グラッツェルのお引越し(上)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
グラッツェルが引っ越し準備を始めます。
226グラッツェルのお引越し(上)
くつくつと煮える汁粉の鍋の火を止め、孝宏は木竜グリューネヴァルトと火蜥蜴のミヒェルに話し掛けた。
「戻って来ないね」
「んー、ケットシーの里に行ってるかも」
「きゅきゅ」
作業台の上に居たミヒェルとグリューネヴァルトは、少し辺りを探ってから答えた。〈Langue de chat〉を守護している二人には、敷地内の事は解るのだ。
「そっか。ルッツ達にそろそろおやつだって言ってくるよ。アハト、良い子にしててね」
「に!」
アハトをミヒェルとグリューネヴァルトに預け、孝宏は大判のショールを肩から巻いて、一階の台所横のドアから裏庭に出た。
裏庭は雪で覆われているが、煉瓦道はミヒェルが魔方陣を描き、雪が溶けている。火蜥蜴ロードヒーティングだ。
温室に入り、すぐに広場へ向かう。広場には毛布の上に転がる年少組妖精達しかいなかった。
「ちゃかひろ!」
孝宏に気付いたシュネーバルが、ちょこちょこと走ってきて脚に抱き付く。
「いっぱい走ったの?」
「う!」
ぶんぶんと尻尾を振ってシュネーバルが笑う。
今日は夜にぐっすり寝てくれそうだ。その前に昼寝しそうだが。
「ルッツ、ヨナタン。エンデュミオン達は?」
「ケットシーのさとにいったよ!」
ミヒェルの言った通りだった。
「そろそろおやつなんだけどな」
十時と三時に軽いおやつがあるのだ。
「おやつなに?」
「お汁粉だよ。白玉団子と栗の甘露煮入ってるの」
「くり! くーり、くーり!」
栗好きなルッツが歌いだす。
「白玉団子にはカボチャ練り込んだ黄色い団子もあるよ」
「それ、おいしい……」
「うー」
白玉団子のもちもち食感が好きな、ヨナタンとシュネーバルの口元がじわりと濡れる。
汁粉の中に入れるのが白玉団子なのは、餅を入れると年少組が大惨事になりそうだからだ。
「賑やかだな。孝宏も来ていたのか」
「あ、お帰りなさい」
カサカサと音を立てて、エンデュミオンが繁みの間の小道を抜けてきた。灰色のハチワレケットシーと前肢を繋いで。その後ろからグラッツェルが歩いてくる。
「ヘア・グラッツェルに憑いたんですか?」
「そうなんだ」
グラッツェルが灰色のハチワレケットシーの頭を撫でる。
「ゼクスナーゲル!」
「塔ノ守孝宏だよ」
エンデュミオンと繋いでいなかった右前肢を挙げたゼクスナーゲルに、孝宏も右手を軽く挙げた。
「んん、ヘミングウェイの猫?」
ゼクスナーゲルの指が六本あった。
「ヘミングウェイ?」
エンデュミオンが首を傾げる。
「俺が居た世界の小説家の名前なんだけど、六本指の猫と暮らしてたんだ。六本指の猫は凄く器用なんだって」
「ほう。六本指のケットシーも器用だぞ」
「ゼクスナーゲルって、ヴァルブルガに似てる?」
「ああ、血族だからな。従兄弟位かな」
孝宏がゼクスナーゲルの頭を撫でると、もっとと頭を押し付けてきた。可愛い。ヴァルブルガよりも若そうだ。
「うー、ふかふか」
シュネーバルがゼクスナーゲルをきらきらした眼差しで見ていた。小さな前肢がうずうずしている。このふかふか毛ソムリエは、ゼクスナーゲルの柔らかそうな胸毛が気になるらしい。
「しゅねーばる、ぜくしゅなーげる、ぎゅっしたい」
「ぎゅ?」
「シュネーバルはふかふかしたものが好きなんだ。だからまあ、抱き締めてやってくれると喜ぶ」
エンデュミオンが既に慣れた説明をする。
シュネーバルは動物型妖精に会うと、毎回抱き付いている。妖精は子供の妖精を大切にするので、皆嫌がらずにシュネーバルの好きにさせてくれる。
「はい、ぎゅー」
ゼクスナーゲルも快くシュネーバルを抱き締めた。ふかふかの毛に頬を埋めて、幸せそうなシュネーバルを見ると孝宏も嬉しい。こうやって抱き締められる事で、貰い損ねていた愛情を今貰っているような気がするからだ。
「ありがと」
「シュネーバル、いいこ」
ゼクスナーゲルに頭を撫でて貰い、シュネーバルが笑う。それから孝宏の元へ戻ってきた。
「良かったね」
「う!」
シュネーバルはするすると孝宏のGパンを伝って身体を登り、腕の中に収まる。
