〈Langue de chat〉の栗ご飯
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
今年も栗日和。
217〈Langue de chat〉の栗ご飯
「くーり、くーり」
ルッツが歌いながら、栗に爪で切り込みを入れていく。その栗の皮を孝宏はテオとナイフで剥いていた。
秋になるとテオとルッツは〈黒き森〉に栗を拾いに行く。
とげとげの栗は柔らかいケットシーの前肢では拾い難く、彼らはテオやリュディガーが拾いに来るのを待っているのだ。そうして拾った栗を山分けし、持ち帰ってくる。
野性動物がいる為、孝宏が行くには〈黒き森〉は危険なので、持って帰って来てくれたものを有り難く受け取り美味しく加工する。
今は二階の居間に紙を広げて、虫食いがないか確かめ、下処理をしているのだ。
「渋皮煮と甘露煮、あとはグラッセかなあ。ただ剥いて冷凍しておくのもありかな」
「料理に使うの?」
「米と炊いて栗ご飯にしたりね。たまに作る味付きご飯の一つ」
硬い皮を剥くという一手間がある栗ご飯は、中々贅沢な料理ではないかと孝宏は思う。
「ちゃかひろ、しゅねーばる、くりほしい」
「はい、シュネー。ってそのまま食べないんだよ!?」
渡した栗をシュネーバルがそのまま齧ろうとしたので、孝宏は慌てて止めた。
「一人で居た時にそのまま食べていたんだろう。シュネーバル、グラッセだ。こっちを食べろ、美味しいぞ」
エンデュミオンが〈時空鞄〉に入れていた、去年の栗で作ったグラッセの入った小瓶を取り出して、シュネーバルの前に置いてやる。一瓶に栗のグラッセが五つ程しか入らない小瓶だから、そのまま渡してもおやつになる数だ。
「くりー」
孝宏が蓋を開けてやった小瓶から栗のグラッセを一つ掴み取り、シュネーバルが口に入れる。
「うー!」
目をまん丸にしたシュネーバルは、時間を掛けて栗のグラッセを噛んでから飲み込んだ。
「おいちぃーね」
「ふふ、良かった」
孝宏が笑うと、シュネーバルは栗のグラッセを、隣に居たルッツの口元に持っていった。
「あー」
「あーん」
素直に口の中に入れて貰ったルッツの尻尾がぴんと立つ。
「おいしーねー」
「ねー。あはと、たべゆ?」
「アハトはもう少し小さく割ったら食べられるかな。今寝てるから後でね」
「う」
アハトは揺り籠でお休み中だ。ケットシーの子供はよく眠るのだ。
「今晩栗ご飯にする?」
「うん」
こっくりとエンデュミオンが頷く。
「おかず何にしようかな。絶叫鶏が保冷庫にあるかな」
「とりあげたのたべたいなー」
ルッツは鶏の唐揚げがご所望のようだ。
「んじゃザンギ作るね。あとは味噌汁とサラダかな」
サラダに使うような野菜は温室に植えているし、クレソン等はケットシーの里の小川の縁で収穫出来るので、テオとルッツが栗拾いの時にお礼に貰って来ていた。
「ふふー」
ルッツが尻尾をぴんと立たせたままふるふると揺らす。嬉しいのかせっせと栗の皮に爪で切れ込みを入れていく。
テオとルッツは軽量配達屋という仕事柄、留守にしている事が多い。だから孝宏は、ご飯のリクエストがあった時は、優先的に作ってあげているのだ。
特にルッツは食いしん坊で、孝宏が新しい物を作った時に家に居ないと大変残念がる。勿論取っておいてあげるのだが、ルッツは出来立てを皆で一緒に食べたいらしい。
鶏の唐揚げは皆が好きなメニューで、シュネーバルの尻尾は左右に揺れているし、エンデュミオンの尻尾もご機嫌に立っていた。
