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フィリーネとガレット・デ・ロワ

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

季節のお菓子が出る時には、お知らせがいきます。

231フィリーネとガレット・デ・ロワ


 大魔法使い(マイスター)フィリーネは、大魔法使いエンデュミオンの養女である。

 エンデュミオンが生まれ変わってケットシーになっても、その関わりは変わりない。

 〈Langueラング de() chat(シャ)〉で季節のお菓子が登場する時は、エンデュミオンが精霊ジンニー便で知らせてくる。

 緑色のインクで書かれた文字は昔と同じで、あのケットシーの前肢で器用なものだと思うのだけれど、エンデュミオンに言わせるとヴァルブルガやゼクスナーゲルの方が遥かに器用なのだそうだ。

 ゼクスナーゲルと言うのは、最近リグハーヴスに来たと言うより、エンデュミオンとラルスが勧誘した錬金術師アルケミストグラッツェルのケットシーだ。

「ガレット・デ・ロワは年の始めのお菓子なのね」

 前に食べたのも雪のある時だった。

 王都や南のヴァイツェアで暮らした経験しかないフィリーネには、リグハーヴスの冬はとても寒い。

 外套を着て、ショールを肩と首に巻き付け、手袋もきちんとしてから、魔法使いギルド本部の〈転移陣〉からリグハーヴスの魔法使いギルドへ〈転移〉する。

 杖があればフィリーネ自身でも〈転移〉出来るが、リグハーヴスの魔法使いギルドにいるクロエやヨルンに挨拶をしたいので、〈転移陣〉経由で移動している。

こんにちはー(グーテンターク)

「リグハーヴスにようこそ」

「きょうははれてるよ」

 転移部屋にはコボルトが三人いた。南方コボルトが二人に北方コボルトが一人だ。フィリーネは南方コボルトのクヌートとクーデルカは知っていた。

「こんにちは。クヌートとクーデルカと、初めましての方ね?」

「ホーン!」

 小麦色の北方コボルトは名乗って、胸に下がっていた角笛ホーンをぱぷーと吹いた。コボルトには珍しい灰色の瞳は〈水晶眼〉だった。つまり先見師だ。

「私はフィリーネ」

「フィリーネは大魔法使いだよ!」

 クヌートがホーンに教える。ホーンは大魔法使いと聞いて首を傾げた。

「エンデュミオン?」

「エンデュミオンは私の師匠せんせいですよ」

「わう!」

 ホーンは灰色の瞳をきらきらさせて、フィリーネの手を小さな前肢で握った。

「ホーン、エンデュミオンにあいたくてリグハーヴスにきた」

「そうなんですか。遊びに行きましたか?」

「わう!」

 ぶんぶん尻尾を振っているので、会いに行っているらしい。

「今日はクロエとヨルンが忙しいからお手伝い」

「〈氷祭〉の打ち合わせだって」

 〈氷祭〉は氷の精霊(アイス)憑きである騎士団長マインラートの魔力解放を兼ねた祭である。魔力過多で放置すると命に関わる為、定期的に魔力解放するならと氷像を建てて祭を開催する運びになったらしい。

