持っているのは新聞社位である。
「ああ、でもそろそろリグハーヴス新聞に孝宏の書いたお話が載るぞ。フリッツとヴィムの話の連作短編だ」
「えっ、本当ですか!?」
フィリーネが目を輝かせた。
「ああ。フィーには送ってやろうと思っていたんだが」
「有難うございます。楽しみです」
各領の新聞は地域的な事と、他領での大きな出来事が載っている程度の物である。今年のリグハーヴス新聞は、孝宏の小説に加えて先見師ホーンの天気予報も載せるらしい。
ぴーぴーと鼻を鳴らしながら寝るルドヴィクを、フィリーネとエンデュミオンは覗き込んだ。
「……鼻、詰まっていませんよね」
「……大丈夫かな。苦しければ起きるだろう。ふふ」
エンデュミオンは思い出し笑いをした。
「何ですか?」
「ルドヴィクは孝宏の掌に乗るくらいの大きさでうちに来たのを思い出した。川魚が駄目でな、母乳も飲めずにいたからギルベルトが連れて来たんだ。里では暮らせないからな」
ケットシーの里での主食は川魚と果物類である。例え大きくなったとしても、ルドヴィクは里には戻せなかった。
「まあ、主が見付からなくてもうちで暮らせばいいと思っていたんだ。フィーが主なら安心だ」
「ケットシーを育てるのに、何か決まりはあるんですか?」
「そうだな、人の赤ん坊と変わらないかな。可愛がって、叱る時は叱って、一緒に食事や風呂をとって抱き締めてやればいいんじゃないか?」
妖精に美味しい物を食べさせるのは基本だぞ、とエンデュミオンが笑う。
「難しく考える事はないんだ。フィーとルドヴィクが幸せであればそれでいいんだ。エンデュミオンもそれが嬉しい」
そっとエンデュミオンはフィリーネの手の甲に肉球を乗せる。温かい前肢をフィリーネはもう片方の手で包み込んだ。形や大きさは違えども、フィリーネを育ててくれたのはこの手なのだ。
「ルドヴィクを立派に育てますね」
「ふむ。フィーが育てたら、ルドヴィクは大魔法使いになるかもしれないなあ」
エンデュミオンは冗談ともつかない事を零す。
フィリーネは弟子の数を制限されていないので、複数の弟子がいる。しかし、誠実な人柄であるという点以外は弟子をえり好みしていないので、今の所大魔法使いのみが行使出来る魔法を使える弟子は居ないのだ。主に、魔力量の問題で。
「それも面白いか」
ニヤリと笑うエンデュミオンは楽しそうだった。フィリーネとしては、エンデュミオンが楽しければいいか、と思う。ケットシーの大魔法使いがもう一人くらい現れても、黒森之國としては良いだろう。
黒森之國の〈柱〉はエンデュミオン一人である。補佐の〈柱〉はあるが、そこに魔力を注げる人員は限られる。それらを育てるのも、大魔法使いの仕事なのだ。
「ちゃー、まんまー」
もぞもぞと毛布を蹴りながら、ルドヴィクが寝言を呟く。
「言っておくが、ルドヴィクは食いしん坊だぞ。孝宏のご飯で育っているから、舌も肥えている」
「障壁を上げないでください、師匠」
「フィーのご飯も美味しいから大丈夫だ」
素材を焦がすエンデュミオンに代わって、ずっと食事を作っていたのはフィリーネなのである。
「たまにフィーのシチューを食べたくなるな」
「シチュー位、遊びに来てくれたら作りますよ」
「〈転移陣〉を経由せずに、部屋に直接行くか……」
エンデュミオンが魔法使いギルド本部に行くと、職員の魔法使いたちが色めき立つのが鬱陶しいのだろう。魔法使いにしてみれば、大魔法使いエンデュミオンは伝説の存在なのだから。
「好きに来てください。先に精霊便をくれれば、準備出来ますし」
「うむ」
こくりとエンデュミオンが頷く。そんな姿は可愛い鯖虎柄のケットシーだった。
翌日マリアンが届けてくれたシャツとズボンと、ヴァルブルガが編んだセーターを着たルドヴィクは、イシュカと孝宏に「いつでも遊びに来て良いんだよ」と念を押され、嬉し気にフィリーネに抱かれてヴァイツェアへと旅立った。
フィリーネの帰りの荷物は、子供用のベッドとか、おしめや着替え、玩具など結構な量になったろうなと思います。
一人で歩けるようになれば、〈転移〉でルドヴィクも遊びに来るようになります。
大魔法使いは聖属性以外の属性が使えて、最上級魔法をぶっぱなせる魔力があることが条件。
魔法ぶっ放して荒野にしたあと、それを緑の森に再生出来たりという、無茶苦茶な事をやれます。
大魔法使いが恐れられるのはその為。國を滅ぼす事も出来るからです。
黒森之國の人柱はエンデュミオンだけですが、他に魔法使いギルド本部、聖都、王宮の魔法使いの塔、ケットシーの里、ハイエルンのコボルトの里に補助的な柱になる場所があります。
エンデュミオンが王都からリグハーヴスに移って来ているので、魔力の多い名前持ちのルドヴィクがヴァイツェアに移動してつり合いが取れるかも。
エンデュミオンが〈柱〉だと、殆ど知られていません。いなくなると國の存続に関わるからです。