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水竜とエンデュミオン

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

水竜に会いに。


210水竜とエンデュミオン


「と言う訳でフィッツェンドルフの水竜の説得に協力願いたいのです」

「来るなり「内密の話がある」と言うから何かと思えば……」

 エンデュミオンは温室のハーブガーデンにあるティーテーブルを挟んで向かいの椅子に座るクラウスに、呆れた眼差しを向けた。

「別に水竜に声を掛けて話し合えば良いだろうに」

「それがへそを曲げて、自分の正式な名前を呼ぶまで出ていかない、と言っているらしいのです」

「フィッツェンドルフの水竜は、あそこの初代領主と契約していただろう? それ以降は次期領主と契約まではいかなくても、守護竜の約束を継続していたのではないか?」

 竜は約束であっても重く受け止め、領主との約束であれば土地の守護竜として災害から守ってくれる。

 リグハーヴスの場合は、エンデュミオンがグリューネヴァルトに頼んでいるので現在はリグハーヴスの守護竜をしてくれている。

「それが最近は守護竜の約束を更新していなかったようです。住まわせてやっているのだから当然だと」

「気に食わなければ、契約していない竜など直ぐに引っ越すだろうが」

 グリューネヴァルトがエンデュミオンを追い掛けて、王都からリグハーヴスに来たように。

「それを解っていなかったのでしょうね。兎に角、現在フィッツェンドルフの水竜は成体のまま湾内にいて、船が出せないのです」

「あー、嫌がらせか」

 かなり御立腹なのだろう。

 エンデュミオンは灰色の縞のある頭を前肢でぽしぽしと掻いた。

「マクシミリアンとアルフォンスの頼みなのだな?」

「はい。魚が獲れないと、民も困りますから」

「仕方がないな。取り敢えず湾を使えるようにすれば良いのか?」

「そうですね。水竜をどうするかは、エンデュミオンに一任したいとの事です」

「フィッツェンドルフは唯一の港街だからなあ。しかし、今の領主も初代の血筋なのだから、水竜の名前位覚えておけば良いものを」

「……」

 実は同じ事をアルフォンスもぼやいていた。クラウスも同意だったが。

「ところでクラウス、何だそれは」

「私もご同行致しますので」

 椅子に座るクラウスの太腿には、刀身の黒い大剣が立て掛けられていた。黒い刀身は鞘で、契約者の魔力を通すと白銀の抜き身が現れる地下迷宮ダンジョン産の魔剣である。鍔に近い刀身に真っ青な魔石が嵌まっており、時折きょろりと光る。

 大魔法使い(マイスター)時代に見た覚えのある魔剣に、持ち主が現れたのかと感慨深くなったエンデュミオンだったが、護身用には派手すぎる。

「水竜を討伐しに行くのではないのだぞ」

「ええ、存じておりますが、フィッツェンドルフは現在不安定ですから」

「そうか」

「王命で動いているこちらに害なす者があれば消しますのでご安心を」

「んん?」

 何か今物騒な台詞が聞こえた気がしたが、目の前に居るクラウスは穏やかな顔でティーカップを傾けていた。

 元々整った顔をしていて表情に乏しいクラウスは取っ付きにくいのだが、最近はカティンカを執事補佐にしていたり、クヌートとクーデルカも可愛がっているらしいので、実際は優しい男のようだ。

「ではさっさと行くか」

「はい」

 黒い執事服の上に裾の長い黒い上着を着たクラウスは、その背中に大剣を黒い革の剣帯で斜め掛けする。全身黒ずくめである。

 クラウスは学院を出ている魔法騎士の筈だが、隠密性も高そうだ。闇夜には会いたくない。

「ええと、フィッツェンドルフの港で良いか……」

 ずいぶん昔に行ったが、地形は変わっていない筈だ。

 エンデュミオンはクラウスを連れて〈転移〉した。


「うわあ、酷いな」

 フィッツェンドルフの港は嵐の後片付けがまだ終わっていなかった。打ち上げられた小舟や木箱の残骸や魚の死骸が散乱している。生臭い臭いが辺りに漂っていて、堪らずエンデュミオンは風の精霊(ウィンディ)に頼んで、自分とクラウスの周りの空気を綺麗なものにして貰った。

 港が船を出せない状態だからか、この臭いのせいか人気はない。本来はとても賑やかな筈なのだが。

「何で片付けていないんだ? 片付け位は水竜だって邪魔しないだろうに」

「被害にあったのは海岸近くに住んでいた漁師が多いですから。住まいの方を優先しているのかもしれません。あとは迂闊に触ると船主が煩いのかも」

 木箱に船主の物らしき焼き印が押されているのが見えた。

「成程」

 エンデュミオンは一つ頷き、魚の鱗がこびりつく桟橋へと歩く。水竜は海に潜っているのか姿が見えない。

 すう、と息を吸い込みエンデュミオンは水竜に呼び掛けた。

「おーい! キルシュネライトー! 出てこーい!」

 それにはさすがのクラウスも慌てた。

「え!? エンデュミオン、水竜の名前をご存知だったんですか!?」

「そりゃあ、昔会った事があるからな」

 大魔法使い時代を含めるとエンデュミオンは六百歳を超えるのだ。特に〈柱〉のエンデュミオンは各地の守護竜とは顔見知りだった。

 ざざ、と海面が揺れた。

「動くなよ、クラウス」

 エンデュミオンは自分達を覆う風の盾を作り出した。

 直後に海の中から青い鱗を持つ巨大な水竜が顔を出し、辺りに海水が降り注ぐ。エンデュミオンの風の盾のお陰で濡れる事はなかったが、辺りに叩きつけられる激しい水音で暫く何も聞こえなくなった。