「あらら……」

 クロエを誘おうかと思っていたのだが、忙しそうだ。

 コボルト達に教えてくれた礼を言って、フィリーネは階段で魔法使いギルドへ上がる。

 冒険者ギルドより客が少ないからだろう。カウンターの上に持ち手の付いた鈴と、『ご用の方は鳴らしてください』と書いた札が置いてあった。

 ドアが閉まった応接室に人の気配がするので、会議中なのだろう。

 仕方がないので、フィリーネは一人で〈Langue de chat〉に行く事にした。クロエとヨルン、コボルト達には差し入れを買ってきてあげよう。

 魔法使いギルドから冒険者ギルドへ移動し、ギッと音を立てるドアを開ける。途端に、冷たい空気がフィリーネに刺さってくる。

「寒い……」

 リグハーヴスの真冬の空気は肌に痛いくらいに刺さる。そして黙っているとじわじわと足元からも冷えてくる。

 フィリーネは多少の雪でも平気なように履いてきた短めのブーツで引き締まった雪を踏みしめ、市場マルクト広場を進んだ。

 魔女ウィッチグレーテルの診療所の横にある路地を入り、次の十字路で右に曲がる。青銅の〈本を読むケットシー〉の看板があるのが〈Langue de chat〉だ。

 顔高の位置にステンドグラスの填まる緑色のドアをあけると、ドアベルが鳴った。

 ちりりん、りん。

「いらっしゃいませ、大魔法使いフィリーネ」

「こんにちは、親方マイスターイシュカ、ヘア・ヒロ」

 カウンターにはイシュカが居た。客席の茶器を片付けていた孝宏たかひろも顔を覗かせる。

「こんにちは、フラウ・フィリーネ。エンデュミオンは取り込み中で……中に入って貰っても良いですか?」

「ええ、構いませんよ」

 フィリーネはショールと外套を脱いで、片腕に掛けた。

 フィリーネがエンデュミオンに会いに来たのだと解っている孝宏が、茶器の乗った盆を持って先導する。

「エンディ、フラウ・フィリーネがいらしたよ」

「うむ。孝宏、駄目だ食べない」

 エンデュミオンはフィリーネを見て頷いたが、孝宏に話し掛けた。

「やっぱり駄目か。ルッツとギルベルトはこれでもいけたんだけどなあ」

 孝宏は汚れた茶器を台所に持っていきながらぼやいた。

「どうしたんですか?」

 エンデュミオンは硝子の小鉢と木匙を持っていた。小鉢の中にはシロップと角切りのゼリーと果物が入っている。

 そしてエンデュミオンの前には口を短い両前肢で押さえた黒白ハチワレのケットシーが、淡い黄緑色のおむつ姿で座っていた。ペシンペシンと肢と同じ位の太さと長さの尻尾を、ラグマットに打ち付けている。どうやらご機嫌斜めらしい。

 おむつもしているし、大きさからいってまだ子供のケットシーだ。シュネーバルより少し大きいくらいだろうか。フィリーネは初めて会う個体だった。

 アハト、と言う通り名だけは聞いていたが、赤ん坊のケットシーは余り人族には会わせないものなのだ。なぜなら、うっかり憑いてしまうと世話が大変だからだ。憑くと言うだけあって、憑かれた者が世話をしなければならない。だから、せめて普通食になるまでは、半ば隔離して育てる。