「エンデュミオン、皆をおやつに呼びに来たんだよ。お汁粉だよ」
「やった!」
エンデュミオンが歓喜に跳び上がる。
「おしるこ?」
こて、と首を傾げたゼクスナーゲルにエンデュミオンが力説する。
「ゼクスナーゲル、お汁粉とは小豆という豆を甘く煮た汁物だ。孝宏のお汁粉は白玉団子が入っている。とても良いものだ」
「あまいおまめ?」
「黒森之國では豆を甘く煮ないからなあ」
グラッツェルも不思議そうな顔だ。
「小豆は甘く煮ても美味しい豆の一つですよ」
孝宏は芝生に敷いていた毛布を畳むのを手伝い、エンデュミオン達が外套を着るのを待った。それからぞろぞろと温室から外に出る。
「さむい」
グラッツェルの外套の胸元から顔を出したゼクスナーゲルが耳を伏せた。春の陽気のケットシーの里に慣れていれば、確かに寒いだろう。
「すぐおうちだよー」
ルッツが台所の下側のドアを開けて入っていくが、それだと妖精達しか入れないので孝宏が上側のドアを開けた。
暖かい空気に包まれ、ほっとしながら台所と居間を抜けて二階に上がる。途中店を覗いたが、忙しくはなさそうでカウンターの内側に居たテオがルッツに手を振った。
テオと離れたがらないルッツだが、家の中にテオが居れば温室に遊びに出るのだ。
「お帰り」
「ただいま、テオー」
ルッツがテオに抱き付く。
「テオ、おやつだよ」
「俺、店番してるから食べておいで」
「いっしょにたべないの?」
残念だったらしく、ルッツの耳と尻尾がへにょりと垂れた。
「テオ、おやつ持ってくるよ。そうしたらルッツと一緒に食べられるでしょ」
「有難う」
「にゃん」
ルッツは嬉しかったのか、バレエダンサーのように片肢でくるくると回っていた。相変わらず身体能力が高い。
階段で二階に上がり、孝宏は手を洗って汁粉を温め直した。作っておいた白玉団子と栗の甘露煮をカフェオレボウルサイズの器に入れ、上から汁粉を注ぐ。食べるのは木匙でだ。
「熱いから気を付けてね」
二階に居た面々の分をテーブルに置き、五人分の汁粉を盆に載せて一階に運ぶ。イシュカとカチヤとヴァルブルガの分は一階の居間へ、テオとルッツの分は店内の〈予約席〉へ。
空になった盆を持ち、孝宏はイシュカの工房に顔を出した。
「イシュカ、おやつ居間に置いたよ」
「有難う。休憩にするよ」
紙を糸で綴じていたイシュカとカチヤが揃って伸びをする。師弟は似てくるのかもしれない。
窓際の椅子にはヴァルブルガが居て編み物をしていた。
「ヴァルの分も下に持ってきたけど、二階にゼクス居るよ」
「ゼクス? 灰色ハチワレの子?」
「そうそう。ヘア・グラッツェルに憑いたんだって。服のサイズ、ヴァルので良いかなあ」
孝宏達が服を作って貰っている〈針と紡糸〉には、予備の服が作りおきされているのだ。既製品が殆どないので、急に必要な時に困るからだ。
「多分。おやつ食べたら、〈針と紡糸〉に連れていくの」
「うん、お願い」
主を持った妖精はフリーの妖精との区別の為、服を着るのだ。子供サイズの妖精の服はオーダーメイドになってしまう。しかし、エンデュミオン達のおかげで、大きさがまちまちな妖精服が作りおかれているので、多少の手直しをすれば直ぐに着られる事が多い。
孝宏は二階の台所に戻って、グラッツェルにその旨伝えた。
「何処で作ってるのか聞こうと思ってたんで助かるよ」
「〈針と紡糸〉にはギルベルトが居ますよ」
「ギル──元王様ケットシー?」
「そうです。おっきいですよ、ギル」
抱きつかれるとお腹辺りにギルベルトの頭が来る。襟元の白い毛がゴージャスなケットシーだ。
「に!」
「冷めたかな? アハトあーん。良く噛んでね」
小さくした白玉団子を小豆と一緒にアハトの口の中に入れてやる。む、む、と真剣に白玉団子を噛むアハトの隣では、エンデュミオンが尻尾をピンと立てたまま汁粉を食べている。
「エンデュミオンは三時のおやつもこれがいい」
「まだ沢山あるから、ギルとラルス呼べるよ」
「うん。ゼクスナーゲル、美味しいか?」
「おいしい。あまい」
ゼクスナーゲルも太い尻尾を立てていた。ケットシーの里では果物がおやつの主流なので、加工した物は珍しがられるのだ。
グラッツェルも「面白い」と言いながら、完食していた。
