錬金術師と妖精の髭
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
リグハーヴスに錬金術師グラッツェルがやってきます。
224錬金術師と妖精の髭
「大変だ、新しい魔力回復薬が出たぞ!」と錬金術師ギルドに男が駆け込んで来た時、グラッツェルは納品を終えて帰ろうとした所だった。
魔力回復薬は素材が希少であり、素材を集めるのに掛かる経費を上乗せされる為、とても高価だ。
薬草師が作る魔力回復薬の方が安いのは、彼らがほぼ専属の薬草採取師と取引しているからだろう。
錬金術師と薬草師ではレシピも異なる。どちらの方が効果が高いのかは、制作者の腕によるだろう。
「リグハーヴスの薬草魔女の店に売っていたが、銅貨五枚だった」
「銅貨五枚!?」
男の言葉にギルドに居た錬金術師達がどよめく。
「理由が楓の樹蜜を使った飴だかららしい」
「飴!?」
確かに男の手には琥珀色の飴玉の入った小瓶が握られていた。小瓶の少し括れた首には札が紐で結び付けられている。グラッツェルは微かに目を細めて、飾り文字で書かれた薬の名を読み取った。
「〈エンデュミオンの滴〉……?」
エンデュミオンと言えば大魔法使いエンデュミオンしか思い付かない。随分と大層な名前を着けたものだ。
「本当に効果があるのか?」
「騙されたんじゃないのかよ」
「誰か試せよ!」
騒がしくなってきたギルドを、グラッツェルはそっと抜け出した。
エンデュミオンの名前を使った薬が偽物の訳はない。そんな恐ろしい事をやれる者がいるなら別だが。
錬金術師でも薬の作成を得意とする者もいるが、グラッツェルは装身具の形をした護符の方が得意だ。
素材を依頼したりするから、顔馴染みの冒険者も居る。確かめるのなら、リグハーヴスの地下迷宮に入る冒険者に聞いた方が早いだろう。
寒風が吹き付ける中、首巻きを巻き直し、うっすら積もった雪の中を冒険者ギルドに向かう。ここの売店で素材を良く買うから、顔馴染みだ。
「こんにちは」
「いらっしゃい、ヘア・グラッツェル」
冒険者ギルドの売店に居る女性職員メラニーに声を掛けると、グラッツェルは声を潜めた。
「リグハーヴスで新しい魔力回復薬が出たって聞いたけど」
「ええ、そうらしいわ。〈薬草と飴玉〉で数量限定で売っているそうよ。魔力枯渇症の患者の為に作っているそうだから。それに今は地下迷宮が閉鎖中だしね」
「レシピは?」
「非公開ね。中にはレシピを公開するべきだと迫った人もいるようだけど、呪われたわ」
「呪われた……!?」
「リグハーヴスの〈薬草と飴玉〉に居る薬草師はケットシーなのよ」
街住みの妖精が増えているとは噂になっていたが、ケットシーが店員とは。
「必要な者には売ってくれるけど、冷やかしで行っても売ってくれないそうよ。だから今、リグハーヴスには魔力枯渇症の患者や家族が押し掛けてるわ。街の魔女の診察を受けて、魔力回復薬を処方されても半銀貨二枚以内なんですもの。王都じゃ考えられない金額よ」
黒森之國では領ごとに診察代や薬代が違うのだ。王都では周りの領から薬草等を仕入れなければならず、価格は上がる。診療所に関しては王都で開業している方が一段上と見なされ、診察費も高い。家賃も高いからだ。
リグハーヴスは〈黒き森〉で薬草が採取される上、それほど裕福ではない冒険者が集う街である。診察代は彼らが支払える金額で抑えられていた。
「王都で高い金を払うくらいなら、〈転移陣〉を使った方が安いのか」
「そう言う事ね」
王都の薬が高くて買えない病人が、リグハーヴスに流れていっている構図は、近い内に問題になるだろう。どこよりも医師も魔女も薬草師も錬金術師も多い王都が、自領で患者を治せずに流出させているのだから。
グラッツェルはメラニーに話を聞かせて貰った礼を言い、冒険者ギルドを出た。
「うーん」
錬金術師としては新しい魔力回復薬が気になる。下手をするとケットシーに呪われるのは困るが。それでなくとも、リグハーヴスは噂に事欠かないのだ。
