フィリーネと楓の樹蜜の飴
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
フィリーネとエンデュミオンの思い出の味。
221フィリーネと楓の樹蜜の飴
「ヘア・ヨルン、クーデルカ、少し良いですか?」
「はい?」
「う?」
執事のクラウスに呼び止められ、ヨルンとクーデルカは食堂の前で足を停めた。
「何でしょう」
「先日、クヌートとクーデルカに撒水の魔法陣があると教えて貰いましたが、魔法使いギルドに登録しましたか?」
「撒水?」
ヨルンは膝元に居るクーデルカの顔を見た。
「畑にお水撒くの。ホーンと一緒に考えたんだよ。領主館の畑にも使えるかなーってクラウスに教えた」
「ええと、日常使い出来る魔法はギルドに登録した方がいいんでしたね」
「撒水だと使う者がいるかもしれません。試してみましたが、クーデルカ達の魔法陣は魔力効率が良いようです。登録するとお礼金が出るでしょう? 今回はクヌートとクーデルカとホーンで三等分ですね」
「他の二人と相談してから決めます。クヌートはあそこにいますし」
食堂の中にクヌートと主であるディルクとリーンハルトが居るのが見えた。
「お願いしますね」
クラウスはクーデルカの頭を撫でて、母屋の方へ戻っていった。
「新魔法かー」
人族でも新魔法開発をしている者達はいるが、ヨルンは携わっていなかったので、ギルド登録について思い付きもしなかった。そもそも、クーデルカ達が新魔法を作っているのも知らなかったが。
「牛のシチュー!」
今晩の食堂のお薦めは狂暴牛のシチューだった。ヨルンが抱えたクーデルカの注文に、たっぷり深皿に盛られた焦げ茶色のシチューに、くるりと白いクリームが掛けられたものが盆に載せられる。
あとは温野菜のツナサラダと、シロップ煮の桃のゼリー。パンはテーブルの籠に山盛りになっている。
二人分の盆を持ったヨルンの前をとてとてとクーデルカが歩き、クヌート達のいるテーブルへ行く。子供用の椅子があるのがこのテーブルなので、自然と空いているのだ。
「お疲れ様、ヨルン、クーデルカ」
「お疲れ様です」
挨拶をしてテーブルに盆を置き、椅子に座る。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
「今日の恵みに!」
巻き尻尾を振りながら、クーデルカがスプーンを握る。
「んっんー」
鼻歌を歌いながらシチューを食べるクヌートとクーデルカを横目に、ヨルンはパンを取りながらディルクとリーンハルトに話し掛けた。
「今ヘア・クラウスに聞かれたんですが、クヌートとクーデルカが新しい魔法陣を作ったのを知っていますか?」
ぐふ、とシチューを食べていたディルクが噎せた。
「新しい魔法陣!?」
やはり知らなかったらしい。
「魔法使いコボルトが研究者だって聞いた事はあったんですよ……」
ヨルンはハイエルン出身なので、そういう話は聞いていた。
「クヌート、何処で研究をしていたんだ?」
「う?」
クヌートがスプーンを咥えたまま、「なあに?」と言いたげな顔をディルクに見せた。話を聞いていなかったらしい。
「魔法陣の研究って、どこでやってたのかなって話してたんだ」
「エンデュミオンの温室」
「あそこ魔法失敗しても暴発しないの」
あっさりと双子が答えた。
「エンデュミオンの温室でお勉強会してて」
「フュルとヨアヒムとー、シュネーバルとシュヴァルツシルトとー」
まだ続きそうだった。
「……つまり皆か?」
人狼の子供と妖精達が入れ替わりに、温室でお勉強会をしているらしい。
「先生は? 誰がやってるんだ?」
「エンデュミオンとヴァルブルガとラルス。クヌートとクーデルカとホーンも教えてるよ」
リーンハルトにクーデルカが答える。
「大魔法使いが先生……? 学院でさえも教えてないのに?」
ヨルンが青醒める。
「その辺はエンデュミオンだからなあ。俺もエンデュミオンの弟子扱いだし」
エンデュミオンに読み書きを習っているので、ディルクは弟子認定されてる。
「ええと」
ヨルンは溜め息を一つ吐いて、話を戻した。エンデュミオンが講師をしているのは、横に置いておく事にしたらしい。
「新しい魔法はギルドに登録されるとお礼金が出るんですよ。生活魔法で便利なものはギルド員に公開されますし」
「幾ら?」
「ギルドから渡されますけど、國から出ますから結構出ます。生活魔法なら金貨十枚程です。防御や攻撃魔法だともっと高いですが」
「金貨!?」
金貨は商人でないと普段遣いしない高額貨幣だ。
「魔法の場合は、使用毎に費用を取れませんから、結構お礼金が高額なんですよ」
誰かが見ていて使用回数を数える訳にはいかないからだ。
「金貨? 何買える?」
「〈薬草と飴玉〉の飴幾つ買える?」
「とても沢山買えますよ……」
妖精は金貨の価値を知らなかった。そもそもコボルトは基本が物々交換だ。