「さて、領主へ部屋の用意をして貰うのはエンデュミオンが頼んでおこう。挨拶は後でも大丈夫だ。グラッツェルは王都に戻ってからゼクスナーゲルを喚べばいい。帰りはゼクスナーゲルに〈Langue de chat〉に〈転移〉して貰え」
ケットシーは行った場所でないと正確に〈転移〉出来ないのでそうなる。
「ゼクスナーゲルを喚ぶのは、〈転移陣〉で王都に行って、ギルドの異動手続きしてからかな」
「その間にヴァルブルガとゼクスナーゲルが〈針と紡糸〉に行けばいいかな」
「そうだな」
孝宏が淹れた甘くないお茶を飲み、エンデュミオンとグラッツェルが椅子から立ち上がった。
「グラッツェルを魔法使いギルドまで送ってから、領主館へ行くか」
「待って、お土産のクッキー詰めるから」
「うん」
「たかひろ、はい」
お土産のクッキーを用意しようとした孝宏に、ゼクスナーゲルが〈時空鞄〉から四角い蓋付きの籠を取り出した。十五センチ四方の籠で、極細の蔦のような素材で編まれている。
「使っていいの?」
「はい」
「有難う。とても上手に編まれてるね。きっと領主様も吃驚するよ」
「ふふ」
目を細めてゼクスナーゲルが笑った。笑い方がヴァルブルガと似ていた。
籠の中に薄い紙を敷いてクッキーと和三盆を詰めて蓋をする。先日の教会バザーで詰め合わせに使った物の残りだ。
詰める作業途中で、口を開けて待っているケットシーとコボルトに、和三盆をあげたりする。真似して口を開けるゼクスナーゲルが可愛い。
ゼクスナーゲルにもう一つ籠を出して貰い、おやつにクッキーと和三盆を詰めてあげた。
「では行ってくる」
「気を付けてね。いってらっしゃい」
そうしてエンデュミオンとグラッツェルは〈転移〉した。
「ではまた後でな」
「送ってくれて、有難う」
エンデュミオンはグラッツェルを魔法使いギルドに送り届け、そこから領主館へ〈転移〉した。
時間的にアルフォンスが居そうな執務室に〈転移〉すると、部屋の主はカティンカを膝に執務机に向かっていた。
「今、いいか? アルフォンス」
「エンデュミオンか。魔力入りの飴の話でもしに来たのか?」
「あれはラルスのところで薬として売る事になったぞ」
エンデュミオン自身はおやつとして作っていたのだが、ラルスに〈薬草と飴玉〉でも売りたいと言われ卸している。と言うか、時々作りに行く事になった。
「魔力枯渇症は難儀な病だから、手頃な値段の魔力回復薬は有難い。他の領からも患者が来ているようだ」
「治療しなければ寝たきりになりかねないからなあ。程度にもよるが、何度かヴァルブルガの治療を受ければ治るだろう」
魔力枯渇症は不治の病扱いされていたのだ。しかも魔力回復薬はとても高い。エンデュミオンの飴は、応急措置となる魔力回復薬として非常に喜ばれた。
「そうだ。ほらカティンカ、お土産だ」
「あ、ありがと」
エンデュミオンは籠に入ったお菓子を、アルフォンスの膝の上に居るカティンカに渡した。
「蓋付きの籠か。上等な細工だな」
「中のお菓子を食べたら、小物入れにすればいい。今日来たのは小さくてもいいから家を一軒都合してくれないかと思ってな」
「……今度は何をした?」
「悪い事はしてないぞ」
「エンデュミオンは何かをした後で説明に来るから……」
溜め息を吐きながら、アルフォンスはカティンカを抱き上げ、執務机からソファーに移動した。なんだかすっかりカティンカはアルフォンスに懐いたようだ。
アルフォンスは気付いていないかもしれないが、カティンカはそっと気苦労の多いアルフォンスの身体を癒していた。カティンカが来てからの方がアルフォンスの顔色が良い。
気苦労の一つがエンデュミオンでもあるのだが、孝宏以外の言う事は聞かない自由なケットシーなので、アルフォンスも半ば諦めているようだ。
孝宏が暮らすリグハーヴスを守護する意思があると聞かされているだけ、実は他の領主よりは安全を確保されているのだが。
「よいせ」
エンデュミオンもアルフォンスの向かいのソファーによじ登る。
「いらっしゃいませ、エンデュミオン」
執務室の隣にある部屋から、クラウスがお茶を運んできた。蓋を開けようとしているカティンカから、籠を受け取り蓋を開けてやる動きにも無駄がない。
「さあ、話して貰おうか」
「ラルスが〈エンデュミオンの滴〉を店で売るようになってから、王都から錬金術師が来るようになったんだ。それで昨日来た錬金術師グラッツェルが面白かったから、リグハーヴスに勧誘した」