〈黒き森〉からケットシーが来ているだの、コボルトがハイエルンから移住しているだの、竜を見たと言う者すらいる。王都では竜騎士のみが竜を所有しているので、訓練の時以外は領民が見られる環境にない。
妖精も竜も、錬金術師には貴重な素材である。昔とは違い、討伐等と言う荒っぽい事はやらない。命が惜しいし、戦意がなければ話が通じるし、落ちた鱗や髭が充分素材になるのだ。
王都では妖精とすら、まず遭遇したりしない。主憑きの妖精もいるのだろうが、しっかりと守られているのだ。
抜けた髭が錬金術師ギルドに卸されても、グラッツェルの手に入る前にギルド上層部にコネがある錬金術師に回されている。なにしろ希少だから、そう言った素材を使う依頼すら、限定した錬金術師しか受けられない。貴重過ぎる素材なので、高位錬金術師にしか渡らないとも言う。
(でもなー、作ってみない事には上達しないよなあ)
悩み処はそこである。
グラッツェルは毛先が白っぽい金色の髪をがしがしとかき回し、溜め息を吐いた。
師匠の元から独立して数年経つが、グラッツェルは下位錬金術師のままだ。中位や高位として認められる為の依頼を受けるには、素材を持っていなければならないが、その素材が手に入らない。
王都では高名な錬金術師を師匠にした者でなければ、昇級出来ない構図が固定化されていた。生憎、グラッツェルの師匠は中位錬金術師だった。中位とは言え、知識も技術も素晴らしい錬金術師だったが、高位に上がる為の素材を手に入れられなかったのだ。そういう錬金術師は王都に沢山いる。
「……行くか、リグハーヴス」
取り敢えず、財布には〈転移陣〉でリグハーヴスと王都を往復しても余る位の金はある。先程、作った護符を納品してきたばかりなので懐は暖かい。
グラッツェルはそのまま真っ直ぐ魔法使いギルドに向かい、リグハーヴスへの〈転移陣〉使用を申し込んだのだった。
「いらっしゃーい」
「今日は寒いよー」
リグハーヴスに着いた途端、目の前に黒褐色のコボルトが二人いた。
「ここはハイエルンか!?」
「リグハーヴスだよ!」
「クヌートとクーデルカはお手伝いだよ!」
「……何だここは夢の國か……」
希少素材を持つ妖精が二人も目の前にいるなんて。思わずグラッツェルは二人の前にしゃがみこんだ。
「俺は錬金術師グラッツェル。突然ですまないが、要らない落ち髭持ってないかな?」
コボルト二人は顔を見合せてから答えた。
「あるよー」
「護符作るの?」
「ああ。何本か売ってくれないかな。魔法使いギルドでも冒険者ギルドでも、錬金術師グラッツェル宛で預けてくれたら適正価格で買い取るから、君達の主にも聞いてみてくれる?」
「いいよー」
「あとでヨルン達に聞いてみるね」
「頼むよ」
幾ら純朴そうなコボルトでも、ただで貰おうとする気はないグラッツェルだ。売れば金になる物なのだから、それは当然だと思う。
「それと〈薬草と飴玉〉ってどの辺りにあるかな」
「市場広場に出たら、右区……左手側に入ってね」
「一本目の路地を北側に歩いて行くと、薬瓶の看板があるお店あるから」
良く似たコボルトが交互に教えてくれる。
「有難う、助かったよ。えーと、名前はクヌートとクーデルカだっけ?」
「耳の先が白いのがクーデルカだよ」
「黒いのがクヌートだよ。階段上るとギルドに行けるよ。そっちの坂から出るとすぐ外だよ」
「ギルド通って行こうかな。じゃあね」
前肢を振る二人に見送られ、グラッツェルは石造りの階段を上がった。
「こんにちは。リグハーヴスへようこそ」
カウンターには魔法使いの上着を着た青年が居た。
「こんにちは。錬金術師グラッツェルです」
リグハーヴスに初めて来たので、挨拶をしておく。街中を歩き回るので、不審者だと思われたくない。
「錬金術師と言うと〈薬草と飴玉〉ですか?」
「そこにも寄りたいと思っているんですが、素材探しもしてまして。もしかしてヘア・ヨルンですか?」