 ─誰かと思ったら、ちんちくりんのケットシーじゃない。

 水音が落ち着いた頃、頭の中に若い女の声が響く。

「誰がちんちくりんだ。呪うぞ、キルシュネライト」

 ─あら? もしかしてエンデュミオンじゃないの? やだ、ケットシーになったの?

「ああ。今はリグハーヴスに居るんだ。グリューネヴァルトも一緒だ」

 ─へえー。何でフィッツェンドルフに来たの?

「キルシュネライトが湾を封鎖しているからだ。船が出せないから、魚が獲れないだろうに」

 ─だって酷いのよ! 聞いてよー!

 キルシュネライトがバッシンバッシンと水面を尻尾で叩く度に、凄い勢いで海水が飛び散る。風の盾にもビシビシ当たる。風の盾がなければ怪我をしている勢いだ。クラウスの手が一瞬大剣に伸びかけ、エンデュミオンも一寸ちょっと引いた。

「お、おう。話してみろ」

 守護竜というものは女神シルヴァーナの次に信仰される存在である。所謂いわゆる、土地神のような扱いだ。

 信仰があれば、守護竜の力も増すので、土地の人間も竜も両方益があるのだ。

 だが、フィッツェンドルフでは段々と水竜に対する扱いが悪くなったらしい。大漁でも感謝しない。大雨での川や海の氾濫を抑えても、当然だと言われる。

 領主館の人間ですら、キルシュネライトに会いに来ないし、最低限の貢ぎ物もない。何十年いやそれ以上そんな暮らしが続き、すっかり嫌になったのだそうだ。

 ─先代の領主から遂に約束の延長もしなくなったのよね。今回の嵐も〈お願い〉されなかったし。

 だからキルシュネライトは何もしなかった。

「これからどうするんだ? キルシュネライト。このままここに居ても、下手をすれば討伐されるぞ」

 チラリとキルシュネライトが、クラウスの大剣を見てぶるりと震えた。ざばざばと海面が波立つ。

 ─嫌よ! でも他にいい棲み処知らないの。

「クラウス、何処か知らないか?」

「フィッツェンドルフだと……」

 ─フィッツェンドルフはもう嫌。

 ピシャリとキルシュネライトが断る。

「リグハーヴスなら〈黒き森〉の手前の湖があります」

「冬は凍るだろう、あそこは。氷を割られると、ワカサギが釣れなくなる」

 ─寒いのは嫌よ! しかも釣りの方が優先なの!?

「ワカサギのフリットは美味いんだ。孝宏たかひろが釣りに行ってみたそうだったし」

 あるじ持ち妖精フェアリーは主を優先する。

「暖かい場所の水場ですか……」

「〈黒き森〉の中は先住者が居るだろうしなあ」

 エンデュミオンとクラウスは揃って腕組みをして唸る。

「あ」

 ポン、とクラウスが手を打った。

「エンデュミオンの温室はどうですか? 暖かいですし、あれは〈精霊の泉〉ですよね。妖精が遊びに来ますし、人族も信用出来る者しか来ないでしょう」

「あー、確かに。キルシュネライトが常に幼体化してくれるのなら住む場所があるぞ」

 ─幼体化するのは構わないわよ。

「まずは行ってみるか?」

 ─ええ。

 キルシュネライトは幼体化すると、身体の水気を飛ばして飛んできた。風の盾を消したエンデュミオンの頭の上に乗る。

「……なぜ竜はそこに乗るんだ」

 ─毛並みが気持ち良さそうなのよね。うん、柔らかくて温かいわ。

「いつもはグリューネヴァルトの場所だから今日だけだぞ」

 ─はいはい。

 エンデュミオンはクラウスとキルシュネライトを連れて、今度は温室へと〈転移〉した。


 エンデュミオンの温室はいつも春の陽気だが、果樹は季節関係なく実っている。木陰にある苔むした丸い石に囲まれた〈精霊の泉〉は、枯れる事なくこぽこぽと湧き出ていた。

 エンデュミオンとギルベルトの空間魔法で一見木立に囲まれたように見えるので、温室の中とは思えない。

 ─何ここ凄い!

 キルシュネライトは温室に着くなり、エンデュミオンの頭上から飛び上がった。

 ─良いの? ここ棲んで良いの?

「気に入ったのなら構わないぞ。リグハーヴスに暮らす妖精達の遊び場だから、仲良くしてくれれば。あっちの小道を抜けるとケットシーの里に出るから遊びにも行けるしな」

 ─え、何やってるの?