「明日、フラウ・クロエに相談してみます」
リグハーヴス魔法使いギルドのギルド長は魔法使いクロエである。
「頼むよ」
先程より疲れた顔をして、ディルクとリーンハルトもスプーンを取り直したのだった。
ちりりりん。
「師匠!」
「フィー、久し振り」
ドアベルを鳴らして大魔法使いフィリーネが〈Langue de chat〉に入ってきた。
木竜グリューネヴァルトを頭に乗せたエンデュミオンは、カウンターで右前肢を挙げる。その手をフィリーネが、がしりと握った。
「師匠、何か私に伝え忘れている事はありませんか?」
「な、何かな?」
「きゅきゅー?」
「お勉強会してるって、どうして教えてくれないんですかーっ」
「ご、ごめん?」
とは言え温室の勉強会は人狼の子供と妖精の子供向けに行っているものだ。
「コボルト魔法の講習もしてるそうじゃないですか。先日はクヌートが講師をしたって聞きましたよ」
「あー」
そう言えば昔フィリーネをコボルトの元へ連れて行ってやれなかったな、とエンデュミオンは思い出した。
「それと今は魔法の講習をやるなら、公開非公開は問いませんが魔法使いギルドに報告がいるんですよ」
「何を教えるか報せるって事か?」
「ええ。誰が教えるのかと、参加者と簡単な内容ですね。公開だと、掲示板に貼って参加者募集出来ますけど、非公開でも記録には残しておくんです。何かあった時、調査出来ますから。事後でも良いので報告して下さい」
事件が起きた時など、誰に師事したかで魔法の系統が解る。魔法使いによって、魔法陣の組み方には癖があるからだ。
「なので、先日の勉強会の届出書を出してください」
フードの縁に柔らかそうな毛が付いた冬用のマントの内側から届出用紙を取り出し、フィリーネがカウンターに置く。
「ふむ」
エンデュミオンは翡翠色の万年筆を執り、深い緑色のインクでさらさらと記入し始める。
「勉強会の事、誰に聞いたんだ?」
「クロエです。クロエはヨルンがコボルト達を連れて新しい魔方陣の登録に来て知ったそうです」
「ああ、撒水の魔法陣か。あと宙に文字を書く魔法もか?」
「師匠が登録を薦めてくれても良かったんですよ?」
「……忘れてた。エンデュミオンは自分で登録した事がないからな。これで良いか」
書き上げた届出用紙を、エンデュミオンはフィリーネに押し出す。
「はい、確かに。師匠の魔法は通常の魔法使いでは魔力が足りなくて使えないものが多かったからですよ。伝説として登録されてます」
フィリーネは届出用紙をマントの内側にしまった。
「伝説ねえ」
鼻を鳴らし、エンデュミオンは踏み台にしていた三本足の椅子から下りた。
「エンデュミオンは森の中で、グリューネヴァルトとフィリーネと暮らせていれば良かったんだがな」
「きゅっきゅー」
すりすりとグリューネヴァルトがエンデュミオンの後頭部に顔を擦り付ける。
「今は幸せでしょう? 師匠」
「そうだな。孝宏や皆が居るし、グリューネヴァルトとフィリーネにも会えたし」
「ふふ」
フィリーネはグリューネヴァルトごとエンデュミオンを抱き上げて頬擦りした。
「今度は私も呼んでくださいね」
「フィー、仕事があるだろう」
「たまにはお休み取ります。事前に解れば仕事の調整をしますし」
「そうか。じゃあ精霊便で知らせよう」
「嬉しいです」
「あれ、フラウ・フィリーネいらしてたんですね。ベル鳴った気がしたから……」
「う!」
孝宏がカウンターの後ろの戸口から顔を覗かせた。足下にはシュネーバルも出てきている。
「お茶淹れてきますね。エンデュミオン、お皿持ってくるからマカロン出してね」
「うん」
軽い足音を立てて孝宏が奥へと戻っていく。
フィリーネがエンデュミオンを抱き上げて頬擦りしている事に対して、何も言わなかった。
「無反応……?」
「いや孝宏の事だから、仲良くて良いねーとか思ってるぞ」
他に客が居なくて良かった、とエンデュミオンは思ってしまった。
フィリーネはエンデュミオンの養女だが、森林族なので未だ外見が少女だ。そんなフィリーネにエンデュミオンが頬擦りされている現状を、生暖かい眼差しで見られそうだからだ。
フィリーネに抱っこされるのはケットシーなので、恥ずかしくはないのだが、からかわれたなら一寸呪いたくなる。そんなお年頃なのだ。
「う!」
「あら」
フィリーネの側にシュネーバルが来て、両前肢を挙げていた。
「抱っこしてほしいみたいだな」
「わあ、いいんですか? シュネーバル」
「う」
シュネーバルがこっくりと頷く。
フィリーネには何度も会っているので、シュネーバルも慣れている。それでもいつもは孝宏やイシュカにくっついている事が多い。今日は抱っこしてもらいたい気分なのだろう。
フィリーネは緑色のソファーに腰を下ろし、隣にエンデュミオンを下ろした。そうしてシュネーバルを膝に抱き上げた。