「確かにリグハーヴスには錬金術師が居ないが。薬を作るのか?」
エンデュミオンは首を左右に振った。
「いや作れない訳ではないだろうが、グラッツェルは護符が得意なんだそうだ。まだ下級錬金術師だが、直ぐに上級になるんじゃないかな。それで一寸ケットシーの里に連れていってみたら、ゼクスナーゲルが憑いた」
「ゼクスナーゲル?」
「六本指なんだ。その籠を編んだのもゼクスナーゲルだ。ヴァルブルガの血族なんだ」
「それで家か」
漸くアルフォンスも納得出来たようだ。最早誰かにケットシーが憑いても驚かなくなった。
「空いている家はあるかな? グラッツェルはリグハーヴスの妖精達の専属錬金術師になるから、小さくてもちゃんとした家がいい」
「雪が降るリグハーヴスで適当に建てられた家はないが──専属?」
アルフォンスは聞き逃さなかった。
「妖精だって素材を渡す錬金術師は選ぶ。市場に出ている妖精素材は落ちている物か、交渉した物だけだ。直接取引した方が、誰のどんな職業の妖精から貰ったか解るから、良い物が作れるんだ」
妖精を討伐すれば呪われる。だから通常は落ちている素材か、主がいる妖精と交渉する。〈黒き森〉まで来る者は少ない。
「エンデュミオンとラルスのお墨付きの錬金術師だと言えば大丈夫か?」
「成程。護符は何処で売るんだ?」
「〈Langue de chat〉かな。リグハーヴスに護符を売っている店はないし。グラッツェルがもし薬を作ったら、〈薬草と飴玉〉に卸すと思う」
「〈Langue de chat〉の雑貨棚に護符か……」
「シュネーバルの栞も護符みたいな物だぞ。〈幸運〉が必ず付与しているから」
持っているとちょっぴり幸運になれるのだ。
「そう言われると納得せざるを得ないんだがな。クラウス、街の住宅地図を持ってきてくれ」
「はい、御前」
クラウスが執務室にある扉付きの書棚から、大きな紙を丸めたものを持ってきて、テーブルの空いている場所とソファーに広げる。
「新しく建てた所で、商店通りにもそれなりに近いのはここだな。二人ならこの家はどうだ?」
「二階建てで、居間や水回りの他に三部屋あります。寝室と工房、物置と使うには良いと思います」
クラウスがエンデュミオンに詳しく教えてくれる。
「箪笥やベッド、最低限の調理器具や食器類は備え付けですよ」
「うん、それは助かる。ではここで」
「カティンカ、この家の鍵を出しておくれ」
「ああい」
どれを食べるか迷っていたお菓子の籠をアルフォンスに持って貰い、カティンカは地図に赤字で書いてあった家の番号が彫られた木札が付いた、真新しい真鍮の鍵を〈時空鞄〉から取り出した。
「カティンカに預けているのか」
「安全だろう?」
確かに。しかし他の人に憑いているケットシーを、金庫代わりにするとは思わなかったエンデュミオンである。
「ではこれをヘア・グラッツェルに渡してくれ。錬金術師なら魔法使いギルドが代行ギルドか」
「そうだな」
人数が少ない職種は、他のギルドが代行して、王都のギルドに報告してくれるのだ。
家の鍵を受け取り〈時空鞄〉にしまいこみ、エンデュミオンは飲み頃になっていたミルクティーのカップを両前肢で持ち上げ舐めた。
「美味い」
今日はエンデュミオン好みの茶葉で淹れてくれたらしい。
「カティンカ、好きなのを食べると良い。残ったら、エルゼに持っておいき」
「ああい」
カティンカは黄緑色の蔦の葉の形をした和三盆を、ちょんちょんと前肢の先で突いた。自分では摘まみ取れないらしい。
「これか?」
アルフォンスが摘まんで、カティンカの口に入れてやる。
「んんー」
和三盆の甘さにカティンカが頬を押さえた。くるくると巻いたしっぽが揺れるのは、コボルトっぽい。
これだけ可愛がられていれば、アルフォンスの体調不良を定期的に治しもするだろう。ケットシーは恩を恩で返す。
「グラッツェルとゼクスナーゲルの引っ越しが終わったら挨拶に来させるから」
お茶を綺麗に舐め終えたエンデュミオンはそう約束して、領主館を辞したのだった。
知らない内に、カティンカからオートヒールを受けているアルフォンスです。以前より健康に。
アルフォンスは息子ヴォルフラムとヴォルフラムのケットシーのビーネもとても可愛がっていますよ。