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グラッツェルのお引越し(下)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

お引越ししました。


228グラッツェルのお引越し(下)


「かえってきたー」

 ぽんっと〈Langueラング de() chat(シャ)〉の居間に〈転移〉して、ゼクスナーゲルが両前肢を挙げた。

「お帰りなさい」

「お疲れさん」

 台所から孝宏たかひろとエンデュミオンが顔を出す。

「帰って来てすぐだが、家を見に行くか?」

「え、もう家が決まったのか?」

「ああ、アルフォンスに鍵を貰ってきたぞ。はい」

 エンデュミオンがグラッツェルに木札が付いた真鍮の鍵を渡してくれた。

「居間と水回りの他に三部屋ある小さな家だ」

「いや、充分だよ」

 今まで半地下の物置に暮らしていたのだ。新築の一軒家を貸して貰えるだけで夢のようだ。

「ところで家賃は幾らなんだい?」

「小さな一軒家だから月に銀貨三枚かな」

「王都では考えられないな……」

「リグハーヴスは小さな街だし、冒険者が多いからな。先にエンデュミオンが行って、鉱石暖房を点けておいたぞ」

有難う(ダンケ)、エンデュミオン」

 ちらりとグラッツェルはゼクスナーゲルに視線を向けた。灰色ハチワレのケットシーは、壁際に付いている平たい鉱石暖房の前で背中を暖めていた。王都が寒かったのだろう。

「あ、帰って来た? ゼクスナーゲル、靴下あげるの」

 廊下から居間に入ってきたヴァルブルガが、手に持っていた青い毛糸の靴下をゼクスナーゲルに渡した。

「おうちで履くといいの。靴、まだないでしょ?」

「はい。ありがと」

 ぺた、と床に座り、ゼクスナーゲルが器用に毛糸の靴下を履いた。

「あったかい」

 ふふ、と笑うゼクスナーゲルの頭を撫で、グラッツェルはエンデュミオンに訊いた。

「靴屋って、何処にあるかな」

「この通りにあるぞ。〈薬草ハーブ飴玉(ボンボン)〉からうちに来るまでの間に。靴の形の看板があるから解る。オイゲンの靴屋だ。エンデュミオン達の靴は皆そこで作って貰ってる」