エンデュミオンも最近フィッツェンドルフ公爵領の領主が代わると言う事態の対応の手伝いに行っていて、留守がちだった。勿論夜には帰ってくるのだが、翌朝にはまた出掛けていくと言う状況だったのだ。
漸くフィッツェンドルフのごたごたは一段落したらしいのだが、結果的にエンデュミオンは一人の淫魔を貰って帰って来た。
淫魔は精力を摂取しないと生きていけないので、合法的に精力を貰うのならば〈華の館〉に勤めるのが手っ取り早い。勿論、相手を一人に決めても構わないのだが、それは追々ライヒテントリット自身が決めるだろう。
リグハーヴスでは娼婦や男娼でも蔑まれたりはしない。命懸けで地下迷宮に潜る冒険者のささくれた心身を慰める、大切な職業と見なされているからだ。
〈華の館〉に勤める者を伴侶に選ぶ冒険者も多いらしい。
「ただいま」
「ただいま帰りました」
イシュカとカチヤが居間に入ってきた。二人はヴァルブルガとヨナタンと散歩に行っていたのだ。仕事を家の中で行う二人なので、休日には良く散歩をしている。それにヴァルブルガとヨナタンも付いて行っていた。
「栗拾ってきたのか。立派な栗だな」
「あいっ」
イシュカにルッツが答える。
「今、皮を剥いているところ。冷凍しておけるし」
「俺も手伝おう」
「私も」
黒森之國の子供達は、ある程度の年齢になると親からナイフの使い方を習う。一寸した作業に使えるので、男性ならナイフの一本は所持しているのだ。
栗が乗っている広げた紙の回りを皆で囲み、ケットシーは栗の皮に爪で傷を付け、人とコボルトはナイフで皮を剥いていく。シュネーバルは栗を皮付きのまま重ねたり並べたりして遊んでいた。
「イシュカとテオは渋皮付けておいてくれる?」
「解った」
暫し皆無言で栗の皮を剥く。パキパキと皮を剥く音と、コロンと栗をボウルに落とす音。
こんな休日も良いなあ、と孝宏は思った。
〈Langue de chat〉は二階にも一階にも台所がある。
オーブンに棲む火蜥蜴のミヒェルは、普段孝宏が料理をする方の台所に移動してくるが、頼めば鍋が焦げ付かないように火加減を見ていてくれる。
今日は一階の台所で、ミヒェルに渋皮煮とグラッセの火の番をしてもらっている間に、孝宏は二階の台所で夕飯の支度をする。
『お米はうるかしておいたし……』
出汁や醤油等の調味料で味付けた米の上に生の栗をばらばらと散らし、蓋をして土鍋を火に掛ける。
「エンディ、宜しく」
「うん」
米の鍋は椅子の上に立ったエンデュミオンに見ていて貰い、火加減を調節して貰う。
「鶏肉っと」
孝宏は保冷庫から絶叫鶏の入ったボウルを取り出した。栗剥きの途中で抜けさせて貰い、下拵えをしたものだ。
『魔物なのに美味しいとはこれ如何に……』
絶叫鶏は地下迷宮の浅い層に居る大きな鶏である。味は胸肉でもジューシーで美味しい。
以前アロイスの肉屋で手羽元を買おうとしたら、一本だけで数人分賄えそうな大きさだった。
「ヒロに切り分けるのは無理だ」と、アロイスが親切に骨ごと切り分けてくれて助かったものである。
孝宏は黒森之國の一般男性よりも、一回りは身体が華奢だ。だから家具等も大きめだったりする。
一口大に切り分けて生姜とニンニク、醤油や味醂、ちょっぴりの蜂蜜を揉み込んだ絶叫鶏の肉に、小麦粉と片栗粉を混ぜた粉をまぶして菜種油で揚げていく。
ジュワーと言う音がして間もなく、美味しそうな揚げ物の匂いが広がって行く。部屋に匂いが籠らないように、窓を細く開けてエンデュミオンに風の精霊に頼んで換気して貰う。
コトコトと土鍋の蓋が鳴り始め、頃合いを見ていたエンデュミオンがコンロの火を調節する。こちらも栗の香りの湯気が良い。
良い色に揚がった鶏肉を、古い新聞を敷いた皿の上に乗せて油を切る。
