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エンデュミオンと聖人の秘密

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

エンデュミオンとマヌエル、お茶をする。

213エンデュミオンと聖人の秘密


「む。マヌエルがんでいる」

 スプーンに付いていたキャラメルクリームを木竜グリューネヴァルトに舐めさせていたエンデュミオンは、耳をひくりと動かした。

 ボウルに残っていたクリームを、蓋付きの容器に移していた孝宏たかひろが手を止める。

「ロールケーキ持って行く?」

「お茶の時間だしなあ。良いか?」

「じゃあ、これね。キャラメルクリームナッツのロールケーキ」

 スポンジにキャラメルクリームを塗り、飴掛けしたマカデミアナッツに似た物を砕いて散らし巻いてある。

 今日のおやつだが二本作ったので、孝宏は一本をエンデュミオンに持たせた。

 エンデュミオンは出来立てのロールケーキを携えて、司教マヌエルの元へと〈転移〉した。


 マヌエルは執務室にいた。飴色で彫刻が美しい重厚な机に向かって、鈍器のように大きくて分厚い本を開いていた。エンデュミオンの上にあれを落とされたら潰れる自信がある。

 エンデュミオンの〈転移〉に気が付いたマヌエルが顔を上げ笑顔になった。老境に入っているマヌエルは、笑うと顔のあちこちに皺が寄る。元々明るい色の髪をしているが、それも随分と白くなったものだ。

「エンデュミオン」

「喚んだろう? マヌエル」

 エンデュミオンは机の横にあったオットマンによじ登り、マヌエルが開いていた本を覗き込んだ。

「何だ、これ?」

「王や領主が就任する時に聖別の儀式があるでしょう? その記録ですよ」

「ふうん。ケーキ(クーヘン)を持ってきたんだ、お茶にしないか?」

「それは有難いですね」

 マヌエルは嬉しげに目を細め、机の上にあった銀色のベルを鳴らした。チリーンと涼やかな音が響く。

「猊下、お呼びでしょうか」

 金色の飾り模様のある白いドアが開き、白い騎士服を来た青年が現れた。襟に銀色の糸で〈星を抱く月〉の刺繍が入っているのは聖騎士だ。他の領だと、領主の紋章や部隊の紋章になる。

「っ!」

 聖騎士はオットマンに座るエンデュミオンを見るなり、腰の剣に手を掛けた。それをやんわりとマヌエルが止める。

「彼は私の古い友人で、大魔法使い(マイスター)エンデュミオンですよ」

「エ、エンデュミオン!? 失礼を致しました!」

 青年は慌てて剣から手を離す。にっこりとマヌエルが微笑んだ。

「お茶を頼みますよ」

「は、はいっ」

 姿勢を正して一礼し、聖騎士の青年は部屋を出ていった。

「随分血気盛んだな」

「配属されたばかりでしてね。客の顔を覚えている最中なんですよ」

 新人だったらしい。ドアから入らなかったエンデュミオンは不審人物に違いないので、彼を責めるのは止めておく。

 暫くして、マヌエルの身の回りの世話をしている灰色の修道服を着た助祭の少年が、ティーポットやカップを運んできた。

「これを切ってくれるか?」

 エンデュミオンは〈時空鞄〉から、蝋紙に包まれたロールケーキをにゅっと取り出した。

「キャラメルクリームナッツロールケーキだ。この位の厚さで頼む」

 助祭に三センチから五センチ程の厚さを示してみせる。

 綺麗に切ったロールケーキを、青い花の絵付けのある皿に一切れずつ乗せて運んできた助祭に、マヌエルは「残りは皆で頂きなさい」と下げ渡した。

有難うございます(ダンケシェン)

 助祭は頬を染めて礼を言い、退室する。気のせいか足の運びが速かった。

「ふふ。エンデュミオンが来る時は珍しい菓子を食べられますからね。私付きの子達には、あなたは人気のお客様なのですよ」

「ふうん?」

 今頃「あのケットシーのお客様が来た!」と控え室で噂になっているのだろうか。今度はクッキー(プレッツヒェン)を多目に持って来た方が良いかもしれない。

 マヌエルがカップにお茶を注ぎ、二人で食前の祈りを唱える。エンデュミオンのお茶にはたっぷりミルクが入っていた。あの助祭には何度か会っているので、エンデュミオンの好みを覚えていたようだ。ラルスの飴の瓶を追加しても良いかもしれない。