「ゼクスの靴も作って貰おう」

「リグハーヴスは冬靴も要るからなあ。そもそも雪が深い時は、外に出たらエンデュミオン達は埋まるが」

「そんなに降るの!?」

「たまに一晩で降るぞ。そうなると街中で除雪だ」

 笑いながらエンデュミオンは話すが、笑い話ではない。

「さて、それじゃあ家まで送って行こうか」

「何か困った事や必要な物があったらいつでも言って下さい」

「有難う。助かるよ」

「ありがと」

 床に銀色の魔法陣マギラッドが広がり、次の瞬間まだ木の香りが残る家の中だった。

「あったかい」

 家の中は鉱石暖房がしっかり利いていて暖かかった。

「ここが居間だ。リグハーヴスは雪が降るから、普通の住宅は玄関のところに小部屋があるんだ。冷たい風が直接入らないようにな」

「へえ」

 テーブルと椅子が四脚と子供用の椅子が一脚、窓の下の壁沿いにベンチ式の物入れがあるだけの居間の隣に台所があり、食器棚には少ないものの食器や調理器具が入っていた。

「そうだ、これを後で食べると良い。明日の朝位までの量はあると思うから」

 エンデュミオンは作業台の脇にあった三本足の椅子に登り、台の上に鍋と大きなバスケット、おまけに紙袋一つを取り出した。

 ふわりと良い香りが鼻先に漂う。

「狂暴牛のシチューとベーグルサンドウィッチと、ロールパンだ。鍋はこの家のを持っていったから、返さなくて良いぞ」

 何だか聞きなれない物の名前も入っていたが、食べ物らしい。

「家の前の通りの数本向こうに商店通りがある。大抵の食べ物はそこで買えるぞ。パン屋は匂いで解るだろう」

「商店に近い場所なんだ」

「ああ。慣れないだろうしな」

 他にも家の中を見て回り、バスルームがある事や、既に新品のマットレスが置いてあるベッドに感激する。衣装箪笥の中には敷布や毛布、冬用の掛け布団まであった。

 グラッツェルの荷物も寝室に置いてあった。

「二階に二部屋あるから、物置と工房にするといい。〈魔法箱〉は片方の部屋に置いておいたぞ。グラッツェルとゼクスナーゲルしか物の出し入れが出来ないからな」

「本当に良いのか? 貴重な物なのに」

「良いんだ。練習用に適当に素材を入れといたから、使って練習すると良い。良いのが出来たら店に持って来い」

「何入れたんだよ……」

 怖い事を言わないで欲しい。

「ちゃんと札付けてあるから、研究してくれ。ではな」

 ポンッとエンデュミオンが姿を消す。

「ん、んー」

 鼻歌を歌いながら、背後でゼクスナーゲルが衣装箱の蓋を開けていた。開けた箱の中身が錬金術の道具だと知ると、一度二階へ登って行き、戻ってきてから衣装箱ごと〈転移〉する。

「エンデュミオンの〈まほうばこ〉あるへやにおいてきた」

「有難う」

 グラッツェルは外套を脱いで、衣装箪笥に掛けた後、ベッドマットに敷布を掛け、毛布と冬用の布団を重ねた。それから衣装箱の中の少ない服を衣装箪笥にしまう。

「はい」

 ゼクスナーゲルも〈時空鞄〉から買って貰った自分の服を取り出した。グラッツェルは受け取って、引き出しの一つに入れてやる。子供服が入っているような見た目に、思わず微笑んでしまった。


 エンデュミオンが置いていってくれた紙袋の中身は台所用と風呂用の石鹸類だった。浴布はあったが石鹸がないと、下見に来た時に気付いたのだろう。入浴剤も石鹸もラベンダーで、あの家で使っている物と同じだ。何処で買ったのか今度聞こう。