 竜をしてもおかしな事だったようだ。

「いや、あの小道を繋げたのは、元王様ケットシーのギルベルトだ。エンデュミオンじゃない」

 濡れ衣は晴らしておく。

「木の実は勝手に食べて良いぞ」

 ─有難う。グリューネヴァルトは?

「グリューネヴァルトは家の方に普段居るんだ。この土地を守護しているから」

 竜が宅地を中心に守護しているというのは、はっきり言えば過剰防衛である。だがエンデュミオンの宝はここにあるのだ。

 ─ふうん。ねえ、あれ乗って良い?

「ハンモックか? 良いぞ」

 ハンモックに乗り、ゆらゆら揺らして遊び始めたキルシュネライトを目の端に、エンデュミオンはクラウスを見上げた。

「これで良いか?」

「助かりました。ところであの地の守護竜はどうしたら良いでしょう」

「港の整備をした後に、水竜の棲み処に行って新たな守護を頼むしかないな。守護竜は継承していくものだから……誰か居ないのか?」

「領主と同居する妹は止めた方が良いでしょう。〈木葉このは〉から良い話は聞いていません。領主の歳の離れた末の妹が、現在王都騎士団に在籍しています。めかけの子供だそうですが、こちらは品行方正だと」

「首をすげ替えるのか」

「流石に公爵家を潰せませんから。女公爵となり印象も変わりましょう。王宮からも官吏を派遣して、領の内政を一新させます」

 公爵家も遡れば王族だ。準貴族とは扱いは変わるのは仕方がない。暫くは王宮の監視の下、フィッツェンドルフは再建していくのだろう。

「その女公爵が落ち着いたら、水竜の棲み処に行ってみる事だ。本来水竜は気性が穏やかだから、話は聞いてくれるだろう」

 キルシュネライトは水竜にしては少々気が強い。竜としては若い個体なのもあるが。

 竜は普段主としか会話をしないが、話そうと思えばキルシュネライトの様に誰とでも思念で会話出来る。人化も出来るが、面倒臭がってやらない竜も多い。

 ちなみに子供の竜は力が足りないので、主とのみ思念会話が可能だ。

「エンデュミオン、水竜の棲み処が何処にあるのか、多分知られていませんよ」

「ここにも竜騎士を廃止していた弊害がっ。王宮の右筆ゆうひつ係なら知っているだろう。森林族の方が詳しい筈だ」

「解りました。王とツヴァイクに確認して貰います」

 簡単には行けなさそうだったら、またエンデュミオンに声を掛ける事になるのだろうが。

「ところで王がお礼は何が良いかと仰っておいででした」

「うーん、金色の林檎アプフェルジュースがあれば欲しいな。ケットシーの里で風呂上がりに飲むのが好評でな。あとは美味い干し林檎とかな」

「承知致しました」

 全くもって、エンデュミオンの仕事と報酬は釣り合っていない。

 エンデュミオンにしてみれば、片手間仕事なのかもしれないが、これをただの人族がやろうとしたら討伐覚悟で挑まなければならないのに。それを何の被害も出さずに片付けてしまった。

 ─エンデュミオン、これ楽しいー。

「こら、本来はそこで昼寝したりするものなんだぞ、キルシュネライト」

 ブランコのようにハンモックを揺らすキルシュネライトに、エンデュミオンが慌てて駆け寄っていく。

 問題の一端であった水竜キルシュネライトをエンデュミオンに丸投げしてしまった形になったが──ここの住人達であればすんなりと受け入れてしまうのだろうなとクラウスは思った。

「クラウス、領主館まで送ろう。アルフォンスにキルシュネライトも紹介しておきたい」

「お手数をお掛け致します」

 キルシュネライトを両前肢で掴んでエンデュミオンが戻ってきた。散々ハンモックで遊んだからか、水竜はご機嫌だった。

 ─アルフォンスって誰?

「リグハーヴスの領主だ。話の解る領主だ」

 ─ふうん。

 興味がなさそうな反応だったので、エンデュミオンはもう少し詳しく説明してみる。リグハーヴスに来たからには、キルシュネライトには家賃代わりに水守みずもりになって貰うからだ。アルフォンスに喧嘩腰では困る。

「アルフォンスはケットシーで和みながら執務をするような男だ」

 ─あら、良いわね。好きよ、そういうの。

 よし、掴みは上々だ。

 クラウスが吹き出しかけたのを堪えたのか背後で噎せていたが、エンデュミオンは聞かなかった事にした。

 エンデュミオンに酷い紹介のされ方をしている頃、真面目に書類と向き合っていたアルフォンスは領主館でくしゃみをして、カティンカに心配されるのだった。


エンデュミオン、水竜キルシュネライトをヘッドハンティングするの巻。


港を有するフィッツェンドルフは、主に平原族が暮らし、領民に一番格差があります。

富める者は富み、貧しいものは富める者に使われる。

女神シルヴァーナは信仰していても、土地神の水竜は信仰して貰えませんでした。

先代からは契約更新もなく、領地管理の放棄ともとれる領主の行動に、エンデュミオンの調査が進みます。

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