 カリカリとした飴掛けナッツの歯触りを楽しみながらロールケーキを食べ、ミルクティー(ミルヒテー)を舐める。

「やはりヘア・タカヒロのお菓子は他とは違いますね」

 ロールケーキが甘いからだろう、砂糖もミルクも入れずに紅茶シュヴァルツテーを飲み、マヌエルが満足げに微笑んだ。

「趣味の範囲らしいんだがなあ」

「謙虚でいらっしゃいますね。お菓子のお店が開けますよ」

 皿に残ったクリームもきっちりフォークで掬い取るマヌエル。

「ところで、エンデュミオンを喚んだ用件は?」

「先程の記録を読んでいて気付いた事がありましてね」

 マヌエルはフィッツェンドルフで行われるであろう久方ぶりの領主のすげ替えに、改めて記録を読み返していたと言う。

「長生きのエンデュミオンならご存知かと」

「うーん、エンデュミオンもここ五十年位は俗世から離れているんだが。エンデュミオンはケットシーとしてはピチピチなんだぞ」

「……っ」

 ピチピチ発言にマヌエルがお茶に噎せた。本当なのに。

「教会にだって森林族はいるだろう?」

「森林族は神学校を出ると大抵ヴァイツェアの教会に戻ってしまうんですよ。王都には残りません」

 口元をハンカチで押さえ、マヌエルがエンデュミオンの眉間を指先でぐりぐりする。額の毛が渦巻きになりそうだ。肉球でマヌエルの指を叩き退け、額の毛を死守する。

「むうう、何を聞きたいんだ?」

「先程も言った聖別の話です。聖別を行っている者が聖女の時と聖人の時があるのが気になりまして」

「聖人の時は、聖人が居たんだろう」

 それだけだろうと、エンデュミオンは答える。しかしマヌエルはエンデュミオンに身を乗り出した。

「聖人は滅多に現れていないんです。聖都シルヴィアナには王族の聖女しか入らない決まりです。では聖人は何処から来るんです? 聖職者である事は解っているのですが、聖人の基準は記されていません」

「何処からって、素質のある者が居て、それが見付かるだけだろう。見付かり難いがな」

「どういう事です?」

「属性が違うんだ。聖女はラーハマイムエルムの強い属性があるから、治癒系の浄化が出来るだろう? 聖人って言うのは、先天的にセント属性を持っているんだ。聖属性は聖女や聖職者も後天的に手に入れている属性だが、他の属性と違って顕現しにくい。その聖属性がやたらと高いのが聖人だ。大抵他の属性を持っていなかったり、魔力が低かったりするから、魔法を使えない者と見なされて表には出ないんだ」

「ではどうやって、聖人を見付けるんですか?」

「〈女神の貢ぎ物〉が見付ける。あれは聖人の専属護衛だからな」

「……はい?」

 固まったマヌエルが解凍するまで、エンデュミオンはミルクティーを舐めていた。

 一分程してマヌエルが動き出す。額を指先で押さえ、ぎゅっと目を瞑って思案し、エンデュミオンに向き直る。

「それは何かに記してありますか?」

「いや、ケットシーの叡知からの知識だ。どうやら〈女神の貢ぎ物〉になった者への神託らしいんだ。口伝がいつの間にか消えたんだろう。前任者が死なないと〈女神の貢ぎ物〉は選ばれないしな」

「待って下さい、では兄弟イージドールを呼び戻さなくては。どこかに聖人がいるかもしれないのでしょう?」

「いや、必要ないだろう。イージドールはもう選んでいるからな。良く考えろ、マヌエル。ベネディクトは魔法の才が殆ど無いのに〈女神の祝福〉を使っているんだぞ?」

「あ……! まさか兄弟イージドールを兄弟ベネディクトの護衛にしたのは!?」

「そりゃあ、聖人と〈女神の貢ぎ物〉が並んでいるのに気付いたからだな」

 教会責任者会議に偶然闖入してしまったエンデュミオンだったが、その場にいた者の顔を見回す位の余裕はあった。

 テオに似た〈暁の旅団〉の司祭プファラーは〈女神の貢ぎ物〉だろうと直ぐに解った。そしてあの時、イージドールは突然現れたエンデュミオンの行動によっては、ベネディクトを守ろうとしていたのだ。恐らくエンデュミオンしか気付いていなかっただろうが、目の色が鮮明な緑色になっていた。〈暁の旅団〉の臨戦状態だ。

 イージドールは司教ビショフマヌエルではなく、一介の司祭ベネディクトを守ろうとした。それが答えだ。

「聖人と他の〈女神の祝福〉を使える者の違いは、聖人の祝福は治癒じゃないって事だ」

 何しろほぼ聖属性しか持っていないからである。呪われていたりアンデットなら兎も角、生きている者に聖属性の〈女神の祝福〉を掛けても身体に激しい変化は現れない。

 ちなみにコボルトに噛まれた傷は、治癒と浄化を同時に使わねばならないため、治癒系の〈祝福〉を持つ者でないと治せないのだ。もしくは〈女神の祝福〉と〈治癒〉を二人で同時に行うかだ。

「聖属性があっても〈祈り〉で鍛えないと〈女神の祝福〉は得られないからな。信心深いか運良く聖職者になるかしないとな」

 一般人の中に埋もれてしまった聖人候補も沢山居ただろう。

「先日もベネディクトの事をフィッツェンドルフで探りを入れてきたらしいからな。イージドールを傍に置いて良かったぞ」

「なんですって!?」

「リグハーヴスにはフィッツェンドルフの〈木葉このは〉が居るんだ。善人過ぎて無害なんだが」

 根っこが真面目な聖職者に〈木葉〉をやらせるのがどだい無理なのだ。エンデュミオンにもイージドールにも、早々にバレていたのだから。幸いベネディクトは全く気が付いていないが。