 その点〈Langue de chat〉は住人に妖精憑きしか居ないので、伸び伸びと育てられている方だろう。

妖精猫風邪ケットシーエッケルトン予防のミントゼリーだ。幼いとミントが苦手でな」

 先程ギルベルトの名前が出ていた気がするが、フィリーネは聞かなかった事にする。

「いつもはどうしていたんですか?」

「もっと細かくして林檎アプフェルのゼリーと混ぜてたんですよ。固形物を食べられるようになったので、大きくしたら駄目でした」

 苦笑いして孝宏が新しい小鉢を持ってきた。

「はい、ごめんねアハト。いつものゼリーだよ」

「に!」

 孝宏がゼリーを掬った匙を出すと、アハトは素直に口を開けた。

「仕方ない、これは後で食べ──フィー、食べるか?」

 やれやれと溜め息を吐いたエンデュミオンは、ふいに小鉢をフィリーネに差し出した。

「いいんですか?」

「普通のミントと林檎のゼリーだからな。ケットシーには妖精猫風邪の予防薬だが」

「頂きます」

 普通のと言うが、ゼリーを作ったのが孝宏なら美味しいだろう。

 ショールと外套をソファーに置き、ブーツを脱いでラグマットに座る。水の精霊(マイム)に頼んで手を洗ってから、小鉢と木匙を受け取った。

「綺麗なゼリーですね」

 そっと口に含むと、サイコロ大に切られた淡い色のゼリーは、柔らかく解けるとつるりと喉を通っていく。シロップは白葡萄のジュースだろう。

「美味しいですね」

「に!?」

 何故かアハトが驚いた顔でフィリーネを見ていた。

「アハトも大きくなれば食べられるかもしれませんよ?」

「いやあ、どうだろう……」

 エンデュミオンがそっと目を逸らす。ギルベルトを思い出したに違いない。

 孝宏はアハトにゼリーを食べさせ終わると台所に戻った。

「お茶とガレット・デ・ロワをご用意しますね」

「有難うございます。帰りに五つ差し入れ分をお願いしたいのですが」

「良いですよ」

 孝宏が切り分けられたガレット・デ・ロワをケーキ皿に乗せ、茶葉を入れたティーポットにヤカンからお湯を注ぐ。

「魔法使いギルドか?」

「はい。〈氷祭〉の打ち合わせで忙しそうで。クヌートとクーデルカとホーンが居ましたよ」

「遊びながら手伝っているんだろうな」

 コボルトも二人以上になると、下手な魔法使いより強い。

「ホーンは角笛の子ですか?」

「ああ。ちなみにあれは本物だぞ」

「え!?」

 さらりと重大な事を言われ、フィリーネは驚いた。

「あの吹き方じゃ三頭魔犬ケルベロスは出てこないから大丈夫だ」

「そうですか……」

 確かに、ぱぷーと気の抜けた音を出していた。

「に」

「どうしました?」

 アハトがラグマットに座るフィリーネの膝を肉球で叩いていた。

「登りたいんだろ」

 エンデュミオンの言葉通り、フィリーネの太腿の上にアハトがよじ登り、ころんと転がる。

「師匠より軽いですね」

「まだ子供だしな」

 毛並みが柔らかく、温かい。

「ふぃー」

「あら、名前を呼んでくれるんですか? では師匠の名前は?」

「でぃー」

「ヘア・ヒロは?」

「ちゃー」

 大抵自分の名前も他人の名前もフルネームで呼ぶ妖精フェアリー達だが、子供はそれに当てはまらないらしい。

「最近喋るようになってきたんだ」

 叡知があるケットシーだが、歩いたり話したりするのは、人族の子供と同じような成長過程だ。

「どうぞ。ソファーに座って下さい。脚痺れちゃいますよ」

「ええ、有難う」

 離れそうにないので、アハトを抱き上げてフィリーネはソファーに腰を下ろした。

 四角く切られたガレット・デ・ロワは模様のある表面が黄金色に焼けている。

「今回もシュネーバルにフェーブを入れて貰ったのでお楽しみに」

 孝宏が笑いながらティーカップにお茶を注いだ。

 幸運グリュック妖精フェアリーシュネーバルが入れたフェーブは、何故か何度食べに来ても同じ物が出ない。

「に!」

「食べますか?」

「少しなら大丈夫ですよ」

 孝宏に許可を貰ったので、少しアハトにも分ける。ティーカップに付いていた陶器のスプーンで、ガレット・デ・ロワの欠片を掬って与えると、はむはむと一生懸命咀嚼するのが可愛い。