「はい、そうですよ」
「〈転移〉部屋で、クヌートとクーデルカに教えてもらったんです。あの子達の落ち髭を譲って貰えないかと思いまして」
「錬金術に使うんですか?」
ヨルンが目を丸くする。
「護符の素材になるんです。魔法使い系の妖精だと、魔力抵抗のある魔道具──装身具を作れるんです。クヌートとクーデルカに主と相談して欲しいと頼んだのでご一考下さい。適正価格で買い取りますから」
「後で話してみます」
ヨルンなら魔法使いギルド職員なので、適正価格が解るだろう。
クーデルカはヨルンのコボルトだが、クヌートは騎士隊の騎士二人のコボルトらしい。更に彼らは双子でまだ子供だった。
グラッツェルは魔法使いギルドから冒険者ギルドに抜けた。リグハーヴスの魔法使いギルドは、冒険者ギルドの別棟にあったのだ。
ギッと鳴るドアを閉め、石畳が敷かれた広場に降りる。とは言え今は雪に覆われているが。
「えーと、右区は領主館から見て右だから左に行くのか」
リグハーヴスの領主館は街の北にあるのだ。
双子のコボルトに教えられた通りに左手の路地に入り、交差した路地を北に曲がる。そのまま歩いていけば、薬瓶の形の青銅の看板が下がった店があった。飴色のドアが良い味を醸し出している。
「ん?」
視線を感じて横を向くと、出窓の内側に黒いケットシーが居て、グラッツェルを半眼で見ていた。右目が青で左目が金色だ。
グラッツェルはそろりとドアを押し開けた。
「……こんにちは」
「いらっしゃい」
出窓からカウンターに移動してきたケットシーの着ているベストは黒地に銀糸で薬草の名前があちこち刺繍されていた。このケットシーが薬草師だろう。
グラッツェルは長めの鎖で首から提げていた錬金術師ギルドのタグを服の中から引っ張り出した。
「錬金術師のグラッツェルです」
つい丁寧な言葉遣いになったのは、確実に自分より歳上だと思ったからだ。
グラッツェルはカウンターに乗り出した。
「あの、落ち髭を譲って貰えないですか?」
「んん?」
「落ち髭を」
「面白い奴だな」
聞こえなかったのかと言い直そうとしたグラッツェルの声に、ケットシーの声が重なった。
ニヤリと黒いケットシーが笑う。
「薬草師のラルスだ。店に入ってきて開口一番で、〈エンデュミオンの滴〉以外の話をしたのはお前だけだ」
「そっちも拝見させて貰いたいですけどね。リグハーヴスに来てみたら妖精素材の宝庫じゃないですか。譲って貰えないかまず聞かないと」
ラルスはグラッツェルのギルドタグをチラッと見た。
「ふうん? 王都から来たのか。王都は錬金術師が飽和して素材が無いんじゃないのか? リグハーヴスには錬金術師が居ないから穴場だぞ」
「一人も?」
「一人も居ないな。妖精素材かー、髭なんて使わないから皆持ってるんじゃないか? 何故か集めてしまうんだ、髭は」
髭を集めるのは動物型妖精の習性なのだろうか。
「聞いておいてやろうか」
「お願いします」
その時、キィと飴色のドアが開いた。
「こんにちはー」
店内に入ってきたのは黒髪の少年だった。緑色のフード付きケープを着た鯖虎柄のケットシーを抱いて、外套の襟元から小さな白いコボルトが顔を出している。
「ちはー」
「ラルス、ミントの飴をくれ」
「ああ、丁度良い」
ラルスは少年ごと鯖虎ケットシーを手招きした。
「何だ? 順番なら待ってるぞ」
「いや、このグラッツェルは錬金術師でな、妖精素材が欲しいらしいのだ」
「ふうん? 何が欲しいんだ?」
黄緑色の瞳をキラリと光らせ、鯖虎ケットシーがグラッツェルを見た。
「俺はまだ上級素材を扱った経験がないから、髭辺りを──ってその子幸運妖精!?」
良く見たら少年が胸元に入れていたのは幸運妖精だった。
「う!」
白いコボルトが返事をする。
「シュネーの髭も落ちたの集めてあるけど……」
グラッツェルより年下に見える黒髪の少年も、髭の収集癖があるようだ。
「譲って貰う訳にはいかないでしょうか」