「この事をリグハーヴス公爵はご存知なのですか?」

「まだ教えていない。先日うちに水竜キルシュネライトが来たと報告したばかりだし」

「水竜ですか」

「フィッツェンドルフの湾内にいた水竜だ。引っ越したいが寒い場所は嫌だと言うから、うちの温室に連れてきたんだ」

「では現在フィッツェンドルフの湾内に水竜は……」

「居ないぞ。新しい領主が他の水竜と契約しないとな。一応マクシミリアンに頼まれたんだぞ、船が出せないからって」

 フィッツェンドルフの守護竜は水竜キルシュネライトだったので、早期に手を尽くさなければあの土地の加護はどんどん落ちていく。

「王が本気で動きますか。新たな領主はどなたです? すぐ下の妹御夫妻ですか?」

「いや、そっちではなく末の妹の方だ。妾腹だそうだが、フィッツェンドルフに染まっていないのがいる。王都騎士団に所属しているそうだ」

「……フィッツェンドルフの聖別の儀式は、聖女と聖人のどちらに行って貰うのが良いのでしょうか」

「暫く聖人が表舞台に立っていないからな……」

 もしかしたらイージドールの前任者も聖人を見付けていたかもしれないが、公表されていない。なにしろ主に王族や司教の護衛をしていたらしい。

 〈女神の貢ぎ物〉も〈人質〉の面ばかりが強調され、行動に制限がある。

 今の黒森之國くろもりのくにでは聖人は忘れられた存在なのだ。

「聖人の〈女神の祝福〉は退魔効果が高いからどうせならと思うが、今回は王が動く分、聖女の方が対外的に良いんだよな」

 聖女フロレンツィアは聖女としての実績がある。だから、領民にも「フィッツェンドルフは祝福された」と解りやすい。

 ベネディクトがフィッツェンドルフに籍があればまだしも、リグハーヴスの主席司祭だ。下手に目立つとフィッツェンドルフの教会司祭の顔に泥を塗ってしまう。

「ベネディクトにフィッツェンドルフを聖別して貰う方法は、ベネディクトとイージドールと相談する。ま、新しい領主就任の後だな」

「ええ、お願いします。私が伝えると、命じた事になりそうですので」

 黒森之國の教会では司教マヌエルが一番位階が高いのだ。

「形式的な〈聖別〉は聖女に任せよう」

 フロレンツィアの〈女神の祝福〉もちゃんと効果があるのだ。傷付いているフィッツェンドルフだから、彼女の〈聖別〉もまた必要だろう。

 先日クラウスと行った港を見る限り、フィッツェンドルフ公爵は何の援助も民にしていないようだった。

 本来であれば領主が率先して炊き出しや移住用の家を用意しなければならないだろうに、なんだか酷く無気力なのだ。不思議なのは、そんな領主に苦言を呈する近臣が居る様子が見られない事だ。噂ですら聞かないのは流石におかしい。

「……嫌な予感がするなあ」

「どうしました?」

「マヌエル、フィッツェンドルフに向かう者全員に、退魔の護符を持たせた方が良いかもしれない。ベネディクトに作らせたら持ってくるから」

 聖人が作る退魔の護符が一番効くのだ。頼めばベネディクトは作ってくれるだろう。

「退魔の護符ですか? まさかフィッツェンドルフに何か居ると?」

「この間フィッツェンドルフに行った時は、領主館の近くに行かなかったからな。エンデュミオンも少し調べたい事が出来た。近い内にまた来る」

「ええ、お待ちしています」

 エンデュミオンが姿を消し、マヌエルはソファーの背凭れに体重を預けた。

「退魔の……まさかとは思いますが、エンデュミオンが護符を持ってくるまで、フィッツェンドルフに入らぬようお伝えした方が宜しいでしょうね」

 エンデュミオンに見せていた柔和な顔を脱ぎ去り、すくっと立ち上がったマヌエルは、王に手紙を書くべく机に向かった。


エンデュミオンは本を貸しに、時々マヌエルの部屋を訪ねています。


聖人は基本的に平民の中から出現するので、見付からない時もあります。

イージドールの前任者が見付けていたとしても、聖人候補者が聖職者でなければ遠くから見守るだけだったと思われます。

見付けて傍にいたとしても、イージドールのように本人にも公表しなかったり。ベネディクトに聖人の自覚はありません。


〈治癒〉系〈女神の祝福〉が出来るのが、聖女・イージドール・シュヴァルツシルト。

聖属性系〈女神の祝福〉が出来るのが、ベネディクト。

イージドール達聖職者も聖属性がありますが、聖属性特化しているのがベネディクトです(他の魔法は簡単なもののみ)。


エンデュミオンは聖属性はありません。ケットシー達の〈名づけの祝福〉とは、別口なのです。

なので、聖別したい時は教会に頼みます。聖別できる司祭クラスが三人いるリグハーヴス女神教会です(シュヴァルツシルトもやろうと思えばやれるようになっています)。


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