「あ、フェーブ」

 コツ、とフォークの先に固い物が当たり、そっと掘り出す。コロンと出てきたのは、アハトに良く似た黒白ハチワレのケットシーのフェーブだった。

「洗ってきましょうか」と孝宏が、フェーブを綺麗にして布巾で拭いてきてくれた。

「ふふ、アハトに似てますね」

「に!」

 ぴこぴことフィリーネの膝の上で、アハトが跳ねる。

「そう言えば師匠、〈浮水ふすいの護符〉作ったんですか?」

「ああ。この間大雪が降った時にな。あれは雪でも使えるぞ」

「クロエから聞いたんですが、何処で手に入るのかと問い合わせがあるそうですよ」

地下迷宮ダンジョンに行けば素材は獲れるんだから、錬金術師に頼めば良いだろうに」

 孝宏に淹れて貰ったミルクティーを舐め、エンデュミオンが鼻を鳴らした。

「意外と作れる人が少ないらしいですよ。ヴァイツェアの錬金術師の話では」

「へえ?」

「錬金術師も魔法使いと同じで、一定以上の錬成については弟子にしか教えないんです。得意分野があるので、偏るみたいです」

「グラッツェルは普通に作っていたが……」

 しかも、とても速く。

「その錬金術師に、ヘア・グラッツェルの話も聞いてみましたが、彼の師匠は中級錬金術師でしたが、錬成レシピの収集家だったそうです」

「……それは聞いてなかったな」

 グラッツェルは師匠が集めた錬成レシピを引き継いでいる可能性が高い。

「いやあ、良い錬金術師を勧誘したな」

 ニヤリ、とエンデュミオンが笑った。またリグハーヴス公爵が悩みそうである。

「ところでフィー、今日は泊まって行くといい。イシュカに頼むから」

 ぽしぽしとエンデュミオンが頭を掻きながら言った。ぴょんと跳ねた毛を孝宏が後ろから撫で付ける。

「何故ですか?」

 フィリーネもアハトの頭を撫でながら訊いた。

「アハトがフィーに憑いたから、色々準備がいるだろう。フィーは料理が上手だから心配はないが、アハトは川魚が食べられないんだ。それに服も準備しないとならないし」

「……はい?」

「初対面でそれだけ懐かれてるんだぞ?」

 確かにすぐに膝に乗ってきたが。人懐こい子なのかと思っていたフィリーネである。

「良いんですか?」

「良いも悪いも決めるのはアハトだしなあ。ああ、名前も決めるんだぞ。アハトが選んだから、フィーは正しい名前が解る筈だ」

「もしかして名持ち妖精ですか?」

「ああ」

 名持ち妖精は生まれつき名前を持っている個体で、エンデュミオンもそうだった。正しい名前を着けて貰わないと、主と契約出来ないのだ。

「男の子ですよね?」

「ああ。頭に最後に残った名前が当たりだと思うぞ」

「男の子の名前……」

「まあヴァルブルガやカティンカみたいに関係なく着けられる妖精もいるが」

「師匠、難しくなるので範囲広げないで下さい」

「すまん」

 エンデュミオンは黙ってミルクティーのカップに向き直る。

 フィリーネは目を閉じて、様々な名前を頭に思い浮かべた。黒森之國くろもりのくにでは固有名詞は大体決まっているのだが、それなりに数が多い。さらに新しい名前を作っても、問題はないのだ。

 カチャカチャと孝宏が台所で洗い物をしている音が聞こえる。こういう家庭的な音を自分以外の人が立てているのを聞くのは、とんと久し振りだ。

 最終的に一つの名前が頭に残った。

「ルドヴィク」

「に! るど!」

 まだ自分の名前もきちんと言えないが、アハトの反応からして当たっていたようだ。

「ルドヴィクか。まずは服を作らねばな。もうすぐおむつは外れると思うが」

「むちゅ!」

 アハト改めルドヴィクがおむつを前肢で押さえた。出たらしい。

「最近はこうして教えてくれるしな」

 エンデュミオンはソファーの横にある蓋付きの籠からおしめを取り出した。

「おしめは尻尾に注意すればあとは人の子と同じだな」

「そうですね」

 エンデュミオンの養女になる前は孤児院にいたので、年下の子達の世話を手伝っていたフィリーネには慣れた手順だった。

「ルドヴィク、出る前に教えてくれると有難い」

「に!」

 汚れたおしめを水の精霊(マイム)木の精霊(エルム)に頼んで洗いながら、真面目腐った顔で言うエンデュミオンに、ルドヴィクが右前肢を挙げた。

「フィー、困った事があればうちに言って来ればいい」

「はい」

「ではこれから持っていく物の準備だな」

 キラリと黄緑色の目を光らせ、エンデュミオンが紙と万年筆を取り出した。

「服とベッドと玩具箱と……」

 持っていく物の一覧表を書き出し始めたエンデュミオンに、変わらないなあと思うフィリーネだった。


アハトに会っていた人たちは、既に妖精憑きかアハトは憑かないとエンデュミオンが確信した人です。

フィリーネは普段お店にだけ顔を出していたので、アハトには会っていませんでした。

アハトはマンチカンタイプで、手足短め。川魚アレルギーだけど、元気です。

川魚アレルギーなので、大きくなっても里に戻って暮らすのは難しかったアハトです(里の主食は川魚と果物類)。

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