 白いホウロウの鍋の中身は茶色いソースで煮込まれたシチューだった。

 隣で椅子に登ったゼクスナーゲルがバスケットの蓋を開ける。バスケットの中には茶色い蝋紙に包まれた物が幾つかと、紙袋が入っている。

「おさかなのにおい」

「どれ」

 一つ蝋紙を剥いてみると、弾力のあるパンにクリームチーズとスモークサーモンと葉野菜、薄く切られた玉葱が挟まれていた。

「美味しそうだな」

「ねー」

 他にはローストビーフと玉葱を挟んだものと、柔らかい小振りなパンが入っていた。ベリーのジャムと蜂蜜玉の瓶、お茶と砂糖の缶まで。

「うわあ、こんなに……」

 あったばかりのグラッツェルにこんなにしてくれる人など、これまで居なかった。

 エンデュミオンだって代金も取らずに、素材をグラッツェルに預ける始末だ。

 ふに、と柔らかい物がグラッツェルの手の甲に当たる。ゼクスナーゲルが肉球をグラッツェルの手の甲に乗せていた。きらきらしたオレンジ色の瞳で、グラッツェルを見上げる。

「ごはん?」

 間違いなく、ゼクスナーゲルは食いしん坊だ。エンデュミオン達を見ていて気付いたが、成体のケットシーは子供一人分はしっかり食べる。

「シチューたっぷりあるし、遅めのお昼御飯食べようか」

「はいっ」

 手を洗い、食器棚から皿やカトラリーを取り出し、一度洗う。ヤカンも見付けてお湯を沸かす。白い素朴なティーポットとカップも見付け出した。

 二枚の皿にサンドウィッチを分け、コンロで温め直したシチューを深皿に注ぐ。

 料理を居間のテーブルに運んで、熱々の紅茶をティーポットに作り、食前の祈りを唱える。

「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」

「きょうのめぐみにっ」

 木匙でシチューを掬い、何度か吹き冷まして口に入れる。

「うわ、美味しい……」

「おいしー」

 口の中で狂暴牛の肉がほろほろ崩れる。馬鈴薯も人参も玉葱も甘い。

 サンドウィッチも、もちもちのパンが美味しくてお腹にたまる。

 ゼクスナーゲルはスモークサーモンがお気に召したようだ。

「ご飯食べたら買い物行ってこようかな」

「おそと?」

「寒いから今日は俺だけで行ってくるよ。靴と外套出来たら一緒に行こう」

「はい」

 ミルクのない紅茶に蜂蜜玉を入れ、ゼクスナーゲルは氷の精霊魔法(アイス)で飲み頃に冷ます。チラチラと小さい雪の結晶が見えた。

 ミルクも買って来なければ。

 食後に食器を洗って片付け、グラッツェルは外套を身に着けた。台所にあった買い物籠を手に取る。

「行ってくるね」

「いってらっしゃい」

 家を出てドアに鍵を掛ける。居間の窓から、ゼクスナーゲルが顔を見せて前肢を降っていた。窓の下にベンチ式の物入れがあったのを思い出す。あれに登ったのだろう。

 グラッツェルは手を振り返して、商店通りを目指した。

(パン屋は匂いで解るか)

 エンデュミオンに言われた方向に歩いていくと、香ばしい匂いがしてきた。確かに匂いがある場所にパン屋があった。

 〈ヴァイツェン(スフィアーツ)〉と言う名前のパン屋だった。売り場窓口の下にガラスが填まったパン置き場があって、見本にもなっている。売り場の背後の棚にもパンが置いてある。

「いらっしゃい。初めてね?」

「ええ。今日越してきたので」

右区レヒツのパン屋はうちだけよ。今日のパンはここにある種類なの」

 黒森之國くろもりのくにで一般的な黒パンと白パンの他、見慣れないパンがあった。ぐるぐると渦を巻いていて白いアイシングが掛かっている。

「これは?」

「これは甘いパンよ。うちの息子達が作ってるの。ナッツとシナモンと砂糖が巻き込まれているわ。お薦めよ」

 甘いパンならゼクスナーゲルが喜びそうだ。グラッツェルは黒パンを半分とシナモンロールパンを二つ買った。

「べてぃーな」

「あら、グラッフェン来たの?」

 ひょい、と売り場の女性──ベティーナと言うらしい──が屈んで抱き上げたのは鯖白のケットシーだった。

「お客さんだから、ここにいてね」

 ベティーナはカウンターの端にグラッフェンを乗せた。

こんちはー(グーテンターク)

「こんにちは」

 人懐こくグラッフェンが笑う。が、どうにも誰かに似ている。

「エンデュミオン……?」

「でぃー!」

「この子はエンデュミオンの弟なのよ。似てるわよね」

 ベティーナはグラッツェルの買い物籠に蝋紙で包んだパンを入れながら、あっさり答えを言ってくれた。

「本当に妖精が多いんですね」

「増えたわね。グラッフェンは大工の娘さんに憑いているのよ」

「えっだ!」

 グラッフェンのあるじはエッダと言う子らしい。そう言えば、ケットシーの髭の目録の中に、グラッフェンという名前の大工見習いが居たなと思い出す。この子の事だったらしい。柄までは書いてなかった。

「今日は連れていないんですが、俺にもケットシーが憑いていてゼクスナーゲルと言います」

「まあ、そうなの! 今度一緒に来て頂戴。楽しみにしているわ。うちには日替わりのパンもあるのよ」

 パンの代金を払う間に、グラッツェルはお薦めの肉屋と魚屋と八百屋とチーズ屋と香辛料屋の場所を教えて貰っていた。ベティーナのお喋りは無駄がない。

「ありがと」

「俺はグラッツェルだよ。名前似てるね」

「あいっ」

 エンデュミオンと違って桃色の肉球を振って見送られ、グラッツェルはアロイスの肉屋で肉と卵を、レーニのチーズ屋でチーズとミルクを買った。香辛料屋では砂糖と塩、胡椒や乾燥ハーブの小瓶を幾つか。オリーブ油も買った。乾燥ハーブは物によっては薬草店でも買える。それから八百屋で野菜も。