「……」
「……」
「……」
足元にふわっとした気配を感じて視線を落とせば、ルッツとヨナタンとシュネーバルが立っていた。
「油を使っているから危ないよ。少し離れてね。カチヤ、これ切ってあげてくれる?」
「はい」
孝宏は大きめの唐揚げを一つ小皿に取り、洗った葉野菜を千切っていたカチヤに渡す。カチヤはナイフで唐揚げを切り分け、ルッツ達の口に入れてやった。
ルッツはご飯を作っている時、特に好物の時は味見をしに台所にやって来るのだ。
「おいしー」
「有難う。危ないから向こうで待っててね」
「あい」
とととと、と年少組が台所から去っていく。
「ルッツの癖、シュネーバル達も覚えちゃってるな」
「まあ、仕方がないな」
エンデュミオンが炊き上がった米の鍋の火を、数秒だけ強くしてからレバーを切る。これで少し蒸らして完成だ。
本来殆ど喋らない北方コボルトのヨナタンとシュネーバルだが、ルッツと一緒に居る事で「美味しい」等の動作をするようになった。お喋りなルッツが話し掛けるから、声に出して会話するようになった。
だから良い事の方が多い。揚げ物をしている台所に来るのだけ、注意が必要だが。
たっぷりと作った唐揚げを、大皿に盛り直す。櫛切りにした馬鈴薯も素揚げしてハーブ塩を振る。
『うーん、今度白身魚のフライとフライドポテトのコンビでも作りたいかも』
日本語で独り言を呟く。所謂フィッシュ&チップスだ。
「よし、次は味噌汁だ」
油を片付け、大根と人参の味噌汁を作る。お手軽に出汁を取る為、ピッチャーに昆布と煮干しを入れて水に浸けてあるのだ。
倭之國で作られるそれらの食材が手に入るのは、フロレンツの輸入品店のおかげだ。
孝宏が倭之國の食材の使い方を知っていると解ると、フロレンツは料理の基本的なレシピを孝宏に教えて欲しいと言ってきた。
孝宏は二つ返事で基本的な出汁の取り方と、味噌汁と豚汁の作り方等を教えた。今ではリグハーヴスの宿屋でも使われているようだ。
「米炊けたぞ」
「うん、完璧」
土鍋の米を杓文字で混ぜると、薄茶色の米の中から黄色い栗がころころと顔を出す。宝探しのようだ。
「ヒロ」
ポンっと作業台の上にミヒェルが現れた。綺麗な朱色の身体をした火蜥蜴のミヒェルが、ペチペチと孝宏に近付く。
「お鍋の火、消してきたよ」
「有難う、ミヒェル」
栗の仕上げは夕食の後で良いだろう。
「きゅっきゅー」
一階に居たグリューネヴァルトも二階に上がってきたようだ。木竜のグリューネヴァルトは火蜥蜴のミヒェルが好きで、大抵一緒に居る。
「ご飯よそおうか」
「はい」
カチヤと協力して、食卓を整える。
最近グリューネヴァルトも孝宏の作る料理が美味しいと気付き、果物や木の実以外も食べるようになった。
グリューネヴァルトとミヒェルの分は、食べやすい大きさに切って盛り付けてやる。
孝宏がエンデュミオンとこの家に来た時、食卓の回りで使われた椅子は三脚だった。それが今や倍以上の椅子が並んでいる。
ほんの少し窮屈かもしれない食事空間に、誰も不満は漏らさない。それはここに居る皆が、ずっと欲しがっていた風景だからだと、孝宏は知っている。
「皆ー、ご飯だよー」
だから今日も孝宏は、美味しいご飯を作るのだ。
孝宏は貰った栗でお菓子を作って、ケットシーの里に持って行っています。
イシュカが買ったおうちは、元々家族数が多い一家が住んでいた家でした。その為、部屋数もあるし、居間や台所は広いのです。
『うるかす』は『浸けておく』の方言です。
エンデュミオンと二人で会話する時は、結構日本語も混ぜて話しています。