うーんと少年が唸って、腕の中の鯖虎ケットシーに訊ねる。
「髭、使わない? エンデュミオン」
「魔法使いは使わないかな。錬金術素材だな」
聞き間違いでなければ、鯖虎ケットシーはエンデュミオンだった。
「呪いに使ったりしないの?」
「黒森之國では使わないかな。魔法使いに誰が呪ったかすぐ調べられるからな」
「へえー」
何だかエンデュミオンと少年が物騒な話をしている。
「グラッツェルは主に護符を作っているそうだぞ、エンデュミオン」
「護符かあ。リグハーヴスには居ない錬金術師だな。まあ錬金術師自体居ないか」
「エンデュミオン、グラッツェルは店に入ってきて最初にラルスの髭を欲しがったんだ」
「ほう」
今度はラルスとエンデュミオンが揃ってニヤリと笑った。怖い。
「グラッツェル、リグハーヴスに居る他の妖精にも素材がないか聞いてやろう」
「沢山あっても全部は買えないんだけど」
「欲しい物を選べば良い。あと面倒だからリグハーヴスに移住してこい。優先的に素材をやるから」
「はい!?」
「エンデュミオンは結構素材を溜め込んでいてな。特に使う当てがない。錬金術師が見たら面白い素材があるだろうなあ」
「う……」
エンデュミオンは五百年以上生きていた訳で、その間溜め込んでいた素材となると計り知れない。物凄く魅力的だ。
「妖精は信用した者にしか、自分の素材を渡したりはしないんだ」
「でも俺は店を開ける程じゃないですよ」
「護符程度ならうちでも置けるんじゃないかな。シュネーバルの栞も似たようなもんだしな」
「はあ……」
王都で店を持っている訳でもないので、グラッツェルがリグハーヴスに引っ越してくるのは簡単だ。
「空き家なんてあります?」
工房が要るので、小さくても良いが一軒家が良い。
「アルフォンスに頼んでみよう。アルフォンスはリグハーヴスの領主だぞ。錬金術師が来るとなると、挨拶した方が良いからな」
「俺は下位錬金術師ですよ」
「そうか?」
エンデュミオンはじろじろとグラッツェルを眺め回した。
「素材の品質が悪いからだと思うが。コボルトの魔法使い達は錬金術みたいな事もやっているから、相談してみても良いと思うぞ」
「クヌートとクーデルカには会いましたよ」
「ホーンもいるんだ。シュネーバルはまだ見習いだ」
「うー」
黒髪の少年の胸元にいるシュネーバルは、ラルスから桃色の棒付き飴を貰っていた。まだ幼児のようだ。
エンデュミオンとグラッツェルが話しているから、ラルスはその間にミントの飴を黒髪の少年に売っていた。少年は片腕でエンデュミオンを抱きながら、器用に肩から下げた鞄に飴の瓶を入れていた。
「ところでグラッツェル、今日は何処か泊まる当てはあるのか? 地下迷宮が閉鎖しているから、リグハーヴスの宿屋は多分冒険者で満室だぞ」
「そうなんですか?」
「帰省する前の休養をリグハーヴスで過ごす冒険者も多いんだ」
「〈転移陣〉ですぐなんで、王都に帰っても良いんですが」
「うちに泊まれば良いんじゃないか? なあ、孝宏」
孝宏と呼ばれた黒髪の少年が振り向いた。
「客間が空いているから、イシュカに頼む?」
「うん。妖精達の素材を売る客だからな。泊まってくれたら、素材を見せてやれるし」
「そうだね。ヘア・グラッツェル、お買い物が終わったら、この通りにある〈本を読むケットシー〉の看板がある店に来て下さい。そこが俺達の家なんで」
「お世話になります」
成り行きで宿泊先まで決定し、グラッツェルはリグハーヴスに泊まる事になった。
錬金術師ギルドに駆け込んで来た男にラルスが飴を売ったのは、「研究しろよ」という気持ちからです。
リグハーヴスに来たら妖精がいっぱいいて、素材を分けて貰おう!とワクワクしちゃうグラッツェル。
なぜか今まで錬金術師たちは街の妖精達に素材を頼んでいませんでした。
〈黒き森〉に行く冒険者に素材採取頼んだりしていたくせに。
最初に気付いたグラッツェルに、ラルスとエンデュミオンは興味津々です。