「重いし、一先ずこんなもんか」

 ゼクスナーゲルが居れば〈時空鞄〉があったのだが、寒がりなのに外套もなしで外に出したくない。

 ずっしり重くなった買い物籠と紙袋を持ち直し、グラッツェルは家路に着いた。

 薄暗くなり始めた空から、白い雪が降り始める。寒い筈だ。

 今晩は孝宏が作ってくれたシチューで間に合うが、明日からは自炊だ。グラッツェルは簡単な料理なら出来るが、ゼクスナーゲルが満足するかは不安だ。

「はー、寒いー」

 息が白く煙る。

 リグハーヴスで手袋は必要だと痛感する。指先が赤くなりチリチリする。

 帰ったら温かいお風呂に入りたい。ケットシーの里に温泉があったのだから、ゼクスナーゲルもお風呂に入るだろう。

「あ……」

 家が見える場所まで来て、グラッツェルは思わず立ち止まった。

 暗くなった通りで明かりの点いた家々の窓が、黄色く切り取られたように輝いていた。その中に一つ、三角耳のあるケットシーの影があった。

(ずっと待っていたのかな)

 まだ子供の年齢だと言うゼクスナーゲル。例え叡知があっても、寂しいものは寂しいだろう。

 ふと、ケットシーの影が動いた。前肢を振り、光の中から姿を消す。

 グラッツェルは急ぎ足で歩き、家の鍵を開けた。玄関ドアを開けて風除室の中に入り鍵を掛け直す。

 靴の雪を落として居間へのドアをそっと開けた。勢い良く開けると、危険な気がして。

「ただいま」

「おかえりー」

 果たしてドアの前にゼクスナーゲルが待っていた。先程姿を消したのは、グラッツェルが帰ってくるのを見付けたからだろう。

 グラッツェルは買い物籠と紙袋を床に置き、跪いてゼクスナーゲルを抱き締めた。

 何だこの愛しい生き物は。

「グラッツェル、ひえひえ」

「うん、寒かったよ。ゼクスは外出なくて良かったよ」

「グラッツェル、おふろはいる?」

「ゼクスも一緒に入ろうか」

「はいっ」

 ぎゅうとゼクスナーゲルがグラッツェルにしがみついてくる。

「ベッド一つだし、一緒に寝るか」

「はいっ」

 柔らかくて暖かくて愛しい。ケットシーは居てくれるだけでも癒される。

 エンデュミオンはグラッツェルの寂しさに気付いていたのかもしれない。グラッツェルにケットシーが憑くと確信していたから、里に連れていったのだろう。

 きっとケットシーも寂しがり屋なのだ。

「外套と靴を作って貰ったら、暖かくしてお散歩行こうな。街の中に妖精が結構いるみたいだよ」

「はいっ」

「それから、パン屋で美味しそうな甘いパンがあったから買ってきたよ」

「あまいパン」

 ゼクスナーゲルの瞳が期待に輝いた。やはり食いしん坊だ。

「夕御飯の時におやつとして食べようか」

「はいっ」

「買った物片付けたらお風呂にしよう」

「おふろー」

 立ち上がり買い物籠と紙袋を持って台所に向かうグラッツェルの後ろから、ゼクスナーゲルがとことこ追い掛けて来る。堪らなく可愛い。

 年の瀬に思いがけずに大量の幸福がやって来た。幸せ過ぎて少し怖いが、エンデュミオンにそう言ったら、笑い飛ばされそうだった。

 それでも確認したくなる。

「ゼクスナーゲル、幸せ?」

「しあわせー」

 ふふ、とゼクスナーゲルが笑う。

 ゼクスナーゲルが幸せなら良いか。答えは単純だった。

「俺も幸せだよ」

 グラッツェルは笑ってゼクスナーゲルの頭を撫でた。


エンデュミオン達の親切が本当に嬉しかったグラッツェルです。

グラッツェルは人生の幸福使い果たしたんじゃないかと不安になっていますが、エンデュミオンなら「今まで使ってなかった分を一寸使った位だろ」って思うかも。


基本的に徒弟に出る子供は口減らしの為に家を出ます。

グラッツェルも子供の頃から徒弟になっていますので、まだ若いのです。

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