「シュネーバルは、ふわふわで軽いですね。前より毛並みが良くなりましたね」
「うー!」
ぴょこんと跳ねてシュネーバルが喜びを表す。真っ白な小さな巻き尻尾が左右に勢いよく振られている。
「栄養状態が良くなったからな。ふかふかになったんだ」
「しゅねーばる、ふかふか!」
「良かったですねぇ」
「毛が増えたからか、今年は去年より寒がらないんですよ」
孝宏がお茶の道具を盆に乗せてやって来た。まずテーブルにおしぼりを置き、次に何も載っていない皿をエンデュミオンの前に出す。
「エンディ、マカロン出して」
「うん」
エンデュミオンは〈時空鞄〉からマカロンのはいった容器を取り出した。一度別のテーブルに盆を乗せた孝宏が、菓子用の木製トングで色の違うマカロンを皿に盛る。それから紅色のお茶をカップに注ぎ、フィリーネの前に置いた。
「エンディとシュネーも飲むよね」
「うん」
「う」
たっぷりミルクの入ったカップに紅茶を注ぎ、二人の前に置く。
「グリューネヴァルトには精霊水に果物を浸けた香味水だよ」
「きゅ」
嬉しげにグリューネヴァルトがエンデュミオンの頭上で尻尾を振る。その勢いでエンデュミオンの身体が傾ぎ、フィリーネが慌てて支える。
「あああ揺れるぞ、グリューネヴァルト、危ないからテーブルに移ろうか」
「きゅー」
渋々とグリューネヴァルトがテーブルに移動する。
「ごゆっくりどうぞ」
お代わり分が残っているティーポットにティーコージーを被せて残し、孝宏が奥に戻っていく。
今日はイシュカ達が工房で仕事をしていて、テオ達も届け物に行っていて居ない。アハトはヴァルブルガとヨナタン、孝宏で見ていた。
アハトも動き回るようになったので、おっとりしているヴァルブルガだけだと捕まえるのが大変なのだ。
「はぁー、マカロン久し振りです……」
ちょっぴり涙ぐみながら、フィリーネがおしぼりで手を拭う。魔法使いギルド本部のギルド長であるフィリーネは中々に多忙なのだ。
「フィーは甘い物が好きだな。昔はあまりこういった甘い物がなかったからな。エンデュミオンも作り方を知らなかったし」
「楓の樹蜜の飴を作ってくれたじゃないですか」
「あれは煮詰めれば出来るから……」
「美味しかったんですよ、あの飴」
「そうか」
「そうですよ」
ふふと笑って、フィリーネはシュネーバルに聞く。
「シュネーバル、どれが食べたいですか?」
「あおいの」
「はい、どうぞ」
「ありがと」
両前肢で受け取り、シュネーバルが紅茶色の目を細める。
グリューネヴァルトは、いそいそとローズピンク色のマカロンを取った。
「孝宏のマカロンは毎回色と味が変わるんだよな」
同じ色でも、日によって味が違ったりする。このマカロンを作ったとき、エンデュミオンはアハトをあやしていて、途中までしか手伝えなかったので、どれが何味か知らないのだ。
エンデュミオンはキャラメルクリームらしき、薄茶色のマカロンを選んだ。
「私はこれにしてみます」
フィリーネが選んだのはオレンジ色のマカロンだった。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
食前の祈りを唱え、それぞれマカロンを齧る。
「りんご」
「ききゅー」
「グリューネヴァルトは苺か。エンデュミオンはキャラメルだ。フィーは何だった?」
「これ、楓の樹蜜です」
フィリーネが食べたマカロンは、クリームに楓の樹蜜が混ぜてあった。それにカリカリとしたものが入っていて、楓の樹蜜で作った飴だと気付く。
「この飴、師匠が作ったでしょう」
「何で解った?」
「味が同じですもん。師匠、お鍋だと焦がすからって、魔力で坩堝を作って煮詰めたでしょう」
「むう」
その通りだった。エンデュミオンは作り方を知っていても、料理が下手だった。それならばと魔力で飴を作ったら、上手くいったのだ。フィリーネが喜ぶ飴しか作った事はないが。下手に料理をしようとすると、フィリーネの仕事を増やすのが目に見えていたので。
ちなみに孝宏には「洗い物が減る」と大変喜ばれた。
「おいちぃーねー」
「美味しいですねえ」
懐かしい味にふんわりとフィリーネの胸が温かくなる。
「……また飴を作ってやろうか、フィー」
楓の樹蜜を煮詰めて、蝋紙の上に流して固めて小さく割った、素朴な飴を。
「良いんですか?」
「ああ。美味しいのを作ってやる」
「楽しみにしています」
「ふうん」
フィリーネが微笑むと、照れを隠すようにエンデュミオンはカップを 抱え、ミルクティーを舐め始めた。
多分エンデュミオンの料理は常に強火なんですよ。焦げる。
その為、最初の時もイシュカにスープを作らせたと言う。イシュカの方が料理センスがあります。
シュネーバル、ふかふかになった事をフィリーネに教えたかった模様です。
孝宏のマカロン、ロシアンルーレットマカロン(外れ無し)みたいな事になっています。